20
わたしはリビングの入口正面でみさきを出迎えた。
じゃじゃーん、でこっちから出ていこうかと思ったけど、気恥ずかしくなってできなかった。部屋の扉を開けて、みさきが入ってくるのを待っていた。
「あれ? 未優、どうしたのエプロンで……」
扉を開けたみさきは、わたしを見て不思議そうな顔をした。
みさきが制服エプロンかわいいって言ってたから、なんて言えずに、わたしはうつむいた。
でもすぐに顔を上げて、笑顔を作る。
「おかえり、遅かったね?」
「うん。さっき瑠佳とマック食べてきたから……」
みさきの言葉が、一度するりと耳を通り抜けた。
一瞬遅れて、その意味を理解する。浮かべていた笑みが固まって、張り付いた。
みさきが友達と外でご飯食べてくるとか、わたしの知る限りでは今までにない。だからそんなこと、想定もしなかった。
「そうなんだ」
相槌を打つと、わたしは回れ右をした。
エプロンを脱いで、キッチン横の壁のフックにひっかける。
ソファに置いてあったカバンを手に取りながら言う。
「ご飯作ったんだけど、今日は食べないよね。ハンバーグ冷蔵庫に入ってるから、一回冷凍しちゃったほうがいいかも。あ、食べないなら捨てていいよ。あとお米も炊いちゃったから、それも冷凍かな」
すれ違いざまに言い終わると、わたしはそのまま入口に向かって歩き出した。
「未優!」
すぐそばでみさきの声がした。
無視して歩く。
「待ってよ未優!」
うしろから二の腕を掴まれた。
立ち止まって、振り返る。
「なに?」
「そ、その……ご、ごめん……」
「なんでみさきが謝るの?」
「だって未優、ご飯作って待っててくれたんだよね?」
「気にしないで。わたしが勝手にやったことだから。ごめんね、余計なことして」
ふたたび歩きだす。腕が突っ張った。
みさきはわたしの手首を握ったまま離さない。
「帰るから。手離して?」
「や、やだよ、未優怒ったままじゃ……」
「べつに怒ってないよ」
「怒ってるじゃん」
わたしは意外に冷静だと思っていた。
でも怒ってる、って決めつけられて、急に怒りがこみ上げてきた。わたしはみさきを睨み返していた。
「じゃあなんで怒らせるようなことするの? そうやって他の子と仲良くしたりして」
あーあ。こんなこと言う気なかったのに、言っちゃった。
みさきの目が泳ぐ。わたしはそれをじっと見つめる。
「いやそれはその、誘われて、断れなくて……」
「誘われたら何でもしちゃうんだ?」
「なんでもって……ちょっと一緒に、ご飯食べただけじゃん」
「でも今までそんなこと、したことないよね?」
みさきは目線を落とした。すねるように口をとがらせる。
「未優が先に、今日ご飯作るって言ってくれてたら……」
「そうだよね。頼まれてもないのにわたしが勝手に作ったのが悪いよね」
「だから違くて!」
みさきのもう片方の手がわたしの腕を掴んだ。この両手を離さないと帰れそうにない。
「あのさ、わたしのこと好きって言ったよね? それでなんで? 言ってることとやってることが違くない?」
「それは、したくてしたわけじゃなくて。向こうから来るから……」
「本当? それだけ?」
「そ、その⋯⋯ちょっと突き放してみて、未優の気を引こうとして⋯⋯」
あっさり吐いた。
なんとなくそんな予感はしていた。
カっとなりかけた頭の熱もいくらか冷めてきた。けれどそんな、思いつきでできもしないことをやろうとする神経がわからない。
「で、でも未優だって、きのう似たようなことしたじゃん! あたしに!」
「それは悪いと思ってるけど。でもわたし、誰かとイチャイチャしてた? 寄り道した? 一緒にご飯食べた?」
みさきはまた黙った。
なるほど、昨日のやり返しってこと?
いくらか腑に落ちた。でもやり返してくるとは思わなかった。
呆れたけどそれに関してはわたしも人のこと言えない。今も悪かったと思ってる。
だから平等にチャンスをあげることにした。
「で、最後はどうするつもりだったの?」
「え、えぇっと、そ、それは⋯⋯⋯⋯な、仲直りのチュー!」
⋯⋯。
頭を抱えそうになる。
言うに事欠いて仲直りのチューって。
⋯⋯あ。
それわたしもやってたか。
けど仲直りのチューとか、そういうおバカっぽい響きで言われるのはなんか違う。
「じゃあ、いいよ。仲直りのチューしてみて?」
出来次第によっては考えを改めるかもしれない。
ていうか、するならさっさとすればいいのに。わたしみたいに出会い頭にやるぐらいじゃないと。口論になってる時点ですでに失敗だと思う。
わたしはみさきの手をほどくと、カバンを床に置いて、正面からみさきに向き直った。
腕組みをして仁王立ちする。
「ほら、するなら早くして?」
「み、未優の顔が怖い……」
誰の顔が金剛力士像だよ。
まあ、門番みたいに正面から睨まれてたらやりづらいのは当然か。
わたしは目を閉じてやる。顎をいくらかあげてやる。
しばらくそのまま待てども、なにも起こらない。
時間とともにイライラが募りはじめる。
ここまでお膳立てしてあげたのに尻込みするなんて。これ男だったら救いようのないヘタレかも。よかったねみさきちゃん女の子で。
やがて唇の先に、柔らかいものが触れて、離れた。
目を開けると、みさきの不安そうな瞳がじっとわたしを見ていた。
「ご、ごめんね未優。許してくれる?」
ずいぶん時間を取るからどんなものかと思ったら。
おっかなびっくり、口先でちょんってしただけ。
つたない。足りない。拍子抜け。
でも、みさきからしてくれた。
彼女の意思で。初めて。わたしに。キスを。
なんか急に怒りがスって抜けた。
ニヤけそうになるのを我慢して、真顔を作って、まっすぐみさきの顔を見つめかえした。まるで捨てられそうな子犬の目をしている。
なんてかわいさ。愛くるしさ。
もう許した。よくできましたって、頭を撫でて、抱きしめてあげたい。
⋯⋯え、ちょっと待って。
もしかして、わたしって、ちょろすぎ?
これで許しちゃうって、やばくない?
ここで甘やかしたら増長する。それは教育上よくない。
「全然だめ。なに? 今の。やる気あるの?」
わたしの口は頭とはまったくべつのことを口走っていた。
みさきが慌てふためく。
「ち、違う違う! い、いまのは失敗だからもう一回!」
「もう一回とかないから」
もうキスはダメ。次されたら間違いなくニヤける。
「じ、じゃあ逆に、どうしたら許してくれる?」
みさきがすがるような目をする。
つまり許してくれるなら何でもしますってこと?
ふーん、いいじゃん。それ、いいね。
なんて考えてることはおくびにも出さず、わたしは冷たい表情で、冷たい声で言った。




