10 神デバフ
スーパー美少女の朝は遅い。
この体、信じられないほど朝に弱い。かといって夜に強いというわけでもない。
どうやらスーパー美少女というものは活動限界時間が短いらしい。
一見完全無欠と思われるあたしには、こういうこまごまとした欠点がたぶん108個ぐらいある。
これは単にあたしがぐうたらとかなまけものとか社会不適合者とかそういう話ではない。
おそらくあたしは、スーパー美少女になるのと引き換えに神からデバフを受けたのだ。
物事は何事も等価交換なのである。
質量保存の法則だ。中学で習った。
しかし。
そんなあたしが。
早起きしたのである。
これを過ぎると遅刻するかもしれないという時間より二十分ほど早く。
未優が半ギレで迎えに来るであろう時間より十分ほど早く。
一度時間を確認すると、あたしはベッドに横になったまま未優が来るのを待ち構えていた。
今日こそ捕らえる。痴漢があたしの寝込みを襲う決定的瞬間を。
現行犯逮捕し、「これはどういうことなのかな?」と問い詰める。
未優は膝から崩れ落ちる。そして本当はみさきたんちゅきちゅき大好きなことを懺悔する。
あたしはそんな彼女を許す。
泣きじゃくる未優の額に優しいキスをして、Happy End。
脳内シミュレーションを繰り返していると、物音がした。あたしは目を閉じた。
部屋のドアは開けっぱだ。かすかな足音とともに、スカートの衣擦れの音が近づいてくる。
気配は枕元のすぐそばで止まった。
沈黙。まぶたの裏ごしに視線を感じる。
これからなにか破廉恥な行為をされるのだと思うと、なんだかむず痒いような感覚がする。
いっ⋯⋯!
一瞬声が出そうになった。
これはほっぺにチュー⋯⋯ではない。
ほっぺたを手でつままれている。いやつねられている。
痛い痛い痛い。
結構な強さだ。起きるでしょそんなことしたら。あ、起こそうとしてるのか。
いや、起きないかどうか確かめているのかもしれない。
ならここは耐えるんだ。耐えろ。
「起きてるでしょ」
声が降ってきた。バレてる。
あたしはまるで今起きたかのようなふりをした。
「い、痛い痛い! なにするんだよもう!」
「起きてたでしょ」
あたしは答えずに無言で体を起こした。
ここで肯定すれば、さらに上をいかれていたのを認めることになる。
けど逆に考えれば、あたしにバレてたのがよほど効いていて恥ずかしかったので今日はやらなかった、とも取れる。
そう考えるとかわいいものだ。
「まったくもう、未優はかわいいなぁ」
「いいから早く起きろ」
口に出して言ってみたら辛辣で返された。
あたしの好きアピールが軽くいなされたのも、お前そういうとこやぞ、ということなのかもしれない。
「わかったよ、じゃあ明日からもう起こしに来なくていいよ。ちゃんと自分で起きるから」
「それは別にいいよ」
「え?」
「みさきはわたしが起こしてあげるから」
なぜに?
そういうだらしないとこをどうにかしろって話だったんじゃないの。
「ほら、遅れるからはやく」
いつもの調子で促してくる。
なんか、今まで通りだ。こっちは調子が狂う。
まるで昨日のこと、なにもなかったかのように振る舞ってくる。夢か何かだったのかなって思うぐらいに。
急いで準備を済ませて、あたしは未優とともにマンションを出た。
早足ですすむ未優にくっついて歩くという、結局いつもの構図だ。
昨日のあたしは「本気でみゆたんを落としてやるよ」とかドヤってその後なにもしなかったわけではない。
『女心 ツンデレ 落とし方 惚れさせる 女らしい エロテク』
などといったワードを組み合わせてインターネッツ検索をかけていた。ちなみに検索履歴を漁られたらすぐそこの川に飛び込める。
『女の子は褒められるのが好き!』
なんかいろいろ書いてあったけど、恋愛レベル1のあたしには難しいやつばっかりだった。
唯一できそうなのがこれ。
あたしは未優の隣に並んで声をかける。
「みゆたんまってよみゆた~ん」
「おめめぱちぱちのきらきらだね」
「肌すべっすべのさらさらだね」
「唇ぷにっぷにのつやつやだね」
擬音を多めにおりまぜ語彙のなさをごまかす。
あたしが男だったらかなりアレなセリフである。
けれど女同士なら微笑ましいものだ。余裕で許される。
未優はちら、とあたしを見て、
「……急になに?」
「いや、あらためて思ってね」
「それ、嫌味?」
「え?」
「わたしなんてみさきの足元にも及ばないし」
なんでそんな自虐?
足元にも及ばないなんてことは当然ない。どう低く見積もっても首元ぐらいまではある。
個人的にはもうどっちが上とか下ではなく、好みの問題だと思うけど。
「そんなことないでしょ。あたしなんてもう未優に生まれ変わりたいぐらいだから」
「……キモいんだけど?」
「みさき、キモい。略して?」
「みさキモ」
「あん肝みたいに言うな」
「自分で言わせてるでしょ」
あれ違うな。いつものやり取りに戻ってる。
てか今までってこんなしょうもないやりとりしかしてなかったのかと我ながら頭が痛くなってきた。
未優は見た目を褒められてもうれしくなさそうだ。
やはり容姿褒めは地雷か。
というかそもそも、そういう回りくどいのがよくない。
あたしの分析によると、未優みたいなひねくれタイプはきっと直球に弱い。
ここは一周回ってストレート勝負だ。
「未優、今日もかわいいよ。好き」
好きってこと、もうバレてるんだし隠す必要もない。
好きな子にはっきり好きと言える。なんて気分がいいんだ。
「みゆちゃん好きだよ」
「みゆたん好き好きだいすき」
好き好き連呼しているうちに気持ちよくなってきた。なんか興奮してきた。まるで卑猥な言葉でも浴びせているような気分になる。
しかし肝心の未優はノーリアクションだった。
黙って前を向いたまま歩き続ける。
「ねえ、みゆぅ~~? きいてる?」
あたしは未優の横顔をのぞきこみながら声をかける。不本意ながらかまってちゃんみたいな甘え声になってしまった。でも無視されると不安だし。
すると、とつぜん未優が立ち止まった。うつむいたまま固まっている。
地面にお金でも見つけたのかと目線を追うがなにもない。
「スゥゥウウ~……」
よくよく見ると目を閉じて深呼吸している。拳握りしめてる。
まずい波紋パンチで退治される? と恐れおののいていると、未優は目をそらしながら言った。
「……あのさ、学校ではそれ、やらないでね」
「なんで」
「……やろうとしてた? そんなずっとスキスキ言ってたら変に見られるでしょ」
「あーはいはい、そっちね。秘密にしたいタイプね」
「オープンにしてどうすんだよ」
未優は周りの目が気になるらしい。
あたしとしてはべつに、女の子同士が好きあってるとか言われても、あらいいですねぇ~で終わりだけど。
「恥ずかしがり屋さんめ~このこの」
脇腹をツンツンしてやる。
すぐさま未優の頬にさっと赤みがさした。ぺっと手の甲であたしの手を払って、
「あのさ、自分の立場、わかってる?」
「わかってるよ。吾輩はみゆたん好き好き星人だ」
未優はむぐっと口をつぐんだ。
あたしはその顔に向かって首を傾ける。
「じゃあみゆたんは~?」
「……ふつうの人間ですけど」
「みさきたん好き好きマンだぞ。やっつけちゃうぞ」っていう返しを期待したんだけどさすがに高望みか。
そうやってひねくれてくるのもある程度予想通りだ。
彼女が塩ってる答えは単純で、「わたしも好き」っていうのが恥ずかしいだけなんじゃないかな。
「ふふっ……」
あたしが笑いかけると、未優は目をそらして歩き出した。
これぞスーパーイケメン美少女スマイルだ。昨日鏡の前で練習した。イメージ的にはなんかこう、周りにバラが咲いている感じ。
目をそらされた先に顔を回り込ませる。
そらされる。回り込む。そらされる。回り込む。
赤の他人に見られると完全につきまとい事案である。
しかし残念ながらあたしはスーパー美少女だ。周りには美少女同士がじゃれているようにしか見えない。
「やめて、ストップ」
未優は手で払う仕草をする。
必死におすまし顔を作っているけど、照れてるのを隠しているのが丸わかりだ。
これは勝てる。一気に方向性を掴んだ。
ふたたび立ち止まった未優は、無言であたしの顔に目を留めた。
急に真剣な表情だ。あたしもガチ顔で応戦し、見つめ合う。
未優は一度ぐるりと回りを見渡すと、素早く顔を近づけてきた。
――ちゅ。
「え……」
一瞬、頬に柔らかい唇の感触が当たった。
かすかに甘い残り香が鼻をつく。
ぽかんとしていると、未優は目の前で勝ち誇ったような笑みを浮かべた。それきり何も言わずに、あたしを置き去りにして歩いていってしまう。
たったの一撃でごちゃごちゃやってたのをひっくり返された。
しばらくその場に棒立ちになっていたあたしは、慌てて未優の後を追った。




