7. ド天然令嬢は思いやりを示す
最終話です。
このところ、私を高く評価してくださった男爵令嬢モリー様のお姿が見えないのですが、どうされたのでしょう。お会いしたらもう一度、お礼を申し上げたかったのに。そういえば、第二王子殿下と側近の方々もお見かけしなくなったような⋯⋯。
そんなことを思いながら、先日モリー様に呼び止められた中庭を歩いておりますと、なにやら不穏な感じの声が耳に入りました。見ると、同じクラスのリリアン・ロシャス子爵令嬢が婚約者でいらっしゃるマティアス・ガロン伯爵令息に詰め寄られているご様子。
婚約者同士でいらっしゃるから、部外者が聞いてはいけないと思いつつ、なるべくお二人の視界に入らぬよう静かに通り過ぎようといたしました。
「たとえ結婚しても、お前を愛することはない!」
「えっ!?」
わたくしとしたことが、あまりにインパクトのある言葉に、つい声を発してしまいました。
お二人がびっくりした表情でわたくしの方に顔を向けました。
「も、申し訳ございません。大きなお声でしたので、しかも、少々びっくりするようなお言葉でしたので、つい」
マティアス様は聞かれた羞恥からかお顔を赤くし、一方、リリアン様は冷めた表情でマティアス様を見やっています。お二人のご様子にどこかチグハグなものを感じたわたくしは、そのまま立ち去ろうとしていたことを忘れ、またつい言葉を発してしまいました。
「失礼ながら、聞こえてしまいましたものですから、少々気になりまして⋯⋯。マティアス様は、なぜあのような発言をなさったのでしょうか?」
「マティアス様は、真実の愛を捧げたお相手がいらっしゃるそうですわ」
マティアス様の代わりにリリアン様がお答えになりました。
「婚約者のいる身で不貞を?」
「ふ、不貞などではない! 真実の愛なのだ! なんなんだ、君は!」
「不貞でない? ではご婚約されていないのですね! それは大変失礼いたしました。あら? でも、先ほどはリリアン様とご結婚されるというようなお話をされていたような⋯⋯?」
リリアン様とわたくしはご挨拶を交わす程度の間柄ではありますが、いつもにこやかにお声をかけてくださるので、わたくしとしては他の方々よりも好印象を持っております。その気持ちもあってか、不思議に思ったことをそのままにできず口を挟んでしまいましたが、なんだかますますわからなくなってしまいました。
「婚約はしています」
リリアン様が静かな声でおっしゃいました。
「⋯⋯ええと、わたくし浅学にてお恥ずかしいのですが、婚約していても、ほかに愛する人ができて、それが真実の愛というものであれば、不貞とは見做されないという法があるのでしょうか。もしそうだとしたら、わたくしも婚約者がおります身なので、聞き流すことができ兼ねます。⋯⋯なんということでしょう。もし、サルーシャ様が真実の愛を見つけた場合、わたくしはどうなるのでしょうか。貴族の婚約・結婚は、家同士の契約と理解しておりましたのに、本当はそれほどに脆いものだったのですね」
「いえいえ、そのような法はありません。アリア様は大丈夫ですよ。『不貞ではない』とは、真実の愛を美しいものと思いたい故の言葉の綾みたいなものかと」
リリアン様が、少々取り乱してしまったわたくしを宥めるようにおっしゃって、わたくしは己の醜態が恥ずかしくなりました。どう見てもリリアン様にとって好ましくない局面と思われますのに、しゃしゃり出てきたわたくしにお気を遣わせてしまうなんて。
「ああリリアン様、なんとお優しい。本当に申し訳ございません。⋯⋯言葉の綾とは、わたくしには少々難しいかもしれません」
実のところ、さっぱりわかりませんでした。婚約者がいるのに、他に親密なお相手をつくってしまったら、それはどんな角度から見ても不貞としか思えません。それに、わたくしにはもうひとつ、心に引っかかって仕方のないことがありましたので、意を決してお聞きしてみることにしました。
「⋯⋯大変心苦しいのですが、もうひとつお聞きしてもよろしいでしょうか。マティアス様はなぜ『愛することはない』などと? リリアン様はそこもご理解されていらっしゃるのでしょうか」
リリアン様がとても冷静なご様子だったので、不思議に思ったことについてマティアス様ではなくリリアン様にお聞きしました。
「おそらく、結婚が不本意なので私に嫌がらせをしたかったのだと思います」
「違う! これは思いやりだ!」
「思いやり? それはどのような?」
わたくしは思わずマティアス様に聞き返してしまいました。
「わからないのか? 私の寵愛が得られると期待させては可哀想だろう。その可能性がないのだから、最初に教えておいてやろうという思いやりだ」
「なるほど、そのような思いやりも存在するのですね。勉強になります。これから結婚するお相手に、期待を持たせないため、予め可能性がないことを伝える、と。
では、リリアン様も同様に思いやりを示して差し上げるのですよね? 思いやりには思いやりを。きっと、それがマティアス様の望む誠意のように思います」
リリアン様は、一瞬キョトンとしたお顔をされましたが、徐々に頬を緩められました。
「本当ですね。おっしゃる通りです。私もマティアス様に誠意をお返ししませんといけませんわね」
そう言って微笑まれると、マティアス様に向き直りました。
「マティアス様。これまでも、これからも、私があなたを愛することはございません」
「な! 強がりは見苦しいぞ! お前が私を愛していることは知っている!」
「まあ、大変! びっくりです! リリアン様、マティアス様は手遅れなのでは。もう、すでに期待してしまっていらっしゃいます!」
「ぷーっ、クックスクス⋯⋯、ええ、ええ、そうかもしれませんわね。どうしましょう」
「ここは、今からでもしっかりご理解していただくために、誠心誠意お伝えするしかございません! 非力ながら、わたくしもご協力いたします」
わたくしは、マティアス様に向かって心を込めて申し上げました。
「マティアス様、リリアン様の愛をすでに期待されているところ大変申し上げにくいのですが、リリアン様はマティアス様を愛してはいらっしゃいません」
「な、な、な」
マティアス様は顔を赤くしてお怒りのご様子。
まだわたくしの誠意が伝わらないようです。もっと言葉を尽くさないと。
「わたくし、リリアン様とはそれほど懇意にさせていただいてるわけではございませんが、そんなわたくしでもわかるほどに、リリアン様の表情や視線、お言葉など、その一つひとつにマティアス様への愛はございません! それはもう、ひとかけらも! わたくしからも誠心誠意申し上げます」
「ええ、私ももう一度、誠心誠意申し上げます。マティアス様を愛したことはございません。それはもう、ひとかけらも」
リリアン様もお言葉を重ねます。なぜか可笑しくてたまらないといったような表情をされているのが少々気になりますが。
「んなっ! な! うっ、うっ、もう、いいっ!」
マティアス様は赤黒いと言ってもいいほどのお顔色になり、走り去ってしまわれました。マティアス様の誠意に対し、誠意でもってお返ししたはずですのに、喜んでいただけていないような⋯⋯? でも、婚姻する前にお互いの誠意を示すことができて良かったはず? マティアス様ご自身が望まれたことでもありますし⋯⋯。
「リリアン様、このような “思いやり” もあるのですね。わたくし、まだまだ知らないことばかりです」
「ぷっ、ふふふふ⋯⋯、アリア様、本当にありがとうございます」
「わたくし、お力になれたのでしょうか?」
「とても。私、アリア様に救われました。よろしければ、私とお友達になってくださいませんか?」
お友達! なんて素敵な響き! そんなことを言っていただけるほどのことをした覚えはございませんが、わたくしは舞い上がりました。
「喜んで! 嬉しいですわ!」
「はあ〜! なんだかスッキリしましたわ。私、婚約解消いたします。家同士の契約ですから、最初から互いの愛が望めなくとも、信頼や尊敬は大切だと思うのです。これから家族になるべく歩み寄りや努力をしようという気持ちを求めるのはおかしいでしょうか」
「いいえ! 至極当然のことと思います! でも、解消して大丈夫なのですか?」
「ええ。父もマティアス様の不貞を存じていて、解消を念頭に入れています。今日のことをお話しすれば、すぐに決まるでしょう」
「良かったですわ! 不貞、ダメ、絶対! おめでとうございます!」
「うふふふふ、アリア様って本当に素敵。久しぶりに晴れやかな気持ちになりましたわ」
顔を上げ、背筋を伸ばしたリリアン様のお姿は、とても眩しく映りました。
* * *
「アリー、なんだか嬉しそうだね?」
帰宅の馬車の中、サルーシャ様がわたくしに尋ねました。
「わかりますか? わたくし、お友達ができましたの。同じクラスのリリアン・ロシャス子爵令嬢ですわ」
喜びを隠しきれず、ニヨニヨしながら報告します。
「それは良い友達ができたな。リリアン嬢は聡明で人望もあると聞く。問題点があるとすれば、婚約者が凡庸でプライドだけ高い男だということだけだ」
「よくご存知なのですね。でも、婚約は解消されるそうです」
「それはめでたいな」
ふと、マティアス様の不貞のことを思い出し、わたくしはサルーシャ様をじっと見つめてしまいました。あの時の、不安な気持ちが胸をよぎったのです。
すると、サルーシャ様がわたくしの手を両の手で包み込み、わたくしの目を覗き込みました。
「アリー、予め伝えておくよ」
その言葉に、わたくしの肩が小さく跳ね上がりました。
「サササルーシャ様、それは、“思いやり” でしょうか」
「思いやり? いや、私のわがままだ」
緊張に身を固くしつつ、サルーシャ様の次の言葉を待ちます。
「アリー。私は、未来永劫、君以外を愛することはない。たとえ君の心が私から離れてしまうことがあっても、私は君を離してあげることはできない」
ああ、なんということでしょう! サルーシャ様は、これ以上ないほどの言葉をくださいました。
「サルーシャ様! 大好きです!」
サルーシャ様に限ってそんなことはあり得ないとは思いつつも、今日耳にした “真実の愛(不貞)” なんてものを持ち出されたら、私の心が死んでしまうところでした。あー良かった。
「はああ〜〜、ホッとしました。どんなことをおっしゃるのかとドキドキしました。わたくしもサルーシャ様と同じ気持ちです。不貞、ダメ、絶対! です!」
サルーシャ様は嬉しそうな、それでいてちょっと泣きそうなお顔で微笑むと、わたくしをギュッと抱きしめました。
これまでお付き合いくださり心から感謝です!
どうもありがとうございました。