眼帯マドンナ
桜が咲いて、俺は高校2年生になった。新学期の初日、張り出されたクラス分けを見て、俺は眉を顰めた。嫌いな奴と同じクラスだったからだ。
指定された教室に入って、指定された席に座る。俺の名字は横山。出席番号はいつも30番代。最初の座席は出席番号順だから、決まっていつも窓際の席になる。ここからは校庭の桜がよく見える。窓際の席の特権だ。
「おはよう優希!また席前後だな!」
「おはよ。まあ、俺は横山だし、お前は吉田だからな。同じクラスになったら、大体前後になるよな」
俺の後ろの席にリュックを置いて話しかけてきたのは、1年生の時も同じクラスだった吉田。
「桜見てカッコつけてたのか?」
「桜見る事のどこがカッコいいんだよ?」
「外の桜もいいけどさ、見ろよ。あっちの桜も満開だぜ」
吉田がニヤけた視線を向ける先には、人だかりがあった。1人の席の周りに、4人集まって談笑している。吉田の言う桜が誰なのかは、すぐに見当がつく。恐らく清水だろう。学年で1番可愛いと持て囃されてる女だ。清水は口を手で押さえて、上品に笑っている。
「清水か。お前、本当に清水が好きだよな。何がそんなに好きなわけ?」
「何がってお前、それ本気で聞いてんのかよ?可愛さに決まってんだろ。はあー、今年も清水さんと同じクラスでマジ最高だわ」
「そんな清水ですら、佐藤の取り巻きになってるけどな」
佐藤は、清水達が集まって話している席の主。暗く控えめに笑っている、スカートの丈が長い地味な女だ。佐藤とはやけに目が合うことがある。
「取り巻きとか言うなよ。楽しくお話ししてるだけだろ」
「何であんなに佐藤の周りに、人が集まるのか理解できねえ。初日から話しかけにいく相手か?この短時間で、あのメンツが集まるほどの魅力は絶対にない」
「酷い言い草だな。お前、佐藤さんに何の恨みがあるってんだよ」
「だってよ、不自然だろ?超絶善人委員長候補の田中。学年1の頭脳の持ち主の浜中。イケメンサッカーキャプテンモテモテ男の福田」
「そして学年のマドンナ清水さん」
俺の異色のメンバー紹介に、吉田が食い気味に乱入する。
「メンバー厳選され過ぎだろ?学校生活網羅する気かよ!?勉学も青春もクラス政治も制覇する気か?」
「確かに不自然だよな。全てのトップが揃ってるし」
「ああ。その中心にいるのが佐藤だぜ?佐藤は何で座ってんだよ。話に来てくれてるんだから、せめて立つのが礼儀だろ。立ち上がって歓迎しろ。むしろお客様を座らせてやれ」
「いや、何でだよ。集合場所にしてる席の持ち主すら立ってたら気持ち悪いだろ。でも、お前の言う通り、あのメンツの中心にいるのは少し違和感があるよな〜」
吉田は渋々納得の表情を見せる。
「1年の時もあんな感じだったよな。絶対おかしいぜ」
「でも、不思議な魅力があるよな」
「嘘だろ?あんなんのどこに魅力を感じるんだよ?」
「お前、何でそんなに佐藤さんが嫌いなんだよ?」
「何でって、え、何でだろ?」
軽く脳内を捜索するが、特に嫌いになるような過去の出来事は思い当たらない。
「理由もないのに嫌いなのかよ?普段人の悪口とか言わないのに、佐藤さんには当たり強いよな。もしや、嫉妬か?」
「嫉妬?まさか、ないない」
ありもしない疑いを問われ、首と手を振って否定する。
金曜日の6限。クラスは嫌な沈黙に包まれている。係決めの最中、美化委員会に誰も立候補せず、既に7、8分が経過した。美化委員の枠は、男女ともに空いている。飛ばさず順番に決定していくと言う、謎ルールのせいで係決めは完全に停滞。委員長になって仕切りを任された田中も、教卓で困り顔を浮かべている。
「お前、美化委員やれよ」
「やだよ」
既に係が決まって余裕のある吉田から入る茶々に、振り返らずに返答する。誰も美化委員に立候補しない、それには明確な理由があった。美化委員は放課後に、教室の掃除をしなければならないからだ。故に誰もやりたがらない。だが、係決めはまだ序盤。俺が冷や汗を流す必要はない。該当者はたくさんいる。終盤になるにつれて大きく膨れむ、無言の重圧はない。この状況に笑みを浮かべるだけの余裕がある。
20分が経過した。みんなが時間切れを狙っている。時計の針は、ホームルームの終了5分前を差す。来週のホームルームに持ち越しになる、今日は助かったと、全員が思っているに違いない。俺もそう思った。その時、これまでずっと座っていた担任が立ち上がった。
「今日は美化委員が決まるまで終わらないからね」
担任は言って、再び座る。担任からの地獄の宣言。それでも誰も動かない。微動だにしない。誰かが生贄に名乗りをあげるのを待っている。もはや、美化委員を決定するのではなく、クラス1のお人好しの男女を決定する時間へと変貌を遂げた。
俺は外が暗くなるまで耐えられるが、教卓で立ちっぱなしの田中が可哀そうだ。仕方ない。クラスの奴らにひとつ恩を売るつもりで、ここは俺が美化委員を務めるしかない。手を上げて、委員長の田中に視線を送る。
「横山君!い、いいの!?」
「うん。やるよ」
僕が頷くと、死んだ目をしていた田中の瞳に光が戻った。
「あっ、佐藤さんも!?」
田中の言葉に反射して、佐藤の方へ首を一瞬で向ける。佐藤は明らかに乗り気じゃない顔で手を上げている。
「一応確認だけど、他に美化委員やりたい人いますか?」
田中。無駄な確認はやめろ。そんな奴いる訳ないだろ。
「いないですね。じゃあ、美化委員は横山君と佐藤さんの2人に決定です!」
「はい、2人に拍手」
担任が立ち上がって言うと、クラスから盛大な拍手が送られた。
「お前と佐藤さん、手上げたタイミングほぼ同じだったぜ。お前ら気が合うんじゃない?」
「ただの偶然だろ」
教室のみんなが帰り支度をする中、吉田が全く持って不要な情報を呟く。教室からは、どんどん人が減っていく。
「美化委員って大変そうだよな」
「そうだな。ダブルで最悪だよ」
「じゃっ、掃除頑張れよー」
吉田は教室を後にして部活へと向かった。教室から人がいなくなり、残ったのは俺と佐藤の2人だけ。
「佐藤さん。俺は床のほこり集めるから、黒板とかの掃除お願いしていいかな?」
「分かった」
佐藤は頷いて、黒板の掃除を始めた。俺は掃除道具箱からホウキを取り出し、教室の後ろからホウキでゴミを掃き始める。
外から聞こえて来る運動部の声が、この教室の沈黙を浮き彫りにさせて気まずい。まあ、掃除は黙ってやるのが正攻法。
「美化委員ってさ、明らかにハズレの係だよね」
気まずさに耐え切れず話しかけると、佐藤は黒板消しを持ってクリーナーの前まで移動した。佐藤はクリーナーの電源を入れて、黒板消しの粉を落とす。クリーナーの騒音に、始まる前の会話は啄まれた。
「昼も掃除してるはずなのに結構ゴミあるね。教室掃除の奴ら、絶対適当にやってるよね」
返事はまたクリーナーの騒音。黙って掃除しろと言う、佐藤なりの意思表示なのかもしれない。まあ、嫌いな奴と話すくらいなら、気まずい沈黙の方がまだマシ。
ホウキで掃いたゴミを教卓付近で集めて、チリトリに入れている途中に閃いた。真面目に2人で残って掃除する必要はないと。
「ねえねえ、佐藤さん。1日交代制にしない?月曜日は俺で、火曜日が佐藤さん、みたいな感じでさ」
俺の提案を聞いた佐藤は、納得でも不満でもない何とも言えない顔をしている。無視とも取れない沈黙が続く。俺が返事の催促をしようとした時、佐藤が振り返って黒板の下にある、年季の入った台に飛び乗った。佐藤は台に乗ってすぐ、両手の爪で黒板を引っ掻いた。耳をえぐり取りたくなるような不快な音が響いた。
「えっ、急に何?」
「あのさ、無理に話しかけなくていいから。私、アンタのこと嫌いだし」
「え、えー?まじ?真正面からそんなこと言われるの初めてだよ。えー、ちょっと、びっくり」
何の緩衝材もなくストレートに嫌いと言われ、思いのほかショックを受けた。嫌いと言ってきたのが、嫌いな相手だからとか関係ない。情けなくも心臓がドクドクと動揺している。
「俺、何か佐藤さんに嫌われるような事しちゃった?」
反射で言葉を口にしていた。自分は佐藤が嫌いな理由がぱっと浮かばなかった。佐藤が俺を嫌いな理由の中に、俺が佐藤を嫌いな理由があるかもしれない。
「心当たりない?」
「ごめん。ちょっと覚えてないや」
「なら教えてあげる。小学3年生の時に、私と小百合とアンタが同じクラスだったのは覚えてる?」
「あー、何となく」
佐藤の言う小百合とは清水のことだ。清水小百合。名字も名前もどちらも、清楚で上品な雰囲気に満ちている。流石、学年のマドンナと言ったところだ。佐藤と清水とは、幼稚園から高校まで同じだ。
「3年生の時の昼休み、好きな子の話になったの。その時、小百合が教えてくれたのよ。横山のことが好きだって。顔赤くしながら、小っちゃい声でね」
佐藤は清水との可愛らしい思い出を、随分と誇らしげに堂々と語る。
「で、私は思ったの。小百合とアンタの2人が両想いで、小百合が喜んだくれたら良いなって。だから、アンタに伝えたのよ。そしたら、アンタが衝撃の返答をしたのよ。なんて言ったか覚えてる?」
「う〜ん。ちょっと、覚えてないかな」
遠い昔の出来事を思い出せず、俺は首を傾げた。
「小百合のことは嫌いって、そう言ったのよ!」
「俺そんなこと言ったの?」
「言ったわよ!あんなに可愛い小百合の事を、嫌いって言っちゃうなんて有り得ないから!」
「まあ、小学生だし照れ隠しとかだよ。てか、佐藤さんは、それで俺の事嫌いになったの?」
「そうよ」
「へー、清水さんのこと大好きなんだね」
「悪い!?」
佐藤は顔を赤くして照れる。
「ていうか、アンタも私のこと嫌いでしょ?」
「えっ!?いや、どうだろ」
虚を突かれ、否定し切ることが出来ず曖昧な回答をする。
「別に誤魔化さなくてもいいわよ」
言って佐藤は、教室のドアの方へ歩き出す。
「誰も居ないわね」
教室のドアから顔を出して、廊下をキョロキョロ見渡す。確認を終えてから、教室の前後のドアを閉めた。
「今から話すこと他言無用だから。実は私、人の心操ることできるの」
「へ、へえ、それは随分とメルヘンチックな設定だね」
「嘘じゃないから」
佐藤は冷たい声で睨む。
「いや〜、流石にさ、信じれないよ」
「じゃあ、信じさせてあげる。アンタ、私のこと嫌いでしょ?誤魔化しとかいらないから、遠慮なく答えて」
「うん。嫌い」
「どうして嫌いなの?」
「えっ、えーとね、何となくかな」
「やっぱりね」
佐藤は得意げな声で笑う。
「さっきは人の心を操るって言ったけど、正確には目合わせた相手に、私の好感度流し込む感じ」
「嫌いな奴と目合わせたら、ソイツも佐藤さんのこと嫌いになって、好きな奴と目合わせたら、ソイツも佐藤さんのこと好きになるってこと?」
「そう!アンタ賢いね」
本当にその力があるというのなら、佐藤の周りに人が集まるのにも納得できる。
「じゃあさ、佐藤がいつも一緒にいる人たちって、目合わせて佐藤が好意抱かせてるってこと?」
「...うん。そうだよ」
俯いて答えた佐藤は、後ろめたさを感じているように見えた。
「え、あのさ、もしかして、清水さんも洗脳してんの?」
「洗脳とか言わないでよ!...してるけどさ」
佐藤は泣きそうな顔で声を荒げてから、再び俯いた。
「清水さんとは普通に仲良いでしょ?」
「そうだと思いたいけど、小百合は可愛いからさ」
何を言っているのか理解できない、俺の心を読み取ったように佐藤は口を開く。
「アンタと言うか、男の子は分かんないと思うけど、女の子は顔で友達を選ぶこともあるのよ」
「そう言うもんなの?」
「そうだよ。小学6年の時、クラスで仲良くしてたグループがあったの。今思えば、明らかに私だけ可愛くなかったかな。ある学校の帰り道に、小百合が教えてくれたの。そのグループの子たちに、私抜きで遊ぼうって誘われたって。小百合はそれに怒って色々言っちゃったから、明日からあの子達と一緒にいるのやめよって」
佐藤は悔しそうに悲しそうに、笑いながら話を続ける。
「怒ってくれる小百合は優しいなとか思えるほど、当時の私は大人じゃなかった。仲間外れにされたの知った時、普通にショックだった。仲良しだと思ってたのに、仲間外れにされて、私の知らないところで友達じゃなくなってた」
「...それは、辛かったね」
「ショックを受けたと同時に考えちゃったの。今回は私を選んでくれたけど、小百合がいつまで私を選んでくれるか分からない。小百合は可愛いから人気者になって、中学生になったら私から離れちゃうかもしれないって。そうなるのが怖くて、それからずっと小百合のことすら操っちゃってる」
「そっか。俺には佐藤さんの細かい気持ちとか分からないけどさ、清水さんのこと信じてあげればいいんじゃない?佐藤さんが仲間外れにされたことに、怒ってくれるような人なんだからさ」
「そ、そりゃあ、私だって信じたいけど怖いのよ。信じない限り裏切られることもないから、今日までずっとズルズル引きずってきた」
「でも、それじゃあ清水さんはずっと、佐藤さんに裏切られてることになるよ?」
「た、確かに」
「清水さんの良さは顔だけじゃないって、佐藤さんが1番知ってるでしょ?」
桜の花びらが雨で散った月曜日の朝。教室には人がボチボチと集まり始め、雨音にも負けない賑やかさが増していく。
佐藤は金曜日の放課後悩んだ結果、人の心を操るのを一旦やめることに決めた。今日は、人を操る力を持つ右目に眼帯をつけている。心を操る効果が持続する期間は24時間程度らしい。金曜から今日まで、土日の2日間が空いた。つまり、今日の清水は完全に佐藤のコントロール外。佐藤は席に座り、清水を待っている。今頃、佐藤の心臓はバクバクだろう。
因みに俺は佐藤のことが、全く嫌いじゃないことが判明した。今まで嫌ってたのが嘘のように、嫌悪感が綺麗サッパリ消えた。代わりに、別の感情が蘇っていた。
佐藤のことを眺めていると、教室に清水が入ってきた。清水は眼帯を付けている佐藤を見て、大慌てで佐藤の席へ駆け寄った。2人の会話はいつもと変わらず、笑顔が絶えない。2人は1日中、片時も離れず一緒に過ごしていた。
「良かったね佐藤さん。清水さんが何にも変わらなくて」
「うん。思い切って良かった。まあ、眼帯はちょっと目立ち過ぎるから、何とかしないといけないけど」
放課後の教室に佐藤と2人きり。金曜日と同じ分担で掃除を進める。地獄だと思ってた美化委員の仕事も、今では最高の時間になった。不安から解放された佐藤は、晴れやかな顔付きになった。
「前髪とかで隠したら?右目だけなら、そこまで不便じゃないだろうし」
俺の助言を素直に聞き入れ、佐藤は前髪を引っ張って、目の隠れ具合を確かめる。
「あ、その、ありがとう。アンタのおかげだよ。アンタの助言のおかげで、モヤモヤと罪悪感から解放された」
「どういたしまして。俺のこと嫌いじゃなくなってくれれば、それでいいよ」
「それは頑張るよ。今でも、小百合のこと嫌いなんて言っちゃうのは、有り得ないと思ってるけど」
思ってなくても、嫌いって言わなきゃいけない場面もある。咄嗟に口にしたくなった、その言葉は胸に仕舞うことにした。
「そういえば、掃除日替わりにする?アンタ先週言ってたよね?」
「いや、やっぱり2人でやろうよ。2人で掃除した方が、早く終わるからさ」
「分かった。なら、ちゃちゃっと終わらせよ」
「うん」
今年も佐藤と同じクラスになれてよかった。時計の秒針の音が気にならない、そんな時間になったらいいな。