私の価値を測る紙切れ
「測る」には推測する、真意を測るなどの意味があるそうです。
「……ん……はぁっ」
「……カ。リカ。なぁ……名前、呼んでくれよ」
リカ?
ああ、そうか。
今日の私はリカだ。
リカって名前のアカウントで彼と知り合ったんだった。
「……」
困った。
彼の名前が分からない。
たしかアカウントも名前だったし、会ったときにお互い名前を名乗ったんだけど、一晩だけの相手の名前なんていつも覚えないから、目の前で私を抱く彼がなんて名前なのかなんて分からなかった。
「……」
「……なあ、なあ。リカ……くっ!」
私が答えられずにいると、彼は勝手に達したようだった。
「今日はありがとう。なかなか良かったよ」
名前は結局呼ばなかったけど、彼はどうやら満足してくれたようだ。
ひと安心。
「これ、今日の分。また頼むわ」
「ん」
彼は私に3枚渡すと先に部屋を出ていった。
部屋の支払いは終わってるから、私も支度をしたら早く出ないと。
「……あ~あ。あそこで名前を呼んでたらあと5千はいけたなぁ」
私はもらった紙っ切れを大事に握りしめながら、ベッドに投げやりに寝転んだ。
早くしなきゃって時ほど体が動きたがらないのはなんでなんだろう。
「いや~、しくったわ。今度から名前もちゃんと覚えとこ」
天井から私を照らすライトは世界で私だけを照らしている光のように感じられた。
「……もう、3年かぁ」
初めてこれをしたのは高3の夏。
18になって、部活も引退して、大学は推薦とかで何とかなりそうだったから、あとはもう遊ぶだけでしょ。
そうなるともう遊びたい盛りのJKにはお金がいくらあっても足りなかった。
常に金欠。
普通のバイトをしたりもしたけど、拘束時間のわりに得られる金額が少なすぎてバカらしくなって辞めた。
で、そこそこ仲の良い、そこそこ悪い友達からこれを教えてもらった。
友達は先払いさせといてバックレる、みたいなので稼いでるらしいけど、私はそれはさすがに申し訳なくて出来なかった。
それに、そういうことに興味がないわけじゃなかった。
どうやら、今どき手渡しでOKなんていう人は珍しいらしい。
美人局じゃないかとずいぶん疑われた。
で、会ってみたら意外と若い、そこそこイケメンだった。
私がこういうことするのも、そういうことするのも初めてだと伝えると、その人はとても喜んだ。
で、結局3回して、全部で8枚くれた。
あっという間に稼げてビックリしたけど嬉しかった。
した感想としては、『よくわかんない』だった。
なんかよくわかんないうちに始まって、よくわかんないうちに終わってた。
まあ、相手が満足そうにしてたから良かったかなって感じ。
さすがに3回目は『ちょっと長いな』って思ったけど、これも稼ぐためと思って頑張った。
で、そのお金で欲しかったコスメと靴を買った。
友達にはうらやましがられた。
嬉しかった。
「……はぁはぁ。ミカ……ミカちゃん」
「……タケさん。嬉しい」
次からはちゃんと名前を覚えて呼んであげることにした。
そうしたら、いつもより早く終わることも判明した。
こっちが頑張ればあっちも頑張って早く終わる。
これは朗報だ。
「はい、ミカちゃん。これ、今回分ね」
「ありがとー」
「また頼むね」
「待ってるー」
この人たちはまた頼むと必ず言うけれど、ホントにまた頼んでくれるのは5人に1人ぐらい。
年々、リピーターが減っている気がする。
金額もそうだ。
高校生のうちはいくら高い金額を言っても出してもらえた。
でも、大学生になった途端、提示した金額に難色を示す人が増えた。
「さすがに高すぎない?」
「交通費別でしょ? ボりすぎじゃない?」
「もうちょっと何とかならない?」
そんなことを言う人がぽつりとぽつりと出てきたのだ。
「……JKブランドってやつか」
「……ん? あやちゃん、何か言った?」
「んーん、なんでもない」
「あやちゃん、よくこういうことしてるの? 慣れてるね」
「そうでもないよ。タクヤさんがいつもいっぱいしてくれるから、いろんな人とする暇なんてないかな、ふふ」
「……そっか、そっかぁ。良かった!」
……って、言えばだいたい皆喜んでくれる。
どうやら彼らは自分だけのものだと思いたいらしい。
そのくせ、本当に自分のものになると面倒とかって思ったりもする。
だから、こうしてお金で解決できる私を買うんだろう。
ま、私もその方が助かるけど。
「ねー! それって、あのブランドのバッグじゃない!?」
「そーだよー」
「いーなー。また彼氏さんからのプレゼント?」
「そんなとこ」
「社会人なんだよね? やっぱり学生とは財力が違うよね~。ね、今度紹介してよ」
「あ! あたしも見てみたい!」
「ん~、彼、仕事が忙しいから難しいと思うけど、聞くだけ聞いてみるね。あんま期待しないどいて」
友達には言ってない。
高校の友達にも。
紹介してくれた友達は就職する彼氏の家に転がり込むからって地方に言っちゃったし。
だから、私が貯めたお金でいろいろ買ったのは社会人の彼氏からのプレゼントってことにしてる。
写真はお客さんの中でもイケメンだった人にお願いして撮ったのを見せた。
その人とは連絡取れなくなっちゃったから、もし万が一皆に紹介しなきゃいけなくなったら、他の人に彼氏のフリをお願いしよう。
顔が良くて、1回分タダでしてあげれば引き受けてくれそうな人はけっこういる。
「……ユ、キちゃ……」
「……ん」
で、たまに、ヤバいやつもいる。
「……ねーねー。ユキちゃんってどこ住んでるの? 僕と一緒に住まない? 飼ってあげるよ?」
「……いいから払うもん払って」
「ねーねーいーじゃん。こういうの好きなんでしょ? 俺、ユキちゃんだったらずっとやってられる自信あるよ」
「……早く」
「んだよ! 人が優しくしてりゃ調子に……ひっ!」
「……いいから、早く出せよ」
「は、はいぃ」
そんなヤツには、こっちはもっとヤバいヤツだって思わせるようにしてる。
護身用って言えば、最悪警察に見つかっても何とかなる。
大学に入ってからは一人暮らしだし、親はもう完全に私に興味ないみたいだし。
「……はぁ」
2枚置いて逃げるように去っていった男を見もせずにベッドに寝転がる。
ホントは震えるほど怖かった。
でも、ビビったら負けだ。
ちゃんと出すもん出せばこっちもちゃんとやる。
そのためにはきちんと割り切らないと。
「あ、今のやつブロックしとかなきゃ」
お金は欲しいけど、メンドいのを相手するのは勘弁。
「……はぁ」
でも、そんなんでも相手しないといけなくなってきてるのは確か。
大学3年の後半ともなると、一番良かった頃とはレートが段違い。
さっきのヤツは先払いで交通費出してくれたからまだ良かった。
ホ別で2万は切りたくない。
私はいま、その瀬戸際で戦っている。
べつに需要がないわけじゃない。
ただ、どうしても全盛期と比べてしまう。
自分の女としての価値が下がっているのだと目に見えて突きつけられているような気がして、なんだか悲しくなる。
「……いつまで、こんなことしてんだろ」
わからない。
わかりたいと思わない。
……いや、本当はわかってる。
もう時間はあまりない。
すぐに就活も始まる。
いつまでもこんな綱渡りみたいなことはしていられないことぐらいわかってる。
社会の歯車になって、今とは比べ物にならないぐらい長い時間働いて、今とたいして変わらないお金をもらうような仕事をしないといけない。
そんなこと。
「……そんなこと、わかってんだよ」
私は私しかいない事後のベッドに寝転んだまま、目元を腕で隠す。
この世のすべてから目を背けたくなる気分だ。
それでも、1時間足らずで稼いだ2枚の紙切れだけは離すまいと、ぎゅっとそれを強く握りしめた。
もう少しだけ。
もう少しだけ、私にこの夢を見させてください。
私に、女としての価値が残っているうちに。
私が、いつか誰か1人に必要とされる日が来る、その日まで……。