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その二

彼女は名前を言わなかった。僕も聞こうとも思わなかった。

 そんな名前も知らない女の子を富士山までタンデムなどというとち狂ったことを承諾してしまったのは、いきなり女の子に後ろに乗せてなんて言われて柄にもなく舞い上がってしまっていたのかもしれない。

 南口の横断歩道の隅に置いておいたバイクの前に着いたとき、ヘルメットが無いことに気づいた。   僕はヘルメットが一つ足りなくて乗せることができない、というと

「大丈夫よ。あたしはそんな石油の塊なんてなくても」

 という。相変わらず変な言い回しだ。が、ノーヘルで乗せるなんてそういうわけにもいかない。この際だ、バイクショップから自分用のものは拝借しよう、と考えて、彼女に自分のヘルメットをかぶせた。そして、三鷹のバイク用品店まで走らせる。店に着いて、バイクを止める。

「一回降りますよ」

 僕は彼女に伝えた。

「なんで?」

「ヘルメットがないとさすがに危なくて。僕はもうずっとひやひやしっぱなしで運転してましたから。」

 用品店に入り、ショーエイのオフロードヘルメットを被る。うん、Mサイズが妥当だな、とゴーグルも拝借し、出た。

「行きますよ。ほら、乗って。」

 そこからはノンストップで行こうかと思ったが、メーターに表示された時間は午後3時。これでは夜の峠道を走ることになってしまう。そのことを彼女に伝えると

「そうなのね。明後日まではここにいられるから、明日の朝から行くのはどうかしら。勿論、君が大丈夫なら、なのだけれど。」

 別段問題はなかった。僕はいったん家に戻る、と彼女に伝えてバイクを走らせた。


 夜。狭い僕の家の中には、僕と今日初めて会った女の子が一人。普段の状況なら少し心躍ることもあったかもしれない。いや、確かにこの子は可愛いが、しかしこの状況だ。誰とも連絡がつかず、人っ子一人見ることもなく、その上これから富士山に行くなんてことに関して安請け合いしてしまった。僕は沈黙が耐え切れなくなり、先ほどヘルメットを拝借したことで吹っ飛んでいたこともあって彼女に、晩御飯でも探しに行こう、と提案した。すると行こう、と食い気味に返事が来た。よっぽど腹が減ったのか。そう思いながらスーパーへ向かった。


 スーパーに入っても人はもちろんいなかった。いつものこの時間帯はもっとマダムが右往左往しているのに、と思いながら物色していると

「ねえ、これは何なの?」

と彼女の声がする。振り向くと生鮮食品コーナーでレタスを持って怪訝な顔をしている。ちょっとシュールで笑ってしまった。

「何笑っているのよ。」

「いや、面白くて」

「失礼な人間ね!で、これはなんなの?」

 人間って。まるで彼女は人間ではないみたいな言い方だ。しかし、彼女の頼みを聞いて正解だったかもしれない。一人だったら笑うこともなく、ただただ不安な気持ちだけでこの時間を過ごしていただろう。そう思った。


 結局、僕はいくつかのパンと果物、そしてペットボトルのお茶を何本か、彼女は気になっているのか、レタスをひと玉持って家に帰った。


 晩御飯を食べていると、

「ねえ、君。名前はなんて言うの?」

 いきなり彼女が聞いてきた。僕はなんというか、それが突然すぎてびっくりして、ぱっと答えることができなかったが

「徹。」

と短く答えた。

「ふうん、トール、トールねえ」

そうだけ言って、僕が切っておいたレタスをマヨネーズを少しつけてかじる。

「因みに、あなたはなんていうんです?」

僕はなんか自分だけ名乗るのが気恥ずかしくて聞く。彼女は少し考えて

「イーレよ。イーレ。そういえばだけど、丁寧語はやめてちょうだい。聞いてるこっちが恥ずかしい。」

と答えた。僕はどこの人なんだろうと思ったが、聞くのも野暮なような気がしてレタスを齧った。

「ところで、明日はどう富士山?まで行くの」

「ここからなら今家の目の前にある道を通って一時間くらい走ると道志みちってところに行けるから、そこから少し走って富士山スカイラインを通ろうかなと思ってる。」

僕は持っていた地図をなぞって説明した。

「よくわからないけど、どのくらいかかるの?」

「大体、そうですねえ、4、5時間程度ですかね。」

「そう。あとトール、丁寧語出てる。」

やっぱり気恥ずかしいからか、まだ会って一日とたってもいない謎の女に警戒しているのか、丁寧語が抜けきらない。少しこんな自分が恥ずかしくなって

「イーレさん、明日早いんだから寝ますよ。」

と言った。帰ってきて晩御飯は食べたが風呂には入っていない。しかし、水道も出ないのだから仕方がない。流石に彼女は嫌がるだろうか、と思ったが

「わかったわ。おやすみ。」

とだけ言って、さっさと寝てしまった。

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