9 依頼受理(強引に)
「パトリシアとの婚約を解消した後、しばらくの謹慎期間をおいて、また新たに妃候補を立てることになる。選定からやり直して貴族たちの承認も得ねばならぬから、時間はかかるだろう。それでも、平民の娘が王家に入ることはない」
この国は公妾や第二妃を認めていない。二人が一緒になる将来はないと王妃は淡々とした様子だが、カーラは内心で首を捻る。
(じゃあ、パトリシア嬢を排除したところで意味なくない?)
王太子は優秀だそうだ。決められた婚約に嫌気がさしてのことだったとしても、また別の婚約者があてがわれるだけだと理解しているだろう。
違和感はそれだけではない。
これまでに聞いた王太子と公爵令嬢のエピソードは、どれも仲睦まじいものばかりだった。
不仲を感じさせるような記事は目にしたことがないし、むしろ王太子のほうが令嬢に惚れ込んでいたと思う。
だというのに、そんなに簡単に心変わりをするだろうか。
(でも……恋は盲目って言うし。新聞や雑誌は嘘をつくものね)
王太子は「初めての恋愛」に我を忘れているのかもしれない。
報道だって、反骨精神たくましいゴシップ紙ならともかく、王族に不都合な情報を流して発禁処分など避けたいだろう。
世論は作られる。出回る情報の真偽は、当事者にしか分からないのだ。
なんにせよ、間近に迫った婚約を取りやめるとなると、方々への影響が甚大なのは間違いない。
招待客には他国の要人も多いだろうし、関連して商人も物流も盛んに動いている。王宮の担当官だけでなく関係者の胃痛と睡眠不足が増えるのは確実だ。
――ということは、薬局的には特需が見込める。
これは見逃せない商機だ、と薬草の配分を検討しかけて、即座にその考えを否定する。
(わたしの薬じゃなぁ……)
カーラは知識はあるが、売り物レベルで作れる薬が少ない。特に内服薬は壊滅的に苦手だ。
痛みは取れるが異様に眠くなる頭痛薬、とか、咳は治まるが酷い吐き気に襲われる風邪薬……などという、なんとも残念な効果になってしまうのだ。
薬草の配合はヴァルネとその師よりの直伝であり、実績はお墨付き。ということは、ひとえにカーラの調剤魔法の腕が悪いということである。
どれだけ練習してもどうにもならなくて、ヴァルネにも途中から諦められてしまった。
内服薬以外の、傷薬や消臭剤、入浴用の薬湯などでどうにかしのいでいるが、売れ筋である痛み止めや感冒薬を作れないことが、収入的に厳しい状況の原因だ。
(便秘薬で食欲増進しちゃってどうするのよ! ……って、ああぁ、自分で言って自分で落ち込む)
思い出してしょっぱい気分になっているうちに、王妃の話は一段落ついたようだ。
「誓約済みの婚約解消には当事者の同席が必要だが、パトリシアは部屋から出ることを固辞しているし、息子もこちらを無視してばかりで要領を得ない。それゆえ、各方面との調整はこれからなのだがな」
「ご心労、お察しします」
ともあれ、平民ならただの別れ話で済むことが、王太子と公爵令嬢という二人だと多くの人に影響する国の一大事に発展してしまう。偉い人たちは大変だ。
(ま、わたしは盟約の依頼を果たすだけだから関係ないけど)
「それでしたら、王妃陛下やパトリシア嬢に[平穏]や[忘却]の魔法を掛けたらよろしいでしょうか。煩わしいあれこれや失恋の悲しみから、心身を守ってくれるように」
「縁を結ぶと決めた、我と陛下の決断に大きなミスがあったのだ……間違いは正さねばならん。それがマリーとパトリシアにできる唯一の謝罪だ」
(……ん?)
王妃の言葉にカーラは引っかかりを感じた。なんとなく、会話が噛み合っていない気がする。
「えっと、あの。婚約解消による精神的疲労を魔法で癒すように、という依頼ですよね?」
「話を最後まで聞け、魔女よ」
ちら、と振り返れば、事の成り行きを見守っていたセインも腑に落ちない表情だ。
「先ほども伝えたが、パトリシアは本来、恋敵に臆するような性格ではない。王太子として見過ごせぬ愚息の行動にも納得がいく説明がない。そういった不審点を残したまま婚約を解消してそれでよし、とはできまい」
「はあ、そうかもしれませんが」
(でも、それはわたしに関係ないし?)
きょとんと疑問符を浮かべるカーラに王妃は身を乗り出し、ぐっと顔を近づけると声をひそめた。
「ベケット伯爵夫人に、そなたの話を聞いた」
「えっ、な……」
(は、伯爵夫人? 金貨五枚に報酬はずんでくれた、あの人がどうして急に? いや、たしかに離婚代行の依頼は受けたけど、また失敗で、別れなかったよ!? すんごいイチャイチャだったよ!?)
離婚寸前と言われていた伯爵夫妻は、夫の勘違いと妻の遠慮が絶妙に組み合わさっていた。
夫には男性の愛人などいなかったし、夫人は自分が男性恐怖症だと思われていると知らなかった。
そう、蓋を開ければリタの時と同じく、すれ違いだったのである。
両思いと判明し、その盛り上がりのまま「新婚旅行のやり直し」だと言って海辺の別荘に向かってしまった夫妻を呆気に取られて見送ったのは、先月のこと。
遅ればせの蜜月は長引くだろうと予想できたから、ようやく昨日になって夫人が支払いに来たのも遅いとは思わなかった。
離婚したい、という依頼は結局、不成功に終わった。
今度こそと意気込んで妻の代わりに交渉に挑んだカーラとしてはまたも不本意な結果で、がっかりしていたというのに。
「な、なんか嫌な予感がする……帰っていいですか?」
「駄目に決まっている」
思わず腰を浮かせたが、手首をかしりと掴まれて逃げ場をなくされる。
青灰色の王妃の瞳が意味深に細くなり、カーラの背中に冷たい汗が落ちた。
「そなた、姿変えの魔法が得意だそうだな」
「……!!」
(うそー! わたしにはあれだけ秘密厳守って念を押してきたのに!)
自分は「魔女の失敗談」を王妃に喋ったのか――ひくつく口元を隠せないカーラに、厳かな声がかけられる。
「魔女カーラよ。パトリシアに成り代わり学園へ潜入し事情を探り、つつがない関係解消に至るよう導け」
「いやー! 予感当たったー!?」
「国の平安のためだ。断れない盟約とは便利だな」
今までの深刻さを一瞬にして消し、コロコロと笑う王妃に周囲は振り回されっぱなしだ。
聞いてしまったトップシークレットなあれこれに動揺しているセインに、王妃が顔を向ける。
「セイン。おぬしはしばらくの間、魔女カーラに同行を命じる」
「は!? あっ、いや、お、恐れながら、私がですかっ?」
「此度の件、関わる者を最小限に抑えたい。騎士団長には話を通してあるゆえ、拒否は許さぬ」
「……か、かしこまりました……」
「待って。しかもこの人が付いてくるの?」
渋々、本当に渋々腕を胸に当てて命を拝受したセインを指さして憤るカーラに、王妃は当然という顔をする。
「今回のことで株を下げたが、息子の剣の腕はかなりのものだ。アベルの攻撃を確実に防げる者はそういない。平民の娘も、ずば抜けた魔術の素養があるということで入学を許可された特待生だ。好悪より実益を取れ、魔女よ」
「なんで襲われる前提……はっ! もしかして、公爵令嬢サマは命の危険を感じたから、登園拒否して引きこもってるってこと? ねえ、そうなんでしょ!? ますます嫌なんだけど!」
「ほう、察しがよいな」
すっかり敬語も抜けてしまったカーラを咎めるでもなく、王妃は勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
「しかし、嫌か。魔女は一度請け負った依頼を反故にするのか……ああ、ヴァルネが聞いたらがなんと言うか」
「ちょっ、師匠は関係な……!」
残念だ、と深ーく息を吐かれ、カーラの肩がわなわなと震える。
王妃は扇を置くと、ゆったりとした動作でどこからか小袋を取り出しカーラの目の前で揺らす。ジャラ、と重そうな音が響いた。
「今回の依頼は、魔女の盟約として異例だということは我も理解している。ゆえに、薄謝や礼状などではなく、支度金と成功報酬を用意したのだが……そなたに金子は必要なかったか?」
(うっわ、足元見られたー!)
カーラの薬局が毎月赤字なことなんて、誰の目にも明らかだ。
痛いところを突かれて、カーラはぎゅうと目を瞑った。
「っく……分かった。やればいいんでしょ!」
カーラは鞄を掴むと立ち上がり、つかつかと歩き出し――侍女が慌てて開けた扉の前で足を止め、振り返った。
「リサンドラの輝きがありますように!」
「ふっ……そなたにはアズダネルの導きを」
悔しげに愛と豊穣の女神を称えたカーラの辞去の挨拶に王妃は軽く笑うと、知恵と光の男神の名で悠然と返す。
それに僅かに目を見開くと、カーラはまたくるりと背を向けて今度こそ部屋を出て行った。
「セインも行け。ヘミングス公爵家には、魔女と騎士の訪問はいついかなる時も受け入れるよう伝えてある。くれぐれも、迅速にな」
「か、かしこまりました。御前、失礼」
言葉と共に投げられた金貨の袋をキャッチしたセインも慌てて辞去の礼をして、カーラの後を追い応接室を後にした。
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