8 王妃との対面
「……つまり、結婚を祝うための魔法をご用命ではない……?」
「そういうことだ」
王妃の言葉は、侍女たちも青天の霹靂だったようだ。
部屋中の者がぽかんと口を開ける中、一番復活が早かったセインがよろけるようにしながら一歩前へ出る。
「お、お待ちください! 一体――」
「控えよ、セイン。我は今、魔女と話している」
「……はっ」
王妃が冗談を言っている様子はなく、青灰色の瞳は一心にカーラの浅緑の目を見据えている。
カーラは驚いた表情のままこくんと首を傾げると、聞いた言葉を反芻するように何度か頷いた。
「はあ……そうですか」
「ほう。理由を聞かぬか」
「理由を聞いたら、依頼を受けないで済みます?」
「お、お前っ!」
「はいはい、騎士さ……ええと、セイン? は黙って。まあ、残念ではあります。せっかく準備した道具が無用になったので」
しゅんとした様子で、カーラは持ってきた鞄に目をやる。祝い関連の魔法に使えそうな魔石やら杖やらを、あるだけかき集めてきたのだ。
「無駄手間をかけたか。さすがに手紙には書けぬ内容ゆえ、許せ」
「いいんです。勝手にしたことですから」
淡々と話すカーラはたしかに不遜だが、王妃の静かな圧をものともしない。小柄な彼女のどこにそんな胆力があるのかと、改めてセインが目を見張った。
「それで、理由はどうでもいいですが、依頼の内容は知りたいですね。ええと、つまり王太子殿下の……?」
「そなたも知っているだろうが、我が息子アベルと、ヘミングス公爵令嬢は婚約を結んでいる。挙式は来月の予定だった」
「ですよね」
王太子アベル・エインズ・セルバスターとヘミングス公爵令嬢パトリシアは、幼い頃からの婚約者だ。
年齢も同じ二人は共に王立学園に通っており、今年が最終年。卒業を待って婚礼をあげることになっていた。
結婚式が行なわれる大聖堂も、招待客への案内も披露宴のドレスも成婚後に住む宮殿も、何年も前からとっくに決まって準備がされている。
「パトリシアは聡く美しい、王太子妃として申し分のない令嬢だ。しかし、愚息の心変わりが彼女を苦しめている」
「はあ」
「アベルは学園で出会った平民の娘にうつつを抜かし、あろうことか衆目の前で何度もパトリシアを蔑ろにし、貶めたそうだ」
「殿下を諫めるなり、その平民の娘を排除するなり、手を打たれては?」
「そうできれば簡単なのだがな。学園側が王宮の調査を受け入れないうえ、息子は目付役にも、こちらから立てた使者にも満足のいく説明をよこさない」
学園は王立だが、教育は政治・世俗とは距離を保つべし、との理念で運営されているそうで、事件性がない限り外部の査察を拒否している。
要は、王家の力が及びにくい場所なのだ。
「度重なるアベルの裏切りに心を痛めたパトリシアは、学園の貴族寮を出て公爵家に戻ってしまった」
「あー、殿下の気を引こうとして?」
「あの娘は婚約者を相手に駆け引きのような浅ましいことはしない」
王妃の言葉に侍女たちもうんうんと頷く。パトリシアは義母となる王妃の信頼を得ているだけでなく、侍女の心証もよいらしい。
令嬢は現在、体調不良を理由に学園を休み続けているが、王太子は見舞いの手紙の一枚すら書かず放置しているとのこと。
公の婚約者に最低限の礼儀すら払えぬとは情けない、と王妃は額を押さえた。
「パトリシアは我の親友マリーと先王弟ヘミングス公の一人娘で、家族仲は良い。その両親すら拒絶して、部屋から一歩も出ないそうでな……」
「重症ですねえ」
沈痛な面持ちの王妃への相づちとしてカーラのそれは軽すぎるが、かえって話しやすい雰囲気にしているようだ。
「殿下を宮殿に戻されないのです?」
「入学時に、学園に通う間は命の危険でもない限り本人の意志を優先すると魔術誓約を結んでいる。強制はできぬのだ」
「あははっ、先手を打たれてるってわけですね。なるほどー」
「魔女よ、軽く言ってくれるな」
はあ、と大きく溜息を吐いて、王妃は脇息に寄りかかる。王妃の分かりやすい心労具合に、侍女とセインは心配そうな表情だ。
「パトリシアには我が直接、王太子妃としての教育を施してきた。決して平民の娘ごときに遅れを取るような娘ではない。しかし……彼女から手紙が届いた。婚約者を降りたい、学園も辞める、とな」
「んー、でも、結婚に本人の意志は必要ないですよね?」
釣り合う家格、政治的背景、資産状況。諸々のバランスを考慮した上で結ばれるのが権力者の、特に王族の結婚だ。
神殿の力が弱くなった現在はそちらからの影響は薄れたものの、相変わらず婚姻という形を使った業務提携であることは暗黙の了解。
――とはいえ、例外もある。
誰あろう、目の前の現王妃サンドラはそういう条件をパスした妃候補ではなかった。
ただの一令嬢であった彼女を見つけ、惚れ込んだ現王が、重臣たちの反対を押し切って恋を実らせ結婚した。王家初めての恋愛結婚としても有名である。
愛ある結婚をした王妃は、心苦しそうに眉を寄せた。
「……王族は民の理想であらねばならぬ」
「仮面夫婦になるくらいなら結婚しないほうがいい、と?」
「そうは言わない。しかし我は、マリーの娘が不幸になることを望まない」
王妃の声には、悔恨が滲んで聞こえた。
それこそ、現王の妃候補の筆頭は、今話しているパトリシアの母マリーだった。
誰の予想も裏切って目の前のサンドラが妃に決まり、王妃の座を得られなかったマリーは、現国王の叔父であるヘミングス公爵のもとへ嫁いだ。
若く美しい元妃候補と一回り以上歳の離れた公爵との婚姻は当時話題になり、様々な――おもに下世話な憶測を呼んだ。
サンドラとマリーは幼なじみだった。本来ならばマリーのものであった王妃の座を、親友である自分が奪った形になった。
それゆえ、マリーの娘と息子を娶せて次の王妃に、という思惑もあったのだろう。
幸い、身分も年齢も釣り合い、パトリシアには才覚もあった。
(けれど、思わぬ伏兵の登場で番狂わせ……ってとこかな)
「では、その平民の娘と殿下を添わせるので?」
「無理だな」
未来の国母たる王太子妃ともなれば、本人の資質だけでなくさすがに身分が必要だ。望ましいとされる家格は侯爵位より上で、ちなみに結婚のための養子入りは認められていない。
僅かに顔を顰めて、王妃はパサリと扇を振った。