7 藍の宮殿
城に到着したカーラが連れて行かれたのは、王妃が執務に使う[藍の宮殿]だった。
王宮と繋がっている別棟で、拝謁に来た者や宮廷貴族は基本的にこちらには立ち入らない。カーラはセインについて、専用の出入り口をくぐった。
建物の中は侍女や警備の者と、忙しそうに歩く文官の姿だけ。お偉いさんとの余計な接触はなさそうでほっとしつつ、その名前のとおり至るところに藍色が使われている宮殿を見回す。
(わあ、立派ー)
白色ベースの大理石の床にはアクセントとして、ソファーやカーテンなどの布物には全体的に藍色が使われている。りんと冷たい印象の美しさは、夏に涼やかでいいだろう。
絵画や陶器などの飾りは少ないが、中庭には水が引かれ、噴水と緑葉が静かな憩いを演出していた。
(あ、ヘンルーダにコストマリー。ネティが言ってたとおりだ)
中庭の小さなガーデンには、観賞用の花に交じって薬草が植えられていた。
王妃は公務の傍らで薬学の研究をしていると聞く。王城内にある立派な温室や薬草園は有名だが、こうして自分が日常的に過ごす執務棟にも植えているということは、ポーズだけでなく実際に研究に取り組んでいるのだろう。
(王妃様って忙しいはずなのに、よくやるなあ)
感心しつつ応接室に到着すると、王妃が来るまでしばらく待つようにと年配の侍女に言われる。
すっかり歩き疲れたカーラは、くったりとソファーに身体を預けた。
用意された茶に手を伸ばしたところで、扉前から立ったまま動かないセインを振り返る。
「座らないの?」
「俺は客人ではない」
「あ、そっか」
言われて改めてテーブルを見れば、なるほど出ている茶器はカーラの分だけである。
「そういえば仕事中だったね。制服じゃないから、騎士だってこと忘れてた」
「まあ、魔女様」
おかしそうに相槌を入れる侍女に、カーラは肩をすくめる。
「だって、昨日ちらっと会っただけだし」
「あらあら。魔女様にかかると騎士団一の美男子も形なしですわね」
「侍女殿……」
母親くらいの年齢の侍女に軽く揶揄われても、セインは気まずそうにするだけで怒りはしなかった。
その代わり、呆れたようにカーラを眺める。
「……本当に服で判断してるんだな……」
「え、なに?」
「なんでもない」
目の前の菓子に興味が惹かれたカーラの耳には半分も届かない。
聞き返したが「それより」とセインの目が剣呑になった。
「部屋に通されていきなり座るんじゃない。お前は少し、礼儀や遠慮ってものを」
「あーうるさい。もう、ずっと文句ばっかり言うんだから」
「ずっと? 俺がいつ」
「さっき食べてるときだって、やれ落ちそうだの口を大きく開けすぎだのなんのって」
セインたち近衛騎士は王妃の護衛もする。この宮殿にも毎日のように来ており、カーラに茶を用意している侍女も旧知の仕事仲間である。
護衛ということもあり、話しかけても普段は最低限の返事だけで会話は弾まない。
そのセインがこうして感情のまま話す姿に侍女は初め目を丸くし、ポンポンと言い合う二人の様子に次第に笑みを浮かべた。
「世話焼きの母親みたい」
「なっ、お、お前……!」
「待たせたな」
セインの反論が言葉になる前に、カーラが入ったのとは別の出入り口が恭しく開かれる。
美麗な彫刻を施した扉から現れたのは、宮殿と同じ色合いの豪華な衣裳を纏った、サンドラ・マリエ・セルバスター王妃だった。
金色の髪を優雅に結い上げた王妃は、四十が近いと思えぬ若々しい美貌の持ち主だ。美しさだけでなく威厳と存在感があり、その凛々しさを讃えて「王よりも王らしい」と囁かれることもある女傑である。
シャッと衣擦れの音をさせて裾を払い、王妃はカーラの前で足を止め、理知的な青灰色の瞳を向けた。
「そなたが魔女か」
「薬師の魔女カーラが、王妃陛下にご挨拶申し上げます」
それまで我が家のようにくつろいでいたカーラだが、さすがにスッと立ち上がると、王妃に向かって礼を取る。
その後ろで、セインも立礼の姿勢でかしこまった。
「よい、楽に」
「じゃあ、ありがたく」
「おいっ!?」
言われるが早いかソファーに戻り、どっこいしょと背もたれに寄りかかったカーラに、セインの焦った声がかかる。
度重なる「騎士らしくない」セインに、とうとう侍女が小さく吹き出した。
「なによ」
「なにって、お前!」
「構わぬ。魔女は王族にへりくだってはならぬ者ゆえ」
剣に手を当てるセインを止めながら王妃もカーラの向かいに腰掛けると、口元に笑みを浮かべてゆったりと扇を動かす。
「真の国民ではない魔女に我らはことさら配慮しないが、魔女も王族に頭を垂れぬ。そういう間柄であるよう、昔から決められている」
「……左様でございましたか」
「ふふ、セインは真面目だな」
「滅相もございません」
「セイン?」
王妃に軽くあしらわれてセインが顔を伏せたところに、カーラから間の抜けた声が上がった。
「薬師の魔女カーラ。そなたを迎えに行かせたこの騎士は、近衛第一隊副長のセイン・ハウエルという。なんだ、名乗っていなかったのか」
「そ、それはっ」
そういえば名乗られていないし、こちらから聞いてもいなかった。
今さらのようにセインは焦っているが、使者から名乗りを受けるなどという作法をカーラは知らないし、必要だとも思わない。
興味深そうにこちらを見つめる王妃から、気まずそうにしているセインに視線を移した。
「あー、別に構いません。知らなくても不都合なかったですし」
「ほう。その言い様、ヴァルネにそっくりだな」
「師匠をご存じでしたか」
突然ヴァルネの名を出されて驚くカーラに、王妃の瞳が面白そうに細められる。
だが、楽しそうに緩んだ頬は、すぐに元に戻った。
「養い子に会えて嬉しいが、師匠に似ているなら無駄話は好かないだろう。昔を懐かしむのはまた別の機会にして、本題だ」
「あ、はい。ええと盟約は、王太子殿下のご成婚祝いの依頼ですよね。そのまんま[祝福]の魔法にしますか? それとも[繁栄]や[友好]を?」
「いいや」
婚姻の際に贈る魔法にも種類がある。
どれにするかと尋ねるカーラに、王妃は静かに、だがはっきりと首を横に振った。
「えっ、違う……あっ、じゃあ[痩身]とか[美肌]のほう?」
「世の花嫁が聞いたら喜ぶだろうな」
「これも違う? うーん、あと心配になりそうなのは当日のお天気だけど……いやでも、さすがに天候は魔法では無理ですよ。天気を占ったり、花びらを降らせたりならできますが」
「せっかくの魔女の力を余興に使おうとは思わぬよ」
どれも違うと言われてしまうともう、国王が酷いぎっくり腰にでもなったのだろうかとか、成婚には直接関係のないことしか思いつかない。
降参して回答を待つカーラの耳に、予想外の言葉が響く。
「結婚は取りやめだ」
「えっ?」
「婚約そのものが間違っていた。そなたには、二人の別れに一役買ってもらう」
王妃の依頼に目を丸くしたのは、カーラだけではなかった。
 




