3 魔女と王家の盟約
王都とはいえ、人通りも少ない路地裏のこの店に、近衛騎士が客で来るなんてありえない。
入ってきたときから実は使者じゃないかとは思っていたが、素直に応じなかったのは、まあ、とにかく騎士の態度が不愉快だったのだ。
「それなら、最初からそう言えばよかったのに」
「王妃直々の依頼だぞ。簡単に話せるわけがないだろう! とにかく、魔女カーラが戻って来るまで待たせてもらう」
「別にいいけど……客じゃないなら、我慢して敬語使う必要なかったなあ」
「なに?」
「なんでもー」
依頼の内容は、魔女にしかできない手当を望まれる場合がほとんどである。
慶事に幸福を願ったり、弔事に遺された者の心労を軽くしたり、といったことだ。
(何年前だったかなあ、王妹の王女殿下がご懐妊されたときに、ネティは[祝福]の魔法を授けたのよね)
ほかの魔女では、不眠の解消というものもあったと聞く。
魔術師からは「お気持ちだ」と揶揄されることも少なくないが、効果が抜群だからこそ、魔女と王家の盟約は続いている。
過去には血生臭い依頼もあったが、そちら方面になると魔女は妙に凝った呪いを掛けたり、ややこしい条件付きの発動になったりしやすい。
結局、単純な武力行使はそれこそ騎士や軍人、魔術師のほうが適役だと認識され、魔女には回ってこなくなった。
(それにしても、初依頼の使者がコレって。ついてないなあ)
もうちょっと人選はなかったのか。
騎士服の襟についた徽章で上官だと分かるが、こんなに怒りっぽい上司では部下がかわいそうだ。
腕を組んでどっかりとカウンター前の椅子に陣取った騎士を横目に、カーラは小さく息を吐くと卓上に手を伸ばした。
「――待て! その手紙には魔術が」
「かかってるね」
落ちこぼれではあるが、カーラだって魔女のはしくれ。封筒に魔術がかかっているかどうかくらい見れば分かる。
焦って立ち上がった騎士の制止を無視して封蝋に手をかざす――と、フッと浮き出た魔方陣の強い輝きがカーラの手のひらに映る。
「まずい、手を離せ!」
「平気だってば」
血相を変えた騎士がカウンターを乗り越える寸前、リンと鈴のような音を立てて魔方陣が散り、封が勝手に開いた。
「なっ……!?」
「わたしが宛名の魔女だから」
「お、お前が?」
形のいい瞳をまん丸くして驚く騎士の顔を見て、少しだけ胸がすく。
手紙にかけられていたのは、指定された受取人のみを開封可能とする魔術だ。
他者が開けようとすれば手紙そのものが爆発し、なおかつその際の状況が術者のもとへ映像で届くという、機密文書の送受の際に使われる対象者限定解除の封印魔術である。
この魔術が扱えるのは、王宮魔術師のなかでも上位クラスの者に限られる。つまり、依頼状は間違いなく王族からのものということだ。
そして、本人にしか開けられないのだから、この騎士がしたような本人確認の必要はない。
別人が開けて大怪我をしたとしてもその責任は、宛名を確認せず、魔術にも気付かなかった開封者にある。運び人に非は問われない。
騎士団の行動手引き書には「本人へ手渡し」と記載されているのかもしれないが、はっきり言って無用な手間である。
(近衛騎士でしょ? ここで待つほど暇じゃないはずなのに。融通が利かないというか、くそ真面目?)
――しかもこの騎士、爆発からカーラを守ろうとした。
(嫌々来てるっぽいのに……変な人)
解せないまま便箋を開くカーラに、当の騎士は気まずそうに言い訳をする。
「お、お前のような小娘が魔女だと……?」
「ローブも着ていなくて、美人でもお婆さんでもなくて悪かったですねー」
棒読みで返事をすると、騎士はますます渋面になった。
(落ちこぼれでも、魔女っぽくなくても、わたしは魔女なんだから! ……って、うう、自分で言ってて悲しくなってきた)
カーラよりもっと魔法ができないアンジェは美貌と口車で貴族の顧客を掴み、王都の一等地に豪邸を構えている。
自分の魔女としての下位っぷりは、魔法の技量云々だけでなく世渡りの下手さに問題があることも知っているが、性格など変えようがない。
「いや、だが、こんな魔女が……本当か……?」
「少し黙って」
こんなってなんだ、と引っかかったが流して、ついでに困惑する騎士もそのままにして、カーラは手紙を読む。
だがそこに、依頼内容は書いていなかった。手紙にあったのは盟約の確認と「遣わせた騎士と一緒に王城へ来るように」の一文、それに王妃の署名だけだ。
(ん? 王太子の結婚祝いじゃないの?)
常に火の車な薬局のことで頭が一杯のカーラは、世情に疎い。
とはいえ、王太子の婚儀が間近ということくらいは知っている。お相手は幼少からの婚約者である公爵令嬢だ。
王太子の婚姻を控えた今のタイミングで来る依頼なら、成婚に関することだと思ったのだが。
(じゃあ一体なんの……まあ、行けば分かるだろうけど)
カーラの魔法の腕では、まじないの種類によっては魔道具や魔法石などの補助具が必要な場合もある。
情報をもらえれば準備をして臨めるのだが。
「……読んだな。では、城に向かう。付いてこい」
「はあ」
気のない返事をして、歩き始めた騎士の後を追ってカーラもカウンターから出た。
棚に出してある小袋を歩きながら二つ掴み、先を行く騎士が店の扉をくぐったところで、後ろから声を掛ける。
「あ、騎士様。はい、これ」
「なんだ?」
「消臭剤。使い方は、脱いだ靴や籠手に入れておくだけ」
「それがなに……あっ、おい!?」
足を止めて振り返った騎士に、ハーブが入った小袋をやや強引に握らせる。
手元に気を取られている隙にバタンと鼻先で店の扉を閉じ、すかさずガチャリと錠を下ろした。
「魔女!? なんのつもりだ!」
ドンドンと騎士が扉を叩く音が響くが、もちろん、開けてなんかやらない。
「あのね、騎士様はご存じないかもだけど『魔女が王城に出向く』ことは、約定にはないの」
「はあ?」
「つまり、用がある人が来ればいいんじゃない?」
「お、お前! 不敬だぞ!」
魔力を乗せて扉の向こうに声を送れば、ギョッと焦った返事が聞こえてくる。
「あと、胡散臭い魔女よりも、騎士様の着けっぱなしの籠手のほうがよっぽど臭いですけどー?」
「――!」
立てた指にロウソクを消すように息を吹きかけ、店の扉を消す。ついでに外の音も遮断してやると、店内にはいつもの静寂が戻った。
うん、と伸びをしてそのまま頭上でバンザイと手を高く掲げる。
「あははっ、言ってやった、追い出してやったー! ……って、あれ」
真っ赤になって怒る騎士の顔が目に浮かんで、ちょっとだけスッキリしたが――
「しまった。消臭剤、無料であげちゃった」
店の売り上げ的にはマイナスだ。
やはり騎士は嫌いだとがっくり肩を落として、カーラはカウンターの奥へ戻った。