26 公爵夫人と王妃
一人の心中はさておき、つつがなく謁見は終わった。
控え室に戻ってすぐにセインの先ほどの仕打ちについてひとしきり文句を言ったものの、右から左に流されて、なおかつ「どのみち賛成多数で却下だ」などと正論を突きつけられたカーラはご機嫌斜めである。
しかもアベルとパトリシアに揃って礼を言われては、もう諦めるしかない。
「はーーああぁ」
「でかい溜め息だな」
「余計なお世話。もー、どうして毎回こうなっちゃうのかなあ……!」
カーラの心からの叫びだというのに、セインは呆れたように眉を上げるし、ほかの皆はそんなカーラとセインを微笑ましく眺めている。
「自分のせいだろう」
「なんで? わたしは依頼通り婚約解消に邁進していただけ!」
「じゃあ、力不足だと思って観念するんだな。ほら、帰るぞ」
こうなったら、パトリシアとアベルの結婚に難色を示していたスコット氏と盛大な残念会をするしかないだろう。
場所は、ネティ行きつけの居酒屋でいいだろうか。多彩なメニューはどれを頼んでもハズレがなく、味に魅せられて貴族もお忍びで来る店だから公爵家の関係者でも楽しめるはずだ。
いろんな種類を少量ずつ盛り合わせたプレートなんか、気に入ってもらえそうだ。
「魔女様、よろしいかしら」
「マリー様?」
ヤケ酒の算段を始めていると、マリー夫人に声を掛けられた。夫人の背後では、アベルとパトリシア、それに公爵が楽しげに談笑をしている。
アベルは、自宅である王宮に戻ってきたのは久しぶりなので、このまましばし過ごすという。
もちろんパトリシアも一緒だが、義両親となる公爵夫妻と、今は外で控えている公爵家の忠実な執事スコットも合流するらしい。
「いま、お部屋の支度をさせているのだけど、魔女様も少しでいいからご一緒できないかと思って」
「いいですよ。ちょうどよかった、スコットさんと遺恨の乾杯をします」
「うふふ、お茶で乾杯ね。セインは魔女様の送迎を任されていたのかしら。帰りはわたくしどものほうで手配しますから、心配しないでね」
「……かしこまりました」
「じゃあね、セイン。これでやっと魔女から解放されるねえ、お互いにお疲れさま!」
「……ああ」
奥歯に物が挟まったような返事をするセインに、カーラが首を傾げる。
(なにあれ、へんなの)
最初から「魔女と関わるのなんてごめんだ」とはっきり言っていたのに、どうして今になって名残惜しそうな顔をするのか。
(……まさか、消臭剤が気に入ったとか?)
今日の手土産にしようとしたら止められたし、独り占めしたいなどと狭量なことを思っているのかもしれない。
気に入ったなら薬局に買いに来ればいいだけだが、さんざん腐した手前、ばつが悪くて行きにくいというのはあり得る。
(ふうん。ちょっとは可愛いとこあるかも)
――セインが騎士の仕事に誇りを持っていることは、会ってすぐに分かった。そんな彼が、円滑な業務遂行に必要だと判断したのだとしても、制服を着ないという選択をするのには葛藤があっただろう。
切られた髪を深刻ぶって可哀相がったりもしないのも、気楽でよかった。
総じて、口は悪いが付き合いやすかったのは事実だ。
(……騎士だけどね)
あの白い制服を見ると、心の奥がぎゅっと締め付けられるような感覚は今もある。
けれど、それを着ているのがセインなら、深すぎる怒りやわだかまりが「ムカつく」に変わるから、軽口で流せたのかもしれない。
どうしてかは分からないが……強いて言えば、魔女本人にも魔女が嫌いだと隠さない、あの傍若無人さのせいかもしれない。
(ほんと、バカ正直だよねえ)
気に入らない他人を見下す者は多いが、真っ向勝負してくる人は少ない。ましてや年下の、普通は距離を取るだろう「魔女」相手に。
会うと不愉快だし面倒なことも多かったが、ここ数年で一番充実していた日々だったのは事実だ。
「……ま、それも今日で終わりーっと」
「魔女様?」
「いいえー、なんにも」
「そう? では参りましょう」
ヴァルネが亡くなって以来、こんなに誰かと長時間を連続で過ごしたことはなかった。胸にほんのり横たわる物足りなさは、きっとそういうことだろう。
背中に視線を感じながら、カーラはひらひらと手を振ってマリーと控え室を出た。
§
その日の夕方。王妃の執務室がある藍の宮殿は、客を迎えていた。
訪れたのはヘミングス公爵夫人マリー。王妃サンドラとは幼なじみで、双方の子が婚姻を結ぶことにより、より近しい親戚になる相手だ。
お転婆で快活だった少女は王妃に、穏やかで引っ込み思案だった少女は公爵夫人になった。今も名残の消えない二人は昔の顔で微笑み会う。
「忙しいのにごめんなさいね」
「構わない。むしろ、こちらから伺わねばならなかった。面会を申し出てくれて感謝する」
朗らかに、だが申し訳なさそうにマリーを迎えたサンドラは、カーラと対面した応接室ではなく、その奥の私室にマリーを案内する。
茶の支度をした侍女たちも下がらせて二人きりの室内になると、マリーがなにか言う前にサンドラが深く頭を下げた。
「サンドラ?」
「マリー、先に謝らせてほしい」
ソファーに掛けるやいなやの出来事に、マリーは目を丸くする。
「パトリシアには、しないでいい心労を負わせてしまった。アベルが原因の一端であることは確かだが、息子を始め貴族や魔術師たちの動向を掌握しかねていた責任は我にある。本当に申し訳ない」
「顔を上げて、サンドラ」
「許してほしいとは言えない。だが、信じてほしい。パトリシアには今後このようなことが起こらないと約束する」
「いいえ。今回の件、パトリシアにも非はあります。もっと早くに相談してくれれば、こんなふうに大事になる前に手が打てたはず。家に戻ってからも引きこもってばかりでしたし、可哀相な自分に酔っていた部分がなかったとは言わせませんわ」
「……辛辣だな」
穏やかな顔と声でバッサリと言い切るマリーにサンドラが軽く瞠目して、痛い所を突かれたというように胸を押さえる。
そういえば、おっとりと浮世離れして見えるこの幼なじみには、たまに容赦ないほど現実的な面があったと思い出す。
「俯瞰的に見られないのは若さゆえとしてもね。悲しみに心を奪われ甘えるだけで、助けてほしいと言えないのは……いいえ、言わせてあげられなかったのは、それこそ親であるわたくしの責任でしょうね。だから、サンドラだけが気に病む必要はありませんわ」
「だが、マリー」
「必要ないのです。それにしても、わたくしたちの旦那様方は、どちらもちっとも頼りになりませんでしたこと! アベル殿下はお父上を見習わないで、素敵な男性になっていただかないといけませんわ」
「そう言うな」
あえての軽口に謝り合うのは終わりになり、二人して苦笑し合う。
茶を一口含んでほっとすると、マリーがぽそりと呟いた。
「魔女様、ご不満そうでしたわね」
「ああ。カーラには『婚約解消の手助けを』と頼んだからな」
「本気でしたの?」
「当然だ。アベルは大事な息子だしパトリシアは可愛いが、あの時点では二人が別れることが最善だと思った」
では復縁は不満かと問えば、サンドラはなんとも言い難い顔をする。
魔術団やダレイニーの件はともかくとして、子供二人が円満に収まったのは本来喜ばしいことだ。それなのに、なにかが引っかかって祝いきれない――そんな表情だ。
「……ねえ、サンドラ」
祈るように両手を組んで下に置いたマリーの纏う空気がすっと変わる。
真剣な眼差しで正面の自分を見据える、心の底を探るような菫色の瞳に、王妃でありながらサンドラは軽く気圧された。
「婚約……いいえ、婚姻を解消したかったのは、あなた自身ではなかったの?」
「マリー?」
「やり直したかった自分の結婚の代わりに、あの子たちを別れさせようとしたのでしょう」
「……!」
動揺を隠せなかったサンドラの手から、カップが滑り落ちた。
 




