25 謁見の間にて
侍従によって、重そうな扉が開かれる。
盟約の関連でいつか王と会うこともあるだろうと思っていたが、このように謁見という形になるとは予想外だった。
磨き込まれた床の一段高い位置に国王夫妻が座しており、横に侍従長が立っている。カーラたちは王と王妃の正面、下がったフロアに一列で横に並んだ。
本当は目立たない一番端に陣取りたかったのに、しんがりを務めたセインにがっちり阻まれて、カーラは端から二番目の位置にいる。
ちなみに反対隣にはマリー夫人がおり、次いでヘミングス公爵、パトリシア、アベルという順だ。
依頼を受けた時と同様、やはり藍色のドレスに身を包んだ王妃だが、今日は略装ながらティアラも着けている。
この謁見は他の貴族には非公開ながら正式なものであり、ここでの報告や決定は公的に扱われるということだ。
(おおー、王妃様は今日も凜々しくていらっしゃる。しっかし……国王陛下、初めて見たけど怖いなあ! 誰よ「影が薄い」とか軽口叩いてたの)
国王はアベルと同じ黒髪で、少し下がった目元が柔和な印象だ。穏やかな性格で言葉数も多くなく、激するところを見たことがないとは世間の評判である。
親しまれる反面、やり手の王妃に比べて侮られることが多い印象だが、眼差しには恐ろしいほど油断のなさを感じる。
この手のタイプはものすごく合理的で、時に人を人とも思わない裁定を軽々としてしまえる陰の支配者だ。
やはり雑誌や新聞は当てにならないと思うが、王自身がそれを利用していると考えたほうがいいだろう。
(温和な陛下に、有能苛烈な王妃様――って言われているけど、逆でしょ? いや、王妃様が有能なのは間違いないだろうけど)
盟約を使ってカーラを呼び寄せたのは王妃であって国王ではない。アベルとパトリシアの結婚に憂慮を感じたのは、王妃だけだということだ。
理知的に見えて本当は情に篤い王妃だからこそ、様々な不利を分かっても婚約解消の決定に踏み切ったのだろう。
ダレイニー伯爵やリリスはこの場にいなかった。
伯爵については、王都の自宅を調べたところ、今回のパトリシア排除計画とは別に横領などのけしからん嫌疑が複数浮き上がり、その調べがまだ全部終わっておらず拘留中である。
領地にも調査団が向かっている。全貌が明らかになるにはしばらく時間が必要だが、下される処分は軽くないものになるだろう。
証拠を前にしても言い訳と責任転嫁を続けるダレイニーとは反対に、リリスは全面的に捜査に協力し、聴取にも素直に応じている。
魔力を無理に使ったことと、長く魔法陣のいびつな影響下にあったことで体調を崩しており、今は医療院にいる。
命に別状はなく、回復を待って沙汰が伝えられるそうだ。
「えー、では。学園で起きた過日の火災、並びにヘミングス公爵令嬢パトリシアに対する加害等についての調査報告を始めます」
初老の侍従長のよく通る声が、明らかになった事のあらましを両陛下に告げていく。それに対し、カーラたちが意見や反証を挙げたい場合は、都度奏上が許されている。
事件の背景は概ねアベルが察した通りで、魔術団に出入りし始めたリリスに、パトリシア排除を目論むダレイニー伯爵が接近したことが発端だった。
プレゼントだと言ってブレスレットを渡されたが、見るからに高価な魔法石が使われた贈り物に怯み、それと同時に怪しさも感じた。
その場で受け取りを断わったが強引に嵌めさせられ、そのまま外せなくなったのだという。
『外す鍵は領地にある。それが届くまで待て、という言葉を信じるしかありませんでした』
学園では過度な装飾品の持ち込みを禁止している。そこでダレイニーの勧めに従い、目くらましの魔術を掛けてもらった――ということだった。
認識障害の魔術は難易度が高く、誰でも簡単にはできない。請け負ったのは、魔術団の実力者だ。
「ブレスレットに魔術を施した人物は、魔術団のピーター・サドラー副団長。ブレスレットの制作者も同一であると確認しています。ただしサドラーは現在行方不明であり、所在を鋭意捜索中です」
(やっぱりダレイニーに手を貸す人が魔術団にいたんだ。しかも、副団長だなんて偉い人がねえ。そしてどこにいるか分からない、と。……やな感じ)
サドラー副団長が自主的にやったのか、ダレイニーに脅されたのかは分からないが、上層部の人間が犯罪幇助をしたのは事実だ。魔術団はしばらく落ち着かないだろう。
隣のセインから漏れる不愉快な空気にカーラが小さく肩を上げると、ぼそりと小さな声が降ってきた。
「……供述が取れてすぐ魔術団に向かったが、すでに姿をくらましていた」
「ブレスレットに仕掛けをしてたんじゃないかなあ」
解錠や破壊など、されたら分かるようにしていたに違いない。もしかしたら、盗聴機能がつけられていた可能性もあるが、それはさらなる解析ではっきりするだろう。
「用意周到だねえ」
「……ああ」
思うところがある表情のセインをちらと眺めて、また視線を前に戻す。
リリスはブレスレットがいつまでも冷たく、魔法石に触れると嫌な気分になるのが気になった。魔法石と自分の相性が合わないのだと考え、鍵が届くまでの我慢だと思っていたそうだ。
そのうち、勉強でもなんでも面白くなく感じることが増え、ちょっとのことですぐに苛立つようになった。
なかなか届かない鍵を待ちかねて男爵を訪ねると、領地の家族に危害を及ぼすと恫喝され、パトリシアに危害を加えるよう命令されたということだった。
『嫌でしたけど、家族が……パトリシア様が学園にいなければそんなことしなくて済むと思って。少し嫌がらせをすれば、甘やかされて育ったお嬢様だから、怖くなって家に帰るだろうって。王太子殿下との仲もわざとアピールしたり。でも、上手くいかなくて』
しかし、パトリシアには一向に学園を去る気配がない。
ダレイニーからも執拗な催促を受け、徐々に行為がエスカレートしたのだという。
『パトリシア様が学園にいるから悪いんだ、って思うようになって。パトリシア様がいなければ、王太子殿下が私を助けてくれるのに。王都で上手くやれるのに。そんなふうに、パトリシア様の存在が自分の不幸の原因だと考えるようになりました』
なにに対しても腹立たしく、常に不満と不安が心にあった、と。
強制されていたが抗っていたこと、ブレスレットの魔法陣により強められていた否定的感情が行動に影響を及ぼしていたことなどから、リリスには同情と更生の余地があると判断が下された。
「よって、リリス・キャボットには奉仕活動義務と担当官による保護観察。そして、学園を卒業後の魔術団勤務の内定は反故にされず、一年間の減俸が相当と結論づけるものであります」
学園内での不祥事、公爵令嬢への加害。その実行犯である平民のリリスへの罰として、最大限の情状酌量だ。
それだけリリスの有能さと将来に期待があるという証左でもある。
「異論ございません」
被害者であるパトリシアが首肯し、公爵夫妻も同意した。
だが、王妃がスッと手を上げる。
「王妃陛下、どうぞ」
「ダレイニー領にいる彼女の家族を王都に呼び寄せるように。連座として、我の管理下での就労を申しつける。場所は城にある薬草園。付随する罰として、将来に渡り領地に戻ることを許しません」
ざわ、と声にならないどよめきが走った。連座とはいうが、事実上の保護だ。
ダレイニーにどういう処罰が下されるかはまだ不明だが、領地にいる以上人質としてまた利用されたり、計画が頓挫した腹いせの報復を受ける可能性がある。
王城内に住まわせ働かせて、以降のリリスを利用する企みや被害を防ぐ算段だろう。
しかも、そうすることで、リリスは魔術団ではなく王妃に属することになる。この違いは大きい。
ダレイニーに手を貸したのは副団長だが、ほかにも団内に同調者がいないとは限らない。その魔術団にリリスを全面的に任せるのは不安がある。しかし彼女の能力は買っている。
そのため王妃が彼女に恩を売り、家族ごと国で囲い込むという目論見だ。
(さっすが王妃様、抜かりない。でも、よかったねえリリスちゃん)
小作をしているリリスの両親は今と同じ職種だし、体が弱いという弟も王都で治療が受けられる。家族が近くにいればリリスも安心だろうし、いいことばかりだ。
(しかも職場は薬草園か。王妃様の薬草で元気になった弟が将来、薬師を目指したら……なんて。楽しそうだあ)
息子を助ける薬の原料だと思えば、両親もますます励むだろう。
この場の全員から是認を受けて、キャボット一家の王都移住も決まった。パチパチと手を叩いて賛同の意を示したカーラにセインがぎょっとしたが、侍従長も目を細めただけで咎められることはなかった。
「事件につきましては、現在のところ以上です。次に、アベル王太子殿下」
指名されて、アベルが一歩前に出る。
アベルは神妙な顔をして、まずは両親である国王夫妻、それに公爵夫妻に今回の件についての謝罪を口にした。
「そして、私の婚約と結婚に関することですが」
(おっ。頼むよー、「騒動の責任取って婚約を解消する」って言ってよね!)
リリスが目を付けられたのは魔術団に認められたからだけではなく、アベルを誘惑できる人物とみなされたのも原因だ。
不可抗力とはいえ、それほど影響力が大きい立場だということに本人も周囲も理解が足りなかったこと、そして諸々独断で進めたことは反省すべきである。
半分わくわく半分ハラハラな気持ちで祈るようにアベルを見つめていると、パトリシアがそっと進み出てアベルの隣に並んだ。
「お許しいただけるなら、このままパトリシア嬢との結婚を進めていただきたい」
「い――っ、ふモゴっ!?」
異議あり! というカーラの叫びはセインの大きな手で塞がれた。
「――、――!」
「黙れ」
(はーー!? ちょっと! 離せっての!)
元気よく挙手もしたのに、無理やり下ろされてしまう。ガタイのいい騎士に小柄で非力なカーラが勝てるわけがない。
ギロリと睨みつけて足を力一杯踏んでやったが、立派な軍靴に阻まれて自分の足の裏のほうがダメージを負った。
(もう! アンジェが履いてた踵が細くて凶器みたいな靴、今度買ってやる!)
「それが叶うなら、どのような罰を受けても甘んじて受ける」
「私も同じです。お詫びの上、どうぞお願い申し上げます」
神妙な顔で両親、そして未来の義両親をそれぞれ見つめる二人に、侍従長に促されて国王が初めて口を開く。
「これだけの騒ぎを起こして、さすがになんのお咎めもなしにはできないね。でも、おかげでダレイニーの不正や一部の者の慢心に気付けた。そこは評価しよう」
国王はそう言って微笑むと、アベルとパトリシアに与えるペナルティは考えておく、とこの場での明言を避けた。
波乱はそれだけで、モゴモゴと口を塞がれている間に、アベルとパトリシアの婚約解消は回避され、予定通り成婚することが確認されてしまった。
パトリシアは幸せそうな笑顔で涙ぐんでいるし、アベルはそんなパトリシアの腰をぜったい離さないという具合にホールドしているしで「はい、もうお幸せに!」なのだが、婚約解消を依頼されたカーラとしては大変不満である。
(嫌な予感当たった! 最悪だ!)
ちょっとだけ覚悟していたとはいえ、順調に任務不成功の回数を重ねてしまった。自尊心とか自負心とかが地味に抉られる。
「カーラ、素直に祝え」
「モガゴゴ!」
「薬師の魔女カーラ、並びに近衛第一隊副長セイン・ハウエル」
わちゃわちゃする端っこ二人に王妃が呼びかける。はたと動きを止めて、慌てて居住まいを正した。
「此度の働き、大義であった。ゆえに、各々に褒美を与える」
「えっ、聞いてない」
思わず声に出たが、セインも寝耳に水だったのだろう。ぴしりと固まったセインを、カーラが肘で小突く。
「いっ、いや、それは」
「なんだ二人とも遠慮するな」
王妃は面白そうに――言い方を変えれば、ニヤニヤして二人を壇上から見おろしている。
前へ、と言われ、戸惑いながらもセインが一歩進み出た。カーラはむしろ一歩下がって王妃をまっすぐに見つめ、首を思い切り横に振る。
「いーえ、わたしへの支払いは最初のお話通りで結構です」
「は?」
報酬を蹴ったカーラに、セインが驚きを浮かべて振り向いた。
つんと済ました表情のカーラはもう一度「いりません」と言い、王妃はますます面白そうにする。
「増えるのだぞ?」
「いりません。お断りします。追加の不成功報酬なんて、もう絶対いらない!」
「ははっ!」
むすっと頬を膨らませて言い切ったカーラに王妃は声を出して笑い、場にいる皆も苦笑する。
セインだけはまだまごついていたが、笑いを収めた王妃の青灰色の瞳が無言でプレッシャーを与える。
「セイン・ハウエル。其方まで断わることは許さぬ。褒美の内容については後日尋ねるゆえ、考えておくように」
「……はっ。かしこまりました」
満足したように頷いた王妃に再度礼をし、また元の位置に戻ったセインにカーラがぽそりと呟く。
「ご褒美、よかったねえ」
「……」
(なに、無視? 返事くらいしたらいいのにーっ!)
チラリとカーラに目を向けただけで視線を前に戻したセインは、退出するまでなにやら考え込んでいた。




