22 騎士団にて
疲労困憊で煤だらけのカーラに制服のマントをバサリと被せると、セインは学園の警備員に火事の始末などの引き継ぎを始めた。
気を失ったままのリリスも、念のため拘束される。応援の騎士団員が到着次第、身柄を移送するのだという。
もちろん、壊れたブレスレットも証拠品として回収された。
(それにしても、近くに草や木がたくさんあって助かったぁ)
カーラの魔法の腕はあまりよろしくない。アベルに使った目くらましの光は魔女が初歩の初歩で覚える遊び魔法のひとつだし、血の跡を消すのは薬師という仕事に必須の清浄魔法である。
セインたちは驚いていたようだが、魔女なら誰でも、目を瞑ってできるレベルの魔法だ。
火を消したのは、カーラが変身魔法のほかに唯一得意としている育成魔法を応用したのである。
植物だったから自在に操れた。もしここが岩場や海辺だったらちゃんと鎮火できたかどうか、非常に怪しい。
(もうちょっと、ほかの魔法も頑張ったほうがいいかも……)
ちっとも上達しないし必要になるとも思えなくて止めてしまったが、身につかなくとも訓練だけは再開したほうがいいかもしれない。
煙がくすぶるガゼボと地面をぼんやり眺めているカーラの視界に、見知った軍靴が映る。
のろのろと顔を上げると、自分を見おろすセインと目が合った。後ろにはパトリシアを支えて立つアベルもいる。
「行くぞ」
「……家に帰れるんだよね?」
「先に王城に戻る。今日中に必要な報告だけは付き合ってもらう」
「えーーーー」
「えー、じゃない。ほら立て」
まっすぐ薬局に帰って埃を流してサッパリし、冷えた麦酒でも一杯やって毛布にくるまりたいのに。
あからさまな不満も無視され、ぐいっと手を引かれて立ち上がらされたが、足に力が入らず、すぐにまた座り込んでしまう。
眉間に深くシワを寄せたセインに深々と溜め息を吐かれたが、物申したいのはこちらのほうだ。
「もうやだ、今日は無理。せめて明日にして」
「そういうわけにはいかない。仕方ない、持つぞ」
「は? うわっ、ちょっと!?」
言うが早いか、セインはカーラの身体を持ち上げた。
急に高くなった視線に目が回る。思わず逃げだそうとしたら、がっちり抱え直された。
「やっ、高っ! 怖いんだけど!?」
「暴れなければ落ちない」
「それって、動いたら落とすって意味だよね!」
膝の下に片腕を入れ垂直に持ち上げられた、子供を抱き運ぶような体勢だ。お姫様のように横抱きにしろとは言わないが、カーラの小柄さが余計に強調されるこの抱き方はどうなのだろう。
「カーラ、普段なに食べてるんだ? 軽すぎるぞ」
「セインが無駄に筋肉あるだけでしょ。はぁー、粉袋みたいに担がれるよりはマシかぁ。あれってお腹に肩がめり込んで痛いし、揺れで吐くんだよね」
「なんでそんなことに詳しいんだ」
「生きているといろいろあるの。あー、もういい。せいぜい快適に運んでくれたまえ」
「……無性に捨てていきたくなった」
二人とも顔も声も不満だらけだが、お互い反論にキレがない。
考えるのも面倒になったカーラはセインに身を預け、十歩も行かないうちに気を失うように眠ってしまった。
カーラが次に目を覚ましたのは、王城に到着してしばらく経ってからだった。
半覚醒状態のまま冷たい水を満たされたグラスを持たされて、ようやく両目がちゃんと開く。
見覚えのない室内だ。
そこそこ散らかったままの二台の机と、壁には無骨な書類棚。洒落た照明もなく、カーラの薬局の上を行く殺風景さだ。
窓の外は日が沈む少し前の明るさで、長く伸びた夕日が硬いソファーにぐったり座るカーラの膝まで延びている。
「ここって……?」
「騎士団の事務室です、魔女様」
ぱちぱちと目をしばたくと、カーラの斜め前に膝をつき、手からグラスが落ちないように支えてくれている女性と至近距離で目が合った。
ダークブラウンの髪を後ろでひとつに束ねた彼女は、二十代半ばくらいだろうか。上着を脱いだシンプルなシャツ姿だが、履いているパンツと靴はセインと同じ制服で、彼女が女性騎士だと分かる。
カーラの意識がはっきりしたのを確認して、女性騎士は添えていた手を離した。
「簡単にですけど、傷の手当てをさせてもらいました」
「それはどうも……かなり汚れてたでしょ」
「慣れていますからお気になさらず」
礼を言うと、にこりと微笑まれる。
グラスを持つ手はすっかりきれいになっていて、切られた頬には薄い布が貼ってあった。
「髪は、すみません。そのままです」
「ん? ああ、気にしないで。忘れてた」
申し訳なさそうに言われて、耳の辺りを触ると、不自然にそこだけ短い部分がある。パトリシアの姿だったが、実際に切られたのはカーラの髪だ。
「特に思い入れもないですし」
「そうですか……」
そんなはずないだろうという顔で見られたが、特に意味なくただ伸ばしていただけなのは本当だ。
清潔さは大事にするが、身だしなみ以上の装いに興味がないのは、養い親ヴァルネの影響かもしれない。
世間一般の若い女性には珍しいだろう。いちいち説明するのも億劫で、カーラは話題を変えた。
「わたし、ずっと寝てた?」
「そうですね。ここに着いてすぐの聴取の間も、魔女様はずっとうつらうつらなさっていて」
「あらら」
「それでもちゃんとお返事や説明をなさるのですから、感心いたしました」
覚えていないが、どうやら寝ぼけながらあれこれしたらしい。
気ままなひとり暮らしなこともあって、調剤や薬の試作で興が乗ると徹夜をすることも珍しくない。意識が朦朧としていてもけっこう動けるのは自分でも分かっていたが、話すこともできるようだ。ぼっち時間が多いので気付かなかった。
「私は一旦失礼します。ハウエル副長は間もなく戻りますので、このままお待ちください」
(ハウエル副長?)
誰のことかと思ったが、そういえばセインはそういう名前で、近衛第一隊の副長だと王妃が言っていたことを思い出す。
ハウエルという家名には聞き覚えがある。魔女仲間の誰かから聞いたはずだが、起きたての頭はまだうまく回らない。
「んー、なんのときの話だっけ……まあ置いといて、たしか男爵家? 貴族で騎士かあ……いや、近衛って基本的に貴族が多いんだった」
騎士も貴族も自分とは遠い存在だ。孤児で魔女のカーラとは本当に何も共通点がない。
(……だからどうっていうことではないけど)
女性騎士が出ていった扉を見つめながら、こくりと飲んだ水が喉を通っていく冷たさにスッと胸が冷える。
喉が渇いていたようで、そのままグラスの半分ほどを一気に流し込む。ほっと息を吐いたところで扉がノックされ、返事を待たずにセインが入ってきた。
先ほどの女性騎士と同じくシャツ姿なのはアベルに斬りつけられて上着が破れたせいもあるだろうが、騎士が嫌いなカーラに気を使っているのかもしれない。
心の負担は軽いがなんとなく居心地の悪さも感じて視線をずらすと、セインのほかに男性がもうひとりいるのが見えた。
「起きたようだな」
「まだ眠い。そっちの人は?」
「あっ、僕はトビアス・シュミットです。セインと同じ騎士団の、第二隊の副長をしているんだ」
相変わらず仏頂面のセインに続いて、部屋に入ってきた男性がおっとり朗らかに微笑む。
言動だけでなく、赤茶色の髪や穏やかなグレーの瞳といった容姿も人畜無害そうで、柔らかい雰囲気だ。
「魔女さんの薬局に行ったことがあるんだけど、覚えてくれているかなぁ? あの路地裏は僕の隊の管轄なんだ」
セインとは同期だと自己紹介をしたトビアスは、地区の担当が変わったときに引き継ぎの報告に薬局を訪ねたと言う。
実際に城下の警邏をするのは、近衛ではない騎士や警察だ。しかし、以前に住人と警察の癒着や横領その他の問題があったことから、王宮直轄の近衛騎士が監視役としてつくことになっている。トビアスはその責任者だそうだ。
「言われてみれば、いつか挨拶とかした気がする……」
「そうそう、それ僕!」
「でも覚えてない」
非番だったとかでトビアスは私服で、しかも騎士っぽくない庶民的な態度だったこともあり、あまり抵抗なく話した記憶はある。
しかし来店はそれっきりだ。カーラにとっては一見の冷やかし客と同列であり、もちろん顔など覚えていない。
「残念ー。じゃあ、今日で覚えてくれたら嬉しいなあ」
「薬を買いに来たらね」
「手厳しい! あーでも、僕たちが行くのは事件が起こったときだから、縁がないほうがいいのかな? でも、それも寂しいなあ」
「筋肉痛の湿布薬とかもあるけど。あと騎士団の皆さんには、消臭剤を強くおすすめ」
「えっ、もしかして匂う?」
トビアスが慌てて窓を開け始め、カーラの口からふはっと笑いがこぼれた。
そのトビアスに頼まれて、首から下げていた記録用魔道具を外して作動させる。再生される音声を次々と書き写していくトビアスを横目に、セインは安定の不機嫌顔でカーラの正面に腰掛けた。
「わたし、寝ながら答えてたんだって?」
「ああ。俺が見ていたものとほぼ同じだから間違いはないと思うが、提出する前に一応確認してくれ」
パサリと数枚の紙を目の前のテーブルに置かれた。
グラスの代わりに調書を手にして目を通しつつ、カーラが目を覚ますまでのことを聞かされる。
「取り急ぎ、陛下たちにあらましを報告してきた。アベル殿下はパトリシア様を送っていかれて、そのままヘミングス公爵家で謝罪をなさるそうだ」
「殿下はスコット氏にたんまり叱られるといいよー。で、リリスは?」
「彼女も目が覚めている。消耗はしているが、精神的には落ち着いているようだった。ダレイニー伯爵の指示があったと証言が取れて、伯爵には拒否権なしの登城命令が下されたところだ」
「えっ、もう? そういう手続きって時間かかるんじゃないっけ。早いねえ」
「王妃陛下直々のご指示だからな」
カーラの変身だったにせよ、王太子の婚約者であるパトリシアが狙われて、火事の近くにはアベルもいた。
万が一校舎まで延焼が広がれば大惨事になったはずで、ガゼボ周辺だけで被害が抑えられ死者がなかったのは不幸中の幸いでしかない。
「学生同士のトラブル」として学園や城下の警察のみで片付けられる範疇を超えており、この一件は王宮預かりとなった。
自治を重んじ学内での解決を望んでいた学園長たちも、さすがに外部調査を受け入れることに同意したそうだ。
歯痒いに違いないが、そういった閉鎖性を利用されたことも事実だろう。
最初に王妃が査察の申請をしたときに受け入れていれば未然に防げたかもしれないのだから、しっかり協力してほしいものである。




