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21 特待生リリス・キャボット

 栗色の髪を揺らして小走りで向かって来たのは、もう一人の当事者であるリリスだった。

 はっきりとした顔立ちの美少女だが、気さくさが前面に出ており、親しみやすい雰囲気がある。

 少々近寄りがたい気品が漂う、クールビューティーなパトリシアとは反対のタイプだ。

 その彼女のライトブラウンのくるりと大きな瞳が、ガゼボにいるパトリシアに扮したカーラを認める。


(おお、噂通り可愛い――)

 

「やだぁ、本当にパトリシア様じゃん。学園は辞めたんじゃなかったの?」


(……けど、フレンドリーが過ぎない!? しかも何気に上から目線!)


 リリスとパトリシアは親しい仲ではない。お互い認識はしているが、直接会話を交わしたことはほとんどないと聞いている。


「なんだ、あの無礼なのは」

「リリスでしょ」


 無遠慮な物言いに、カーラに持つのとはまた違う悪感情をセインはリリスに抱いたようだ。

 近衛である彼が腹を立てるのは分かる。中身は別人(カーラ)とはいえ、公爵令嬢であるパトリシアは王族に準じる立場だ。いくら学生同士でも、その口のきき方は許せないだろう。


「大概だな」

「でもかなり可愛いよ?」

「論外だ」

「あら」

 

 セインの苛立ちは伝わっていないらしい。小声で話すこちらにはおかまいなしに、リリスは足取り軽くガゼボに入ってきた。


(とりあえず、ここを離れないと)

 

 カーラはテーブルの上に広げたままの用紙を集めて、帰り支度を始める。

 リリスにも聞きたいことや確かめねばならないことがあるが、今ここではまずい。そこの腰壁の向こうに、アベルとパトリシアを隠れさせたのだ。

 あんな物騒な話を聞いた以上、リリスとパトリシアが鉢合わせをするのは避けたほうが安全である。

 

(透明の魔法陣には興味があるから見てみたいけど。このガゼボに来る途中に、小さい運動場みたいなところがあったっけ。そっちだと広くていいかな、セインに周りを見張ってもらって……)


「アベル様を探しているんだけど、知らない?」

「……ご覧のとおりよ」

「あっそう」


 横柄な様子で問いかけてくるリリスに、ほかに誰もいないガゼボを手で示す。


(殿下、でもアベル王子、でもなく、アベル()、かあ。みんなにこうなのかな、この子)


 魔女であるカーラは貴族の身分に頓着しないし、先ほどまでのアベルに対する態度だって敬意を払っているとは決して言えないだろう。

 けれど、挨拶もふっとばして平易な口調でいきなり話しかけたりはしない。未成年であっても、学園が平等を謳っていても、そのあたりは礼儀であり常識だ。

 城下の平民同士だって、血の気の多い鍛冶屋の親父さんになめた口をきいたら返事の代わりに拳が飛んでくるし、粉屋のおかみさんが告げる値は通常の二割増しに変わるのだ。


(お城にも行ってるのに。気楽だなあ、魔術団)


 魔術師は魔女と似て個人主義が多いと聞くが、野放図なだけかもしれない。規律も重んじる騎士団(セイン)と連携が上手くいかない理由が少し分かった気がする。


「ねえ、ちょっと」

「失礼だが」


 続く声を遮って、パトリシアの護衛っぽくカーラを庇うようにセインが前へ出た。

 小首を傾げるようにして近衛騎士の制服を上から下まで眺めたリリスは、ぱっと花が咲いたような笑みを浮かべる。


「あっ、近衛騎士のセイン様じゃないですか! あたしのこと、知ってますよね。リリス・キャボットです」


 声がワントーン高くなったリリスのライトブラウンの瞳が、さらに明るく輝く。

 思わずといったようにトッと一歩踏み出して胸の前で手を握り合わせ、上目遣いで背の高いセインを見上げるポージングは舞台女優のように完璧だ。

 

(たしかに美少女。これは見惚れるわー)


 自分の魅力を十分に分かってやっているのであろう。

 あざとさというより逞しさが感じられるリリスに、カーラは感心した。さすが王太子の腕に絡みつくだけはある。


(そしてパトリシア(わたし)にはため口で、セインには丁寧語なんだ。まあ、セインって顔はいいもんね、顔はね!)


 彼女の優先順位がよく分かる態度である。裏を読む必要がなくて助かるが、笑顔で青筋を立てる王妃陛下とスコット氏がぽこっと脳内に浮かんだ。


 ――アベルの考えが当たっているなら、彼女はダレイニー伯爵による企みの実行犯である。

 家族を盾に脅されて仕方なく、ということであれば同情の余地もあるが、進んで共犯になったのならダレイニーと同罪だ。

 裁くのはカーラの役割ではないが、調査を依頼されている以上、背後関係も確かめなくてはならない。

 

(恋愛に権力が絡むと面倒だなあ)


 一般人の恋愛なら、取った取られた浮気だ別れたで揉めはしても、それだけだ。国が揺らぐことはない。

 リリスの浮き立った声に、カーラは考え事から意識を戻した。

 

「セイン様とは、お城で何度か会いましたよね」

「悪いが覚えていない」

「そんなはずないですよ、だって目も合いましたもん!」

「気のせいだ。それに、許してもいないのに名を呼ばれるのは不快だ」

「ひどーい、意地悪ぅ」


 瞳を潤ませるリリスはこれでもかというくらい庇護心をそそるはずなのに、見事な塩対応である。一方、不愉快さを隠さないセインのつっけんどんな態度にめげないリリスもタフだ。

 この二人のやり取りをもっと眺めたい気もするが、セインはかなり物騒な気配を発し始めている。お城の上品な侍女でさえ袖にする彼には我慢ならないのだろう。


「セイン」

「……失礼しました」


 先に限界を越えそうなセインに引くよう声を掛けると、不満そうにしながらも一歩下がる。

 カーラが正面に出ると、セインとの会話を遮られたリリスがムッと膨れた。


「パトリシア様ってば、学園に何しに来たの? アベル様はあたしと楽しくやってるから、心配しなくていいのよ」

「そうですか」


(わー、すごい敵意剥き出し……ん?)

 

 リリスが魔術の発動準備をしている様子はない。だが、制服の袖口から覗く左の手首に違和感がある。


(なに、あそこ。認識障害の魔術がかかってる)


 瞳に魔力を集めると、リリスの手首に魔力が靄となって巻き付いているのが分かった。より注視すると、魔法陣を書き込んだブレスレットがぼんやりと透けて見える。

 

(魔法石を使ったブレスレット? 学園への魔道具の持ち込みは、許可制ではあるけれど)


 魔法石は高価だ。平民で、しかも経済的理由から入学時期を延ばしていたリリスの持ち物としてそぐわない。

 共同研究をしているという魔術団の関係だろうかとも思ったが、それにしては禍々しい雰囲気だ。ネティの魔道具ではありえない怪しい光り具合は、()で売買される違法魔道具に近いものを感じる。


(……気に入らない)

 

 まとめた書類で顔の下半分をさりげなく隠すと、カーラはセインにだけ聞こえるよう小声で話しかけた。


「セイン。リリスの左手に魔術がかかってる」

「なに?」

「気をつけて。ブレスレットの魔法石が危なっかしいから、早くここを離れないと……リリスさん、お話はそれだけ? もしよろしければ、場所を変えたいのだけど」


 不自然でないようにリリスにも話しかける。

 一緒にガゼボから出るよう促すつもりだったが、リリスは睨むようにこちらを見返してきた。

 

「……なによ、余裕ぶっちゃって」

「え?」

「いいご身分よね。美人で頭もよくて、家はお金持ちで……おまけに、相思相愛の婚約者が王太子? 近衛騎士が護衛? はっ、生まれてからこれまで苦労なんてしたことないんでしょ」


 さっきまでの笑顔は消え、怒りの形相を浮かべたリリスが嘲りに声を震わせる。

 まるで人が変わったような様子に、セインが警戒を強めたのが分かった。

 

「リリスさん?」

「どうして、あたしばっかり……!」


(っ、魔術!)


 泣くように叫んだリリスが突き出した両手の前に、見えないほどの早さで魔法陣が編まれ、一瞬だけきらめいて色を消す――と、同時に突風が巻き起こった。

 轟々と渦を巻く風が、剃刀のように周囲を刻んでいく。


(わあ、あっぶなーい!)


 ガゼボの柱に巻き付いたアイビーが切られて舞い上がり、ベンチやテーブルにも音を立てて亀裂が入った。ピシピシと飛ぶ礫や葉が、カーラの頬や手をかすめる。


「下がれ!」

「セインは殿下たちを!」


 伸ばされた腕を押し返し、カーラも手をリリスに向ける。

 魔法陣そのものはもう目には見えないが、存在は分かるし読める。陣に編まれた文言を指先から伸ばした魔力で解けば巻いていた風が消え、驚いたリリスが動きを止めて大きく目を見開いた。


「は……!?」

「セイン、急いで」

「……チッ」

 

 その隙に、大きく舌打ちをしたセインがガゼボの腰壁を乗り越え、パトリシアたちを立たせて走り去る。

 離れていく三人を目の端に認めて、カーラはリリスに一歩近づいた。


「はーい、リリスちゃん。そこまで」

「……あなた、誰なの」

「パトリシア・ヘミングスよ」

「バ、バカにして!」


 親の敵を見るように憎らしげに目を怒らせて、リリスがまた新しい魔法陣を出す。今度はそれぞれの手にひとつずつ、それを空中に浮かせたまま、さらに二つの陣がまた現れて消えた。


(おー、すっごい。きれいな魔法陣だなあ……魔術はちっとも可愛くないけど!)


 魔法陣があったはずの場所から次々と炎が上がり、木製のガゼボに燃え移る。

 通常の火と違い、魔術で出した火は延焼が早い。あっという間に瀟洒な小屋は火で包まれた。


「熱っつ! リリスちゃんも危なくない?」

「あ、あたしなんて、もう、どうでもいいの!」

「まあまあ、そんな自棄にならない。そのブレスレット外してあげるから」

「なっ!?」


 カーラが指さすとリリスはぎょっとして手首を庇い、戸惑うように炎が揺れた。

 

「あ、あなた……」

「大丈夫。たぶんだけどね」

「……!」


 がっくりと膝をついたリリスを落ち着かせるように、大丈夫と繰り返しながら、先ほどと同じように陣を解いていく。

 新しい魔法陣を出す気力はなくなったようで、リリスは呆けたようにうつろな眼差しで座り込んだままカーラを眺めている。


「あー、気力っていうか、魔力切れか。そりゃあ、訓練もしていないお嬢さんがこれだけのを一気に出せば、ねえ」

「……」


 魔力が多ければいくらでも魔術を使えるわけではない。しかも、新しく魔法陣を作るのは負担が大きい。連発すれば尽きて当然だ。

 そう言うカーラの魔力も残り少ない。


(もう、予定外のことが多すぎ! 王妃様に追加ボーナスお願いしてやるんだから! さて、あとはこの火を消せば……)


 ――火は苦手だ。

 覚えていないはずの焼け落ちる屋根や柱が、カーラの眼の裏に浮かぶ。両親や兄姉がカーラの名を叫ぶ声まで聞こえる気がして、気が遠くなりそうだ。


(……しっかりしなきゃ)


 焼け跡となったそこを見ても、なにも思い出せなかった。

 形ばかり現場を見に来た騎士は、一瞥しただけで「ただの失火」と決めつけた。

 あの男は、ちゃんと調べろと食ってかかったヴァルネを突き飛ばし、ボロ小屋が燃えただけだと薄ら笑いで四人の死に唾を吐いた。

 だから、騎士服を見るとどうしても――


「カーラ!」


 ハッと顔を上げる。

 声のほうを見れば、燃える柱の向こうに、アベルとパトリシアを避難させてこちらに戻ってくるセインが見えた。

 必死の形相で汗を飛ばして走ってくる護衛騎士に、ふっと笑みがこぼれる。

 

(……魔女は嫌いなはずなのに。やっぱりくそ真面目)


 ふう、と息を吐いて両手を広げると、残り少ない魔力を手のひらに集め、周囲の植物に向けた。

 セインが辿り着く直前、ザッと一斉に近くの植物が枝葉を伸ばして燃える建物を包む。柱や屋根に巻き付いた蔓や葉が火を消し、ガゼボもろともガラガラと崩れ――鈍い音と白煙を上げて、火はおさまった。


「……はあー、疲れた!」


 肉体労働は管轄外なのに。本当に、疲れた。

 廃墟のように焦げた木片や崩れたレンガが散らばる中で、リリスの前に座り込むと手首を取って指先から流した魔力で解錠し、かちゃりとブレスレットを外した。


「あ……」


 信じられないように自分の手首とカーラを交互に見るリリスの頭をクシャリと撫でる。と、リリスは力尽きたようにそのままパタリと倒れ込んだ。

 そこに息を切らして駆けてきたセインを見上げて、人差し指を突きつける。


「鎮火は確認してねー」

「わ、分かった」

「なに?」


 目を泳がせるセインに、肩で息をしながら問う。

 

「なにって、お前……」

「お前じゃなくて、カーラ。ん? ……あー、戻っちゃったか」


 伸ばした腕は、変身魔法の解けた自分のものだった。今ので魔力も尽きたらしい。それはそうだ、こんなにはちゃめちゃに魔法を連発したのは久し振りだ。

 

「ねえ、すっごい疲れた。薬局まで馬車で送って」

「……ああ」


 アベルたちや学園の警備員が走ってくる足音を聞きながら、カーラは青空を仰いで目を閉じた。



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