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20 そうは言っても

 少しの間、ガゼボに沈黙が落ちた。拳を握りしめ肩を震わせていたアベルが長く息を吐き、話を続ける。


「それだけではない。私の伴侶になるということで、トリシャには負担を強いている。母上による王太子妃教育だけでなく、既に公務にも同行してもらっている。そのせいで、休みの日でも実家であるヘミングス公爵家より王宮で過ごす時間のほうが長い」


 婚約者ではあるが、まだ王太子妃ではない。にもかかわらず、様々な仕事や責任を負わせている現状に後ろめたさがあった、とアベルは声を落とす。

 次期国王としての教育を受けてきた自分よりも時に的確なパトリシアの知見に、己を不甲斐なく思ったことも少なくないという。

 

「彼女はとても優秀だ。しかしその能力は、本来公爵家のために使うべきだというのは、婚約前から指摘されていた」

「その点に関しては、スコットさんもお冠でしたねえ」

「スコットは、そうだな……」


 申し訳ないような、うざったいような、微妙な表情をするところを見ると、あの公爵家執事は王太子に物申しているに違いない。なかなか心強い忠義者である。


「……私はトリシャを守りきれないどころか、彼女が得るはずの幸せも奪っている」

 

 神妙に項垂れるアベルの声はどこまでも誠実で、嘘はないと分かる。

 しかし、パトリシアのためという説明はつくものの、一連の行動には理解しがたい点が残る。

 セイン越しにちらりと見える当のパトリシアも、驚きと共に戸惑いを浮かべているように見えた。


「理由というか、動機はまあ、分かりましたけど……浮気する必要、あります?」

「普通に婚約を破棄したら、トリシャにも落ち度があると思われてしまうだろうが」

「ん?」

「責があるのは私だけだ。トリシャはあくまで被害者でなければならない」

「は?」

「なるほど……」

「え、セインも?」


 カーラの質問にアベルは理不尽そうに返し、それにセインも頷いている。

 たしかに、どんなに円満に婚約を解消したとしても、不名誉なゴシップが湧くだろうことは簡単に想像できる。

 しかし、アベルの浮気という一方的で理不尽な理由であれば、パトリシア側の醜聞は最大限回避できるに違いない。

 言っていることもアベルの気持ちも理解はできる。できるが――


(なんだか嫌な感じ!)


 カーラに湧いたこの感情は、有り体に言えば「ムカつく」だ。

 だってアベルの行動は、あまりにパトリシアを無視している。

 間違ったことはしていないと言いたげなアベルと、その説明に納得しているセインもまとめて睨むと、カーラは異議ありとばかりに声を上げた。

 

「ちょっと待って。だからって殿下がパトリシア様を傷つけたら、本末転倒ですよ」

「魔女?」


 反論されるとは思わなかったのだろう。驚いた顔でたじろいだアベルに、カーラは詰め寄る。

 

「ずっと仲良くしてきた、もうすぐ結婚する相手に突然裏切られたら、どんな気持ちになるか考えました? 理由も分からず無視されて拒まれて、違う女の子との仲を見せつけられて」

「だ、だが」

「そもそも『パトリシア様のため』って言いながら、殿下自身も傷ついているじゃありませんか。そんな誰も幸せにならない方法で守られたって、ちっとも嬉しくありません」


 言いながら、カーラの脳裏を過っていたのは、覚えていない火事の光景――家族を亡くした日のことだ。

 集落から少し離れて建つ家から上がった炎はすぐには気付かれず、村人が消火に駆けつけたときにはもう手の施しようがなかったという。

 一番幼かったカーラのことを家族が身を挺して守った形跡が残されていたと、後から聞いた。


 ヴァルネの元で過ごした日々は幸せだったと、胸を張って言える。

 けれど、誰かの命と引き換えに自分だけが助かって良かったなんて、十五年経った今でも思えない。きっと死ぬまでそうだ。

 守られること、助けられること。そこには罪悪感がついて回る。

 パトリシアだって、アベルの犠牲で成り立つ安寧なんて望んでいないだろう。

 

「勝手ですよ。一方的に守られる身にもなってください」

「カーラ……?」

「なに、セイン……ん、あれ?」


 声が湿っていたかもしれない。

 意外そうな表情でカーラを見つめるセインと目が合って、ハッと我に返る。


(……失敗した。こんなこと話すつもりなかったのに)


 今のは、アベルにというより自分が言いたいだけだった気がする。

 

「あーっと、ごめんなさい、今の無し。わたしが請け負ったのは事実確認と調査です、はい。それ以上はお門違いでした」

「いや……言われて気付いたが、たしかに私は自分の考えだけで動いていた」

「えっ? 殿下、素直ですね? ていうか、そんなすぐ反省するくらいなら、なんで先に気付かないの?」

「おい、失礼が過ぎるぞ」


 いつもの調子に戻ったカーラにセインがさっそく渋い顔をするが、アベルは構わないと手を振った。

 

「きっとトリシャが拒んでも、私はきっと同じことをしただろうからな」

「わあ、頑固ー」

「仕方ないな。自分ではどうしようもない」


 呆れたように肩をすくめてみせると、アベルも苦笑した。

 本当に、この王子様はどうしたってパトリシアに害が及ばないようにしたかったようだ。

 パトリシアを放ってリリスと一緒にいたのも、付き合っていたとかそういうことではなく、見張っていたのだという。

 いくら魔法陣が透明でも、発動させるには魔術による操作が必要だ。

 アベルとリリスが一緒にいるときは、パトリシアは事故に遭わなかったことから、やはりリリスが魔術攻撃をしていると推察したアベルは、自分が常に傍にいることで魔法陣を発動させる隙を潰していたのだ、と打ち明ける。


「じゃあ、腕を組んだりしてイチャイチャしてたのは?」

「いっ、イチャイチャなど……! 拒否しなかったら、勝手に絡みついてきただけだっ」

「あのねえ、殿下。ほかのご令嬢は無視するのに自分だけは話してくれて、パトリシア様とも疎遠になって……ってなったら、好かれてるってリリスが誤解しちゃってもしょうがないと思いますよ」

「トリシャ以外に好意なんて持つわけがない」

「そーですか」

 

 ひどく不快そうに言うが、そう思わせたのはアベル自身だろうし、リリスにとっても残酷だ。


(自分の婚約者を脅かす(リリス)には配慮など無用と思った? こういうことをスルッとしちゃうのが、ねえ)


 アベルにとって、パトリシアだけが特別だ。

 こうまで想われるというのはどういう気分なんだろうと、カーラは考える。嬉しいだろうか、それとも重いと感じるだろうか。

 たくさんの「離婚予定」の場に立ち会って、恋愛や結婚というものについて少しは理解したような気もするが、どんなに妻の代行をしたところで他人事感は拭えない。

 だからこそ彼女たちの夫や今のアベルを前に冷静に話ができるのだろうが、恋や愛というものは実に摩訶不思議である。

 

(世話をしたらその分だけ育つ薬草のほうが、よほど素直だよなあ)


 それが、意思のある人間を相手にするということなのだろう。

 血の繋がった家族もヴァルネも亡くしたカーラには、そうまで誰かに心を傾けることが少し難しく感じる。

 コホンと咳払いをして、また意識をここに戻した。

 

「では、このガゼボでパトリシア様に斬りかかったっていうのは」

「どうして私がトリシャに剣を向ける。刺したのは蛇だ」

「えっ、このあたりって蛇いるんですか?」

「普段は見ない。いても毒のない、小さいものだ」


 学園内は緑が多い。鳥やリス、モグラなど野生の小動物が普通にいるが、蛇を見かけることはまず滅多にないという。

 ここには庭師だけでなく雑用に従事する専任者も多く、蜂や蛇など生徒に被害が出そうな動物にはしっかりと目を配っているのだ。

 パトリシアが休んだ実技の授業にアベルとリリスは出席していた。だが、なにか嫌な予感がして授業の終わりを待たずに、アベルはパトリシアを探して走った。

 そしてこのガゼボでパトリシアを見つけたが――彼女の死角に、鎌首をもたげる毒蛇がいたというのだ。


「うっわ、危ないじゃないですか」

「その蛇は、やはりパトリシア様を狙ってのことでしょうか」


 セインも難しい顔をして会話に加わる。王族が通う学園に毒蛇など、近衛として気になるに違いない。


「剣で刺したら、薄い色の魔法陣が浮かび上がって共に消えた。生きた本物の蛇ではなく、魔術で作り出した幻だったのだ」

 

 つまり故意で、しかもパトリシアに対する攻撃の一環だとアベルは言う。

 幻だから、本物ではない。しかし、それを魔術だと分からず「本物だ」と判断した者が被害に遭った場合は、本物と同様の幻覚痛がある。


 最初は本を落とす程度だった攻撃が、日を追うごとにダメージが大きいものになってきたことが、アベルの心配を煽った。


「王宮魔術師も一目置くほどの腕があるリリスなら、時間差や遠隔操作で発動する魔法陣を潜ませておくことも不可能ではないかもしれない、と考えるようになってな……」

「優秀なのはいいですけど、使う方向が物騒なのは困りますよ」

「ああ。いくら見張っていても意味がない。攻撃がそれ以上エスカレートする前に、どうしてもトリシャを学園から離さなければならないと、私は焦った」

「そうでしょうねえ。でも、誰かに相談しようとは思わなかったんですか?」

 

 パトリシア本人には無理だったとしても、たとえば王妃になら相談できたのではないかと尋ねれば、アベルは大きく首を振った。


「王太子妃としてトリシャ以上の適任者はいない。考え直せと諭されるに決まっている」

「まあ、それは言われるでしょうけど」

「止められたら……抗える自信がなかった」

「は?」

 

 ボソボソと言いにくそうに返される言葉に、カーラは眉を寄せた。

 

「えっ? いいからそのまま結婚しろって説得されたら、前言撤回して元サヤになりそうだから……っていうこと? 今までの苦労話はなに?」


 ――意味が分からない。

 あれだけ頑なな意志を見せていたのにどういうことだ、と思いっきり疑問符を浮かべるカーラに、アベルは焦ったように早口でまくし立てる。

 

「あ、呆れるな! こっちだってギリギリのところで必死に堪えているんだぞ!」

「わっけわかんない! 別れるの、別れたくないの? どっちなの!?」

「別れたくないに決まってるだろう! けれど、別れるしかないだろうが!」

「それなら、誰になんと言われようと別れなさいよ!」

「は? 人がどれだけ我慢していると思って!」

「知らないわよ、そんなこと。こっちだって任務不成功はもうお断りなんだから!」

「不成功とは一体なんの話だ!?」

「落ち着け、二人とも」

「「セイン、うるさい!」」


 立ち上がって言い合う二人に息ぴったりで勢いよく振り向かれ、セインが思わず後退る。と、その後ろに立っていたメイド姿のパトリシアの姿が露わになった。


「っ! まさか……トリシャ?」


 パトリシアの唇が動く前に、アベルがハッと息を呑む。


「はぁー、殿下はパトリシア様が声を出す前に見抜くんですねえ。どんだけ大好きなんですか」

「な、そっ」

「……お話を、聞かせていただきました」

「!」


 パトリシアの言葉に、大げさなくらいアベルの肩が揺れる。今にも死にそうな顔をしてうろたえる姿は、王子ではなくただの恋をする青年に見えた。

 自分とカーラを交互に見やって慌てるアベルから一度視線を外して、パトリシアがカーラに向き直る。

 心を決めた菫色の瞳が、変装用の眼鏡の向こうでしっかりと光を結んでいた。

 

「約束を破ってごめんなさい、カーラ。私にもやっぱり話をさせて」

「そうなりますよねえ」


 ふーっと息を吐くと、カーラはアベルの腕に残るアイビーをしゅるりと解いてやる。

 一歩下がって、パトリシアに場を譲った。


「どうぞ。もうバレちゃってますし」

「ありがとう」


 青灰色の瞳を丸くして凝視し続けるアベルの前に立つと、パトリシアは静かに深呼吸をする。と、スッと持ち上がったたおやかな右手が、ぱちんとアベルの頬に当たった。

 叩くとは言えない強さで、そっと両手でアベルの頬を包み込む。

 パトリシアの瞳から、透明な雫がぽろりと落ちた。


「ト、トリシャ……」

「アベル様に嫌われたのだと、ずっと思っていました」

「……すまない」

「私こそ……疑ってごめんなさい」


(あら? なんか良い雰囲気なのはなぜ?)


 頬に添えられたパトリシアの手を大事そうに掴んだアベルの、さっきまでどんよりとしていた青灰色の瞳が輝きを取り戻している。

 もともと仲のよい二人であり、今の状況は嫌いあった結果でもない。

 だがしかし、婚約の解消は決定事項である。パトリシアだってあんなに泣いていたし、アベルも別れの決意は固かった……はず。


(……嫌な予感……)


「あのー、ちょっと」

「シッ! 誰か来る」

 

 お互いを見つめ合う二人と、声を掛けようとしたカーラを、緊張感を纏ったセインの声が遮る。

 ガゼボに近づく人の気配を察し、全員が顔を見合わせた。

 


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