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19 王太子アベル・エインズ・セルバスター

 アベル・エインズ・セルバスターは国王夫妻の第一子として生を受けた。

 常に公人として他人から見られる立場のアベルは、物心つく前から王太子、そして未来の王となるべく育てられており、基本的に「私」というものに拘泥しない。

 私欲を始めほとんどのことを呑み込み、王家と国のために生きる彼が執着をみせた数少ないもの――それが、剣とパトリシアであった。


「――から、その表情がもう、ものすっっごく、可愛かったんだ! トリシャを見た瞬間、ライオネルから脳天に落とされた一撃よりも目の前が白くなって!」

「殿下、それは脳貧血では。っていうか、騎士団長ってば子供相手にどんだけハードな稽古してんですか」

「よいのだ、それほどライオネルを追い詰めることができたということだからな。いや、あの茶会は運命だったのだ、魔女よ。トリシャとの出会いは、女神リサンドラの導きに違いない」

 

(……さっきから、わたしは何を聞かされているのかなぁ)


 観念したアベルが「全部話す」と言うので大人しく傾聴しているのだが、幼少期のパトリシアとの出会いから始まって婚約にこぎ着けるまでの苦労、順調に交際を重ねた幸せな日々、そしてまた過去を反芻し……とループするメモリアルストーリーが一向に終わらない。

 噂に聞く溺愛は本物だったようで、呆れ顔のカーラにお構いなしに、アベルはここぞとばかりにパトリシアへの愛を語る。

 さっきまでの、手負いの獣のごとく敵意剥き出しだった王子はどこに消えたのだと思うほどの別人ぶりだ。

 滔々と流れ続ける胸が焼けそうな惚気に、セインは棒立ちのまま無の境地を極めた表情である。

 その後ろでは、すっかり顔を上げられなくなったパトリシアが、首まで赤くしてこれ以上ないほど小さくなって存在を消していた。

 やはり学園には来ないほうがよかったと思っているに違いない。


「殿下がパトリシア様を大っ好きなことは、よーく分かりました、はい」

「いいや、まだ語らせろ。トリシャの魅力を伝えきらなくては、これ以降の説明のしようがない」

「いえ、もう十分です。そもそもパトリシア様情報なら、わたしも詳しいですし」

「ほう、私よりもか?」

「そうですねえ、今日のお嬢様のペチコートの色とか」

「は!?」

「コルセットに付いているレースの柄なんかも知っていますよ」

「き、貴様……! その記憶、この場で消せ!」


 掴みかかる勢いで詰め寄るアベルを、カーラは半眼で押し返す。


「お話が済みましたら脳内より消去を検討します。あのですね、殿下、時間がもったいないので本題に入ってください。そんなにパトリシア様が大好きだったのに、リリスって子が入学してからの変貌はどうしてです?」

「……」


 カーラの問いに、アベルは心の底から嫌そうな顔をして言葉を詰まらせた。

 だが、それこそが聞くべき事情だ。


「あっ、手首のそれ、緩んでるみたい。絞めましょう!」

「い、いや、遠慮する」


 今もまだ手首に巻き付くアイビーを思わせぶりに指さすと、アベルは頬を引きつらせて、渋々頷いた。

 

「リリスはかなりの美少女だそうですね。色仕掛けにやられました?」

「まさか、ありえない」

「ですよねー」


 棒読みで返してしまったが、アベルは気にも留めていない。

 だが、パトリシアを蔑ろにしリリスを重んじた一連の行動については複数の証言がある。

 どう説明するのかと「パトリシア」の顔でじっとりと見つめると、大きく息を吐いて、アベルはようやく表情と声を改めて話し始めた。


「……半年前、リリス・キャボットが学園に入学した」


 学園は、一定以上の魔力がある者は身分に関わらず入学義務がある。

 在学中の授業料や寮費は基本的に国の負担だが、制服や文房具などは学生が各自で購入せねばならない。

 リリスは入学を強く推奨されるほどの魔力を持っていたが、裕福ではない地方在住の一平民だ。諸経費の負担が大きく、入学時期を延ばしていた。

 就学年齢には幅が認められているため、知り合いの在校生が卒業したら制服などを譲り受ける予定だったという。


「そういう話はよく聞きますね」

「セイン、そうなんだ?」

「ああ。騎士団も基本的に同じで、入ってしまえば出費はほぼないが、支度にはそれなりにかかる。遠方に住んでいれば、王都まで来る旅費も必要だしな。貴族から資金援助を受けることも可能だが、卒業後の奉公を求められるから、条件が合わなければ難しい」

「やだ、入学前から紐付きなんて、わたしなら絶対お断り」

「そう言うと思った」

 

 あっさり却下したカーラにセインが事もなげに返し、アベルも皮肉げに口の端を上げた。

 

「実際は、多少なりとも縁故がないと貴族側も援助しない。そんなことから、謝礼金目当てで裏で口利きをする者の問題もあって、優秀な学生にはさらなる援助をする特待生枠が今年から創設された」

「へえー」


 学生を貴族に秘密裏に斡旋しマージンを取るような者がいて、そこでのトラブルが表面化したのだろう。

 特待生試験は年に二回で、リリスはその第一期の特待生として入学してきたとアベルは話す。


「彼女は魔力量も多いが、それ以上に魔力を使う能力がずば抜けていた。独創的な理論構築や、描く魔法陣の正確さで、入学してすぐに王宮魔術師たちの目に留まった」


 気難しい者が多い魔術師たちが珍しく興味を示したが、「魔術より剣」のアベルはそこまでリリスに興味はない。

 次期国王として優秀な人材が増えることは喜ばしいと思ったが、それだけだった。


(あー、うん。パトリシア様もそんなふうに言ってたっけ)


 リリスは魔術団に招かれ、学園だけでなく王城でもアベルと顔を合わせるようになる。

 王城で働く者は貴族に限らない。身分の枷はあるものの、魔術団や騎士団は特に実力者が優遇される。

 そういった意味で、一臣下としても同じ学園の人間としても、リリスからの挨拶や会話をアベルが拒む理由はなかった。

 

「これまでも、次期王妃の座を狙う目的で令嬢が私に接近することは少なくなかった。でも、彼女にはそういった様子がなかった」

 

 リリスにはアベルを籠絡しようとする態度がなく、警戒の必要を感じなかったという。

 しかし、これまでパトリシア以外の女性と親しくすることが皆無だったアベルである。挨拶程度の会話でも、一部の者に誤解を与えることとなった。


「それまで、私に話しかけてくる平民の女性がいなかっただけなのだが」

「あー、それはそうでしょ、気軽に王子に話しかける肝の太い平民なんてそうそういません。それに殿下は、お若い貴族令嬢は最初からシャットアウトしてますもんね。で、普通に話していたら浮気だと思われたと」

「くだらない噂だと無視していたのだが……」

 

 しかし、リリスと話すようになって以来、パトリシアが軽微な事故に遭うことが増えた。

 

「何度も棚から不自然に本が落ちてきたり、なにもないところで躓くわけがない。私は見誤っていた。あの女の狙いは私ではなく、トリシャだったんだ」

「階段から落とされたとも言ってましたね」

「くっ」


 膝の上で握られたアベルの拳が震え、王妃と同じ青灰色の目が悔しそうに歪められた。


「リリス・キャボットは、貴族の後援のない特待生として入学してきた平民だ……しかし彼女は、ダレイニー伯爵領の出身だ」


 アベルの出した貴族の名前に、セインがハッとする。

 

「ダレイニー卿には娘が二人いましたね。年齢も、殿下と近かったのでは」

「あっ、もしかして、パトリシア様を排除して自分の娘を王妃にさせようっていう企み? それにリリスが加担しているっていうことかあ。透明な魔法陣とか、打ってつけだもんね」

 

 背後関係を推察して、カーラがぽんと手を打つ。

 ダレイニー伯爵は権力志向の強い野心家だそうだ。貴族院での派閥争いにも熱心で、多方面に手を伸ばしていると聞く。

 自己顕示欲も高い伯爵にとって、王太子妃、ゆくゆくは王妃の父という立場は垂涎だろう。

 しかし、パトリシアに惚れ込んでいるアベルに対し、直接ハニートラップを仕掛けても無駄である。そのためターゲットをパトリシアにしたのだ。

 パトリシアを亡き者に――もしくは大怪我をさせ、成婚を潰そうと画策したに違いない。

 

 王太子妃になるには本来、伯爵位では格が足りない。

 しかし、アベルとパトリシアの結婚は盤石と思われていたため、王家に釣り合う高位貴族の令嬢たちは皆、とっくに相手が決まっている。

 せっかくまとまっている仲を別れさせて禍根を残すより、下位の貴族まで妃候補の範囲を広げるほうがスマートだ。

 ダレイニー伯爵は、過去の議会でも妃候補の下限家格について意見を出していた。今回こそ妃選定の機会を作り、娘を送り込む腹積もりなのだろう。


(聞いてみればありがちー……なんて思っちゃダメだけど、そんなものかもなあ)


 権力志向の一切ないカーラには理解しがたいが、欲しい人にはどうしても手に入れたいものなのだということは分かる。


「家族を人質に脅されていたら、領主の命令には逆らえないでしょうね」

「その通りだ、セイン。しかもリリスには身体の弱い弟がいるそうだ。たびたび発作も起きると」

「あら……それじゃあ、領地をこっそり抜け出すのも難しいですねえ」


 地方では、遠くの王よりも領主の影響が強い。

 リリスの両親はただの小作人だ。つまり、地主である伯爵がリリス一家の生殺与奪の権を握っているということである。


「でもさ、その伯爵をどうにかすればいいんじゃない?」

「どうしてそんなに短絡的なんだ、お前は」

「はあ? セイン、なんでよ」

「いや、魔女よ。そもそも証拠がないのだ」


 パトリシアの事故は周囲に目撃者がいないときばかりに起こる。

 学園の警備員や公爵家のメイドを一日中同行させたこともあったが、なにも見つけられず、予兆もなかったと彼らは口を揃えた。

 透明な魔法陣も無詠唱に近い呪文の開発も、噂でしかない。

 現時点で確かなことは、リリスがダレイニー領出身だということ、ダレイニー伯爵が野心家なこと、そしてパトリシアに不可思議な事故が起こることだけだ。


 伯爵からの脅迫が事実であれば、リリスを問い詰めたところで認めはしないだろうし、それは領地にいる彼女の家族も同じこと。

 いくらアベルが王太子であっても、疑わしいだけでは伯爵を追求できない。

 必要なのは証拠だ。それには――


「……私は、トリシャを囮にすることを考えている自分に気付いて、愕然とした」


 先ほどまでとは打って変わった沈痛なアベルの声に、セインの背後でパトリシアが息を詰めたのが伝わってきた。


「私の絶望が分かるか? 自分の命よりも大事だと思っているはずの彼女を、ダレイニーの罪をあぶり出すために利用しようとしたんだ。しかもなんの躊躇いもなく、ごく自然にそう考えていた」


 幼いころより叩き込まれた帝王学は、大きな権力や支配力を擁する者の基礎だ。

 個人の心よりも組織の秩序と合理を優先させる教えが骨の髄までしみ込んでいた自分に、アベルは戦慄した。

 

「殿下。しかし他に方法が……」

「セイン、それだけではない。たとえ今回ダレイニーを退けても、同じようなことがまた起きないとどうして言える? 私はその度にトリシャを使うのか? どんな地獄だ、それは……!」


 今は戦時ではない。けれど、権力に魅せられた敵はいつでも現れる。

 腕に覚えはあるが、守ってやれると言い切れるのは剣でだけだ。自分の能力を超えた魔術を使われたら、アベルには太刀打ちできない。


「その時ようやく理解した。私と一緒にいることが、最もトリシャにとって危険なのだと」

 

 絞り出すようなアベルの声に、ガゼボの奥ではパトリシアが声を殺して両目を見開いていた。

 

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