18 落ち着いて話をしましょう
お互いに一歩も引かないアベルとセインを視界に入れながら、剣を向けられている当人であるカーラは不思議と落ち着いていた。
(へえ。一目で見破るなんて)
カーラは自分の変身魔法には自信がある。
実の両親でさえ見間違ったこのパトリシアの姿を「別人だ」と言い切れるのは、それこそ魔道具を使ったネティだけだと断言していいだろう。
婚約者とはいえ他人のアベルが、それも遠くからの一瞥でどうして見抜けたのかはさておき、証左と呼べるものはないはずだ。
それに、王子の目はカーラから離れずメイドには注意すら払っていない。そっちが本物のパトリシアだとはまったく気付いていないようだ。
それならば、問題ない。
立ち上がろうとして、倒れ込んだ自分を支えてくれているパトリシアの手が震えていることに気がついた。
(そういえば、パトリシア様は前にもこのガゼボで殿下から斬りつけられたんだっけ)
そのときは、怖いというよりもショックだった、と言っていた。
きっと今は純粋に恐怖のほうが勝っているだろうが、約束したとおり声も出さずに堪えている。
――これはいけない。
自分は魔女で、年上だ。守られるのはお門違いである。
カーラの頬の傷に気が付いたパトリシアが泣きそうになりながら渡してくるハンカチを受け取ると、にこりと笑ってみせた。
「大丈夫ですよ」
「で、でも」
「しっ、任せてください」
宥めるようにごく小さい声で囁いて、話さないで、と人差し指を唇に当てる。
食い込むほどの強さで肩を掴んでいたパトリシアの指をそっと外すと、ハンカチを握りしめて立ち上がった。
「目的の如何に依らず、身を偽って学園へ侵入した不審者は処罰する」
「殿下、お静まりを」
「止めるならお前も同罪だ、セイン!」
アベルは今も剣を鞘に戻す気配はなく、パトリシアに姿を変えたカーラを睨めつけている。
その視線はたしかに物騒なのに、どこか必死さを感じさせた。
(……ふーん?)
今も膠着状態が続く二人に一歩近づくと、「パトリシア」がよくするように、立てた指の背を唇に触れさせて小首を傾げた。
「お久しゅうございます、アベル様。婚約者にひどい態度ですこと。百年の恋も冷めてしまいますわね」
「貴様、いけしゃあしゃあと……!」
「私、とっても悲しいです。こちらをご覧になって」
セインの肩越しにカーラをまっすぐ注視して離さないアベルの顔の前に、カーラは手のひらを向ける。
「!!」
パッとカーラの手から雷のような閃光が発される。
光の直撃を受けたアベルの目が眩んで怯んだ隙にセインが剣を叩き落とし、カーラは丸めたハンカチを王子の口に突っ込んだ。
「ふむぐっ!?」
「声が大きくて怖いですわ、少しお黙りになって。セイン、そのまま抑えて」
「お、おい!」
王子をセインに拘束させたまま、カーラはガゼボの柱に絡まっていたアイビーをむしり取るとツルから葉を落とし、強化の魔法をかける。と、それでアベルの両手足を縛り始めた。
アベルも抵抗したが、さすがに体格の違う本職の騎士に拘束されては抜け出せない。ぎっちり縛って解けないのを確認すると、カーラはふう、と額の汗を手の甲で拭う。
束ねて縛るのは薬草で慣れているとはいえ、生体にするのは気分のいいものではない。普段、カーラの薬のメイン材料は植物や鉱物で、熊の肝ではないのだ。
「はあ、疲れた。肉体労働は予定にないんだけど、誰に苦情を言えばいいの」
「一仕事終えてサッパリした顔してるんじゃない! 殿下を縛るなんて、お前……!」
「だって、こうでもしないと話もできないじゃない。さて、殿下。わたしは王妃陛下並びにヘミングス公爵夫妻が認めた『本日限定のパトリシア・ヘミングス』として、彼の方々より依頼で参りました。ご了承いただけました?」
「――っ、――!」
アベルの声はハンカチに遮られて言葉にはならなかった。
疑わしそうな視線はまだそのままだが、セインも頷いてみせると剥き出しだった敵意は少しだけ減ったようだ。
カーラはさっさとベンチに腰掛けると、自分の隣に座るよう座面をぽんぽんと叩いて促す。
「まあ、立ち話もなんですし、ここにどうぞ。セインは奥に」
「……」
「あっ、もしかして強制的に言うことを聞かされたいタイプでした? それはヒアリング不足でしたねえ、うっかりしておりました。では失礼して」
「――ッ!?」
抵抗するように顔を背けたアベルにカーラが指先を向けると、足を縛るアイビーのツルがぎゅんっと伸び、膝までキツく締め上げ始める。
奥にいるパトリシアが声無く叫んだのが聞こえた。「元」とはいえ、好きだった相手が痛めつけられるのは嫌だろう。ごめんね、と思いながらも手は緩めない。
セインが止めに入る寸前、顔色を悪くしたアベルがようやく「分かった」と頷いて、拘束の威力を弱める。
「無茶苦茶だな……」
「殿下がいきなり物騒なんだもの。お互い様でしょ。ところでセインは肩、平気?」
「お前こそ」
「だからお前じゃない……って、ああ、そうね。今は『お前』でいいわ」
切られたのは頬の皮一枚だったようで、もう血は止まっている。パトリシアの姿で汚れっぱなしもよろしくないだろうと魔法で肌と制服についた血の痕を消すと、アベルとセインが揃って目を丸くした。
ついでにセインの肩も同じようにしてやる。
この傷は、カーラを庇って負ったのだ。それが護衛であるセインの任務だが、なんとも気分が悪い。
「傷は治ってないからね」
「……構わない」
治癒を促す魔法は魔力を膨大に使うため、現在変身魔法を使用中のカーラはそこまでの余力がない。
外見だけは取り繕えたが、痛みなどはそのままだ。薬師として、目の前の人が怪我をしたまま――しかも、その原因はカーラである――でいることが許せないが、力不足なのも事実だ。
(師匠だったら治せたんだろうな……)
腕利きの魔女だったヴァルネを遠くに感じ、ふて腐れたように少しだけ空を見る。
今のあれこれでかなり魔力を消費してしまい、変身していられる残り時間が短くなってしまった。アベルには見破られたが、パトリシアの姿でやらねばならないことはまだある。一分だって無駄にできない。
(はー、もう。さっさと済ませなきゃね!)
カーラに対する不審者の疑念は、多少晴れたらしい。
大人しくなったアベルの足を縛っていたツルを解いてやると、警戒しながらも、言われた通りカーラの隣に少し間を空けて座った。
もう暴れることもないだろうが念のため、手のほうはまだツルを巻き付けたままだ。
セインも落ちた剣を拾い、奥にいるパトリシアを隠すような位置に移動する。
攻撃しないこと、大声を出さないことを念押しして、カーラはアベルの口からハンカチをスポンと取り除く。喉が開放されたアベルは軽く噎せたあと、冷え冷えとした青灰色の瞳でカーラを見据えた。
「貴様、魔女か」
「改めまして、パトリシア(仮)でございます。本日のみ、お見知りおきを」
「なんだそのふざけた挨拶は!」
「いきなり斬りつけられて礼儀もなにも飛んでいきましたので、はい」
無礼には無礼を返すし、そうでなければそれなりに応じる。たとえ相手が王族だとしても、カーラの方針はブレない。
「……パトリシアは無事なのだな?」
「婚約者の不貞と狼藉により傷心中です」
「くっ」
しれっと答えるカーラにアベルが刺されたようだが、見なかったことにして話を進めていく。
「で、どうして別人だと分かりました? ヘミングス公爵ご夫妻とスコットさんのお墨付きだったんですけど。似ていますよねえ?」
「……似てはいるが……」
「『が』、なに?」
回答を濁すアベルにずいっと顔を近寄らせると、座ったまま嫌そうに後退られた。美しいパトリシアの姿だというのに、軽く失礼であろう。
「に、似ているが……似ていない」
「なにそれ。つまり直感?」
「まあ、そうだ」
「は? 勘で剣抜いて突っ込んできたの? 正気?」
「言い方」
「セイン、うるさい」
確たる証拠もなくあれだけまっすぐに斬り込めるのは、ある意味大したものだ。
しかし、今後の変身魔法の参考にできるかと思ったのに、ガッカリである。
「えー、なんの役にも立たないなんて」
「貴様の役に立たなくてなによりだ」
「偉そうで不愉快!」
「実際に偉い御方だからな」
「セインは黙って」
「なんなんだ、お前たち……」
この期に及んでいつもの応酬をするとは思わなかったが、緊張感のない二人のせいでアベルの眉間のシワが少し浅くなった。
「はぁー、もう。なんとなく、で本人じゃないと気付くなんて、パトリシア様のことめちゃくちゃ好きなんですねえ」
「ッツ……!」
大げさにため息を吐いてさっくりと言い切ると、アベルはびくりと肩を震わせて目の下を赤くした。
先ほど急襲してきたときの殺気はどこへやら、こうすると年相応の十八歳の青年に見える。
「あら図星。大好きな人のこと傷つけてなにやってんですか」
「だ、黙れ! 貴様になんの関係が、」
「おかげさまで巻き込まれて関係者です。事情はこのあと聞かせてもらいますけど、先に朗報を。パトリシア様と殿下の婚約は解消です。王妃様が決定なさいまして、先方のご両親からもご快諾いただいております」
「! ……そう、か」
遮って言うと、今度こそアベルの身体から力が抜けた。
「というわけで、音信不通の反抗期な殿下への連絡係を兼任してきた次第です。今度こそ、お分かりいただけました?」
「……ああ。すまなかった……セインも」
「おっと、いきなり殊勝。なにこれ同じ生き物?」
「不敬だぞ。殿下、かすり傷ですのでお気になさらず」
「つまり、アベル殿下渾身の一撃はセインにとって猫に引っかかれた程度だと」
「うっ」
「余計なことを言うな」
文句は言うが否定はしないセインにカーラは肩をすくめ、剣士として屈辱の追加ダメージが入ったらしいアベルに向き直る。
「ああそうだ、忘れる前に。アベル殿下にパトリシア様から伝言です」
「伝言?」
そうくるとは思わなかったのだろう。
意表を突かれたような表情のアベルにパトリシアの顔でにっこり笑うと、カーラはまっすぐに瞳を合わせた。
ガゼボの奥にいるパトリシアの様子はセインに遮られて見えないが、緊張している空気がなんとなく伝わってくる。
「アベル様のばか」
「……は?」
「いつも自分だけで考えて、一人で決めて」
「お、おい」
「力不足でごめんなさい」
「……」
「大好きでした。さようなら。――以上です」
もっと恨み言が出るかと思ったのに、パトリシアが考え考え、カーラに託したのはこれだけだった。
(本当に好きだったんだなあ)
最後まで「嫌い」という一言はなかった。
それはどうやら、目の前の王子も同じらしい。
「……トリシャ……」
パトリシアの顔と声で再現されたメッセージにアベルは顔色を失くし、そのまま項垂れた。




