15 決行当日
カーラはその晩、公爵家に泊まることになった。
制服に関するあれこれその他の聞き取りが終わったころには日も暮れかけていて、夕食の招待に与った。
その際、寮から戻って以来ずっと部屋に閉じこもっていたパトリシアが、なんと「カーラと一緒なら」部屋から出て、家族と一緒の食卓を囲んでもいいと言ったのだ。
話したことで少し気が軽くなったのと、完全な部外者であるカーラの存在が部屋を出るきっかけになったらしい。
縋るようなパトリシアの表情と、お嬢様命の執事スコット氏の期待の眼差しに、さすがのカーラも押し負けた。
だが、庶民一人暮らしのカーラは、貴族の夕食は遅くに始まるということを知らなかった。
食事が終わったのはもうすっかり夜で、明日は朝から学園だ。
パトリシアに成り代わるカーラは、公爵家の馬車に乗って学園へ向かう必要があり、結局このまま泊まったほうが面倒がないとなった。
(ちょこっと王宮に行って帰るはずが、公爵家にお泊まりだなんて……アンジェみたいにカードや星が読めれば、こんな未来が分かったかなあ)
王都にいる魔女のひとりであるアンジェは、占いを得意としている。彼女は、自分のことは占わないと言っていたから、やっぱり分からなかったかもしれないが、とりあえず今朝の自分に「ありえないことがあるぞ」と教えてやりたい。
気にかかるのは、開店準備だけして放置してきた路地裏の薬局だ。
とはいえ、二階で栽培中の薬草はネティ謹製の便利魔道具が水やりや採光を自動で行ってくれるし、建物全体には防犯の魔法がかかっている。
(どうせ薬を買いにくるお客さんもいないから、一日二日空けたところで問題はな……いや! 問題ないって、それはそれでどうなの! ダメでしょ!)
改めてしょぼくれた気分になったが、事実である。
閑古鳥が鳴いていたカーラの薬局にリタが訪れたのは、金だけ取ってろくに診察もせず仮病としか言わない医師への当てつけだったのだろうとカーラは思っている。
内心で涙を堪えつつ、豪華な客用寝室でふわっふわの寝台に腰掛けて豪勢なディナーを思い出す。
久しぶりに娘が姿を現したことで泣くほど大感激の公爵夫妻には何度も礼を言われたし、キッチンも張り切ってデザートが三種類も出たほどだ。ここがレストランだったら、カーラの食費の一カ月分が飛んだだろう。
マナーを気にせず、と言われたのは社交辞令だったかもしれないが、こちとら魔女である。額面どおりに受け取り、実に気ままに食事を楽しんだ。
ようやく学園での顛末を娘本人の口から聞けた公爵夫妻は、時に憤り、時に同情を浮かべて、パトリシアの思うようにしなさいと結んだ。
セインも恐縮しつつ食事は一緒に摂ったが、夜は騎士団の宿舎へ帰ると言う。学園へ行くときは、セインは護衛という立場上、今日は着ていない騎士服で同行する必要があるからだ。
朝、迎えに来るから勝手に行動するなと耳にたこができるほど聞かされた。
早いところ終わらせる気は満々だが、我先にと学園に乗り込むほどの勤勉さはない。心配無用であると胸を張れば、複雑そうな顔をして真面目な騎士は公爵家を後にした。
そうして、いよいよ入れ替わり決行の朝である。
告げた時刻きっかりに来たセインの前に、公爵夫妻とパトリシアが現れた。
「セイン、今日はよろしく頼みます」
「はっ」
制服姿のパトリシアに騎士として礼を取るものの、その眼は公爵一家を認めただけでさっと周囲を見回した。
「誰を探しているの?」
「あいつ……いえ、カーラは」
この玄関にいるのはセインとパトリシア、そして公爵夫妻に執事のスコット、あとはパトリシアの鞄を持って控えるメイドだけである。
カーラからは、変身魔法には時間制限があると聞いていた。だから出発直前に、セインが来てから姿を変えると決めた。
しかし、この場にカーラの姿がない。
まさかおじけづくとは思えないが、なにかトラブルがあって遅れているのかと奥の階段や周囲を確認するが、誰の姿も見当たらない。
不審を漂わせ始めたセインに、パトリシアがゆったりと微笑みかける。
「まあ、セイン。心配しなくとも、カーラならおりますわ」
「失礼ですが、どこに」
「ここよ」
目の前のパトリシアが、形の良い唇にほっそりとした人差し指の背を斜めに当てて微笑む。それはセインも覚えがある、彼女がリラックスしているときにみせる仕草だ。
楽しそうに細められた菫色の瞳に、きらりとイタズラっぽい光が宿る。
「……は?」
「わたしの変身魔法はいかが、騎士サマ?」
「はあぁ!?」
「あっははは! そう、わたくしがカーラですのよ!」
目の前の、どこからどうみてもパトリシアな令嬢は変身したカーラだった。たしかに、こんなふうに大口を開けてパトリシアは笑わない。
背後のヘミングス夫妻も、満足そうにうんうんと頷いているが、セインはまだ目を白黒させている。
「い、いや、だが、声も」
「完璧でしょ」
「驚かせてごめんなさいね、セイン」
「パ、パトリシア様っ!?」
「ふふ、私も別人みたいでしょう」
うろたえるセインと胸を張るカーラの前におずおずと微笑みながら近づいたのは、鞄を持った地味メイド――ではなく、パトリシアだ。
前髪が重めの茶色のボブヘアに、黒縁の眼鏡。髪はカツラで、本人より少し濃いめの肌色とソバカスは化粧だという。
「お化粧でかなり印象が変わるのね。わたくしもこんな娘は初めてで驚いたわ」
「元が良いですから、地味にしても可愛らしいですねえ」
「まあ、恥ずかしいわ」
うふふ、ほほほ、と笑い合う女性陣は非常に楽しげである。
「あのね。わたしとパトリシア様って、身長や髪の色がだいたい同じでしょ」
「それがどうした」
「けっこう長時間、変身できそうだなーって」
パトリシアのほうが色が鮮やかで巻き毛だが、二人とも金髪で長さも揃っている。身長はほぼ同じでセインの肩ほど。カーラのほうが痩せているが、手足の長さなど骨格は似ている。
魔法で変身するとき、当然だが本来のカーラ本人との差が大きいほど魔力を消費する。つまり、変える部分が少なければ少ないだけ使う魔力が少なくて済み、その結果、変身状態を保持していられる時間が増えるのだ。
ベケット伯爵夫人に成り代わったときは、年齢も違うし髪は黒いし身長はかなり向こうが高いしで、短時間勝負をせねばならなかったが、今回は違う。
パトリシアにだったら半日以上大丈夫だろう。
「それなら、先に変身しておいて、事情を知っている人でちょっと試してみようっていう話になって、急遽予定変更」
「利用するようなことをしてごめんなさいね。実は、わたくしも旦那様もすぐには見破れませんでしたの」
しゃあしゃあと話すカーラの横からマリー夫人に申し訳なさそうに口を挟まれれば、セインも予定と違うなどと怒ってはいられず渋々文句を呑み込んだ。
最初、制服姿のパトリシアが二人並んだときはどっちが本物だか、親でさえ分からなかったという。
スコットも悔しげに深く頷いているところを見ると、彼もカーラの変身を見抜けなかったのだろう。
昨日でかなり特徴を掴んだらしく、仕草も付け焼き刃とは思えないほど寄せている。
これならばアベル殿下にもバレないだろう、と身内のお墨付きだ。
「へへーん、護衛騎士サマまですっかり間違えるなんて幸先いいね!」
「パトリシア様の姿と声で、品のない喜び方をするな」
「ねえねえ、セイン君さあ、明日からの業務だいじょぶ? 護衛対象、間違えないでよ?」
「余計なお世話だ」
ニヤニヤとセインを揶揄ってくるカーラを睨むのは忘れない。が、セインはハッと気が付いた。
予定では、パトリシアは自宅待機のはずだった。しかし今、このお嬢様は公爵家のメイドに変装している。
高位貴族の従者が学園へ同行することは珍しくない。しかも、長く休んでいたパトリシアに護衛と世話役が複数つくことはむしろ自然だ。
あれだけ「アベルと顔を合わせたくない」と渋っていたパトリシアだが――
「あの。パトリシア様がこの格好をなさっているということは、もしかして……」
「ええ、私も学園へ参りますわ。よろしいでしょう?」
「はっ、いや、それは」
承知したいが、王妃からの下命はカーラの同行――護衛だ。
荒事になる確信はないし、二人いっぺんに守れなくもないが、相手は騎士団長さえ負かす王子と優秀な魔術師である。もしアベルとリリスの二人が同時にかかってきたら、隙ができてしまうに違いない。
しかし……近衛騎士の本分は王族に連なる貴族の守護である。惑いを見せたセインに、カーラが不敵な笑みを浮かべる。
「腕のいい騎士サマは、護衛対象が増えたところで余裕のはずよねえ。ま、もしなにかあれば、わたしよりパトリシア様を優先して」
「カーラ?」
「こうみえても魔女なので。魔術師には負けないの」
目を見張るセインに、唇に当てた指先に息を吹きかけるようにしてみせる。
同じ指と唇でもさっきのパトリシアの仕草とは違い、初めてセインが来たときに薬局の扉を消した魔法のように、だ。
(まあ、言っても落ちこぼれだけどね! ハッタリ大事よ、ネティに怒られちゃうから!)
魔女が魔術師に遅れを取るなどと冗談でも認めたら、ネティのお小言三時間コースだ。しかも、東の国での正しい座り方だという端座のおまけつきで。ほんと、あれは勘弁してほしい。
「わたくしと主人からもお願いしますわ。娘が学園で危ない目に遭っていたことを知らなかったなんて、親として不甲斐ない限りです。でも、だからこそ、娘のやりたいようにさせたいと決めましたの。ね、あなた」
「ああ、その通りだ」
「私……自分の目で見て、聞いて、前に進みたいのです」
「パトリシア様」
公爵夫妻と並んで、パトリシアはぎゅっと鞄を抱きしめて真剣な表情で訴える。菫色の瞳には強い意志があり、昨日見せた不安げな令嬢はもういなかった。
瞬きをひとつしたセインは小さく息を呑む。
「……分かりました。そんな事態にはならないと思いますが、万が一の際はこの身に代えてもお護りいたします」
「ありがとう、セイン」
花が咲くように笑ったパトリシアに公爵夫妻が目を細める。
そうこうしているうちに出立の時間になり、三人は馬車に乗り込んだ。扉側の席にいるパトリシアに扮したカーラに、マリーが声を掛ける。
「魔女様。わたくしたちからの感謝を先にお伝えしておきますわ」
「御礼なら今日戻ってからまた聞かせていただきたいですね。そうそう、王宮へ報告に行くときは、ご両親も同行いただけます?」
「ええ、もちろん。では、いってらっしゃい。皆様にリサンドラの輝きがありますように」
「公爵夫人の許には、アズダネルの導きを」
見送りの常套句に別の口上で返したカーラに、マリーは一瞬後に眉を下げ、ふっと微笑んだ。
二人の問答に、セインの胸が僅かに違和感を覚える。
「……?」
「なに、セイン?」
――王宮で、王妃との別れの際にも似たような光景があった。
ただの辞去の挨拶だ。愛の女神に知恵の男神の名で応えることは、なにもおかしくはない。実際、カーラもパトリシアも気にせず背もたれに身体を預けている。
「……いや、なんでもない」
「ふうん? ま、別にいいけど」
セインだけが抱える疑問をそのままに、馬車は学園へ向けて走り出した。




