13 お茶会という名の事情聴取(上)
これまでも、王太子であるアベルに言いよる女性がいなかったわけではない。
しかし、パトリシアは公爵令嬢であり、容姿端麗、頭脳明晰。なおかつ、公的に認められた正式な婚約者である。さらにアベルとの関係も良好とくれば割って入る隙も勝ち目もない。
万が一の儚い望みをかけて近寄ってはみるものの、やはりパトリシアに全方向で敵わないと理解してそそくさと去るのが常だった。
もちろんパトリシアも牽制しつつ相手を見極め、自身の近くに引き入れ人脈として管理したりと、王妃仕込みの社交術でさばいていた。
だがそれも、他の女性からのアプローチにアベルがまったく応えない、という事実があってこそ力を発揮する。
アベルの婚約者への溺愛は有名で、パトリシアに不用意に声をかける男子生徒がいれば大惨事不可避と恐れられるほどだった。
それというのも、表向き政略での婚姻となっているが実は、パトリシアに一目惚れしたアベルが、渋る公爵夫妻を説き伏せて押し切った婚約だったのだ。
引っ込み思案でおっとりした少女だったパトリシアは最初、この婚約に乗り気ではなかった。
しかし、アベルは現王に似て愛情表現を惜しまないタイプだった。まっすぐな好意を溺れるほど浴びせられて、パトリシアも徐々にアベルに淡い好意を抱くようになり、今ではすっかり恋心へと育った。
「パトリシア様はヘミングス公爵家のひとり娘。本来なら王太子妃になどならず、然るべき筋から伴侶をお迎えして公爵家を継ぐべき御方なのです」
「なるほどー」
「そのように、無理を通しておきながら……!」
忠誠心溢れる公爵家の使用人であるスコットは、王家よりも国よりも、ヘミングス一家を絶対としている。王太子との婚姻には一貫して不満を持っており、カーラにもそう鼻息荒く訴える。
もしアベルに見染められなかったら、パトリシアは控えめな性格のまま、親の選んだ無難な相手を婿に迎えて領地で穏やかな日を過ごしただろう。たしかに、王家に嫁し、王妃となるよりそのほうがよほど心安いし家も安泰だ。
けれど、パトリシアはアベルの手を取ることを決めた。
生涯の愛と慈しみを誓う言葉とともに婚約が結ばれた後も、厳しい王太子妃教育に挫けては何度も泣いた。その度に、やはり王太子としてより過酷な学びを受けていたアベルと励まし合い、手を取り合って進んできた。
聡明で自立したパトリシアの今の姿はすべて、アベルの隣に立つための血が滲むような長年の努力の賜物である。
だというのに――
「来月挙式という土壇場でコレですもんね。ひっどい話です」
「そっ……ですわ……!」
ティーポットから紅茶を注ぎながらのカーラの容赦ない指摘に、ようやく泣き止んだパトリシアがまたハンカチに顔を埋めた。
「カーラ。少しは言い方ってものを考えろ」
「えー、セインにだけは言われたくない」
いったん落ち着こうということになって、今は皆でお茶のテーブルを囲んでいる。
執事のスコットも一緒の席についているのはパトリシアの希望だ。まだ両親とは顔を合わせづらいが、家の人間がいること自体は安心するらしい。
閉じこもりから少し心を開いたようで、他人事ながらカーラもホッとする。
(しかしまあ、溺愛からいきなりの心変わり……なかなかの案件だなあ)
これまでの離婚代行でも浮気の疑いはあったが、ここまで唐突、かつ、あからさまではなかった。
パトリシアの恋愛経験は幼少からアベルひとりである。その相手にこんな仕打ちをされたら、すっかり参るのも当然だろう。
そんなことを思いながら、カーラは淹れ終わった紅茶をパトリシアに渡す。
「……いい香りだわ」
「茶葉にカモミールと矢車菊を加えています。ああ、蜂蜜はルリジサです」
(魔法石は用無しになっちゃったけど、お茶も用意しておいてよかったあ)
魔法をかけるとき、相手が構えていると効きが悪い。扉を開けたり鍵を掛けたりは余裕だが、対人の魔法は魔力だけでなく繊細さも必要となり、薬と同じくカーラは絶対の自信が持てない。
もし複雑な魔法を依頼された場合に備えて、念のためにリラックスできるような茶葉を準備していたのだ。
小さいながらも重量級だった鞄の中身がまるまる無駄にならなくてよかったと、報われた気分である。
「魔女の特製ブレンドね」
「おいしいですよ」
「……ええ。なんだかほっとする味だわ」
ふう、と息を吹きかけながらカップを傾けるパトリシアの頬が緩んで、カーラも自然と微笑む。
執事もにこにことお茶を受け取る一方で、セインだけは不信そうな顔でカップの中の液体を凝視している。
お湯や茶器は公爵家のものだし、目の前で淹れたのだから怪しむ要素はないはずなのに、疑り深いことである。
(ええい、コイツの分だけすっかり冷めてしまえ! ってか、それより、問題は殿下たちだよね。事情を確かめるのは当然として……)
「ね、パトリシア様。わたしが学園に行ったら、殿下とリリスって子にとびっきりの[悪夢]の魔法をかけましょうか? 王妃様には内緒でオプションサービスにしておきますよ」
「そ、それは後味が悪いから止めておくわ」
「えっ、慈悲深い! まるで女神リサンドラのよう」
「まことに! うちのお嬢様が尊すぎる……!」
「ちょっ、ちょっと二人ともっ」
無料でやってあげようという仕返しの提案を却下するなんて、驚くほど心が清い。残念がるスコットと共にパトリシアを拝んだら嫌がられてしまった。
(もし、わたしが裏切られたら、遠慮なくお見舞いするけどなあ。でも[悪夢]だけじゃ甘いよね、朝起きたらおしまいだもん。あっ、あれを試してみようかな、話すたびに口からヘビや毒虫がでてくるやつ!)
「カーラ、物騒な考えが声に出てる。ご令嬢を怯えさせるな」
「む、虫を巻き散らされたら、近くにいる人が大変だわ」
「だめ? じゃあ、めちゃくちゃ口臭がするようにしちゃいましょうか? ノーブル美男子だいなしー」
「それも周囲のダメージのほうが大きいだろう。やめておけ」
呆れてみせるが「利き手を折れば」などと呟いているセインのほうが物騒ではないだろうか。
でも、そんな馬鹿話が良かったのかもしれない。パトリシアの表情からまたひとつ強張りが取れた。
「まあ、仕返しは置いといて、この婚約は解消で正解ですよ。皆さん同意されていますし、殿下だってそのつもりでしょう。だとすると、あとは事情調査と事務手続きだけですね」
さくさく進めよう、と言うカーラにパトリシアはまた憂いを湛えた瞳を伏せた。
「……みんなに迷惑をかけてしまって……」
「パトリシア様が気に病むのはお門違いですよ。悪いのは向こう」
「そうです、そうです!」
カーラだけでなく、スコットに力強く言い切られても、自分と王太子の婚礼に向けて周囲がどれだけ準備をしてきたかよく理解しているパトリシアは憂鬱そうに眉を寄せる。
「気にしない。文句を言う人は立場や負担を代わってくれないし、パトリシア様の人生に責任を負いません。無視でオッケー」
「……そうかもしれないわね」
ふっと寂しそうに微笑むパトリシアの表情は、母である公爵夫人のマリーに重なって見えた。
気が強そうな顔立ちをしているが、本来の彼女はこちらが素なのであろう。これまで無理をしてきたのかもしれないと、カーラは思った。




