12 令嬢パトリシア・ヘミングス
愛娘であるパトリシアが引きこもってしまったことで、公爵邸は沈んだ雰囲気だった。
その静かでなんとなく暗い廊下を、執事に連れられて場違いな二人が騒がしく進む。
「お前、さっきのはいくらなんでも失礼だぞ」
「お前じゃない、カーラ」
「そんなこと言ってる場合か! いくら王妃陛下の命とはいえ、公爵夫人にあんな――」
「わたしだって聞きたくて聞いているわけじゃないし。王妃の座争いとかゴシップとか、ひとっつも興味ないもん」
「じゃあ、なんで」
「と、到着いたしました。こちらがパトリシアお嬢様のお部屋でございます」
執事にこわごわと声を掛けられて言い合いは止まったが、まだ不満そうなセインを横目にカーラは扉をノックする。
「こんにちは、パトリシア様。薬師の魔女のカーラといいます。王妃陛下の命で伺いました」
真鍮のドアノブには鍵がしっかりかかっている。
ドアの向こうでカタリとなにか動いた音がしたが、当然のように返事はない。
「アベル殿下との婚約についてなのですが、開けては……くれないですよねえ。なので、勝手にお邪魔します」
「おい、カーラ」
「十数えますから、もし下着姿とかなら、その間になにか羽織っといてください。では、いーち、にーい」
「魔女殿? か、鍵はお嬢様が内側から……」
「よーん、ごーお」
部屋の中からも戸惑う空気が伝わってくる。
背後でセインと執事がなにやら騒がしい中、カーラはカウントダウンを続行する。
「きゅーう、じゅう。はいオープン」
ドアノブを掴む手に、しゅっと魔力を流す。ほわりと輝く光の粒が扉全体を薄く包むと、カチャリと鍵が開いた。
「な、なんと……!」
開かずの扉だったパトリシアの部屋のドアがいとも簡単に開いたのを見て、執事が驚愕を浮かべる。
セインも驚いたようだが、王宮魔術師の似たような仕事ぶりを知っているからかそこまでではなく、確かめるように小声で聞いてきた。
「魔法か?」
「そう。扉に協力してもらったの」
「扉?」
「この扉は家思いで住人思いだから、解錠も早かった」
「そうなのか……?」
なんとなく不思議なことをしていると思われがちな魔女の魔法は、自分の持つ魔力で生物、植物や鉱物、その他ありとあらゆる物に働きかけることから始まる。
魔女それぞれが持つ適正によって相性のようなものが魔法にはあり、得意な方向が変わってくる。
やり方も様々だが、落ちこぼれのカーラだって扉に鍵を開けさせるくらいはわけもない。
学べば身につく魔術とは元の成り立ちが違うから、理解はされにくい。
セインはまだ知りたそうにしているが、本題に入らせてもらおう。
「お邪魔しまーす」
扉を大きく開けて中に入る。パトリシア嬢の部屋は二間続きのようだ。
手前の部屋に置かれたソファーセットには蓋を被せたままのシルバーのトレイと、乱雑に積まれた本があった。
見える範囲に令嬢の姿はない。
「あ、あのっ」
「文句は王妃様に言ってねー」
戸惑う執事に適当に返事をしつつ、勝手に広い部屋をずんずんと進む。と、奥の間に人の気配があった。
「見ーっけた」
「なっ、あ……貴女っ」
立つか座るか隠れるか迷ったのだろう。ベッドの傍で、金髪の令嬢が中途半端に腰を浮かせた姿勢で固まっていた。
間の悪いタイミングで容赦なく侵入したカーラたち三人とばっちり目が合い、令嬢の顔が赤くなる。
「改めまして。薬師の魔女のカーラです」
「パ、パトリシア・ヘミングスよ……!」
「素敵。そこの近衛騎士サマに爪の垢を煎じて飲ませたい礼儀正しさ」
「おい」
十八歳と聞いていた年齢よりも大人びた容姿のパトリシア嬢は、盛大に狼狽えながらも不審者であるカーラに名を名乗った。律儀である。
着ている部屋着がシンプルなワンピースだったこともあり「王太子妃候補の公爵令嬢」と聞いて思い浮かべる気位の高さは感じない。
鮮やかな金色の髪とキツめの顔立ちは、父の公爵譲りだろうか。
可憐な母親のマリー夫人と似ているのは菫色の瞳くらい。優秀そうな雰囲気は、むしろサンドラ王妃に似ているかもしれない。
「寝込まれていなくて安心しました。お母様や王妃陛下はじめ、皆様が心配していたので」
「……病気じゃないもの」
「でも、病は気からといいますでしょう。治療が必要なほどの衰弱や栄養失調はなさそうでよかったです」
目の下にクマはあるし、頬も不自然に細くなっている。
とはいえ、憔悴具合はマリー夫人のほうが上かもしれない。食事や睡眠は足りていないだろうが、若い分、体力もあるのだろう。
昼間のこの時間に起きて着替えもしているなら、精神的にもまあ大丈夫だ。
執事のスコットは、久しぶりに会えた令嬢に安心したのか「ご無事でよかった」と目を潤ませて洟をすすっている。
「ご家族や執事さんに心配をかけるのは下策ですよ」
「放っておいてよ……」
口では強がっているが、パトリシアは気まずそうに執事から目を逸らした。心配されていたと知ってちょっと嬉しそうに見えるのは、気のせいではないだろう。
(大丈夫そうね)
職業上、目の前の人の不調は見過ごせない。カーラの薬は味や副作用のせいで売れないが、効果だけはある。
しかし、麗しい令嬢のきれいな顔をくそまずい薬で顰めさせるのは心苦しい。使わないにこしたことはない。
「それでですね。王妃様から、あなたと王太子殿下の婚約をいい感じに解消してこいって言われたんです」
「酷い説明だな」
「セイン、うるさい」
セインはしかめっ面で額を押さえているが、そうとしか言いようがない。
「あれこれ聞かれるの嫌だろうけど、わたしも面倒なんで。さっさと終わらせちゃいましょ」
「め、面倒って、魔女殿!」
「立ち話もなんですから、お掛けになって」
「そのセリフは相手が違うだろう」
「二人とも、うるさい」
執事とセインをいなし自分より二つ年下の令嬢に向かってにこりと微笑むと、勝手にそのへんにあった椅子を引き寄せて座り、パトリシアにもそのままベッドに腰掛けるよう勧める。
「……王妃様は、私の手紙を読んでくださったのね」
「婚約解消をお願いする手紙のことですか。ずいぶん残念そうでしたよ」
「文官の誰かが来ると思っていたけど、まさか魔女が寄こされるとは思わなかったわ」
カーラのマイペースなやる気のなさっぷりが伝わったのか、パトリシアは脱力したようにため息を吐いてベッドに腰をすとんと下ろした。
「わたしもびっくりです。婚礼のお祝い魔法のご用命かと思ったら、その逆だなんて」
「……悪かったわ」
そのまま、これまでの経緯とこれからの予定を説明する。
カーラが変身魔法ができること、それを利用してパトリシアの代わりに学園へ行って事情を調べるのだと言うと、令嬢の顔が強ばった。
「だ、ダメよ、そんな!」
「あっ、やっぱりなにか危ない目にあったんですね」
「っ!」
しまった、というように口を手で押さえるが、ばっちり聞いてしまった。
ちらりとセインを見上げると目が合って、向こうが話を引き受ける。
「失礼します。パトリシア様、具体的な被害を教えてください。場所は、時間は? どういった状況で? 目撃者は?」
「やだー、事情聴取みたい」
「うるさい、カーラ」
職務上の癖が出るのだろうが、もうちょっと気の利いた聞き方があるだろう。
この騎士、見てくれは良いがやはりデリカシーに欠ける。絶対モテない、と呟けば、キッと横目で睨まれた。
「教育の場、その鑑たるべき学園で危険が放置されているなど見過ごせません。パトリシア様、ぜひに証言を」
「え、っそ、それは……っ」
「さあ!」
一歩前に出たセインの気迫に押されるように、パトリシアはしどろもどろに答える。
「そ、そういう危険では、いえ、そういう危険もあるけど、でも、あの……!」
「パトリシア様。具体的に」
顔が青くなったり赤くなったり忙しい。心を落ち着けるハーブティーでも用意すべきか。
「ア、アベル殿下に『近寄るな』って剣を向けられたり、リリスさんに魔術攻撃をされたりはしましたけど、そんなことはどうでもよくて!」
「うわ、思いのほか物騒!」
そんなことなんかではないだろう。
カーラは驚いたが、それより後ろに立つ執事スコット氏が発した殺気がすごい。さっきもパトリシアの無事な姿に涙を滲ませていたし、主人思いの使用人だ。
セインは憤慨を隠さず、まだパトリシアに向き合っている。
「リリス、というのが殿下と関係のある平民の娘の名ですね。しかし、そんな暴行がまかり通るような警備状況だとは……今の責任者は誰だ?」
「ち、違うわ。警備はしっかりしているの、でも、あの……殿下を咎めることは難しいし、それにリリスさんは隠密的な魔術が得意で警備の人は気付いてもいないから」
「……なんと、お嬢様……!」
辛抱堪らなくなった執事はパトリシアに駆け寄ると傍に跪き、涙目で主家の令嬢を見上げる。
「おっしゃっていただければ、我らがお救いに参りましたのに! 旦那様や奥様だって!」
「……そうね。そうすればよかったのかもしれない。でも、周りに誰もいないときだったし……それに、スコットも知っているでしょう? 私、防御の魔術は得意なの。実際、怪我はひとつもしていないわ」
「それでもです!」
「あー、ちょっといいですか?」
学園の穴だらけな警備に憤るセインも、令嬢の危機に気づけなかった執事の気持ちも分かるが、カーラは先ほどのパトリシアの言葉のほうが気になった。
「お嬢様、さっき『そんなことどうでもいい』って言いましたけど。じゃあ『どうでもよくないこと』は、なんです?」
「そ、それは」
「内緒はダメ。この際だから、全部ぶちまけちゃいましょ」
カーラに離婚代行を依頼してきた女性たちは皆、大量の「言えなかった不満」を抱えていた。
内容はいろいろだったが、言葉にできず腹に呑み込みすぎたあれやこれやを吐き出さねば先に進めないというのは全員に共通していた。
カーラの淡々とした尋ね方に少し落ち着いたのだろう。パトリシアは執事の手を握りながら、おずおずと口を開く。
「あの……殿下とリリスさんが……その、二人っきりで……」
「あっ、浮気現場を見ちゃったんですね。なにしてました?」
消え入りそうな声が、婚約者の不貞を告げる。
怒り燃料を追加されて燃え上がる執事を眺めながら、カーラはより踏み込んだ質問をした。今後の婚約解消の進み方にも影響する事実確認は大事だ。
「……校舎裏の、滅多に人が通らない一角にガゼボがあるのですが……そこで、アベル殿下の隣にリリスさんが座っていて、その、頬に……キ、キス、を……」
「リリスさんが殿下にキスしてた? 似た人ではなく?」
「はい。殿下は後ろ姿でしたけれど、見間違えることはありませんわ」
こくりとパトリシアが頷く。それまでも、パトリシアを差し置いて腕を組んで歩いたり、見せつけるように二人だけで昼食を摂ったりと、やりたい放題だったという。
「リリスさんが入学してきたときは、優秀な子が入ったねって話していたのです。将来は王宮魔術師になって国を支えてくれたらいいね、って……それだけだったのに」
距離を縮めたのはリリスからだった。王太子が常に持っていたはずの警戒心はいつの間にか解け、するりと懐に入り込み、二人でパトリシアを排除するようになった。
令嬢の菫色の瞳からぽろぽろと雫が落ちる。
「変わってしまったアベル様を、これ以上見たくなくて、私……」
「それで学園に行きたくない、と。なるほどー。パトリシア様は殿下のことがお好きなんですねえ」
「……!」
あっさりと言い切られて、パトリシアがひゅっと息を呑み――わっと声を上げて泣き出した。




