11 ヘミングス公爵家
カーラたちの訪いは、用意周到な王妃によって知らされていたようだ。
公爵邸の豪華で頑丈そうな鉄の門扉はいとも簡単に開かれ、美しく手入れされた前庭を通りエントランスで馬車から降ろされる。
フットマンが開けた扉から邸内に足を踏み入れて、その煌びやかさにカーラはぽかんと口を開けて見入った。
(はあー、すっご……絵や花だけじゃなくて彫刻まで飾ってある)
王宮はそもそも城だし、他国からの賓客も迎えるから豪華なのも分かる。
しかし貴族の家もずいぶんと贅沢だ。比べればカーラの薬局はウサギ小屋に見えるだろう。
(だからといって、ここに住みたいとは思わないけど)
「……でも、あれだけ階段が長ければ、いくらでも手摺りに薬草を干せそう」
「国で三指に入る公爵家に来て、そんな貧乏くさい感想を聞かされるとは」
「まさか、天気に左右されない干し場がどれだけ有用か想像できない? これだから脳筋は」
「脳筋だと?」
「薬師の魔女カーラ様、近衛騎士団ハウエル副長。ようこそお越しくださいました」
きらびやかな玄関ホールで言い合っていると、上等なお仕着せの使用人がさっと近づいて恭しく頭を垂れた。
すっきりとした容姿の中年男性はスコットといい、ヘミングス公爵家の執事だと自己紹介をする。
「ご案内いたします。こちらへどうぞ」
公爵は仕事で不在だが、公爵夫人のマリーが会うという。
カーラの目的である令嬢パトリシアは、部屋に籠もって面会拒絶中。それゆえ、まずは保護者から話を聞くようだ。
案内された応接室では、すでにマリー夫人が待っていた。身なりは整えているがやつれた様子が隠せておらず、カーラを見るとほっとしたように頬を緩める。
「あなたが魔女様……! はじめまして、マリー・ヘミングスですわ」
「カーラです」
「セインも足労でした」
「いえ」
挨拶もそこそこに着座を勧められる。遠慮なく腰を下ろしながら、カーラはまじまじと夫人を眺めた。
(はー、もうすぐ成人の娘がいるとは思えないなあ)
元王太子妃候補筆頭だけあって、たいへん美しい女性だ。
凜とした麗人ぶりの王妃とは反対の、少女のようにふわふわと儚げで守ってあげたくなるタイプである。
高価そうなドレスやアクセサリーも品良く似合っていて、優雅な暮らしぶりが窺える。
不幸など無縁そうな夫人はしかし、心労の色を濃く浮かべ、頬に手を当て大きな溜め息を吐いた。
「サンドラ……いえ、王妃陛下から伺って、魔女様がいらっしゃるのを心待ちにしておりました。本当にもう、どうしたらいいか……」
「率直に訊きますけどれど、お嬢様はご家族とまったく会話をしたがらないのですか?」
「ええ。学園には行かない、婚約も結婚も無理だと、そればかりで」
「学園でなにがあったかも?」
「学園に同行させていた我が家のメイドや、ご学友の親御さんからは聞きました。けれど、娘本人の口からはなにも」
確認は取れていないと前置きしつつ夫人が話してくれた学園でのあれこれは、王妃から聞いた内容と同じだった。
近くで見ていたメイドの証言の分、パトリシアの困惑と憔悴ぶり、そして王太子と平民の娘への非難が強く伝わってきたが、これといって新しい情報はない。
パトリシアは現在、部屋の内側に別鍵を付けて、他人が入れないようにしているという。
「食事は摂られています?」
「運ばせるのですけれど、ほとんど残してしまいます」
「受け取りはするんですね」
夫人は困り果てた様子だが、食事など最低限の世話を受け入れているなら、少なくとも身体的にはそこまで逼迫した状態ではないだろう。精神的にはどうか分からないが。
「芯の強い子だと思っていましたが、やはり失恋は堪えるようです」
「実感がこもってますねえ」
しみじみとされるが、恋愛未経験のカーラは失恋の痛みを知らない。
適当に相づちを打つと、夫人はハッとして取り繕うように言葉を急ぐ。
「あ、あら……あの、娘の婚約はたしかに政略的な面もありましたけれど、アベル殿下とは想い合っていると、親の目には映っておりましたの。セインもそう思うでしょう?」
「そうですね。お見かけするときはいつも仲睦まじいご様子でした」
近衛騎士のセインは王族の護衛をする関係で、王太子やパトリシアの近くに配されることもあった。
王太子が突然、平民の娘に心変わりをした――という状況だと、周囲の意見は一致している。
「これまでに、お嬢様と殿下が喧嘩や仲違いをなさったことはありますか?」
「長い付き合いですから、もちろんございます。でも、感謝祭の贈り物が被ったとか、試験の点数で勝ったとか負けたとか、ただの微笑ましいじゃれ合いでしたわ。すぐにいつも通りの仲に戻っておりましたし」
順調に交際をしていたころを思い出したのだろう、夫人の顔に穏やかな笑みが浮かんだ。
長年積もった不満の蓄積が……ということも、聞く限りなさそうだ。第三者から得られる情報はここまでだろう。
王妃からは学園で事情を調べてこいとも言われてる。やはり、本人の話を聞かないことには始まらない。
では最後に、とカーラは席を立つ前に夫人に向き直った。
「お嬢様たちの婚約を解消することに、ご両親は同意なさっていますか?」
「……はい。娘がそう願っておりますので。わたくしは本人の意思を尊重します。望まない結婚は、つらいものですから」
マリー夫人の美しい顔に陰が差す。
切なげな声に、後ろに立つ執事がそっと息を吐いた。
「……公爵夫人と王妃陛下は、昔からのお付き合いだと聞きました」
「幼なじみで一番の親友ですわ」
「その親友に王妃の座を奪われて、悔しくありませんでした?」
「えっ?」
脈絡のない、かつ礼を失するカーラの質問に、夫人は菫色の瞳を丸くした。
なにを言い出すのかと、慌ててセインが止めに入る。
「おい!?」
「自分こそが王妃になりたかったと思ったことは?」
「まあ……」
割って入ってくるセインを無視して質問を重ねる。夫人は眉を下げて笑い、まっすぐにカーラを見据えた。
「いいえ、まったく。わたくし、旦那様を愛しておりますの」
「最初から?」
「ええ、ずっと」
「そうですか」
にこりと晴れやかに胸を張る夫人に頷く。不躾なことを聞いておきながら、あっさり引くカーラに胡乱げな視線を投げるセインのことは、やっぱり無視だ。
「では、お嬢様にお会いしてきます」
「あの、娘は魔女様も拒絶するかもしれません。けれど、親が参りますと頑なになりますので、わたくしはここで……」
「大丈夫ですよ」
軽く請け合うと、執事に連れられてパトリシアの私室に向かった。




