96話 シーサーペント
帝国の船と交戦、これを制圧した。
敵の偉い人を捕まえたら、以前通信で言葉を交わした将軍という男だった。
その男とヤミが知り合いだという。
私の魔力で大きくなったヤミが言うのには、彼は帝国の皇太子の転生した姿だという。
彼が転生していたのは聞かされていたが、まさか隣国の皇太子だったなんて……。
驚いた私だが、それならば魔法や帝国のことに色々と詳しいのもうなずける。
将軍という男に復讐を誓っていた彼だったが、男の腕を噛みちぎったことで、一応落ち着いているようである。
情けない叫び声を聞いて、少しは溜飲が下がったのかもしれない。
ヤミのことはいいとして、船倉になにやら怪しい機械があるという。
皆で見に行くと、ピンク色の光で満たされた船倉に、人の背丈ほどの球体が鎮座していた。
上下をなにかの機械で支えられている魔道具である。
これはいったい、なにをする魔道具なのだろうか?
「丸い球体の中に、なにかいるみたいですが……」
「これは――多分、ネズミだと思います」
私の言葉に、レオスが中を覗き込んでいる。
「ネズミ?」
私も近寄って見てみると、確かにネズミのようだ。
100匹以上はいると思うのだが、皆止まっている。
死んでいるのだろうか?
「これはなんだ?!」
陛下が、連れてきた敵の士官に詰め寄った。
「それは魔道具でございます」
「魔道具なのは見れば解る! 中に入っているネズミはなんだ?!」
「わ、私どもは知らされておりません……」
陛下が少し考えている。
「……この魔道具はどういう働きをする?」
「魔法の袋は生き物が入りませんが、この魔道具は入れることができるというものでございます」
「なんだと!」
声を荒げる陛下の横で――黙ってついてきていたサルーラが、機械を覗き込んでいる。
「それでは、これが魔法の袋の変わりになり、生き物を入れたまま保存できるというわけか……」
「え、エルフ……」
士官が驚いているので、帝国でもエルフは珍しいらしい。
「問題は、なぜこんなにたくさんのネズミが入っているかということだ!」
「あ……」
陛下の言葉に――私は、元世界のことを思い出した。
かつてネズミを媒介して、ヨーロッパなどに伝染病が蔓延したはずだ。
帝国は、ティアーズ領に芋の疫病をばら撒いたという。
それなら、病気持ちのネズミをばら撒いて、王都に疫病を蔓延させる作戦を考えてもおかしくない。
たった一隻の船で王国までやって来た彼らだが、このネズミをばら撒ければ作戦は成功なはず。
「聖女様、なにか?」
陛下が、私の様子がおかしいのに気がついたようだ。
「私のいた世界では、ネズミが疫病を媒介するとされていました」
「なんですと! それでは、このネズミは……?!」
「あの将軍という男は、芋の疫病もばら撒いたと申しておりましたし、人に感染する疫病をばら撒いても不思議ではないかと……」
「うぬぬ――なんという卑劣なことを……。あの男を連れてくるがよい!」
すぐに男が船倉に連れてこられた。
その後ろに大きくなったヤミもいる。
「このネズミは病気持ちなのでしょ? それを王都に放して、疫病を蔓延させるつもりだった――そうでしょう?」
「……」
私の言葉にも、男が下を見て黙っている。
まぁ、黙っているということは図星なのだろう。
「ヤミ、今度は脚を食いちぎってもいいわよ」
「グルル……」
白い牙を剥き出した黒い獣に、男が悲鳴を上げた。
「うわぁぁ、止めてくれぇ! 話す! 話せばいいのだろう?」
「私の言ったことは間違いないんでしょ?」
「そのとおりだ! お前さえいなければ、私の作戦が成功したというのに!」
「そんなことのために、たくさんの人たちを犠牲にしようとしたなんて――ヤミ、やっぱり食いちぎってもいいわよ」
「ガウ!」
彼が男の脚に食いつくと、膝から下がもげた。
傷口から赤いものが噴き出す。
「あぎゃぁぁぁ! ひぃぃ!」「うわぁぁ!」
将軍様の惨状を見て、士官も叫び声を上げた。
自分も同じ目に合わされると思ったのかもしれない。
私は、ヤミから咥えている脚をもらうと、男の傷口に当てる。
再びテキトーな奇跡を使うと、脚が横向きにくっついた。
「ひぃひぃ……」
まぁ、くっついてはいるけど、激痛が走っているでしょうねぇ。
それよりもだ――この魔道具をどうするべきか。
皆で意見を出し合う。
「破壊すれば、ネズミが出てきて船員たちが疫病に感染するかもしれません」
最初に意見を出したのは、お兄さんだ。
「さりとて、これを王都に持ち込むなど、私は許可は出せぬぞ?」
「しかし陛下、この魔道具の研究は、魔法の袋に革新を起こす可能性がございます」
「うむむ――それは解っているが……」
「あの……恐れながら……」
私の護衛としてついてきていた、ヴェスタが小さく手を挙げた。
彼は聖女の直属とはいえ、かなり身分が下だ。
それを踏まえての進言なら、よほどのことなのだろう。
「なぁに? ヴェスタ」
「森の中では、魔力に惹きつけられて魔物が寄ってくる場合がございます」
「その通りだ」
陛下が彼の話にうなずいた。
「これだけ大きな魔道具を動かしているわけですから、かなりの魔力を発しているのでは……?」
「それじゃ、魔物が寄ってくるかもしれないってこと?」
「その可能性が十分にあると……思うのですが」
そのヴェスタの悪い予感が的中したのか、突然船が大きく揺れた。
「「「うぉぉぉっ!」」」
皆が船倉の床にひっくり返る。
「いったい、なにごとか!?」
「わかりません!」
そこに外からの伝令が転がり込んできた。
床に転がると鎧が大きな音をたてる。
「陛下! シーサーペントです!」
「なんだと!?」
「え?! シーサーペントってなに?!」
「ガオン!」
ヤミの話では、海に住んでいる巨大な蛇らしい。
「ええ?! 蛇なの?!」
巨大といってもどのぐらい大きいのか想像もつかない。
「大型の魔物がいないサンダル-ス湾だというのに、貴様らがこのようなものを持ち込むからだ!」
陛下が、帝国の将軍と士官たちを罵倒した。
「「「うぉぉぉっ!」」」
再び船が激しく揺れる。
とても立ってはおられず、皆で床に転がった。
ここで言い争っていても問題は解決しない。
とりあえず船倉から出ないと、このまま海の藻屑になってしまう。
「陛下! なんとか外へ出ましょう」
「うむ、聖女様の言うとおりだ」
幸い、私が出した精霊の明かりがある。
それに守ってもらい、なんとか外に出ると――そこには信じられないような光景が広がっていた。
舳先から向こうに見える、海から突き出した青くて長い首。
大きく開いた白い口の中には、きらめく白く鋭い牙が見える。
2本の角と無数の光り輝く鱗に覆われた、大型の魔物が日の光に輝いていたのだ。
それは巨大な魔物を目の前にした恐れなどというより、神々しさのほうが勝っていた。
蛇というよりは、海のドラゴンと言ったほうがいいと思う。
一瞬その光景に見とれてしまった私だが、すぐに現実に引き戻された。
船同士を繋いでいた橋も落ちて、すでに艦隊はバラバラになっており、味方の船が2隻見えない。
多数の破片が海を漂っており、兵士たちが冷たい海に投げ出されていた。
私の頭のてっぺんから、なにか冷たいものが駆け下りていく。
手足が、ガタガタと震え始めた。
そこに船が揺れて、ふらつき甲板に手をついてしまったのだが、この状況からどうやって脱出すればいいのだろう。
目の前に立ちはだかるのは、圧倒的なパワーを持った絶対的な勝者。
彼らから見た人間など、小虫みたいなものだろう。
魔物の頭の大きさはダンプカーぐらい?
海中にある身体は50m以上あるかもしれない。
どう見ても船より大きいように見える。
残った僚船からわずかながら矢や魔法が飛んでいるが、まったく歯がたたず、かすり傷すら負っていないようだ。
「に、逃げるのだ! 早く!」
帝国の将軍がジタバタしている。
あれから逃げるなんてできるのだろうか?
しかも私たちは、破壊してしまった帝国の船に乗っている。
帆が切り裂かれているのだ。
「ギャー! ギャー!」
モモちゃんの声が聞こえる。
見れば、彼がシーサーペントの頭部に攻撃を行っているようだ。
私を守るためなのだろうが、まったく攻撃が効いている節がない。
「モモちゃん! いいのよ! 早く逃げて!」
私の声が届いているのかいないのか?
ハーピーは魔物の周囲をぐるぐると飛び続けている。
「陛下!」「聖女様!」
「ううむ……」
陛下といえども、次に出す指示を出しあぐねている。
「むううう~! 暴食の炎!」
レオスが魔法を放った。
赤い炎の矢が敵へと向かうが――水色の鱗に弾かれてしまい、さほどダメージを負っているようには見えない。
魔法に驚いたのか、モモちゃんが上空に避難した。
「む~~! 爆裂魔法!」
今度は、お兄さんの魔法だ。
シーサーペントの頭部に青い光が集まり、それが赤い爆炎に変わった。
魔物の頭部がもうもうとした煙に包まれる。
「「「おおお~っ!」」」
お兄さんの魔法に、船の中が湧く。
「やったか?!」
陛下の希望を含んだ言葉が口から出たのだが――爆炎が晴れると、ダメージがない魔物の頭部が現れた。
「なに?!」「まったく損傷を与えられぬとは!」
魔法の爆発に耐えた魔物がこちらに突っ込んできた。
青い鱗に覆われた大きな口がどんどん近づいてくる。
「せ、聖なる盾!」
私の魔法が一番早そうだったので、とっさに唱えた。
突然船の前に現れた透明な盾に、魔物の鼻が衝突――その動きが止まる。
私の出せる透明な壁は小さいものなのだが、魔物に違和感を感じさせるには十分だったようだ。
鼻の先をツンツンされて、驚いた感じだろうか?
ちょっと怯んだシーサーペントは、目標を変えたようだ。
一旦退くと、僚艦に向けて突撃した。
「む~! 光弾よ! 我が敵を撃て!」
私の周りに現れた、光の矢がすぐさま撃ち出されたのだが、チャージの時間が足りない。
威力不足の魔法は、あっけなく青い鱗に跳ね返されてしまった。
板や木を引き裂く鈍い音を立てて、隣にいた船が大きくえぐられた。
破損して揺れた船からは、バラバラと兵士たちが落下していく。
鎧などを着込んでいるので、海に落ちれば助からないかもしれない。
「ああっ!」
聖女として、なにかしなくてはいけない。
そう思って焦るのだが、手足が震えるだけでなにもできない。
「聖女様! 今は陛下のお命を守ることを最優先に!」
ロッホ様の言葉に我に返った。
彼の言うとおりにするしかない。
「ヤミ! あれって炎とか吐いたりするの?!」
「ガオン!」
どうやら、ドラゴンのように火炎を吐いたりはしないらしい。
「逃げろ! 逃げるんだぁ!」
甲板の上でジタバタしていた敵の将軍がうるさい。
そのとき、魔物が起こした大きな波が私たちの船を襲った。
激しく船体が揺れて、立っている人たちがひっくり返る。
暴れていたあの男が、手足をジタバタさせながら甲板をズルズルとすべっていく。
柵に叩きつけられ、そのままぐったりして動かなくなった。
静かになったのはいいけど……。
「逃げると言っても……そうだ!」
この船には速度を上げる魔道具が積んであるはず。
「陛下! この船は魔道具を使って動いていました。それを使いましょう」
「おお! 帆が残ってるなら、多少は動けるはず!」
「はい」
一縷の望みをかけて、私たちは行動を開始した。
魔物は僚艦の相手をしていて、少々時間がありそうだ。
「私は、ここでシーサーペントを牽制する。兄さん、行ってください」
「任せろ!」
小さいお兄さんと一緒に、船の後部に取り付けられている2本の柱の所に向かう。
これって巨大な送風機のようなものだろうか?
私の護衛をしているルナホーク様、ヴェスタとアルルもやって来た。
「今は止まっているが、単に魔力切れだ」
彼はこの魔道具のことを調べていたから、これがどういうものが解っているのだろう。
「ああ、それなら!」
私は、柱の下部にある黒くて大きな石に手を当てた。
これが電池代わりになっている魔石だろう。
手に当てた部分から魔石に魔力を流し込むのだが、今までチョロチョロとしか注ぎ込めなかった。
駄目だ――それでは到底間に合わない。
甲板では、迫ってくるシーサーペントに、レオスが魔法を連射している。
いくら大魔導師といえども、魔力には限りがあるだろう。
それに、陛下を守っている騎士たちも、相手が海の魔物では手も足も出ない。
こうなれば、困ったときの神頼み。
「神様! もっと魔力を流れるようにしてください!」
突然、私の中からなにかが引き出される感触がして、大きな魔石の中に青い光が灯り始めた。
「これでいけるぞ!」
お兄さんが魔導具を操作し始めると、2本の柱の間を風が流れ始めた。
轟々と風を送り出している。
私の黒い髪が、起こる風に巻き上げられた。
船の全部に1本だけ残っていた帆が、風を受けてぱんぱんに膨む。
「やった!」
本当に巨大な扇風機みたい。
「船は私に任せろ!」
船体が動き出したので、ロッホ様が後部のデッキにある舵輪を握ると、左に舵を切った。
舳先がシーサーペントに向かっているので、方向転換しなくてはならない。
船は進み始めたが、推力としてはまだまだたりない。
私は精霊の力を借りることにした。
明かりだって点けられたのだ、他のお願いも聞いてくれるかもしれない。
「精霊さん精霊さん! 私のお願いを聞いて! 船の帆に風を送ってちょうだい! お願い!」
海から青い光が集まってくると、帆の部分に集中し始めた。
ぐんとスピードがアップする。
果たして、これでどのぐらいの時間を精霊たちが頑張ってくれるのだろうか。
船が大きく転回を始めた。
「「「おおお~っ!」」」
皆から歓声があがる。
喜んだのもつかの間。
シーサーペントが一旦海の中に身体のすべてを沈めると、次の瞬間――舳先にその巨体を現した。
「え?! 速すぎ……」
私たちがその場で固まっていると、突っ込んできた魔物の頭によって船のマストがへし折られた。
倒れてきた大きな柱によって、騎士たちが薙ぎ払われる。
縁の所でぐったりしていた帝国のあの男は、巨大な柱の下敷きになり肉塊に変わってしまった。
帆船は帆がなければ進めない。
私たちは逃げる手段を失ってしまった。
こうなったら、やるしかない。
私は舳先に走ると、甲板にいたヤミとエルフに合流した。
次話、最終話です





