36話 思い出の味
ティアーズ領を襲っている芋の疫病は沈静化しつつある。
私が持っている聖女の力ってやつを利用しているわけだが、こんな力があったなんて自分でも驚きだ。
加えて、薬問屋と共同で開発した新しい回復薬もある。
これで一息つけるだろう。
外出して街の様子も見てみたが、特にパニックなどは起きておらず、いつもと同じ平凡な日々が流れているように見える。
それを確認した私は、領主の屋敷に戻って生クリームを作ることにした。
領主の娘であるククナと約束をしていたから、それを守るためだ。
幸い、原料である生乳や砂糖も揃っている。
急遽、領の直営農場で生乳を搾ってきてくれたのだ。
ククナもやってきたので、早速生クリームを作ってみることにした。
「まず――容れ物が必要ね。壺でもいいんだけど、筒状の容れ物はない?」
「え~と、あります!」
ダイアナさんが声を上げて、戸棚の中を探してくれた。
「あるの?」
「はい」
彼女が持ってきてくれたのは、木でできた筒。
ネジ式の木の蓋がついている。
「このネジの蓋って、聖女がもたらしたもの?」
「そうだと言われてます」
「へぇ~」
やっぱり、違う世界からもたらされる知識ってのは重要なんでしょうねぇ。
見れば、なんらかの樹脂によってパッキンのようなものも見える。
合成物なのか天然物なのかは不明。
とりあえず器があったので、魔法で綺麗にして生乳を入れた。
満タンに入れては駄目で、隙間ができるようにしなくては。
「それをどうするのですか?」
「これをこうやって振るの」
手で持ってシャカシャカと振って見せる。
こうやって生乳の脂肪を分離させるわけだけど、木の蓋なので漏れ出すのではないかと思っていたのだが、問題ないようだ。
「どのぐらいやるのですか?」
「そうねぇ、30分から1時間ぐらい」
「そんなにですか?」
工場では遠心分離機を使うと聞いたことがある。
「グルグルと回るものに取りつけてもいいかもしれないね」
「馬車の車輪とかでしょうか?」
「ああ、それはいいかもね~」
走っている間に脂肪が分離すれば、簡単でいい。
「ねぇ、それなら――あれが使えない?」
「あれって?」
メイドたちが、なにやら心当たりがあるようだ。
「ほら、小屋で埃をかぶっている変な機械……」
「ああ、あれね! 確かにグルグル回りそう!」
「なにか使えそうなものがあるの? 手で振るより簡単なら、試しに使ってみる?」
「はい! すぐに持ってきてみます」
メイドが4人ほど厨房から出て行った。
「お姉さま、振っているだけで生クリームができるの?」
「う~ん、基本はそれだけなのよねぇ」
本当にそれだけなのだ。
生乳の脂肪分は塊になりやすいので、振ることでそれを手助けしてやるだけなんだけど。
ククナと話していると、メイドたちがなにやら機械を持ってきた。
埃をかぶって灰色になっているが、木製で車輪のようなものが1個ついている。
ネコ車を逆さにしたような形だ。
ハンドルがついており、それを回すと車輪が回る仕組みになっているらしい。
糸つむぎ車に似ているようだが、違うのだろうか?
「う~ん、なかなかいいわね。この回る所に生乳が入った筒を2つ括りつければ、回せるんじゃない?」
「筒は、もう一つありますよ」
ダイアナが他の筒を出してくれたので、それにも白い液体を入れた。
「よし、洗浄!」
このままではマズいので、埃まみれの機械を魔法で綺麗にしてみた。
「やっぱり、魔法って便利!」
その声にメイドたちの視線が、部屋の隅にいるアルルに向かう。
魔法が使えたのなら、それで手伝ってくれたらよかったのに――みたいな抗議の視線だ。
まぁ、そんなことをしたら魔導師だってバレてしまうだろうし、スパイだった彼女が隠すのも当然だ。
ククナの話では、魔女が使う魔法と正式な魔導師が使うそれには違いがあるようだし。
漏れないように筒にはピッタリと蓋をして、車輪に2つ括りつけた。
メイドたちが、ハンドルを持つとグルグルと回し始める。
皆が機械を取り囲み、くるくると回る筒を凝視しているのだが、ギアがついているらしく結構なスピードで回る。
これはいったい、なんのために使われていたのだろうか。
「聖女様、これってやっぱり1時間ぐらい回すんですか?」
「そうねぇ、皆で交代でやりましょう」
「「「は~い」」」
返事はいいのだが、こればっかりに構っている暇はない。
メイドたちの仕事は多岐に渡るのだ。
回していない者たちは、別の仕事をする。
洗いものなどは、私が魔法を使ってすればいいわけだし。
早くて簡単だ。
従者のアルルに魔法を使わせる手もあるのだろうが、彼女は私の護衛だ。
いざというときに、魔法が使えなくなってしまうと困る。
洗浄の魔法ぐらいなら、私はいくら使っても大丈夫だし。
交代で木の筒を括りつけた車輪を回し続けること1時間――。
「もう、いいんじゃないかな?」
「本当ですか?!」
「ええ」
彼女たちも、いったいどんなものができるのか期待に胸を膨らませているらしい。
機械の前に皆が集まってきてキャッキャウフフしている。
もちろん、お姫様も一緒だ。
やっぱり領主の娘といっても普通の女の子なんだなぁ――と改めて思う。
その期待に応えるべく、車輪に縛りつけた筒を外す。
さて、上手く分離しているだろうか?
ねじ式の蓋を外して覗き込むと、白いふわふわが浮いている。
「やった、上手くいったかも! ちょっとスプーンを貸して」
「はい、聖女様!」
メイドが持ってきたスプーンを受け取ると、筒の中に浮いている白いものをすくい取る。
これは牛乳の中に含まれている乳脂肪分が固まったものだ。
生乳はこれが塊になりやすい性質を持っているため、市販の牛乳は固まらないように加工してある。
2つの筒から、それぞれ白い塊を取り出した。
「これが生クリームよ」
「「「これがそうなんですか?!」」」
「ええでも、これじゃちょっと使いづらいし、食べにくいのでさらに加工します」
水分が多いので、魔法を使って少し抜く。
「乾燥!」
砂糖を加えつつ泡立て器でホイップしたいところだが、道具がないのでヘラでやる。
ぐるぐるとかき混ぜていると、いい具合に角が立ってきた。
「「「わぁぁぁ~」」」
「ほら、これで完成よ」
残念ながら、砂糖が少し茶色なので、純白の生クリームってわけにはいかないようだ。
精製の技術が発達していないらしいので、これは致し方ない。
「こ、これってどうやって食べるんですか?!」
メイドたちは、早く食べてみたくて仕方ないようだ。
「そうねぇ――ここはクレープかな?」
「お姉さま! クレープって、王都で食べました!」
「そうなんだ。それじゃ、それも聖女様がもたらしたのね」
結構いろんなものをもたらしているようだ。
そのわりには、あんまり文明開化に一役買ってないものばかりのような気がするのだが、気のせいだろうか?
それとも、そうならないように専門知識を持った聖女様を、あえて召喚しないようにしているとか?
神のみぞ知るだけど。
それはさておき、クレープを作るのは簡単だ。
小麦粉を水で溶いて、鉄板で薄く焼けばいい。
肉を焼くための鉄板があるらしいので、それを持ってきてもらうと焼き始めた、
薄く伸ばすT字の道具がないが、スプーンでもできるし。
焼き終わったら大きな皿の上に乗せて、生クリームを上のほうに少し乗せる。
「これだけじゃ、ちょっと寂しいわねぇ……そうだ!」
私の袋の中にりんごで作ったドライフルーツが入っていたのを思い出した。
それを取り出して、細かく切って生クリームの上に置いた。
「「「わぁぁ~」」」「それってリンカーを干したものですか?」
「そうよ。ちょっと酸味があったほうが美味しいと思うのだけど……」
「それなら、いいものがございます」
一緒に見ていたダイアナさんが、壺に入ったものを出してくれた。
すっぱい果実を煮込んだジャムらしい。
色は緑色だ。
「それはいいかも!」
そのジャムを掬って、生クリームの上に散らす。
準備が完了したら、下から上に半分に折り、さらに端からくるくると巻いていく――。
「「「……」」」
その様子をメイドたちが、固唾を飲んで見守っている。
そんなに真剣に見つめなくてもいいと思うんだけどなぁ……。
「ほら、完成よ!」
私はできあがったクレープを、ククナの前に差し出した。
「あ、ありがとうございます……」
「食べてみて!」
「は、はい」
口を開けるお姫様を、メイドたちが見ている。
「ぱく……もぐもぐ……おいしい……美味しい!」
口にクリームをつけた彼女の顔がパッと明るくなった。
「王都で食べたものに比べてどう?」
「まさしくこの味だわ!」
「よかった。上手くできたみたいね」
――というか、失敗しようがないともいえるが。
続けてククナが2口3口とクレープにかぶりついた。
「「「わ、私たちも食べたいですぅ~!」」」
「焼きかたと作りかたは、さっきので解ったでしょ。小さいのを作ってみたら?」
「「「わぁ~!」」」
メイドたちが、一斉にクレープを作り始めた。
なにせ人数がいるので、メイドたちには小さなクレープで我慢してもらうしかない。
小さなクレープを沢山焼くと、流れ作業で生クリームやらドライフルーツが乗せられていく。
均等に分けないとあとが怖いから、普通の仕事より真剣にやっているように見える。
食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
「ククナ様、王都でのクレープの値段というのは、どのぐらいだったのですか?」
「コースのデザートで出たから、1人銀貨2枚だったわ……」
銀貨2枚ということは、一人前10万円コース――高い!
超高級レストランか。
いくら領主といえど、1食10万円の料理はそうそう食べられないだろう。
いや、元世界にいたような資産兆円クラスのスーパー金持ちなら、1食100万円でも余裕よね。
「それじゃ1食で金貨がなくなったんですね」
「そのときは、お母様も一緒だったから……」
「あ……」
やはり、この屋敷には領主夫人の姿が見えない――ということは……。
「うえぇぇ……お母様……」
クレープを食べていたククナが突然泣き出してしまう。
思い出の料理を食べたことで、まぶたの中にいた母親のことを思い出してしまったのだろう。
私は泣いているお姫様をそっと抱きしめた。
「寂しかったのね」
「うぇぇ……お姉さまぁ……」
寂しい彼女の所に遊びにやってきたのが、ヤミだったのだろう。
彼女が黒いネコを欲しがるわけだ。
彼を連れていかれるのは、ちょっと困るけど。
ククナを囲んでいるメイドたちが、もらい泣きをしているのだが、悲しんでもいられない。
彼女は、このティアーズ領を背負っていかなければならない存在なのだ。
駄目だと言うなら、領主様に後妻を娶っていただき、長男が生まれるまで頑張ってもらわないといけない。
領主もまだ若そうなので、なんとかなりそうな感じではあるが、領主という身分ならその機会もあったと思われる。
後添をもらっていないということは、その気がないのかもしれない。
まぁ、赤の他人である私が、あれこれと口を出すようなことではないと思う。
なにはともあれ、生クリームとクレープは気に入ってもらえたようだ。
私の力を少々使ってしまったが、魔法がなくても作れるはず。
詳細は教えたので、彼女たちのアレンジに期待だ。
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――生クリームを作ってから1週間ほどが経過。
聖女になってから使っていた来賓室では手狭になったので、私が最初に寝泊まりしていた離を使わせてもらうことにした。
ここなら広いので、アルルのベッドを置いても十分なスペースがある。
人も訪れることが多くなったので、応接のセットなども運び込まれて、ちょっと豪華になった。
床にはふかふかの絨毯が敷かれて、天井からは小さなシャンデリアが吊るされている。
魔法で灯るタイプなので、私にも使えるのだが、なんとも派手だ。
私も民の税金で贅沢をできるような身分になってしまったのかと、しみじみ思う。
ヤミの下僕になって、引っ張り回されているあの男はどうしたかといえば――外でキャンプをしている。
顔を見れば、なにか悟りを開いたような顔をしているので、ネコの下僕になって人生観でも変化したのだろうか?
ヤミは王都まであの男を連れていくようだが、当地で解放したときにどうなるのか不明だ。
また向かってくるのか、そのままフェードアウトするのか。
笛吹き隊のことはさておき――追加で疫病用の回復薬を作って、各地に噴霧器と一緒に配布を行った。
すでに、ほとんど芋の疫病は収まっているのだが――領主の命令で畑の見回りはかかさないようにさせている。
少しでも病変を見つけた場合は、すぐに薬を散布する手はずになっている。
順調に疫病の駆除が進み心に余裕ができたのか、各地を管理している貴族が私の所を訪れるようになった。
村を管理している貴族が、領主と一緒に私の部屋にやってくると床にひざまずく。
「村が救われましたのも、聖女様のおかげでございます」
「いいえ――領主様を始め、様々な方々のご尽力の結果でございますから、私に頭を垂れる必要はないのですよ」
「そ、そのようなことはございません! 聖女様のお力がなかったら、今頃どうなっていたことでしょう……」
「それならば、今この場所に私がいたということは、全て神のお導きということなのでしょう」
「はは~っ!」
なんか適当に、それっぽいことを言ってみた。
やって来る貴族が、みんなこんな感じ。
一応、私のことはまだ秘密なので、農民たちには伏せてもらっている。
あくまで、領主が用意してくれた薬で治ったということになっているわけだ。
そういうわけで、各村々や街では領主様の評判がうなぎのぼりである。
聖女のことを口に出せない領主が、私の部屋のソファーに座って渋い表情。
テーブルの上にはメイドが淹れてくれた紅茶が湯気を立てている。
「うむむむむ……」
「領主様、どうなさいましたか?」
「すべてが聖女様のおかげですのに、私の手柄になってしまっているようで、大変に心苦しい……」
「そんなことはありませんよ。領主様あってのティアーズ領ではありませんか」
「うむむ……」
領主の話によれば、改めて王都から手紙が来たようだ。
「また無茶な話でしょうか?」
「可能な限り迅速に聖女様をお連れするように――とは書かれてありますが」
お城はなんらかの事情で急がせたいみたいだが、こちらにも都合がある。
それでも、あと4~5日ほど様子を見て問題ないようなら、私は王都に向かうことになった。
「そのときには、ククナ様のご留学も一緒ですか?」
「はい――我が領の予算では、王都までなん回も往復はできません」
「片道だけで1ヶ月ほどかかるそうですからねぇ」
「そのとおりです」
2回往復したら、4ヶ月か。1年の1/3が馬車の中ということになる。
その間、政はできないし、護衛の騎士団を駆り出せば、それだけ領の守りが手薄になる。
「気が遠くなりそうな……」
「それでも、1年に1回は陛下に謁見しなくてはなりませんし」
領主にはそういう義務があるらしい。
通常は、なんヶ月も前から予約を入れたりして大変らしいのだが、今回は別だ。
私と一緒にお城に行けば、そんなのも全部スルーして謁見ができるのだから、ついでに済ませてしまおうという腹のようだ。
ククナ様の留学の件もあるし、全部まとめてしまおうというのだろう。
「王都への道のりというのは、安全なのでしょうか?」
「いいえ、魔物が出る森も通りますし、賊なども出現いたします」
「それじゃ護衛の騎士団の数を減らしたりと、手抜きするわけにもいきませんねぇ」
「そのとおりです…………あの、聖女様……」
領主が、改めて向き直った。
「なんでございましょう?」
「生クリームの件ありがとうございます」
「ああ、そのことですか」
「貴重な製法をご伝授いただけるとは」
「そんなにたいしたことではないのですけど……」
「夕食のあと娘と食べた味は、王都で妻と食べたあの味でございました」
「よかったですね」
「お恥ずかしながら、年甲斐もなく泣いてしまいましたが……いや、こんなことは、聖女様にお話しすることではありませんでしたな」
詳しくは聞けないが、夫人はやはり亡くなったのであろう。
「……」
「後添の話もありますし、このままではいけないとは思っているのですが……」
「無理をなさる必要もないと思いますよ。きっと、ククナ様が素晴らしい婿様を捕まえて、この領を盛り上げてくださるでしょうし」
「娘にも苦労をかけて、申し訳ないと思っております」
「そのためには、お姫様にしっかりと勉強してもらい、立派な魔導師になってもらわないと」
「そうですなぁ」
「そして、伯爵家とか侯爵家の三男とか四男坊をゲット! あ、ゲットじゃ解らないか……」
「いやぁ、そう上手くはいかなくとも、ククナが幸せであれば身分は問いませんよ」
一応意味は通じているらしい。
「あの、子爵家に婿入りしたら、子爵様ということになるのでしょうか?」
「そうですな。領主の身分は、治めている土地の広さや民の人口で決まっているので」
たとえば伯爵の息子でも長男が家を継げば伯爵になるが、次男や三男は伯爵ではない。
治める土地があれば男爵などになれるが、騎士爵やら一代貴族のままの者もいるらしい。
一応、一代貴族は男爵相当になるみたい。
代々貴族を名乗るため陞爵するには、なにか手柄を立てる必要があるわけだ。
そういう男でも領主の子爵家に婿入りすれば子爵になれるから、逆玉の輿ってことになるのだろうか。
「貴族の手柄というのは、どういうものなのでしょうか?」
「新しい土地を開墾したり、魔物を討伐したり、なにか国に貢献することでしょうなぁ」
「あの、戦争とかも入りますか?」
「そのとおりです。ここしばらくは戦は起きておりませんが……」
このティアーズ領から山脈を隔てて、帝国という大きな国がある。
戦争が起きるとすれば、その国との間ということになるらしい。
この国の地図を持ってきてもらい、領主に見せてもらった。
テーブルの上に、羊皮紙に描かれた地図が広げられている。
この領地は、王国の一番北の端っこに当たるようだ。
北にあるため気候も涼しく、芋の栽培に向いているという。
ここから南へ約1000km離れた所に、王都のグラフィアという大都市がある。
1ヶ月をかけて、ここまで私も行くわけだ。
車なら1000kmぐらいはどうってことないだろうが、馬車で1ヶ月。
その間に寝泊まりして、食事もしなければならない。
街に泊まる予算はなくて、普通は野宿らしいし。
野盗や魔物もいる街道を進む、波乱万丈の旅の予感だ。
少々心配ではあるが――行かねばならない。
――それから4日がたち、王都に向かうために準備が始まった。





