シンラ第1話part.5
寝静まる頃の事。この時間の河川敷は、人の歩く気配が消え失せ、街の音だけが聞こえる不気味な雰囲気に変わる。それ故にか、人気が無い事を良いことに場所を弁えず愛を育む、不憫な輩もいるものだ。
そんな下衆を、冷酷な視線で見詰める者もいて当然のことだ。黒づくめのコートを着て、顔はフードで隠れていて判別出来ない。
「さっきから何だテメェ!」
「―」
男は、自分の縄張りを荒らされたかの様に激昂。恋人を守るべく背後に回し、黒づくめの者に歩み寄る。
「聞いてんかテメェオイ!」
態度を荒げ、体を揺さぶり威圧を掛けるも無反応。否、そもそも男の存在に気付いてない。まるで、感覚が死んでいる様に。
先までは姿が判別出来なかったが、近付くことで謎の者は男だと分かった。だがこちらに視線を向けていないのだ。ずっと正面だけを凝視しており、存在に気付かない。
「さっきからなんなんだ! キメてんのかお前!!」
ここまで脅しても、一切合切の反応を見せない姿に、怒りから恐怖へと変わる。前例のない出来事には、人は恐怖する生き物だ。
経験も無しに、対処することなど不能。故に立ち尽くし、やがて行動の選択を迫られる。それが命との代償であるならば。
「ふああああああ!!」
拳を頬に打込む。男は戦うことを選んだ。逃げずに戦うことを選んだ。それが、彼女を守る為の最適解だとでも言う様に。
だが殴っても、痛みを示す反応すらもしない。
それどころか、蚊でも止まった部位を見るかの様に謎の男は殴った者に反応を示す。
「ヒャッ! わわわわわ」
腰が抜けて、尻餅を着く。逃げろと体が警告しても、脚が全く言う事を効かない。後ろで女性の悲鳴が聞こえる。向かわなければ、けれど進むことが出来ない。
「了解」
謎の男は発声と共に、異変が生じる。身体に熱を帯び始め、高温化して行く。周囲にいるだけでも、火傷する位に体温が上昇する。
「熱! ッッア!」
その熱で我に返ったのか、足腰が復活して、すぐさま立上り男はその場から離れる。が、瞬間的に起きた爆発の衝撃波で、身体が吹き飛ばされ、地面に打ち付けられる。女性が駆け寄るも、反応が無い。
「起きてよ! ねぇ起きてよ!」
しかし異変は、待つ暇を与えぬところか深刻化する。
燃え盛る炎の中で、容姿が変化しているのだ。例えるなら、サナギの中で変態する幼虫。体格や身長が伸び、もはや人の姿を逸脱するかの様に女性は見続けていた。
逃げるのを忘れ、目の前で起きている、未知の光景に心を奪われてしまった。
進化は終わりを迎え、姿が露わになる。炎が沈静化し、黒づんだ体表が異様な光沢を放つ。
まるで熱を帯びた金属が瞬間的な冷却により、硬化される様な現象。脚部が獣の如く発達し、本来の関節とは逆の向きに折れ曲がってる。爪先も伸び、肉を食い込める程の鋭利。胴体は猫背になり、影響で腕がダラリと垂れ下がる。鞭の様に細い腕には、不釣り合いな発達した拳が振り子みたいに揺れる。
顔はもはや人の形からかけ離れて、肥大化し紅く充血した眼から、殺意がにじみ出ている。
しかし何故だろう、その眼は泣いてる様だった。
ぎこちない足取りで前に進む。まだ身体が本調子に入らないのであろうか。
けれどその歩みは重く、確実にこちらへ向かう。女性は彼氏を引っ張り、何とか逃げようとするも、相対までの距離は徐々に近づく。息は荒れ、心臓の鼓動が早くなる。死ぬ。確実に死ぬ。そう思うと思考は狂い乱れ、生きたい願いすらも拒絶する。
「ああああああああああああ」
必死の抵抗に声を出すも届くはずは無く。
否、その声に呼応する形で、一つの閃光が怪物に激突する。
「逃げろ! 早く!」
目の前に鎧を纏う何者かが、怪物を抑え付け二人の逃げる時間を稼ぐ。
機械的で一見するとロボットに見えるが、意思を感じる言動に、中に人がいると見て取れた。
「でも! でも!」
「でも何!」
状況を察知したのか、敵を振り払うとこちらへ向かい、二人を軽々と両腕で持ち上げる。
「あぁもう、変に動くなよ!」
そう言うと、瞬時に加速しその場から離脱する。
「何でえええええ!!!」
「うるさいよ! 舌噛むよ!」
音速に近い人の域を超えた速度で街中まで進む。人気の無い路地裏に入ると、担いだ二人を地面に下ろす。何が起きたのか分からず、二人は震えたままだ。
「これで大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます」
「この事は秘密にお願いしますね?」
人差し指を口元に当て、ジェスチャーをすると途端に消えた。
「ごめんなさい! 今の余計でした?」
『仕方ないことだ。許す』
救助対象を非難させた後に、急ぎ足で戦線へ戻る最中に耳元のスピーカーでの通信連絡。管制室との連絡は主にスピーカー越しで行う。
尚、この時の会話は外に漏れることは無いので気を遣うことは無い。
『とは言え、先回と同じ形状のヤツだ。まぁあの時は不戦勝で終わってしまったからな。今回は覚悟しろ』
「やってみます!」
ものの数秒で、元の位置に復帰。さっきまでのは肩慣らしだと言う様に、臨戦態勢に構える。
敵も呼応する形で警戒する。両者の間に殺気が満ちる。一触即発の火薬庫。
少しでも前に出れば、それが開戦の合図。張り詰めた両者の間に静かに風が流れる。
「行くしか」
先に出たのは鎧を纏う者。怪物の懐に潜り込み、拳を突き上げるも片手で受け止められてしまう。
ギチギチと握り潰そうと抵抗する。そうはさせまいと、敵の腹部を目掛け蹴りを入れ、緩んだ掌を振り払い距離を置く。
またしても両者の間に間隔が出来る。
「思った以上の力だ」
『なぁにビビッてんだ始まったばっかだろ』
握られた手を押さえては、敵を注視する。いつどう動くか読めない。これが殺し合いなのかと、呆気に取られる。
『でもお前は時間稼ぎで充分だ。それまでは死んででも食い止めろ』
「やってみます」
気持ちに余裕など無い。目の前の事象で精一杯だ。
それでも、これが自分に課せられた仕事だと、腹を決め態勢を立て直す。
そして再び挑む。無茶は承知。今は波止場としての使命が、唯一の支えだった。
続