シンラ第1話part.1
「しゅじーん?」
―うるさい。夢をブツリと遮る様な、甲高い声に生気が戻る。
「ごーしゅーじーん?」
止まない所か更に響く。これは過激になる予感。
「起きろおおおおおお!!」
「起きまあああす」
「ハイ、おはよーう」
こちらが布団から出ると、さっきまでの威圧は何だったのかニンマリと微笑む 。
「さぁご主人。身支度整えて、今日も張り切って参りましょーう。あ、その前にご飯ですねぇ。どうします? 何食べます? ま、私は食べられないですけどね!」
このご主人ご主人うるさいのは、生活アシスタントAIのイアだ。
十五センチ程のカプセル状の筐体の中で立体投影されてる電子少女は、寂しい一人暮らしに華を添える存在だ。
俺は元々、理由あって親戚の家で高校卒業まで過ごしていた。それが就職を機に一人暮らしをしようと企てて今に至るのだ。
本当は、鳥かごから抜け出したい。それが本心でもあるのだが。
一人暮らしとは言え、会社から支給された社宅に住んでいる辺り、脛をかじって生きていたい未練が感じ取れるのは気のせい。
肝心の部屋は、間取りワンルームの正に一人暮らし専門の簡素な作りだ。
洋室とキッチンの仕切りが無い分、解放感はあるが、どこか寒々しい印象を受ける。
とは言え、ベッドとテーブルがあれば充分な身でもある故、この位の広さが丁度良かったりもするのだ。
諸々の身支度を整えて、朝食作りに入る。とは言っても食パンと粉末スープ、ブラックコーヒーの手抜きレシピだが。
「あぁご主人! 摂るように言われた、ドリンク忘れてますぅ! コーヒーなんてダメ!」
生活支援AIとはとは何なのかと、疑う位に口うるさい。
イアの言うドリンクとは、会社側から働くに当たって飲んでおけと渡された体力増強用の飲み物だ。
一体何の為に、と問うても働くに当たってその貧弱な身体では支障を来すから。と言われてしまい、プロテインの様な物だから毎日飲めと押し付けられた代物である。
なんともいい加減な。
「分かったよ」
珈琲は撤廃。ボトルに粉末を入れて牛乳を入れて腕っぷし良く振る。
この動作は朝から疲れてしまう。
「それでよろしい」
ふふんと誇らしげに腕を組むイア。
「イアさ」
「ハイ?」
物珍しそうに、こちらに振り向く。
「ご主人って言い方、変えてくれない? 俺には大空壱斗って名前があるんだから。普通に壱斗でいいじゃん?」
大きく目を見開くイア。
「もおおおご主人! それじゃつまらないんです!」
「え?」
「いいですか? 私はアシスタントAI。宿主が快適で、特別な時間を提供する義務があります故。ご主人が、快適な生活を送れる様に実行しているのですよ」
自慢気に説明する姿が何とも憎い。
「それにぃ、試しにご主人と呼んだ時なんて、心拍数が上がってましたぞぉ? あれを喜びと言わずして何ですのぉ?」
「それは! あれは! ワ!」
図星な指摘に、持っていたパンを落としかける。
論破してやったぞばかりに、イアは手を口に添えてウッシッシと笑う。
「分かりましたよ。ご主人でいいですよ」
「ま、変えるつもりはありませんけどネ!」
AIが人類を勝る日が来ると言うが、いよいよ迫って来てるのかもしれない。
初めてイアが来たのは、ひと月前とつい最近の出来事である。
真っ黒なカプセルに電源を入れると、内部に少女が眠る様に、浮遊された姿が投影された。それが最初の出会い。
因みにイアと言う名前は自分で命名した。初期設定時に名を付けるタイミングで、悩んだ末のAIを反対読みにした「イア」
最初は機械的な無感情さが目立っていたが、会話を重ねるに連れ何を学習したのかうるさい程に元気な、天真爛漫少女に変貌を遂げた。
ため息が出るが、けれども不快では無いお節介AIを考えながらも、朝食の準備は整った。
「いただきます」
「いただきまーす」
いつもイアは一緒に言うが、食事など電源以外の何があるのか。
本日の朝食は、食パンとスープと例のドリンクだ。
食パンは十八番の、ピザトーストで我ながらに美味。
決め手のバジルと、食パンの芳醇な香ばしさが口いっぱいに広がり、優雅な朝を彩る。
とは言え、誰かがいるという事も無く。鼻歌を弾ませながら、優雅に中を右往左往するイアしかいないのが何とも寂しい。
少しは楽になると思った一人暮らしは、寧ろ心に穴を空けてしまう。
「ご主人? 時間大丈夫です?」
ハッと我に返り、時計を見やると食べ始めから十五分経過していた。
「ごちそうさま」
瞬時に平らげて、片付けも瞬時に済ます。朝食など五分もあれば片付く身であるのだが。
・・・・・
クローゼットを開けると、しわの無い真新しいスーツが眠っている。
ズボンを履きワイシャツを着るまではいいが、ネクタイが待ち受けていた。
「おや? ご主人どしました?」
「イア、ネクタイの結び方検索して」
「はい?」
首を傾げて聞き取れない素振りをする。
「いや、あの、検索」
悪寒を催す沈黙。分かった。非は俺に有る。ネクタイなど生まれてこの方、巻いたことが無い。
「ぷっははははは! ご主人! 冗談でも流石にわっははははは!」
「分かってるら! 早く! 時間が!」
脚をばたつかせて、思いっ切り笑うイアの姿に怒りが湧く。もはや溜め息しか出ない。
「はい、検索結果ですよ。心配なら動画を見た方が早いですわっははは!」
笑いを堪えながらも、仕事は全うする無責任AI。
しかし、表示された動画は猿でも分かる程の親切説明で、一番見たかった物を与える有能性には憎たらしくも腹立たしい。
小剣をキュッと引っ張ると、たくましい大剣が存在感を放つ青いネクタイが完成した。
すかさずジャケットを羽織り、ボタンを止めたら一連の流れは終わり。
扉裏に備え付けの鏡を見やると、そこには自分の様で自分では無い姿をしていた。
漆黒を纏う勇ましきその勇姿に、イアも思わず顔を赤らめる。
「ど、どう?」
恥ずかしながらも、AIに見てもらうと無言で親指を突き立てた。
「ナイスです!」
一体、その動作はどこで覚えた。
鞄を持って艶めいた革靴を履く。
「あ、ご主人」
「 ん ? 」
「会えると、いいですね、なんて」
恥ずかしそうに、上目づかいで声をかける。その姿が何とも女性的だった。
その言葉に思い当たる節がよぎる。分かっていたが、忘れていた。
同時に、これからへの決意を問われた気もした。
「大丈夫だよ。ありがとね」
「良かった」
少女は優しく笑い、門出を待つ。
でも何か忘れてる気がする。
そうだ、いくら機械でもこの家では立派な家族ではないか。
なら、出発する前に言うべきことがあるだろう。
「イア」
「はい」
「いってきます」
「いってらっしゃい!」
そう言い残して扉を開け、外へ出る。
出発する前の大事な掛け合い。
幾ら時代が変化しても、このやり取りは決して変わることの無い、未来永劫の伝統なのだ。
外の風がとても心地よい。
ここから望む横いっぱいに連なるビル群も、いつもとは違う景色に見えた。
一つ深呼吸をして、歩み始める。
こうして、俺の新しい物語が始まった。
続