心配して得した
「心配して損した!」
とは、よく耳にします。家族や友人などのことを心配していたのに、現状は心配するほどのことではなかった時に、思わず口から出てしまいます。
では――、
「心配して得した!」
とは、いったいどういうことなのでしょうか。
損得でしか物事を判断できないこのご時世――。心配して損をするのか得をするか、白黒ハッキリさせようじゃありませんか――。
「心配して損した」の反対は、恐らく「心配しないでいて、得した」なのだと思います。
な~んにも心配しないでいて、な~んにも悪いことが起こらなければ無駄な心配をしなくて済み、それを「得した」というのは解ります。
では、「心配しないでいて、損した」はあるのでしょうか? ……少し考えてみると、これは多々あることに気付きます。安易に考えていた――。まさかこんなことになるとは思わなかった――。心配しないでいて損した場合とは、後悔がつきまとうことでしょう。
「心配して損した」
「心配しないでいて得した」
「心配しないでいて損した」
この三つのパターンがあるのなら、「心配して得した」もあるはずなのです。
心配して得した……?
いったいどのような場合のことなのでしょうか。
心配している時点で、心は乱れ、髪も乱れ、ドキドキ心拍数は上がり……得なんて一切していません。それに、心配していた通りの状態になった場合、結末は悲劇になるわけで、得した気持ちには到底なれません。
……ここまで筆を進めて、いったいこの結末をどうするのか……読者の皆様に怒られてしまうかもしれないと、――すでに私は心配になっております。読んで下さっている方も、心配になっていることでしょう……。ここまで読んで損した~と……。
現代はストレス社会とも呼ばれ、心配ごとは尽きません。
……家族のことや仕事のこと。世間の出来事や、株やお金のこと。
身体の不調やコンプレックス。地球温暖化やエアコンの設定温度。
……さらには、飼っているペットの卵詰まりのことや、先週の「数独」パズルの答えが合っていたかどうかなど、――心配ごとは人それぞれ、大なり小なり様々です。そんな中、あなたは、「心配して得した」――と感じた経験はありますか?
家族のことを心配していたり、明日のテストのことを心配していたり、心配して得をしたことはあるでしょうか? ……心配しているだけでは得をしなかったと思います。実際には心配したことよりも、その次に何かしらの「行動」に移り、それにより結果が良好であった場合にのみ得をしたと感じたはずです。
「心配」ではなく「行動」とそれに伴う「結果」こそが得に繋がったはずです――。
「子供が熱を出して心配だったが、病院に連れて行ったらインフルエンザA型だったので薬を処方してもらい熱が下がった」とか、「テストが心配だったから、その分、しっかり勉強したら……落第せずに助かった」など。
心配しているだけでは……得をしなかったはずです。
では、やはり「心配して得した!」なんてことはないのでしょうか?
行動しなければ心配だけしていても、得なんてしないのでしょうか?
そんなことは――ありません。
心配して損をした時以外、すべての心配は得をしているのです。むしろ心配して損をした時ですら、得をしているはずなのです――。
心配は心を配ると書きます。つまりそれは優しさであり、相手のことを気遣う思いやりの気持ちです。心配している人と心配されている人の間には目に見えない心のやりとりがあり、それはすべて得なのです。
心配をして悩んでいるときに、
「心配して損なんかはしない……。だから私は今、得をしているんだ……」
そう考えることで、この「ストレス社会」は「優しい社会」へと変わるのでしょう。
誰かのことを心配することに、損をすることはないのです――。
言葉にして言われることで初めて気が付きます。
「心配してくれて……ありがとう」
――心配して得した――
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心配はストレス。だから心配なんてしたくない。心配して損をした! ……と考えてしまいがちですが、そうじゃなくて、心配することは人の優しい気持ちの表れだから、回りまわって得するはずなんです。という事が書きたかったのですが、うまく伝わったでしょうか……心配です。