初等部編50
書き直しました。直す前を読んでしまった方はすみませんでした。
その日の夜、私は寝付けずに今日のことを思い出していた。
私の瞼にキスを落とした後、ジンスは驚きで固まった私の頭をがしがしと撫で回し、まるで何もなかったかのように振る舞った。そのため、聞くに聞けなくなったのだ。
「何がしたかったんだろう……」
唇が触れた瞼をそっと触る。
「ジンスは私のことが好き……なのかな?」
他に誰が居るわけでもない部屋のなかに私の独り言が溢れる。
じわじわと顔に熱が集まり始めたのを感じ、慌てて首を振って思考を切り替える。
今一番気にしなきゃいけないことは、記憶がなくなってきてるってことでしょ。しっかりしなさい!!
自分へ叱責しながら枕元のランプの灯りを強くし、今日書き留めた前世の記憶を見る。
記憶がなくなってきていたのはジンスだけではなかった。それに気がつけたのはジンスが随分前に話した私の前世のこともノートに書き込んでおいてくれたからだ。
もしかしたら、もう既に忘れてしまったことも多いのかもしれないな……。前世の記憶がなくなるなんて想像もしていなかったので、私の手元にはそれを確かめる術はない。
暗くなった気持ちを溜め息とともに吐き出し、ノートをめくる。そこには前世での私の家族や友人、乙女ゲームについても書いてある。
今回、私が記憶を忘れてたことに気が付いた内容に先程よりも重いため息が出た。
まさか、イザベラが名前しか登場しないなんて……。
攻略対象であるプリオスの双子の妹でもあり、レオの婚約者候補第二位でもあるイザベラが出てこなかった理由は簡単だ。ゲーム内では高等部入学と同時に他国へと嫁いだから。
ゲームと現実は違うとはもう分かっているけれど、何だか落ち着かない。
カトリーナはレーン様と結ばれても可笑しくなかったのに、予定調和のようにもうすぐスクラート様と婚約しようとしている。
カトリーナの婚約だって、貴族としては至極当然のことだ。ゲームと同じように婚約するのは偶々かもしれない。けれど、私の記憶がゲーム関連のものから思い出し難くなってるような気がするのだ。
ジンスに全てを話したわけではないし、ノートに書いてくれたのだって一部分だ。それでも不安が脳裏をよぎる。
このまま、私達はゲームのような運命を進んでしまうのではないか。
ノアが廃人となってしまうかもしれない。
カトリーナが不幸になってしまうかもしれない。
イザベラがいなくなってしまうかもしれない。
どれも確定要素は何一つない。それでも、不安を払拭できない。
助けてジンスーーーー。
ノートを書きながら不安がる私をずっと励ましてくれていた彼の顔を思い出す。そしてまた、怖くなった。
ジンスはゲームには名前すら登場しなかった。いわばモブキャラだ。
いなくなるとしたら、彼が一番最初なのではないか……。それは、考えないようにしてきたことだった。
頭を振って何度も考えを否定しようとした。けれど、一度浮かび上がった不安は広がるばかりで……。
気が付けば月明かりだけが差し込む薄暗い廊下を走っていた。こんな夜更けに非常識なのは分かっている。自分の行動がどうかしていることも。けれど、どうしても止まれなかった。
部屋の前にたどり着き、ドンドンと扉を叩く。
お願い、出てきてーーー。
待っている時間が永遠のように感じるなか、扉が開いた。
彼の顔を見た瞬間、力が抜けて床へとへたり込む。
ーーーいた。ジンスはいなくなってなかった。
落ち着いて考えてみればそう簡単に人間が姿を消すわけがないのに、心の底から安堵した。
「よかった……」
何かあったのではないかと慌てて立ち上がらせようとしたジンスは、私の言葉を聞いて首をかしげる。
「ジンスがいなくなるかと思った」
そう続ける私の前にしゃがみこみ、あやすように頭を撫でてくれる。
「怖い夢でもみたのか?」
目線を合わせて優しく問いかけられ、少し逡巡した後に小さく頷く。
とても怖い夢だ。目の前からジンスがいなくなるなんて。
私はいつからこんなに彼がいなければ駄目になってしまったのだろう。ただ彼が私の隣にいてくれるだけで幸せだと感じるようになったのだろう。
こんなに、好きになったのだろう。
私の手を引いて立たせてくれるジンスを見上げながら願う。
彼の隣にいられるのは私であることを。