初等部編49
短めです。
寮だってしっかりとした防犯はされていたのだから、スコルピウス家に本来は住む必要はなかった。問題はジンスが町に一人で行ってしまうことだった。狙われているのだから大人しくするようにと周囲から散々言われていたにも関わらず、毎週のように出掛けていくのだ。
将来、商人になろうとしている彼にとって市井の様子を見ることが大事なのは分かる。けれど、身を危険にさらしてまですることではない。
最終的にはお父様が町に出掛けたジンスを影の者達に捕まえさせ、寮の荷物を全て我が家へ運び、本人の意思も聞かずに強制的に住まわせたのだ。
ジンスは商売をしていく上でお父様と話し合いがやすい環境になったため、文句の一つも言わずに従ったのだが、何も言わないジンスに何か企んでるのではないかと暫く周囲の人達は警戒をしていたのは余談だ。
「俺さぁ、最近思い出し難くなってるんだよなー」
まるで世間話でもするかのような軽い口調でジンスは言う。
「何となく、徐々に思い出せなくなるかもしれないと思って、記憶をノートに記しておいたんだ。そんで、久々にこの前ノートを見たら、俺が書いた内容なのに知らないことが書いてあった。ノートを見たお陰でとりあえずは思い出せたけど……それでも、何か切っ掛けがなければ思い出せなくなってる」
ジンスの言葉に息を呑んだ。心臓の音が頭まで鳴り響いている。
「それって、つまり……」
理解したくない、知りたくないと思う心とは裏腹に続きの言葉を促す。
「忘れ始めたんだ。それも、大切だと思っていたことから」
いつの間にかジンスの表情に陰りが見られ、声も僅かに震えていた。それでもジンスは困ったように眉を下げ、私に笑いかける。
「怖がらせるようなこと言ってごめんな。アリアが俺と同じになるとは限らない。でも、アリアが前世の記憶を何かに残していないのなら、思い出せるうちに書き留めておいた方が良いと思ったんだ」
今まで何があってもどこか余裕の表情だったジンスが初めて見せた弱い姿だった。
それなのに、こんな時にまで私の心配なんかして……。
そっとジンスの傍に近付き、頭をぎゅうぎゅうに抱き締める。
「見てないから、泣いちゃいなよ」
そう言いながら私の頬にはたくさんの雫がこぼれ落ちる。けれど、ジンスは泣かなかった。
抱き締めていた手は離され、逆に私がジンスの腕のなかに閉じ込められる。
「なんで、アリアが泣くんだよ」
そう言って、私の目に溜まった涙をそっと指で拭う。
「あーぁ……。こんなんだから手離せなくなるんだよなー」
困ったような、楽しそうな声でジンスは言う。
意味が分からず抱き締められたままジンスを見上げれば、そこにはいつもの表情のジンスがいた。
「いい加減、覚悟を決めて戦うかな……」
そう言った後、ジンスは私の熱くなった瞼に優しい口づけを落としたのだった。
初等部編50を書き直しました。何度か読み返したのですが、この後の展開を考えて、続きは変えようと思います。申し訳ありませんでした。