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勢いしかないお話。
短編にしたくて纏まらなかった(汗
神なるものは無慈悲だ。
私は神なんて信じていなかったし、今も信じたくない。でも、その存在を信じざる負えない状況になれば、非信奉者であっても諦めがつくというもの。
信じたくないが、信じるに値する出来事が私に起きたのだ。
その神なるものは、私にある使命を与え、そして大きな力を授けた。
私は、神の作った運命に縛り付けられてしまった。
*
と、まぁ仰々しいことを述べていた彼女だが、今やこの生活に慣れて神に対して思う所は特に無かった。
「あ〜、今日は良い天気だな〜」
心地良い陽射しと風に、桜は足を止めて目を細めた。
今彼女がいる場所は、広大な森を抜けた先にあるシルと言う街の入口。
検問を抜けて数歩歩けば、街の喧騒と共に森の空気を纏った風が流れて来てとても心地が良かった。
「存外いい街かもね。入る前はちょっと嫌な感じしたと思ったんだけど」
何の気なしにそう呟いた桜だが、その予感は決して外れてはいなかった。
街の奥で、それは待っていたのだ。
ーーだがその出会いが、のちに彼女の運命を変えるものになろうとは、その時の桜には知る由もなかった。
*
先に、桜についてお話しようと思う。
彼女の名前は三橋 桜。
日本で生きていた頃は20歳だった。何故過去形なのかと言うと、単純に彼女が20歳で死んでしまったからだ。
桜の身に起きた事は常識では有り得ないことだった。
彼女が交通事故で亡くなったまでは良い。問題はその先であった。
車に轢かれた彼女は即死だった。
誰がどう見ても、即死。
実際桜は亡くなったのだが、彼女はその場に立っていた。自分の死体を眺めながら。
「...は、何これ」
自分の足元に自分のひしゃげた体が倒れている。
悶絶の表情すら浮かべない、ただの無の顔をしている血にまみれた己の姿に思わず吐いた。
いや、吐いたつもりなのに何も出はしなかったが。
そうして気付く、自分の体が透けていることに。
「な、何これ何なの!?どうなってんの!!」
『君は死んだのさ。それから、君は私の為に働いてもらうんだ』
気が動転していても、その声はやけに頭の中を占めた。そのおかげが、動揺していた気持ちも少しは落ち着いた。
だが新たな謎に桜は動揺と恐怖を隠しきれない。
『驚かせて悪いね。ではこうしよう』
そう不思議な声が響くと同時に、桜の見ていた風景が一変した。
凄惨な事故現場にいたはずなのに、目の前には清々しいまでの緑に溢れた森の風景が広がっていた。
おかしなことに木々の匂いや葉擦れの音、心地の良い風まで感じる。よくよく見れば、足元も草に覆われており、その質感すらも感じられた。
そして気づく、身体がもう透けてはいないことに。
『自分の死体を見ること程辛いものは無いね。済まなかった。でももう君は新たな身体を手に入れたから安心するといい』
その声に更にハッとする。
動揺し過ぎて上手く声が出ないが、何とか搾り出して謎の声の主に訊ねた。
「意味、分かんない...これは、夢なの?」
訊ねると言うよりは、思わず漏れた独り言のようだった。
『夢ではないよ、サクラ。君は、選ばれた。私の世界を救う者として』
「...は...?」
最早意味がわからない。これはやはり夢なのではと桜は思う。だが次いで聴こえた声に、桜は息を飲んだ。
...正確には、現れたそれに。
『君は死んだ。でももう一度命を与えた。勿論それは私の為の命で、君は私の為にこの世界を救わなければならない。私の創った、リバーファを』
目の前に、この世のものとは思えないほど美しい人が現れた。純白の髪に金の瞳。性別は男のようにも見えるが、女と言われても頷ける程中性的で美しく整っている。どこまでも白いその姿は、恐ろしさすら感じられた。
「だ、れ...」
『...神、とでも呼んでもらおうか』
「神、さま...?」
桜の呟きに呼応するようにして神なるものが口を開いた。
『サクラ、実に私の身勝手であることは承知している。だが、私は私の世界を守りたい。どうか、私のリバーファを救って欲しい』
「ま、待ってよ...リバーファ?何それ?救うってどういう事?」
次々と訳の分からないことを言われて、桜は既に混乱の最中にいた。ただでさえ自分の死体を見て、目の前に神を名乗る麗人が現れてひどく動揺していると言うのに、まだ何かあるのかと桜は疲れた顔を見せる。
『では簡潔に話そうか。......君には、私が創った世界リバーファに行ってもらい、いつか現れるであろう魔王となる者を屠って欲しい』
「...は...魔王?創った世界?」
『私は創造の神、故に世界を創ることが出来る。でも、創った世界に強く干渉する事は出来ない。神には神の、掟があってね』
神なるものは何処か憂い気な顔をして見せた。
『リバーファは私が最初に創った世界でね。とても愛着があるんだ。でも、長く生きた世界はそれ故に歪みも出やすい』
「歪み...?」
『人より生まれた負の感情、それが一つの力となりやがてはその人を蝕む。蝕まれた者は世界を歪ませる程の大きな負の力を得た魔王となるんだ』
その事実がとても辛いのか、神なるものはその美しい顔を少し歪ませながら桜を見た。
『そして、その魔王が生まれた』
「...!」
『とても、可哀想な子。魔王になどなれば、彼にも世界にも未来はない。でもまだ、間に合う』
不意に神なるものは桜の前まで歩き、彼女の額に指先だけ触れた。
途端に感じる温かさ。全身に感じたことのない熱が周り、どこか心地のいい感覚に陥る。
「な、にこれ...」
『私は世界に干渉出来ないが、力は与える事が出来る。君に、私の力の一部を与えた。一部とは言え人には余りある力だけど、きっとすぐに扱えるようになるだろう』
ふわりと笑う神なるものは、満足げにしながら指を離した。
「待ってよ、私その魔王を倒すだか何だかをやるなんて一言も...」
『すまない、これはもう決まったことなんだよ。サクラ、君ならきっとリバーファを救える。どうか宜しく頼むよ』
「は!?ちょっと待って!何勝手なことっ!」
『第二の人生が始まったのだと、そう思えばきっと楽になるよ。では、また会おうサクラ』
「ちょ!!」
『私はずっと、見守っている』
桜の制止の声も聞かずに、神なるものは光となって消えていった。
緑生い茂る森の中に取り残された桜は、伸ばした腕をそのまま呆然と立ち尽くす。
「え、...マジすか...」
そうして桜は神の創った世界リバーファに、1人無理矢理に降り立たされたのだった。
*
あれから幾年が経っていた。
降り立った当初は、森の中をしばらくさ迷った挙句空腹で何度も死にかけた。だがその度に頭の中に知らない知識が浮かび、この世界リバーファでの生き方がだんだんと理解できるようになった。
例えば食べてはいけない果実や、森の中に現れる魔物の生態、自分が使える魔法について。
空腹で死にそうになった時、ふと目に付いた果実を食べようとした。でも見たことのない見た目であった為、これは食べられるのだろうか?と疑問に思ったのだ。
その途端、頭の中にまるで辞書を開いたかのような感覚があり、手に持った果実がどんな食材であるか事細かに頭に浮かんだのだ。
まるでゲームにあるようなアイテムの説明欄を見ている気分だった。
だがそれを理解してからは、対象物に対して疑問に思えばそれが何であるか全て分かるようになった。
そうしてリバーファについて考えてみると、この世界には魔法が存在しており、自分も例外なく魔法が使えることが分かった。
正にチートではないかと思ったが、桜は神に力を与えられただけはあり、想像する魔法をいとも簡単に使えてしまったのだ。
炎魔法や氷魔法などお手の物だ。
魔法が使えるということは、森に出る魔物にも対抗手段が出来て大いに助かったのだが、最初はそれはそれは酷いものだった。
何より見た目は動物と大差ないこの世界の魔物だ。
やむなくとは言え魔法で倒した時の後味の悪さと、その死体が残ってしまうこと。それが桜をしばらく苦しめた。
最初は己の所業に何度も吐き、何度も泣いた。
でも無情にも人間とはやはり順応する生き物だ。
3ヶ月も経てば、桜はその環境に慣れてしまっていた。
魔物を倒すことに抵抗がなくなった訳では無いが、頭に浮かんだ知識によれば、魔物はこの世界の負の塊であり倒すことによって世界の歪みも減るらしいとの事だった。
神なるものの願いは、この世界が救われること。
それは歪みを無くせばいいと言うことにもなる。
それが免罪符になる訳では無いが、そう思えばまだ桜の心は平常でいられた。
そうして知識に助けられながら、色々な経験を積んだ桜は長い時をリバーファで過ごしていた。
「あれから多分かなりの年を重ねたと思うんだけど…」
シルの街中をのんびりと散策しながらふと思う。
頭の中に浮かぶのは知識だけでなく、その時々に起こったことをメモするノートのようなものもあった。
簡単に言えば日記だ。
「あれから有に、5年は経ってるんだよなぁ」
日記なので、自分があの日からどれだけの期間この世界で生きてきたのかもはっきりと分かる。
もう5年はこの世界で生きている。
でも不思議なことに、桜の外見は全く変わっていないのだ。
5年も経てば流石に変わるところがあると思ったのだが、鏡を見てもあの日のまま。長い黒髪に黒目、顔立ちも特に変化はない。
「まさかの永遠の命ってやつ?」
それはとても夢のある事ではあるが、実際考えてみるととてつもない孤独なのだろうと桜は思う。
ただでさえ知らない世界に1人降ろされたというのに、永遠に姿が変わらぬまま生き続ければ一つ場所にはいられない。
人は自分と違うものに恐れを抱く。故に歳を取らない桜は周りにとって化け物。例え仲良くなっても、その人はやがていなくなり、また孤独が始まるのだ。
「だったら、最初から孤独でいいよね…」
この世界に降り立ってから、桜は誰とも深く関わらなかった。彼女の旅の目的のせいもあるが、深い孤独を味わうくらいなら桜は1人でいたかった。
どっちにしろ桜は1度死んでいて、神なるものの願いを叶えない限り自由にはなれないのだろうと分かっていた。
ならばこの知らない世界で1人生きればいい。
死人は死人らしく1人でひっそりといればいい。
第二の人生などと神なるものは言っていたが、こんな人生は正直要らなかったと思う。
色々と思うことはあるが、やることはやると決めている彼女だ。
この街に来たのも、嫌な気配を感じ取ったから来たのだ。
この世界の歪み、負の力の浄化が桜の仕事の一つ。
神に与えられた力の根幹は負の力を消す浄化の力だ。
その力を使って魔物や、人に取り憑いた負の力を消し去ることが出来る。そうすれば世界の歪みが消えていくと言う。
「んー、やっぱ気配はあるんだよなぁ」
そう慣れた様子で気配を探り街を歩く桜。
気が付けば人の数も減り、どこか空気の淀んだ場所に来ていた。
振り返ると誰もいない。
いや、正確にはいるのだが、その人達は身動きすらしない。
「...貧民街かな」
街を少し奥に進めばそこは、貧しさで物を食べる事すら叶わず、家もない為に路上で生活を余儀なくされた人々が暮らす貧民街だった。
殆どの人が生気のない目で壁にもたれ掛かって寝ていた。...いや、一部の人はもう事切れているのかもしれない。
今までたくさんの街を回ってきた桜だが、ここまで酷い場所を見たのは初めてだった。
「...見かけは綺麗に見えた街も、中身はこうか。...領主が無能なのかな」
このまま放置すればこの淀みは増え、街全体が負の力に覆われるだろうことが予想された。
これは直ちに負の力を浄化し、改善しなければならない。
「...となると、領主が怪しいよね。多分、取り憑かれてる」
恐らく領主が負の力に囚われ、平常ではなくなっている可能性がある。負の力は人間に取り憑くと、その人間の精神をおかしくしてしまうのだ。
「圧政でもしちゃって、裁かれなくてもいい人達が多く断罪されちゃったんだろうね…」
その末路がこの場所なのだ。
桜は辺りを見回し、一息漏らした。
「ーーやるか」
神経を研ぎ澄まし、負の気配を辿る。
その気配は一見散らばってるように感じるが、必ず一つの場所に帰還している。
そこが大元だ。
「見つけた、あのでっかい屋敷だね」
遠くに見える赤い屋根が特徴の大きなお屋敷が、恐らく領主の棲家だろう。
そこにいるであろう領主を浄化すれば、政治も元通りになるだろう。...暴政をした領主はあまりいい末路を送れないとは思うが、こればっかりは桜にはどうしようも出来ない。
負の力に負けた時点で、末路はほぼ決まってしまう。
「でも、今のこの状態だけでも変わらなきゃ」
出来ることは必ずする。
それが今の桜のモットーだ。
「ーーん?」
件のお屋敷に向かおうと足を踏み出した時だった。
「こっち見てんじゃねーよー!気持ちわりぃ!!」
「お前みたいな化け物がいるから街はおかしくなったんだ!!」
曲がり角の先に3人の子供がいた。
どの子もみすぼらしい格好をしており、貧民街の育ちだとひと目でわかる。
その中の2人が、1人の男の子を虐めているようだった。
「出てけよ!化け物は出てけ!」
「そーだそーだ!!死んじまえ!!」
1人の男の子が側にあった石を手に取り、それを壁を背に蹲る男の子に投げつけようとした。
「ーー簡単に、死ねだなんて言うもんじゃないよ」
桜は投げようとした男の子の腕を掴み、制止した。
「な、なんだよお前!!」
「この死の溢れる場所でまた死を起こせば、今度は君が苦しむことになるんだよ。...人殺しなんか、するものじゃない」
「!!」
びくりと肩を震わせた男の子は、目に涙を貯めながら桜の手を振り払った。
じっと正面で蹲る男の子を睨むと、そのまま踵を返して走り去って行った。側にいた男の子も慌てたようにしながら同じように逃げていった。
「...本当に淀んでる。こうならなきゃ、あの子も普通に生活出来てたろうに」
そう呟きながら桜は壁前にいる男の子を見やった。
そうして思わず目を見張った。
「...な...っ」
暗い路地に蹲る男の子は、今まで見てきたどの子よりも綺麗だった。
白銀の繊細な髪に、紅く美しい瞳。今は汚れているが、垣間見える肌は真っ白でまるで雪のよう。
(ーーこんな、こんな綺麗な子は…見たことない!!)
この世界に来てから、こんなにも心動いたことはなかった。
それほどまでに、目の前の男の子は綺麗だった。
(それだけじゃ、ない...)
この儚い少年には強く、惹き付けられる何かがある。
その正体は分からないが、このまま彼をこの場所にいさせるわけにはいかないとそう思った。
「...ねぇ君...」
「...っ!」
桜が身を屈めて手を延ばすと、男の子はびくりとして声にならない悲鳴を挙げた。
どうやら桜が怖いらしい。というより、大人がこわいのだろうか。
「...大丈夫、私はあなたを傷付けたりしない」
「......」
優しく声をかけてみるが、彼は未だ怯えたままだ。
「ここで、沢山怖い思いしたんだね。でももうここにいるべきじゃない。ここは、君にとって悪い場所だから」
早い所この街を浄化して、せめてこの子を明るい場所へ連れていきたいと思う。勿論先ほど子供達も同じだ。
「...って......じだ...」
不意に男の子が声を漏らした。
「え?」
「...どこに、行ったって同じだ...。みんな、気持ち悪がって、逃げていくんだ......お前もそうだろ!!」
「気持ち悪いって...何が?」
キョトンとする桜に、男の子は予想だにしていなかったのか狼狽えた様子で何とか反論した。
「な、...何がって...この、この髪とか...」
「え?何言ってんの!こん〜〜んな綺麗な髪と瞳見たことない!!て言うか君、ほんと綺麗な顔してるよねぇ...」
後半うっとり気味に言ってしまったが全て事実だ。
こんな綺麗な男の子は初めて見たのだ。
「ぁ...う、うそだ!」
「なんで嘘付かなきゃいけないの?自信持っていいよ、君はとっても綺麗!」
「ぇ...ぁ...」
桜の言葉に男の子は声も出ない様子だった。
その姿を見て桜は脳内で例の辞書を展開してみた。
それによれば、この世界には白い髪と赤い目は忌避されるものらしく、負の象徴とも言われているようだった。
ごく稀に生まれてしまうらしいが、その色をもった人はやはり長生き出来なかったらしい。
「...なるほど。くだらないよね、そういうの」
反吐が出ると、桜はため息をついた。
それに何故か男の子過剰に反応し、肩をびくつかせた。
「や、やっぱり気持ち悪い...ごめん、なさ」
「ち、違うから!こんなに綺麗な色を馬鹿にするのが許せないと思ったの!」
慌てて否定し、震える男の子の頭をそっと撫でてみた。男の子は身を固くしていたが構わず撫でた。
予想通り、繊細な髪の毛はとても柔らかくて気持ちがよかった。体を洗えばもっと彼は綺麗になるだろうと内心でニッコリする。
「私、こんなに綺麗な髪と目は初めて見た。大丈夫、君は気持ち悪くないし化け物でもない。だからそんなに怖がらないで」
「.........」
男の子の警戒心が、少し和らいだ気がした。
「ねぇ、名前は?」
「.........」
言おうか迷っているのか、逡巡した様子で下を見たり桜を見たりと忙しい。
「私は桜だよ。君の、名前は?」
「.........リ...ト」
どこか決意した表情で、彼は小さく名を告げた。
それに桜は笑顔で1度頷き、また頭を撫でた。
「そっか、リトね!いい名前だね」
「...!!」
白い肌を赤く染めて男の子ことリトは俯いた。
それがまた何とも可愛く桜は内心で悶える。
「ねぇリト、お父さんかお母さんはいないの?」
「...お母さんは、死んじゃった。お父さんは知らない」
「......そっか」
この世界では嫌われる容姿をしていて、その上彼を守れるであろう両親がいないとは。何という悲劇だ。
この子を守るにはこの街は、この世界は厳しいのだろうか。
桜は無意識にリトを抱き締めながら考える。
その行為に彼がまた頬を染めてるとも気付かずに。
「......サク、ラ?」
「ーー!!なに、リト?」
躊躇いがちではあったが名前を呼んでくれたことが嬉しく、桜は目を輝かせて応答した。
「...そ、その...旅人...なの?」
チラチラと桜を見ながらそうリトは尋ねた。
その視線に桜は納得する。
今の桜の格好は旅人そのものだ。
薄い灰色のフード付きコートに、大きめの肩掛け鞄。
靴も歩きやすく水に強いブーツだ。
一目で旅人だと分かる。
「そうだよ。それがどうかした?」
「......ぼ、く...も」
「ん?」
桜が声を出すと何故かビクっと驚きまた俯いた。
辛抱強く彼の言葉を待つと、リトはまたゆっくりと口を開いた。
「ぼくも、...一緒に...連れてって、ほしい」
「.........へ」
「サクラと、一緒にいたい」
「ーーっ!?」
桜は思わず口を手で押さえた。
いや、顔全体を押さえている。指の間から見える肌は赤い。
(か、...可愛いぃぃぃぃぃ!!!!その顔でその台詞は罪深い!!許せん!だが許す!...じゃなくて、どうしよう!?)
まさか旅に同行したいと言うとは思わなかった。
だがそれも案外悪くない提案なような気がした。
今の彼の状況から考えれば、とりあえずこの場所から連れ出すのは良い事のように思われた。それが桜と旅をするのが正解かと言われれば違う気もするが。
目の前の美少年は目を潤ませてこちらを見ている。その必死さ溢れる懇願に、桜はクラクラしそうだった。
「ぼく、このまちから出たい。出て色んな所に行ってみたい」
そう語るリトの目が、少しだけ輝いたような気がした。
「お願いサクラ、ぼくを連れてって」
「〜〜〜〜」
涙目のリトは、その小さな体を桜に押し付けた。まさかの抱き着きに桜は声も出ない。
リトの最終攻撃は、桜に大ダメージを与えてしまったようだった。
「......分かった。一緒に行こう。このまま放ってもおけないし」
桜の観念した声にリトはその顔を輝かせて更に抱き着いてきた。
「やったぁ!!ありがとう、サクラ!」
「...はは」
なんてことは無い、美少年の魅力に負けたのだ。
だがこれはこれでいい気がした。とりあえず今は。
リトをこの街に置いたままいれば、いずれはタチの悪い者達に殺される可能性が高いだろう。
だが彼を連れていくのならば、桜はしなければならない事があった。
この先彼が生きていく為には必要で、桜がいなくなっても1人で何とか出来るようにする為になくてはならないもの。
「リト、ついてくるなら絶対にしなきゃいけない事がある。それを守りさえすれば、私の旅に同行してもいい」
「ま、守る!何をすればいい?」
食いつくリトに、桜は真面目な顔で告げた。
「とにかく、強くなること。私と一緒に、修行するの強くなる為に」
「つよ...く...」
「強くなるにはきっと大変な思いをするよ。それでもついて行きたい?」
彼がこの先生きていくにはこの世界は障害が多いだろう。その障害を乗り越えるにはまず力がいる。そして次に精神力。
その二つをどうにか育てて、いつか自分の元から離れ1人で生きていけるようにしなければならない。
きっと桜と同じように彼の容姿を理解してくれる人も現れるはず。その時桜はそこにいてはいけない。
彼がこの世界で、この世界の人と生きられなければ意味がないのだ。
「リト、どう?やれる?」
「やる!ぼく、強くなる!!」
即答だった。
その目からは先程までには無かった強い意思が感じられた。
「よし、じゃあ今日からリトは私の弟子!」
「...弟子...うん、がんばる!師匠!」
師匠。
思ったよりもいい響きだと、桜はニンマリした。
「おいで、...でもまずは、この街を何とかしなきゃね」
桜はリトの小さな手を握り、この街を包む負の力の原因を倒す為に歩き出した。
*
桜の予想通り、この街の領主は負の力に呑まれていた。お屋敷を尋ねると、入ってすぐに異常なまでの負の力を感じた。
使用人にも生気がなく、屋敷の中もどこか薄汚れているように見える。
「わぁお...これは確実だね。...さて」
「サクラ?」
使用人に領主に時間を貰えるかどうか確認してもらいに行ってもらったのだが、いつまで経っても戻って来ない。桜は座っていたソファから立ち上がり、隣のリトの頭を撫でた。
「リトはここで待ってて」
「え?どこ行くの?」
「さっさと話をつけに」
そうニコリと笑うと、領主の部屋があるであろう2階へ続く大階段を登って行った。
2階へ上がると、突き当たりを右に曲がった先で先程声を掛けた使用人が倒れていた。
駆け寄って見ると、負の力によって衰弱してしまったのかグッタリとしている。
「...今元に戻してあげる」
桜は使用人の胸元に手をかざすと、柔らかな白い光を伴いながら浄化の魔法をかけた。
すると、使用人の苦しげな顔はみるみる内に和らぎ、すぐに安らかな寝息に変わった。
使用人を壁に持たれかけさせると、桜はまた歩き出し領主がいるであろう部屋へ向かった。
「...何...者だ...」
「大分、やられちゃったんだね。辛かったでしょ?今治してあげるから」
領主の部屋に入ると、そこは資料や置物などが散乱していてとても荒れ果てていた。
窓際に立つ領主の風貌もまた荒れていた。
いつもならきっちり纏めていたであろう髪の毛はボサボサになり、目の下にはクマ。服も汚れていてとても街の領主とは思えない。
負の力というのは本当に恐ろしいものだ。
負の力に呑み込まれた人間は、自身の中にあった負の思いが増幅し、感情を抑えられなくなる。
目の前の彼もまた自身の不安が溢れてしまい、街の統制が出来なくなってしまったのだろう。恐らく元より疑心を持っていた彼は、負の力に呑まれてからは周りにいた人達を信用できなくなって、次々と切り捨ててしまったのだと思われる。
それがこの街にあのような貧民街が出来た理由の一つだろう。
「この後も困難が続くだろうけど、どうか頑張って欲しい」
「でもせめて今は、安らかに」
桜は薄く微笑み、そして。
薄暗い部屋が、柔らかな白光に包まれたーー。
1階に戻ると、階段の手前でリトが座り込んでいた。
桜を待っていたのか、姿を見つけるなり駆け寄ってきた。
「あ、サクラ!」
「ただいまリト。さて、やることやったし行こうか」
そうニッコリ笑えば、リトは不思議そうな顔をしながらも頷いた。その小さな手を握り、領主の屋敷を後にした。
貧民街を抜けて街の反対側へと来た時、リトが不意に立ち止まった。
「リト?」
「...ほんとに、いいの?ぼくは...ぼくといるときっと嫌な思いもするよ?」
苦しげな顔でリトはそう呟いた。
自分から頼んだ事ではあるが、元来心優しいのだろう彼は、桜が自分のせいで傷付くのではないかと気にしているらしい。
(優しい子...。だからこそ、この世界に受け入れられなければいけないんだよね)
「大丈夫、私は図太いからそんなの気にしない。...何より、そうやってリトが辛い顔する方が私は嫌だよ。私を思うなら、強くなるの。誰にも負けない、どんな事にもへこたれない強いリトに」
「ーー!」
そう答えが来るとは思ってもいなかったのか、リトは目を大きく見開いた。握っていた手に、力が篭った。
「......うん、ぼく強くなるから。ぜったい、強くなるから!」
「よし、一緒に頑張ろうね!じゃあ行こう」
「うん!」
その日、桜は白銀の髪の少年リトと出会い、そして共に旅に出た。
だがこの時桜は気付いていなかった。
彼との出会いがまさに運命だったこと。これが、元より彼女に与えられた使命を果たす為の出会いだったこと。
桜は全く気付いていなかったのだ。
彼が、神なるものが語っていた"魔王"であることに。