一品目・『切剣』その2
俺は、家に帰ってから、持ち帰ってきた風呂敷を解いた。そこには、鞘に収まった一振りの剣が包まれていた。
見ての通り、俺は切剣を買ってしまった。とんでもなくお高い買い物だったので、少し後悔もある。はたして本当に人の縁なんて切れるのだろうか。
家のソファーに座ってテレビを付けながら、俺はあの化け物の言っていた言葉を思い出していく。
これを使ううえでの注意を、彼はとても親切に親身にいろいろと教えてくれたのだ。アフターサービスとかいうものの一環らしい。
「この剣は、人の縁を切ることが出来るんじゃが、縁を切るっちゅうこたぁ、その人間同士のげに元からの縁を断ち切るもんじゃ。よって二人は他人同士に戻ってしまうっちゅうことじゃ」
「……はあ」
「つまり、これを使うと夫婦すら他人になってしまうわけなんよ」
「それが本当なら、すごいことですね……」
「信じとらんじゃの。じゃが、夫婦の縁を引き裂おったら、どうなるかわかるんか?」
「さ、さあ」
「例えてゆぅたら子どもがおったとするんじゃのぉ。でも、二人の縁が切れると、それまじゃった思い出や干渉やらが全て消えてしもぉて、子どもの存在ものぉな」
「……」
「そして、そのことはこの世界の安定を大きく揺るがすことになります。それだけこの一振りの重さがどれだけのものかというのだけは、重々ご理解ください」
「は、はい。それは恐ろしい……」
「ただ恋人くらいじゃったら、まあ大丈夫じゃ。間にガキさえおらにゃぁ、あんたぁ人殺しの罪を背負うこともないじゃろう。まあその辺りばっかしゃぁよう気をつけて、使ってつかぁさいのぉ。それに、もし間違えて切ったとしても……」
といって、化け物は狐の双子の間にあった糸を、その剣でズバッと切り裂いた。その縁の糸は空中をヒラヒラと舞って、どんどんその距離を離していく。
同時に、狐の二人がとても驚いた顔になって、互いを見詰め合った。本気で初対面のような顔をしているのだ。これが演技だとすれば、彼等はハリウッドにスカウトされてもよいだろう。
だがそうすると、二人の姿が段々とぼやけて移ってきた。オロオロとして自分の身体を見つめて慌てだす二人を見て、化け物は俺に剣の鍔を近づけてきた。
「間違えたら五分以内に剣を鞘に収めて、この鍔を回してつかぁさい。すると切った縁が修復されますけぇの。ただし、五分を過ぎるとなんぼやっても戻らん」
「……随分便利なんですね」
「でも万能じゃぁなぃけぇ。どうじゃ? この商品についちゃぁ」
「わかりました……それで、代金ですが」
といって俺がサイフを出すと、化け物がニタッと笑った。口がとても広く、やはりコイツが人間でないことが理解できた。
「お気に召さんにゃぁ、三日以内ならご返品承るんじゃけぇの。ただし、そりゃぁ一人の縁も切っとらん時に限るけぇあしからず……で、代金は」
化け物は、そういって今まで羽織っていた布を取った。俺は唖然としてその姿を眺めていた。
鼬だ、目の前に巨大なソロバンを背負った鼬が立っていた。毛の色は狸のようでいて、狐のような色にも見える。
そんな鼬が二本足で立っている。身体がデカイだけでは飽き足らず、彼は人間とは骨格は違うものの、ちゃんと二本足でしっかりと立っているのだ。
そして化け物は、巨大なソロバンを目の前に出して、先端を切剣の鞘に当てると、ギターを弾くようにしてそれを弾き始めた。
「まずは先んじて五万円。お気に召したらさらに五万円追加っちゅうことで」
「五万、ですか……」
「嫌ならよいよ。この話はなかったっちゅうことで」
といって、鼬は店をさっさと畳もうとした。なので俺は急いで彼に詰め寄った。
「待ってください! わかりました。払います!」
「まいど〜」
鼬は、ニコニコとした顔で俺に切剣を渡すと、尻のポッケから落ちた財布を拾い上げ、きっちり五万円を取り上げた。慣れた手つきであった。
「じゃぁ、また三日後に五万円をさらに請求しにまいるんじゃけぇの。それまでようお考えつかぁさい」
鼬はそう挨拶して一礼すると、そそくさと店を畳んでまた布を被った。布を被れば、確かに一目で化け物とはわからなかった。狐の双子は、店を片付け終わると鼬の布の中へと潜り込んでいく。
「あ、これ持っとってつかぁさい」
別れ際、彼は俺に名刺を渡してきた。とても汚い字だったが、なんとか読める程度ではあった。
『商鼬・怪奇商店』
とだけ書かれた簡素なそれを眺めているうちに、一団はすっと消えていた。
「本当に夫婦の仲を引き裂けるのだろうか?」
俺はそんな疑問を持った。いくらあれだけ現実的だったとしても、あれが狐の演技だったとも考えられる。化かされた可能性だってある。
とりあえず、俺はまず試し切りをしてみることにした。隣に住んでいる子持ちの熟年夫婦がいるので、これに対して使ってみたらどういうことになるかと。
これを使う時は、ただ鞘から出して、対象に向かって意思を集中させながら、少しだけ刀をクイッと動かせば良い。かといって、いきなり尋ねて刀を後ろに隠していたら、ただの変態でしかない。
俺は、隣の大黒柱が帰ってくるのを窓からこっそり伺って、試しに夫婦の仲を切ってみることにした。少し待っていると、大体予測通りの時間に父親は帰ってきた。
鞘から切剣を取り出すと、夫婦のものだと思われる一番太い繋がりを切ってみた。一瞬父親はピクッとしたが、すぐに自宅へと入っていく。
しばらくして、隣の家から悲鳴が聞こえてきた。奥さんの声だ。俺はびっくりして隣にいってみると、そこにはフライパンを持った奥さんが、夫を叩き殺そうとしていた。
「お隣さん! この人変態です! 早く警察に連絡して!」
「お、落ち着いてください。この方はあなたの旦那さんでしょう?」
「冗談。こんな人知りませんよ!」
すごい。本当に他人になっている。俺はついでに子どもの存在も確認してみたが、開いていた靴箱に、子どもの靴はなかった。
これはサクラでもなんでもない、実際のことだと喜んだ俺は、急いで家に戻って剣を鞘に戻して、鍔をひっくり返しておく。
それからもう一度言ってみると、どうしてフライパンなんか持っているのかと、旦那が目をギョッとさせて驚いていた。ついでに玄関から出てきた子どもも驚いていた。
靴箱にはちゃんと子どもの靴もある。こうして、子どもの存在もこの世に復帰したのである。
「すごい!」
俺は思わず、自分の部屋で大声を出して感動した。そして、一つの欲望が生まれた。
あの二人の仲を引き裂いてしまえば……全て無かったことになる。俺に振り向いてくれることはないかもしれないけれど、少なくとも奴とは結ばれなくなる。
覚悟を決めた。俺は鞘にしまった剣をまた風呂敷に包むと、会社用の鞄の中にギリギリで詰め込んだ。これで準備は出来た。
明日が楽しみだ、と俺は部屋の中で延々と高笑いをしていた。