一品目・『切剣』その1
俺は、同僚の志島さんに恋をしている。そんな、今更青春じみた恋心を抱いている会社員だ。
うちの会社はそれほどデカくないが、倒産という言葉からは今のところほど遠い、とある印刷会社だ。そんな会社の同期が彼女だった。
彼女はとても優しい人だ。自他共に認める根暗な俺のこともいろいろと気にかけてくれていた。同僚達と食事にいったときも、僕にもいろいろと話を振ってくれたりもした。
それだけでなく、彼女は容姿端麗で仕事もテキパキとこなす。皆からも慕われていて、昇進の話も出ている。正に俺とは正反対の場所にいる女性だ。
そんな彼女に恋しているなんて、俺も随分と身分の合わない恋愛をしてしまったものだ。自分で自分を笑いたくなる。
だけど、やっぱりそんな恋が叶う筈もない。彼女は今、同じく同期の中岡にご執心だ。
何せそいつは一流大学出のエリート。既に係長に出世していて、俺にあれやこれやと命令してくる立場にある。こいつも俺とは違う世界に生きている人間だ。
住んでいる世界にいない二人の間に入り込んでいく余地なんて当然なく、ただ彼女の厚意に必死な笑顔で「ありがとうございます」というのが、今の俺には精一杯だった。
会社から出ると、一度振り返ってため息をつくのが最近の癖だ。
もう病気だな、笑うことでしか自分を保てなくなった自分を見ると、つくづく自分はおかしくなったと自覚する。
仕方ないから今日も酒を買い込んで、一人で涙しながら夜更けまで飲み明かすことになるのだろう。こういう時に、親友を呼びたいところだ。
帰る直前、ふと風呂の石鹸をきらしていたことを思い出した俺は、薬屋を探すことにした。そっちのほうが安いしたくさん個数が入ってることが多いから、割の合わないコンビニでは買わないことにしている。
ところが、もうこんな時間になると薬屋は開いていないらしく、既にシャッターが閉まるところになっていた。オバサンのようにスライディングして入る根性も無かった俺は、がっかりしてその場から引き返すことにした。
こうなればもう、コンビニで売っている石鹸を買うしかないらしい。贅沢出来る身分ではないが、味気ない感触と匂いでガマンするしかないというのは、ちょっと億劫だ。
「セッケンならこちらに置いてあるんよ」
自分でも背中が曲がっていることが理解出来るほどガッカリしていると、ふいに声をかけられた。見ると、マント姿の奇怪な人間が、布を地面に敷いて露天を開いていた。何やらガラクタがたくさん置いてある。
下手に関わらないうちに逃げようとすると、何者かが前を遮ったような感じがして、俺は足を止めた。しかし目の前に人はいない。
「まあまあ、お一つ御覧になってみてください」
「きっと、あなたが探しているものが見つかるはずです」
下から声が聞こえたので見てみると、子どもが二人俺の行く手を遮っていた。が、彼等は子どもにしては何かが違った。
書生服と袴姿という、コスプレまがいの格好をしたその二人の子ども達は、身体中毛だらけだった。
それだけでも驚くべきことなのにも関わらず、おまけに彼等は手の形も人間とは違っていた。血豆を作る人間はいても、ニクキュウのある人間なんているはずがない。
「これも何かのご縁じゃけぇ。このセッケンを見てみてつかぁさいよ」
後ろからさっきのマント姿の男が話しかけてきた。逃げることの出来ない臆病な俺は、仕方なくその話に従うことにした。男からは、なんとなく獣の匂いがして、こいつも人間ではないのだろうなと俺は悟った。
俺は、そのセッケンと言われて渡されたものを見てみた。物凄く豪勢な装飾をされた物体は、何かを収めるものみたいらしく、先端には何かの取っ手が飛び出ている。
この取っ手から出てくるものがセッケンなんだろうかと少し疑問に思いつつも、俺はそれを引き抜いてみた。そして、腰を抜かした。
それは刀剣だった。肉厚のそれは日本の刀らしい形をしつつも、どこか棍棒のように丸く太い。つい驚いて手から離してしまったそれを、先程の子ども達は急いでキャッチして、二人揃って汗を拭った。
「お客様困るんじゃのぉ。高いんじゃけぇ」
「あの、これって本当に泡立つんですか? 石鹸に見えないのですけれど」
「いやいや。こりゃぁ身体を洗う石鹸じゃぁない」
「へ? じ、じゃあこれは一体なんですか」
と俺が慌てた様子で聞いてみると、その男はマントの中から鋭い眼光をチラチラと見せながら、ここがセールスポイントとばかりに細い指を俺に向けながら言った。
「こりゃぁ人の縁を断つ剣。切剣之縁じゃ。ほら、鞘にも書いてあるじゃろう?」
俺は少しオドオドしながら、子どもが抱えている剣の鞘を見た。確かに“切剣”と記されていた……。