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【短編】エレジークリニック

エレジー先生とゆとり教育

作者: れみ

 水野さんは、ゆとり世代ということで何かと苦労が絶えないらしい。これは一種の精神的な病だからどうにかしてほしい、とエレジー先生のところにやってきた。


 なるほどね、とエレジー先生は思う。


 それはたいてい、周りが「お前はゆとりだから」と言い聞かせるせいだ。

 例えば水野さんは魔法使いのような紺色のローブを着ているが、男のくせにそんな格好をするのはゆとり世代だからだ、と決めつけられては、そりゃあ本人もそういう気になってしまうだろう。


「エレジーだって、白衣の下は紫の道化師衣装だよ。パッツパツでゆとりなんてないけど」

「痩せればいいんじゃない」

「道化師衣装はパッツパツなものなの!」


 これだからゆとりは、とエレジー先生は言いかけ、そうじゃなかったと口を閉じる。水野さんを椅子に座らせ、カルテを手に取る。


「だいたい、ゆとり世代がみんな同じように育つなら、世の中が破綻してるはずだよ」

「うん、僕もそう思う。でも僕が受けたのは二千年前のゆとり教育だから、同じ世代の人はいないんじゃないかな」


 エレジー先生はカルテを取り落とした。


「二千年前って、どんな教育だったの? 猿から進化する方法とか?」

「それはもっと前だと思うけど」


 エレジー先生は途端に興味がわいてきた。そんな昔の教育事情が聞けるチャンスは滅多にない。ボールペンを握り直し、水野さんと向かい合う。


「円周率はどう習った?」

「およそ3」

「じゃあ台形の面積は?」

「およそ三角形」

「解の公式は?」

「公式はない。教科書はみんな二次創作だった」


 ぜひその教科書を見せてほしいと頼んだが、もう捨ててしまったと水野さんは言った。これだからゆとりは、とまたしても言葉が喉まで出かかる。


「で、そういう教育を受けたとして……今どんなふうに苦労してるの?」


 それは、と水野さんは身を乗り出した。深い色の瞳が、エレジー先生の赤い瞳をとらえる。


「仕事に行こうとしたら服の裾がドアに挟まって遅刻したり、パソコンに新しいOSを入れたらデータが吹っ飛んだり、落ちてきた洗濯物を拾ったら変態扱いされたり」


 エレジー先生は呆れた。なんて物知らずな患者なのだろう、と思ったが、そうは言わずに説明してあげるのが医者の仕事だ。


「服が挟まるのはドアに布チョッキリ虫がついているせいだよ。新しいOSが合わないのはフーポポフ社の陰謀だし、変態扱いされるのは君が変態だから」


 しかし、水野さんは聞いていなかった。こぽこぽと泡を立てるフラスコや、医学書の隅の落書きを見て笑っている。エレジー先生は頭にきて、水野さんの腕を引っ張って自分のほうを向かせた。すると勢い余ってフラスコにぶつかり、割れて中身が飛び散ってしまった。


「あー、やっちゃった」


 エレジー先生は雑巾を出してきて拭こうとした。ところが、床には何もこぼれていない。ガラスの欠片が宙に浮き、中の液体も丸い塊になって浮き、ふわふわと漂っている。


 水野さんは空中に手をかざし、不敵な笑みを浮かべている。ガラスは虹色に、液体は金色に光り、まるでイルミネーションの中にいるようで、エレジー先生は何度もまばたきをした。幻覚ではなく、本当に浮かんでいる。


「これは、およそ無重力」

「およそ……?」


 水野さんは両手を下ろした。思い思いに漂っていた欠片が、一斉にエレジー先生のほうへ落ちてくる。

 エレジー先生は身をかがめ、そのまま床に手をついて逆立ちをした。


「必殺! エレジーカウンター!」


 白衣がひるがえってめくれ、紫の道化師衣装が光を反射する。

 靴の裏にガラスが当たり、液体の塊もぽよんとぶつかり、跳ね返って一つにまとまった。元のフラスコの形になり、今度は水野さんのほうへ向かっていく。


「およそノーダメージ!」


 水野さんは手を伸ばし、フラスコを受け止めようとした。しかし、その指先が急に薄れて細くなり、フラスコの口に吸い寄せられた。髪が柔らかくなびき、ローブが波のようにうねり、あっと言う間に全身がフラスコの中に流れ込んでしまった。


 エレジー先生は空中でフラスコをつかまえた。揺れる液体に、一瞬誰かの姿が見えたような気がしたが、目を凝らすと消えてしまった。


「ゆとりは毒になるのか薬になるのか、実験してみるのも悪くないね」


 エレジー先生は小さな薬瓶をいくつも出してきて、フラスコの中身を丁寧に小分けした。そして白衣の裾を整えて座り、予約患者の一覧表を見た。いつも忙しい主婦の柴崎さん、完璧主義のサラリーマン小峰さん、お腹周りが太ってズボンがきつい里村さん。素晴らしい実験台がそろっている。


「次のかた、どうぞー」


 ドアが開き、待ちくたびれた顔の女性が入ってくる。前の患者が出てこないことにも、机の上に並んだ見慣れない薬にも、まったく頓着していない。ゆとりがないんだね、とエレジー先生は思う。

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― 新着の感想 ―
[一言] 本当に水野さんとエレジー先生の対決ですね・笑 どっちも好きなキャラです。 最後、エレジー先生は、あのフラスコの中にはいった「水」を、薬として飲ませるんでしょうか。というか、水野は水の中なら移…
2016/12/03 05:32 退会済み
管理
[一言] 今、「およそ」について途方にくれています(笑) およそってなんだ、のゲシュタルト崩壊です。 激しい攻防でしたね。 エレジーも道化師衣装では動きにくかろうに…(にやにや)
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