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……は?

 動きたい、動いていたい。悲しい時も、悔しい時も、体を動かせば気が紛れる。汗を流せば頭も冴える。上手くいかないこんな状況の時は、特にそうだ。


 それをこいつは……!


「鬱陶しい!!! 」

「当然、ジャマしてんだもん」


 まとわりつく泥が気持ち悪い。サキにとって動き回る事とは、生きる事に等しかった。進むにせよ、逃げるにせよ、まず自らが動かなければ始まらない。それをこの泥女は、絡め取るような泥で捕まえようとする。


 何より、こちらが必死で跳び回りながら一撃ずつ狙いを定めているというのに、この女は手の一本も、足の一歩すら動かさずにそれを防ぎきっているのだ。


 水のように自在に形を変えるくせに、土のように重い。右手のストレートも、左手のフックも、着地を省みない捨て身の回し蹴りさえも、泥の壁に阻まれた。


「なんで……っ! 」

「ほーら足止まってる」


 気付いた時には遅かった。壁として現れていた泥が、今度は巨大な拳のようにサキを襲った。真横からの打撃をモロに受けたサキは、身体を強く瓦礫へと打ち付ける。衝撃で花びらの髪留めは弾け飛び、肺から追い出された空気が、声にならない呻きとなって漏れた。


 手足から放たれる雷でも吹き飛ばしきれなかった泥は、サキの身体を何倍にも重く感じさせ、動きを何倍にも鈍くさせていた。迅雷の如きはずだったサキの跳躍と突進は、最早捕食者の前の獲物でしかなかった。


 泥は素早い。ゆっくりに見えて確実に対象を飲み込む。自らの体長を超える獲物を丸呑みにする蛇のように、じわじわと、正確に。


 すぐに足首が飲み込まれ、膝下まで泥が覆った。次に柱のように伸びた泥が手首を捕まえた。瓦礫を背に、サキは(はりつけ)にされた。


「最初の一撃で捕まっておけば楽だったのに、なんであれが避けられるかなぁ」


 ツカツカと歩み寄るサーペント。サキに動きはない。雷も鳴らない。ガックリと項垂れているだけだ。時折ヒューヒューと浅い呼吸音と共に、胸が微かに上下している。


「死んだ? あ、生きてるか。私としてもかなり気になるから、死んでほしくはないんだよ」


 そう言ってサーペントは、動かないサキの胸元に手を突っ込んで、ジャケットを広げた。内ポケットを探り当てると、いつのまにかサキから掠め取った金属板を、その内ポケットに押し込む。


「聞こえても聞こえてなくても一度しか言わないよ」


 彼女は耳元に顔を近づけ囁いた。サキのこめかみから頬を伝う血を、サーペントの細く白い指が艶やかに撫でる。首筋を伝って、鎖骨から、胸元へ。サキは相変わらず動かない。


「この端末に、ある事をするんだ。それはねーーーー」

 

 サーペントが言い終えると、朝日が八割ほど地表から頭を出した。陽光が眩しく大地を照らす、朝が来た。


「さて、向こうも終わるだろうし、終わろう。ちょうど朝日がいい頃合いだ」


 サーペントは朝日を浴びてほんのりと輝く明里草の花を振り返る。指先に着いた血をペロリと舐めとると、彼女は立ち上がった。


 --------------------


 僕とコーディは、蛇の赤目を追い詰めていた。朝日が昇り始めてから、赤目の動きは確実に鈍っていた。


「早く、退いてくれ! 」

「こいつで! 」


 しかしコーディのブーメランが弧を描いて直撃するも、一向に致命打にはならない。僕もまた、動き回る敵と足場の悪さが相まって、勝負を決めきれずにいた。状況は依然として不利だ。


 だが赤目は気付いていなかった。もはや僕達も極限状態の中で忘れていた。自分達の他に、仲間がいる事に。


「ばぁん! 」


 矢のような風が、赤目の頭部を捉える。貫きこそしなかったものの、動きの鈍りつつあった赤目は一瞬完全に動きを止めた。


「今だ! 」


 ノノが叫ぶのを後ろに聞きながら、スローモーションの世界で僕はザジの言葉を思い出していた。


『怯むな。迷うな。両手で構えろ。そしてーーー』




 泥で滑る瓦礫の地面を目一杯踏みしめ、剣の柄を両手で握り込んで、頭上に掲げる。光のステラが、さらに輝きを増していく。そしてそれをーーー。




『ーーー全力で振り抜け』


「でやぁぁぁぁ!!!!」


 瓦礫ごと、下の泥ごと、振りかぶった僕の剣は赤目の頭を両断した。さっきまで僕達に噛み付こうとしていた口を開けたまま、真っ二つに裂けて倒れていく。



 びちゃびちゃと嫌な音を立てて泥のマットに沈む赤目。僕もまた、その場に片膝をついた。


 怖かった。




 だが、勝った。そう思っていた。最良のタイミングで援護を試みたノノも、デンデンを守るように立っているデンゾウもそう思っていた。だが、コーディだけは違った。



(俺は、何かしたか……? )



 彼は、一種呆然としているようだった。



(俺のステラは効かないのに、ノノちゃんのはちゃんと効いたじゃないか……! )



(大事なものばかり傷つけて……俺の力は、何の意味もないの……? )


 そして、達成感も無く、緊張も解けていない彼だけが誰よりも早く異変に気付いた。




 雷が鳴っていない。




 咄嗟に顔を上げた。赤目が好き放題に暴れたせいで、残骸が集まってサキが死角になってしまっている。


 色々な想像が頭を駆け巡った。が、右手は既に動いていた。


 力があるなら、これが本当に自分の力ならば、仲間の為に、家族の為に使いたい。そして、色々な人と仲良くなりたい。それがコーディにとって、呪われたこの(ステラ)いの唯一の存在理由なのだ。


 ブンっ! 雷が手元で小さく鳴り、コーディのステラが瓦礫を大きく回り込んで飛んで行く。

























 ビシッ


「……は? 」


 そんな彼の願いを、サーペントは片手で弾いた。


 露骨に舌打ちをした彼女は、弾いた方の手を痺れを取るように二、三回振って歩き出した。


「一番嫌いなんだよね、そういうの」


 ドッ








 ドッ









 ドッ



「キミには教えてあげよう、おチビくん」


 ドッ



 ドッ



 ドッ



 ドッ


「雑魚が出しゃばると、早死にするってね」



 ドッドッドッドッドッドッドッ

 ドッドッドッドッドッドッドッ

 ドッドッドッドッドッドッドッ

 ドッドッドッドッドッドッドッ



「ガぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァ!!!!!!!!!!!!!」



 獣のような咆哮が響いた。



 それは一瞬の出来事だった。建造物の残骸に隔てられたレイ達には見えるはずもなく。



「え? 」



 目の前にいるサーペントにもまた、見えなかった。辛うじて感じた殺気に身体が反応して、半歩だけ右に身体が避けた。



 ザッ



 一寸遅れて、左腕から血が溢れる。直撃でこそないものの、皮膚が裂け、肉まで到達する傷だ。避けていなければ、心臓を貫かれていた。



 サーペントの目の前に居るのは、獣だった。


 バチバチと赤い稲妻を纏い、血に塗れてか所々が赤く染まった髪からは、ピンと鋭く立った獣の耳が生えている。牙を剥き出しにして、よだれを垂らし、鋭い爪を血に濡らす。そしてその血よりもさらに深い、真っ赤な目。


 この間約二秒。


 サーペントは決してこの事態を想定していなかったわけではなかった。でなければ、左手から血を流してニヤリと笑ったりはするまい。


「あっはっは! やっと本性を出した! やっぱりだ! 」


 余裕の態度を崩さなかった彼女は、傷を負いながらも全く怯まずに叫んだ。恐怖や怒りよりも、喜びが先に噴出している。そして何より彼女を動かす願いはーーーーである。


 同時に彼女の髪の毛の先が瞬時に伸び、無数に分かれてサキの手足を捕縛する。爪で振り払おうとしたが、不可能だった。全方位から迫る鎖から逃れられはしない。


「いいもん見た! でも、もうおねんねしてな! 」


 シュルシュルと手足に瞬時に巻きついて拘束するサーペントの髪。指一本動かせなくなったサキ。願いが吸われるかのように、赤い稲妻が、獣の耳が、見る見る消えていく。そしてサーペントはそれを確認すると、無造作にサキを叩きつけた。


 この間約七秒。


 牙も爪も消え失せ、稲妻も失くしたサキが、バラバラになった瓦礫の山にめり込む。


 ボロボロになったサキを僕が認識して、慌てて駆け寄り抱き起こしている間に、サーペントは沼の中央にいた。


「じゃ、お先に」


 ひらひらと振る手には、白く輝く明里草が握られていた。そして沼にズブズブと沈んでいく。


 慌てて追ったが、間に合わなかった。彼女は沼へと消え、その沼も見る見る干上がるように消えてしまった。そこには湿った草原と、薬草の植わっていた跡と、傷ついたサキと、

 僕達だけが取り残された。



「く、くそ……! ああ、あああああぁぁぁぁ!!!!! 」




 家族を救う為の、命懸けの僕達の任務は




 失敗した。

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