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稲光、二閃

「レイ、置いてっちゃうわよ」

「ちょっと、待ってって」


 サキは水溜りを飛び越えるかのように、軽々と残骸を飛び移って行く。何をどうしたらあんな動きができるのか。僕にはさっぱりわからない。


 夜にも目が慣れてきた。苔の生えた建物のような残骸は、前に雨宿りに逃げ込んだものとよく似ている。それが柱のように突き出たり、橋のように横たわったりして、それを僕とサキは足掛かりにしているわけだ。


「あ、レイ! それっぽいのを見つけたわ」


 サキは僕のかなり前方で立ち止まり、下を指差した。なるほど、そこだけが盛り上がり、土の大地が顔を出している。そこに、大事に囲まれるようにして、ほんの僅かに明かりが灯ったような蕾がある。明里草に違いない。あとは夜明けを待ってこれを摘めばいい。


 僕はサキのいるところまで飛び移ろうとしたが、どう考えても足場が足りない。


「早く来なさいよ」

「こんなに跳べないってば」

「何言ってんの、途中にいくつかあるでしょ! 」


 本当か? 僕はよくよく目を凝らしたが、僕とサキの立っている足場の間には、波一つ立たない泥沼が広がっているのみである。


「ないってば! 」

「うそ、あたしそれ踏んで来たのに」


 一瞬ゾッと寒気がした。真夜中の風だとかそんなものではない。もっと、首すじを逆なでするような、気色の悪い感覚。


 ふと、違和感に気付く。さっき見たとき、こんな所に柱は立っていたっけ……?


「ッ……! 避けて!!! 」


 サキの声が聞こえるか聞こえないかのうちに、僕は後ろに跳んだ。先程までの気持ち悪さが、覆い被さってくるように感じたからだ。そして、その予感は的中する。


 ビチャッという嫌な音を立てて、何かが飛び込んで来た。それは僕の立っていた足場をバラバラに砕き、泥沼へと潜って行く。太く長く黒い影が、僕の眼前を横切る。


 直ぐに頭を持ち上げたそれは、大きな大きなヘビのような形をしていた。そしてその目は、血のように赤い。


「さっきまで……。さっきまで、何も居なかったじゃないか……! 」


 そう、居なかったのではない。僕たちが気づけなかっただけだ。頭では分かっているのだが、こんなにも大きな赤目の霊獣(アニマ)に気付けなかったはずがないという思いが、僕の口をそう動かした。


「シッ!!!!!! 」


 緊急事態への対処は、やはり新米の僕よりもサキの方が数段上だ。瞬時にステラを発動し、一跳びで距離を詰める。その勢いのまま、赤目の首に蹴りを浴びせ、宙返りで別の足場に着地する。


 雷が落ちたような鋭い音が響くが、ヘビの赤目はビクンと一瞬動きを止めただけだった。僕から目を離さないまま、泥の中から尻尾を飛び出させ振り下ろす。


 突然の不意打ちにもサキは反応し、身を捻って尾をかわし、裏拳で鋭い一撃をくわえる。


 しかし赤目の一撃は重く、衝撃をモロに受けた足場は真っ二つに裂け、サキはその片割れを蹴って別の残骸に跳ぶ羽目になった。


「面倒……! 」


 サキはチラッと下を見た。下は泥沼だ。先程の足場がズブズブと沈んでいる事からも、ここに落ちれば逃げられない事は明白だ。


「サキ! 」

「デカくてもやる事は同じ! 良いわね! 」


 ヘビの赤目は様子を伺っているように見えた。ここでようやく僕は右手を掲げた。この予備動作が無いと、まだ上手くステラの剣を形成出来ない。


 暗闇の中、右腕が輝き剣が生まれる。怖くない、怖くなんかない。帰らなくちゃいけないから、負けない!


 死闘の火蓋が、切って落とされた。



 --------------------


 帰りを待つ者達の元には、招かれざる客が訪れていた。


 ヴァン達を見つめる、空虚な穴。ヴァンの上半身よりも大きな、萎びた頭。大きくぽっかりと開いた口。赤黒い爛れた皮膚から、枯れ枝のような腕が何かを求めるように彷徨っている。


「なんだ……⁉︎ 」


 ヴァンの驚きと、嫌悪感を感じ取ったのか、それはヴァンの方を向いた。そしてその枯れた腕を、ロディの方へと伸ばした。


「てんめぇ……! 」


 触るんじゃねえ! とヴァンは右手を伸ばす。感情が爆発する事で、ヴァンのステラは力を発揮する。右手が急速に熱くなっていく。


 喧嘩に慣れると、当たる攻撃と当たらない攻撃が段々と分かってくる。そしてこれは、確実に当たる攻撃だ。


 が


 その瞬間、そのおぞましいものは、笑った。


 確かにヴァンを見て笑った。


「なっ……! 」


 なんで笑うんだ……?


 スローモーションの世界で、しまったという思いがよぎった。まずい、今更止められないーーー。





 ガシッ!!!




 ヴァンの腕を、更に太い腕が掴んだ。


 その掌から冷水がドバドバと流れ、ヴァンの爆発を鎮める。


「あんたねぇ……!!! 」


 そのままその手は化け物の萎びた頭をガッシリと鷲掴みにし、排水溝へと叩きつける。野太い叫びが、風呂場に響く。


「うちの子達にィ、ぬぁぁぁにしてくれてんのよォ!!! 」


 目を覚まし起き上がったロディが、ヴァンを止めたのだ。ロディの掌から凄まじい圧の水流が流れ、化け物はみるみる小さくなり、油汚れを洗い落とすかのように排水溝へと吸い込まれていった。


「ちょちょ! そんな、急に動いちゃだめっすよ! てか、大丈夫すか! 」

「ちょっとだけ楽になったわぁん、ありがとねみんな」


 ダランと黒く染まった腕を垂らし、無事なもう片方の手から水を出すロディ。顔色は悪く、額にはべっとりと汗をかいているが、意識は何とかはっきりしているようだ。


「ねーねー。あれ誰だったの」


 ユーコが不思議そうに尋ねる。不気味な容姿にも物怖じしていないようだ。グッと排水口を覗き込むので、ヴァンは襟首掴んで引き剥がすしかなかった。


「あれはコムリっていう霊獣(アニマ)でね、あんまり良くない子なの」

「コムリ……聞いた事あるっす。あいつがそうなのか」


 霊獣(アニマ)は動物に似た形をしている事が多い。しかし稀に、既存のどの動物にも似ていないものが現れる。コムリもそのうちの一種だ。


「不幸を見つめるって言われてるのよォ。普段は見てるだけなんだけど、今日はちょっと悪さしようとしてたから」

「悪さ? 」

「ヴァンちゃんの爆発でね、自分ごとその不幸を撒き散らそうとしてたのよ。あんなのが飛び散ったらみーんな不幸になっちゃうわ。悲しみとか恨みとか、そういう暗い感情を沢山見て食べて大きくなるって言われてるの。ホント、やーねぇ」


 そうか、とヴァンは合点がいった。あいつが笑ったように見えたのは、そのためだったのか。


「でもね、あの子は不幸の火種を見てるっていうのよォ」

「むずかしい! わかるようにいって! 」


 ユーコが水を振り回して駄々をこねる。ペテが水を被り、少しむせた。


「これからもっと不幸になるわよ、ってことよ」


 ジャー……と、水の流れる音だけが反響する。


「そんな……」

「えー、やだ! 」


 ユーコが首を振った。


「たのしい方がいい! ペテもそうおもうよね? 」


 ペテはコクコクと首肯し、水を排水溝へと流した。コムリへの抵抗のつもりだろうか。


「あらあらァ、みんながそう言ってくれるなら安心だわ! そうよ、不幸なんてコテンパンにやっつけちゃいましょうね! そんで焼いて食べちゃいましょ! 」

「わーい! ステーキ! 」


 青い顔をしながらも、ユーコとペテに合わせるロディ。そんな中、ヴァンは手放しで喜べずに居た。


(俺がラタリアにいた時聞いた……コムリは身内の不幸も見通すって……。レイくん達は、大丈夫っすかね)


 --------------------


 僕は、体力にはそれなりに自信があった。木の枝から枝へ飛び移るのは朝飯前だし、サキほどじゃないにしても、こういった動きは得意だと思っていた。現に王国では、屋根から屋根へと飛び移りながら戦った。


 だが、今は状況が違う。下に落ちるという選択肢がない。足場は必ずしも平らではない上に、その間隔は赤目によって変動する。おまけにその足場は苔生して滑りやすい。


 このままではジリ貧だ。サキも何度も攻撃を仕掛けているが、足場が悪いせいか今ひとつ決定打を与えられていない。着地を念頭に置かないといけないので、思い切って踏み込めないのだ。


 サキに向き直って、首を持ち上げた赤目の霊獣(アニマ)。僕はその隙に、首の裏を狙おうと別の足場へ回り込んだ。が、それが軽率だった。


 突然目の前に太い尻尾が現れた。泥の中に潜んでいたのだ。一度この動きを見ておきながら、迂闊だった。


 空中で軌道を変える事は、基本的に不可能だ。咄嗟に僕は剣を前に構える。直撃を避けるためだ。しかし、衝撃は消えない。僕は沼へと叩き付けられるだろう。そうすれば、二度目は避けられない。


 どうする。



 どうする……!?



 無限にも感じられる一瞬を斬り裂いたのは、真横から飛び込んできた一筋の稲妻だった。


 バチンと弾かれて逸れる赤目の尾。その隙に僕は、足場へと着地することが出来た。


「サキ? 」


 いや違う。サキは僕と赤目を挟んだ反対側で戦っている最中だ。


「レイ兄ちゃん! 俺も! 」


 真後ろから声がした。精一杯張り上げた声だ。敵から目を離すなとザジに教わった僕だが、つい後ろを振り向く。


 はるか遠く、沼のほとりに一番近い足場にコーディが立っていた。コーディが助けてくれたのだ。


「ありがとう!!! 」

「うん!!! 絶対、負けない! 」


 だが、方向がおかしい。コーディは真後ろにいるのに、さっきの稲妻は真横から来た。


「俺は、強いんだ!!! 」


 コーディが右手を顔の横へ引き上げると、ピシピシと稲妻を纏ったVの字が手に現れる。サキの物よりも規模が小さいながら、しっかりと形を成したそれは、コーディの手によって力一杯放たれた。


 ヒューーーッと唸りを上げながら大きく弧を描いて飛んでいったそれは、意思を持ったように急角度で曲がり、サキを狙っている赤い目を雷で弾いた。


 僕はおもちゃとして、木を削って似たような物を作った事がある。遥か昔には狩猟の道具としても使われていたらしい。


「曲がる雷……ステラの、ブーメラン? 」

「サキ姉ちゃん!!! 」

「てぇりゃぁ!!!!!! 」


 赤目の頭はちょうど真上、考え無しに踏み切れる。赤目の一瞬の隙を見逃さなかったサキは、赤い稲妻を纏った拳を突き上げた。世にも珍しい、天に昇っていく稲妻が赤目の顎を砕く。


 泥飛沫を上げて、ヘビの形をした赤目は倒れた。荒くなった僕達の息遣いだけが、夜中の沼地に響く。


「や、やった! 」

「いや、違う……! 」


 剣を収めようとした僕を、サキは鋭い声で制する。霊獣(アニマ)の赤い目が再び開いたからだ。


「こいつ……まだ! 」

「待って、何か様子が……」


 プルプルと小刻みに震えているように見える赤目。何事かと覗き込もうとした瞬間、ガバッと大きく口を開いた。


 ビチャ! ビチャチャ!!!


 泥の上に吐き出された何か。しかしその何かの"形"は、すぐに理解できた。何故なら、それはすぐにすくっと二本の足で立ち上がったから。


「うるさいね。何、キミら」


 赤目のアニマが吐き出しのは、紛れもなく、人間だった。

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