黒い海を突き抜けて
来る。 正面、左、上から。押し寄せる憎悪の波、波、波。
僕達は赤目の霊獣が喰い合う平原を、全速力で走り抜けていた。デンデンの輪貝が唸りを上げ、赤目を轢き潰しながら進んでいく。
「たあっ!!! 」
飛びかかって来る赤目の大きく開いた口に、光の剣を突き立てる。僕の願いは負けていないのだろう、黒い体は真っ二つに裂け消えた。
「レイ、なかなかサマになって来たね」
「ありが、とっ! 」
デンゾウを目掛けて襲い掛かる赤目を、ノノは両手の人差し指を向けて次々と撃ち落としていく。
僕だって、毎日訓練を重ねている。握られた剣は、もう揺らぐ事はない。ザジのような剣さばきはまだ出来ないが、一匹ずつであれば対処できる。素振りの成果が、きっと出ている。
逆側の足場からは、落雷のような音が何度も何度も響いている。サキも必死に戦っているのだろう。コーディは大丈夫だろうか。
その時、突き上げるような衝撃が僕達を襲った。バランスを崩した僕の目の前で、ノノの軽い体がふわりと浮き上がる。
落ちてしまう!
僕は剣を手放し、手すりから身を乗り出して右手を目一杯伸ばす。間一髪、なんとか彼女の細い手首を捕まえる事が出来た。
「大丈夫!? 」
「さんきゅ。……アイツかー」
小柄な彼女はとても軽く、僕一人でも容易に引き上げる事が出来た。ノノの視線を追うと、デンデンの左後方の輪貝にかぶりついている赤目がいる。回転に巻き込まれグシャグシャになりながらも、その牙は滑らかな貝の車輪を傷つける事に成功していた。ノノが鋭い風で赤目を射抜くも、欠けた車輪という事実は残った。
輪貝のバランスを崩したデンデンが傾く。デンゾウが必死の叫びを上げ、手綱を操る。
こちらの状況を知ってか知らずか、前方の赤目がワッと襲い来る。黒く蠢く海から、赤黒い津波が生まれた。そしてそれは、僕達を飲み込もうとしている。
僕は剣を手に取った。
でも、どうすればーーーー。
「息、止めろーっ!! 」
ノノが叫び、懐から何かを取り出し叩きつけた。同時に一瞬で視界が真っ白に染まる。
奪われた視界のまま、体が横倒しになっていくのがわかる。デンデンが、横転する。
「がっ……! 」
大地に投げ出された僕は、背中を強く打った。肺の中の空気が、全て押し出される。息が、出来ない。何も見えない。
そうだ、赤目……! 光を集めて剣を形成しようとする。が、それも出来ない。
一瞬で出来ない事だらけになった僕は、苦しくなってなんとか息を吸い込む。その瞬間、僕を頭痛とめまい、吐き気が襲う。そして、不快な動悸。冷たくあしらわれた時のような、嫌なざわめきだ。
「ぐ……ぬぬ……」
必死に伸ばした手は空を切り、湿った地面に倒れ伏し、僕は意識を失った。
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「オカン、しっかりしろ! 死んじゃだめっす! 」
赤い牙の風呂場に、ロディは横たわっていた。呼吸は浅く、目は閉じていた。ヴァンの呼び掛けへの反応も、段々と薄くなっていった。
「おいペテ! もっとこう、全部洗い流せねえか! 」
ヴァンの叫びに、ペテは首を縦に横に振る。
「どっちだよ! 」
ヴァンは水の扱いが得意ではない。殊更緊迫した状況では、平静さを保てない性分なのだ。なので今は歯がゆい思いをしているに違いない。
「ヴァンにいちゃん、バーンってなるよ! 」
ユーコもまた、ペテと同じように平静さを保てている。そして二人揃って青いアルマ石を抱えて、冷水をロディの黒く染まった腕に注いでいる。
「わーってるよ、ちくしょう」
ユーコは一見、能天気に見える。だがそれは、状況に流されない長所でもあるのかもしれない。少なくとも、今はそうだ。
そんなユーコは、じっとしているのが大の苦手だ。ソワソワと落ち着きがないのはいつもの事だ。しかし今日は殊更頭をあちらこちらに向け、キョロキョロとしている。
「なあに? お友達になりたいの? 」
「ん? 」
ユーコは、何もない壁に向かって話しかけた。ヴァンは振り向いたが、当然ながら何もない。
ユーコの独り言はいつもの事だ。そう気を取り直し、再びロディへと呼び掛けようとする。しかしユーコは上へ下へと視線を動かすと、今度は背後の浴槽を覗き込んだ。
「すごいすごい! おにごっこ? ちがう? 」
「おいユーコ、遊んでる場合じゃないんだ」
ユーコは首をブンブンと横に振った。
「あそんでるのはこの子だもん! かくれんぼかな? みつけてほしいのかな。それとも、みつけたいのかな」
「何を言って……」
その時鼻をツンとつく臭いがした。腐った肉のような、嫌な臭いだ。
べっとりとした何かがヴァンの肩に掛かる。嫌な寒気が、彼を襲う。
振り返ると、そこには
大きな、萎びた頭と
瞳のない、空っぽの目があった。
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「レイ、レイ! レイってば! 」
「うっ……」
少々手荒な揺り起こしで、僕は目を覚ました。体を起こすと、ここはデンデンの荷台の上で、それが静止している事が分かった。
「あれ、僕は……赤目は……? 」
周りには、サキ、ノノ、コーディ、そしてデンゾウが座っている。全員無事のようだ。ノノが口を開く。
「ざっくりと話すよ。私達目掛けて襲い掛かってきた赤目に対して、私はこれを使ったんだ」
ノノが足元に置かれた、丸い機械を取り上げた。暗い青の石が埋め込まれ、弱い輝きを放っている。
「アルマ障壁発生装置さ。拒絶と抑制のアルマが込められていて、霧の結界を作るんだ。これで赤目を退けて、なんとかここまで来たってわけ」
これは、サキがホムル村に残して来たものと同じものだ。
「最初からこれを使っていればよかったんじゃ……」
「出来ないんだ、拒絶と抑制ってのはその場に留まりたがるからね。走ったら、流れていっちゃう。効果時間が短くなっちゃうんだ。ホントは目的地に着いてから使いたかったんだけど、仕方ないよね」
そうか。目的地に着いてからも、赤目が襲ってくるかもしれないんだ。それを防ぐ為に残しておきたかったんだ。とすると、もうあまり時間がないのか?
「レイ、あんた凄いうなされてたわよ。大丈夫? 」
「ああ、なんだか拒絶されてるような感じがして、気分が悪くなっちゃって……」
そうか、体を打っただけでなく、あの霧を吸い込んだせいで僕は気を失ったのか。
「おかしいな。人に対しては、気を失う程には効かないはずなんだけど……」
「でも、無事でよかった」
コーディがレイを見て呟く。コーディにも目立った怪我は見られない。全員、無事に赤目の中を抜けられたようだ。
「まったく、寿命が縮み過ぎて死ぬかと思ったわ。それで、どうするんじゃ? 」
デンゾウがデンデンの体をペチペチと撫でながら尋ねる。答えたのはコーディだ。
「あそこだ、あそこにある。俺たちが朝来たところだ」
コーディの指差した先には、何か建物の残骸のような物が散らばっていた。僕とサキは、あれと似たものに見覚えがある。思わずサキの方を見ると、サキもまた僕の方を見返した。
「また、ああいう場所ね」
「うん……」
夜の平原、謎の残骸。前に雨宿りをした時と状況は似通っている。そして、そこにはあまりいい思い出がない。
「とりあえず、近くまで行ってみるか」
デンゾウが殻を叩き、三つに減った輪貝が回り出す。
一帯は静けさが支配していた。赤目もいなく、風も吹かず、草ですらそよぐのを躊躇っているように思えた。
雲の切れ間から、星と月明かりが見え隠れする。残骸地帯の全貌が見えて来た。
草原の草はまばらになり、建物の残骸に近づくにつれて完全に沼地になっている。と言っても一見普通の土にしか見えず、コーディの前情報がなければ、今頃僕はズブズブと沈んでいただろう。
「歩いては行けないな……」
「なーに、簡単よ」
デンデンから飛び降りたサキは、軽く助走をつけてジャンプした。鮮やかな、鋭い放物線を描いた彼女は、沼の真っ只中の残骸に軽やかに着地した。
「レイ、あんたも得意でしょ! 」
「流石にそんなに跳べないよ……」
手近な残骸を見つけて飛び移っていくという要領で行くことは可能だろう。僕はキョロキョロと手頃な足場を探した。
僕はこの時気づかなかった。
その沼の奥に、大きな大きな、赤い目が光っている事に。




