懸念
先日、薬商人のディンゴ氏が何者かに殺害された。第四地区では以前にも殺人事件があり、国民は不安の声を上げている。
真偽は不明だが、都市伝説として知られる"死神'の仕業だとする説も根強く、騎士団もこの動きを看過出来ないものと思われる。天使長が介入するとの噂もまことしやかに囁かれており、一刻も早い犯人の特定、処罰が望まれる。
ふぁぁぁぁ。大きなあくびを一つして、僕はベッドから起き上がった。よし、今日も一日頑張ろう。
僕は元々、寝覚めがいい方だ。毎日修行に励み、仕事やその手伝いを頑張って、美味しいご飯を食べて、ぐっすりと眠る。うんと疲れるものの、生活リズムはホムル村に居た時と変わりはない。頑張った日の翌朝は、概して気分良く起きれるものだ。そして昨日も、僕は頑張った。
ベッドから立ち上がると、キラリと光る物が目に入る。机の上に置かれた、小さな金属の板だ。ナナユウ村で助けた少年タンジーから、お礼にと貰った物だった。
見る角度によって、赤みを帯びた金色にも、淡い緑色にも、雪のような白にも見える、不思議な金属の板。味気無い部屋に色を添える、良いアクセントになっていると我ながら思う。これがオシャレという事なのだろうか。
部屋を出ようとすると、ベッドの下から本が飛び出している事に気付く。水着姿の女の人が沢山描かれた本だ。
僕はそれをつまみ上げ、机の上に置いた。綺麗な人ばかりだったが、文字が少なくて少し退屈した。歌を歌う人達だっけ……。ヴァンに今度聞いてみよう。その時この本をあげたら喜ぶかもしれない。
出入り口のアルマ石に手を置くと、ドアが勢いよくスライドして開いた。よし、今日も調子がいい。
食堂に入り席に着くと、今日はいつもより人が少ない。ロディが言うには、ヴァンはコーディ、ユーコ、ペテを連れて薬草を取りに行っているそうだ。早朝に摘まないと効果を発揮しないとの事で、日の出前から寝ぼけ眼を擦って出て行ったらしい。
「おう! 今日も笑顔で頑張ろう! いただきます! 」
アーレスがいる時の食卓は、決まって彼が声を掛ける。曰く、食事と挨拶は人間の基本だそうだ。僕もそう思う。穀物を焼いて固めたシリアルをバリバリと頬張りながら、心の中で僕は同意した。
ガタン。ザジが空っぽの皿を持って立ち上がった。ザジは食べるのが早い。求められなければ、自分から話を振ることもない。
皿を片付けたザジが行く場所は決まっている。地下空洞だ。少しでも時間があると、彼は剣を振りに行く。僕もまだ、彼に教わるべき事が山ほどある。僕も急いで残りのシリアルをかきこんで、皿を片付けた。
「ノノ、今日は? 」
「もち、オーケーだよー」
ノノは頭をかきながら指でマルを作る。僕が聞いているのは、アルマ障壁発生装置の話だ。ノノとモニカが警報を感知していないという事は、ホムル村は今日も平和のようだ。
「ありがと、じゃあ、ごちそうさまでした! 」
そう言って僕は、食堂を出る。配送サービス"ジャングル"の手伝いは午後からだ。昼までは、みっちり修行だ。僕はザジの背中を追いかけた。
「おうムシャムシャ、レイは随分バリバリ、ザジと仲良くなったみてえだなモリモリ」
「ちょっと、口の中に入れたまま喋らないでくださいな! 」
アーレスが豪快な食べっぷりを見せ、ロディが嗜める。
そんな中、サキも皿を片付けて食堂を出て行った。
「……」
ノノはその後ろ姿を、じっと見つめる。
--------------------
サキは、赤い牙の通路を一人歩いていた。自室に戻るわけでもなく、 かと言って外に出るわけでもなく、ブラブラとうろつく。
幸いここは地下であるにも関わらず、地図が必要なほど広いので、あてもなく歩くには適していると言える。
「いざとなると、聞き辛いな……」
「何がー? 」
ガバッと地面が開き、灰色の髪が飛び出してきた。掛けていたゴーグルを首に下ろし、ノノが這い出て来る。
「そこ、開くのね……」
「色んなところにあるよ。メンテ用と移動用に」
開いた床を足で閉めると、ノノはクルクルと工具を指で回しながら尋ねる。
「ねえ、なんかあるんでしょ? 」
「……何が? 」
「いや、朝からめっちゃ引っ張られてるんだけど」
ノノは二の腕の辺りを見せた。今も何かに服がクイクイとつままれ、引っ張られるように伸びている。言いたい事がある時、特に親しい者に対しては、アルマはつついたり引っ張ったりする事が多い。
「別に、なんにもないわよ」
「らしくないなぁ。目が泳いでるよ」
サキは思わず顔を背けた。ノノとはいつも仲良くしている。しかし、ノノの時折見せる心の奥を見透かすような目は、どうにも苦手だった。特に今は。
「何か迷ってるよね」
「そんな事ない」
「次依頼来た時そんなんじゃ、死んじゃうよ? 」
「関係ないでしょ」
サキはハッと口を押さえる。やってしまった。ノノはノノなりに心配してくれてるというのに、つい突き放すような口調になってしまう。違うのだ、別に嫌だからではない。この件には、あまり身内を巻き込みたくないのだ。
押し黙ってしまうサキを見て、ノノは肩をすくめた。
「ホントになんもないの? 」
「ないわよ……もう行くね 」
「そっか、言いづらい事とかあるもんね」
そう、いくら仲が良かったとしても。いや、親しいからこそ言いたくない。サキはノノに背を向けた。
「じゃあ、言わなくていいよ」
シッ。
サキの顔の横を、何かが通り抜けた。ハラリと切れた髪が舞う。
「心に直接、聞くからさ」
サキが急いで振り返ると、ノノがちょうど工具を振りかぶったところだ。風に煽られ、灰色の柔らかな髪が逆立つ。
サキが構えるより速く、ノノは工具を振った。まるでおとぎ話の魔法使いが姫に魔法をかけるような、小さな小さな一振り。しかし杖に見立てられた工具は一瞬で風を集め、そして放った。
「んっ……⁉︎ 」
サキは咄嗟に伏せてそれをかわした。すぐ隣にあったパイプがスッパリと切れ、中から蒸気が噴き出す。
「な、なにすんのよ! 」
「言ったでしょ、心に聞くって。ステラ、見せてよ」
もう一度ノノは右手を振る。今度は広い。狭い通路では避け切れない。両手を交差して受けたサキは、空気の圧に押され吹き飛ばされた。
風はどこから吹くのか。という問いは、しばし哲学的な話題に上る。ただし今に限っては、答えは単純だ。風はノノから吹く。
「次は手加減しないからね」
「ちょっと、どうしたのよ! 」
叫ぶサキに耳を貸さず、ノノは風を集める。目と勘のいいサキは、それがすぐに殺傷性の高い切り裂く風である事に気付いた。
「あたしだって……色々考えてるの! 」
放たれた風の刃を、サキは左の拳で弾く。十字に壁が切り裂かれ、隣の部屋に繋がってしまった。
「家が壊れちゃうわよ」
「いいよ、どうせ私が直すんだし」
バチバチと両拳から雷をほとばしらせるサキ。しかしその勢いは弱く、平原で百倍以上の戦力の差を覆した稲妻の面影はない。
「なんでも相談して、いいよ! 」
「いらない、ってば! 」
雷と風が吹き荒れる。一瞬にして赤い牙の通路は、大荒れの空模様になった。
「私、知りたいからさあ! 」
「知らなくていいこともあるのよ! この知りたがり! 」
飛んできた風の刃を、サキは回し蹴りで蹴り飛ばす。天井のパイプが切れ、蒸気で一瞬互いの姿が隠れた。
「やあっ! 」
攻撃するつもりはなかった。だが、体が勝手に動いてしまった。サキは飛び込んで、ノノのいたところに向けて雷の拳を振り抜く。
「モニカッ! 」
「ぴぽ」
ガシャン! サキの手に、重たい感触があった。サキの拳が貫いたのは、厚い金属の板だった。通路の天井から、瞬時に板が降りてきて攻撃を防いだのだ。
「防護シャッターのテストも、兼ねさせて貰ったよ」
「ぐ……」
拳の五倍程の大きさの穴の空いたシャッターから、サキの喉元へノノの指が向けられている。一瞬の間を置いて、お互いに手を下ろした。ノノはぺたんと尻餅をつく。
「随分乱暴ね……ノノ」
「らしくないのはお互い様でしょ? 」
ヴィィと音を立てて、シャッターが上がって行く。ひしゃげてしまったシャッターは、貫いた穴のところでつっかえ、半分程度で止まった。
「知りたいってのは、嘘。心配してるんだ。本当だよ。サキ、抱え込みすぎないで」
「……」
ノノはあまり感情を激しく表に出すタイプではない。しかし、この目を見れば誰でも彼女が本気だということが分かるはずだ。少し潤んだ、くりっとした瞳に見つめられ、サキは困った。ありがとう、ごめん、それとも別の言葉が正解? サキには分からなかった。
「心配させて、ごめん。でも、大丈夫だから。何かあったら、今度はちゃんと言うわよ。ありがとう」
サキはノノに手を貸して引き起こすと、足早に立ち去った。
「知らなくていいこともある、かあ。やっぱりサキは何か知ってるんだな。もしくは、知ろうとしている……」
ノノはサキが見えなくなると、顎に手を当て首をひねり始めた。
「ぴぴぴー」
「いや、人聞きが悪いなモニカ。さっきも言った通り、私は野次馬根性で知識欲を満たす事はしないよ。ただ……」
コンコンと、手に持った工具で上がりかけのシャッターを叩くノノ。通路を塞ぐような分厚い鉄板を貫く拳は、本来それだけで脅威である。が、しかし。
「サキはいつもなら五枚は軽くブチ抜くよね。何を抱え込んでるか知らないけど、あのままだとマズイと思うんだよ」
「ぽぴぽぴ」
「うん。そこらの赤目なら問題ない。問題なのは、親父がやり合ったような連中と出会っちゃった時さ。イヤな予感が、するんだよ」
ノノはボロボロになった通路や部屋を見渡して、大きなため息をついた。
「このままだとママに叱られるのは、予感じゃなくて事実だ。モニカ、12番ブロックの動力を停止。今日中に直しちゃうからね」
ノノは立ち込める蒸気を風で吹き飛ばしながら、ラボへ向かう。
「でも、あの目……サキは止まらないだろうな」
止めても無駄だ。押し込めても、彼女は力づくで目的を達成しようとするだろう。
「あ、ノノ! 今日は暇なの? 」
考え事をしながら歩いていると、奥から大粒の汗をかいてレイが走ってきた。
「ああ、ついさっき暇じゃなくなったよ。レイも忙しそうだね」
「うん! ザジから、体力ないから走ってこいって言われて! そんで昼からはボッズの手伝い! 夕方からは時間あるから、その時何か手伝おうか? 」
その場で駆け足をしながら、レイはハキハキと答える。ああ、なんと嫌味のない男だろう。私では、とてもこうはいかないな。と、ノノはブツブツと呟いた。
「何か言った? 」
「……頑張ろうね、って言ったの」
「もちろん! 」
ニッコリと笑ってレイは走り去っていった。眩しそうに、ノノは目を細めてそれを見送る。もしかしたら、彼がサキの支えになれるかもしれない。根拠はないが、ノノはそう思った。




