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汚れ仕事

【マックール】

第四地区の市場で名を上げ始めた薬売り。品の質こそ良いとは言えないが、破格の安さでアクシディア民の間で話題となっていた。


ラタリアにも薬を卸していたという噂もあるが、顧客にとっては瑣末な問題である。

 ポツリ、ポツリ。重くのしかかるような曇り空から、遂に我慢が出来なくなったのか、雨が降り始めた。雨はすぐに強くなり、シトシトと音を立て王国の地面を打つ。


 アルマ石によって人々が自らの手で水を生み出せるようになったとはいえ、一度に出せる量には限りがある。人間にとって、雨は未だに恵みの雨なのだ。


 ここが干ばつに悩まされている村ならば、人々は泣いて喜び天を仰ぐだろう。旅人は好機とばかりに服を脱いで身体を洗うだろう。しかし、ここはソル・スティアール王国だ。誰も喜ばないし、誰も雨で身体を洗おうと思わない。


 降り出した雨に、人々は傘を取り出す。フードを被る者もいる。そして足早に、家へと急ぐのだ。少なくともアクシディアでは、大抵の者がそうする。


 ラタリアにも、雨は平等に降り注ぐ。雨は喉の渇きを潤し得るが、濡れて体温が下がり動けなくなる者もいる。風雨を凌ぐ、帰るべき家がない者も大勢いるのだ。


 そして、夜は足早にやってくる。雨が降ると、夜は夕暮れを押しのけてしまう。


 そんな夜の王国で、今日も一つ二つと明かりが灯っていく。アクシディア第四地区の一角にある大きな屋敷にも、明かりが灯った。


 一般的なアクシディアの民家と同じく、白を基調にしてはいるが、その大きさとくれば軽く三倍はくだらない。門は閉ざされ、その脇には警備員が二人直立している。それは豪邸といっても差し支えない佇まいであった。


 そしてその二階、表通りに面した陽当たりの良い部屋の窓から、男がぬっと外を眺めた。


「ひどい雨だな」


 雨が打ち付ける窓を離れ、男はテーブルの席へと戻る。


 当然のように、その部屋の中もまた豪華な装いをしていた。鮮やかな模様の絨毯が一面に敷かれ、壁の棚にはギッシリと本が詰まっている。家具も凝った装飾が施してあるものばかり、男が座っている椅子のクッションは綿帽子よりもフカフカで、机は光沢のある白い石を削って作られていた。


 男は蓄えた口髭をちょいと撫でると、机の上の皿から肉を挟んだ小さなパンをつまんだ。


「先生、良いタイミングで降りましたねぇ。水はアルマを洗い流すって言いますから」

「なんだ、そんな事を気にしているのかね」


 部屋には先生と呼ばれた男のほかに、三人の男が居た。うち二人は卓を囲んで座っており、もう一人は少し離れた部屋の隅で立っている。


 座っている男たちは、服装や近くに下ろしてある荷物から判断して商人のようだ。そして指輪や首飾りを見るに、それなりに裕福らしい。


 立っている男は飾り気のない質素な服を着ている。そして腰裏には大振りのナイフが横向きについていた。いつでも右手で逆手持ち出来る位置に、柄が飛び出している。くたびれた革の鞘は、そのナイフが使い込まれている事を示していた。


 先生と呼ばれた男、薬屋のディンゴは話しかけて来た男に言葉を返しす。


「この都会の人間の誰が、そこまで敏感にアルマを感じ取れる? ステラ使いじゃあるまいし」

「ステラ使いなんて、今時燃える氷よりも珍しいじゃないですか」

「そういう事だ。哀れ街の薬売りは、死神に目をつけられ死んでしまった。嘆かわしい事だな」


 わざとらしく天を仰いで顔を覆うディンゴを見て、商人達はくっくっと笑う。そして商人は数字や絵の描かれたカードを混ぜ、配り始めた。


「お人が悪い。あんなのまで雇っておいて」


 カードを配りながら、商人の一人は顎で部屋の隅を指した。ナイフの男は顔色ひとつ変えない。


「君こそ人聞きが悪いな。これはビジネスなのだよ。競争相手は、蹴落とす。そしてチャンスは逃さない。当然だろう? 」

「おっしゃる通りで」


 ディンゴは金貨を一掴み懐から出した。商人達もそれに倣う。卓の中央に金貨が積み重なった。


「貧乏人の慈善事業などに、私のビジネスの邪魔をされてたまるものか。私は"努力"しているのだ。奴もコソコソと商売をしていれば見逃してやったものを……。珍しい薬草も持っていたようだが、奴では扱いきれないだろうから仕方なくだ。仕方なく引き取ってやったのだ」

「しかし死神とは、考えましたね。子供のしつけの為の作り話と思っていましたが、こんなご時世では騎士団も民衆も信じてしまうかもしれない」

「汚い事は汚いものに押し付ければいいのだ。万一間抜けどもに尻尾を掴まれかけたら、その男に自主させるつもりだ」


 それを聞いて商人達はゲラゲラと笑った。ディンゴも口を開けて高笑いをした。ナイフの男は眉ひとつ動かさない。


「さ、今回は負けませんよ」

「前回も言っていたな。私はカードは強いぞ」


 豪邸の一室で、金持ちが賭け事に興じる。





 その一室を、遠方より見据える影があった。黒いコートを身に纏い、雨に濡れた白髪を搔き上げる。民家の屋根に立っている彼に、人々が気づく事はない。男はフードを被った。


「夕方には自室で軽食を摂りながらギャンブルを楽しむ……ねぇ。ほんと、奴の情報は正確だ」


 男の足元に影が渦巻く。ズッと手に吸い込まれるようにして影から飛び出して来たのは、黒くて長い筒状のものだった。後ろは太く、前は細い。下部に剣の柄のように握る部分があり、上部にはまたもうひとつ、小ぶりな筒が付いている。


 白髪の男はその黒い筒を両手で構えた。後端を肩に押し当て、首を寝かせ頬をぴったりと押し付ける。


「見たくねえものばっかり、見えちまうんだもんなぁ」


 そうぼやきながら、右目で小ぶりな上に乗った小さな筒を覗き込む。何倍にも拡大されたその筒の中には、楽しげな男達の様子が映し出されている。人差し指を、"三日月型の金具"へと掛けた。


「よーく見えるぜ、汚ねえ欲のアルマ……」





 一方、男達は賭けで盛り上がっていた。


「また負けました! お強い! 」

「はした金の遊びとはいえ、負けが込んでいるな。貸すか? 」

「いえいえ、とんでもない! 」


 カードをひとまとめにする商人。金貨を一つ取り上げ、親指に乗せた。


「先生、表が出たらレートを上げましょう。裏なら更に」

「逆転狙いか、いいだろう。やりたまえ」


 いつの間にか机にはグラスも置かれている。酒に酔って気分良く金を使うのは、それはそれは楽しいことだ。


 商人は親指で金貨を弾き上げた。


 金貨は鈍い輝きを放ち


 クルクルと回転して宙へと舞い


 放物線の頂点で一瞬その動きを止めーーー


 タァン!!!


 弾けた。


「え? 」


 間抜けな声を上げる商人の一人。その瞬間、呆けた顔のこめかみに穴が空いた。一寸間を置いて、逆の側頭部から血を吹き出し倒れる。


「う、わ」


 叫び声を上げようとしたもう一人の商人は、胸に二つ風穴を空け、ドサリと仰向けに倒れた。色とりどりの模様の絨毯が、赤一色に染まっていく。


「な、な……? 」


 呆然とするディンゴを、先程まで微動だにしなかったナイフの男が引きずり倒した。頭を下げ、床に押し付ける。


「何を……! 」


 我に帰ったディンゴは、自分の手にガラスの破片が刺さっていること、そして地面が濡れている事に気付く。窓が割れて、雨が吹き込んでいるのだ。


「外から狙われている。何かは分からないが……」


 パァン! パァン!


 降り注ぐ雨ではない何かが、壁を撃ち抜き、机を砕く。


「ここも危ない、家を捨てろ」

「な! 私が築き上げた、財産の詰まったこの家を! 」

「死ぬぞ」


 男は有無を言わせず、薬屋を連れ出した。



 --------------------


 雨の中、傘も差さずに走る二人の男。裏路地をコソコソと走る様はまるでドブネズミのようだ。


 そして、その進む先には一人の男が立っている。黒いコート、黒い筒。顔は黒いフードで見えない。壁に寄りかかっていたその男は二人の姿を認めると、待ち合わせた友人を向かえるように手を挙げた。


「よう。調子はどうだ? 」

「ひっ……! 」


 誰もいない、誰も見ていないアクシディアの裏路地。雨音が支配する空間で、不思議とその声は響いた。


「し……死神⁉︎ 」

「そいつぁちげえ……おっと」


 腰を抜かした薬屋ディンゴをよそに、男は黒コートの懐へと飛び込んだ。右手でナイフを抜き放ち、フックパンチの要領で喉元を狙う。


 コートの男は手に持った長い筒でナイフの刃を打ちはらい、斬撃を逸らす。男は僅かに跳びのき、様子を伺う。


「そうか、お前さんが市場の薬売りをやったのか」

「何だ、貴様……」


 ジリ……とナイフの男は間合いを測る。後ろから飛んでくる、ディンゴの声にならない叫びを無視して、ナイフの男は目の前の敵を観察する。


「俺か? ゴミ掃除のオッサンだ、ちょっと強めのな」

「この悪寒、おぞましい感覚……そうか、これがステラなのか……」


 ナイフの男は纏わりつくものを振り払うように身震いした。黒コートは苦笑いしながら首を振る。


「俺のヤツが汚いだけよ」

「ならば」


 再び男は斬りかかった。今度は黒コートに触れる事なく、その足元から立ち昇った影に腕を阻まれた。その隙に黒コートはナイフの男の額に筒の先端を突きつける。


「分かるか? 」


 この筒が何であるか、ナイフの男には分かるはずも無い。いや、この国に理解出来る者など居はしない。何故ならこの筒ーーー"銃"は、この世には存在しない武器だからだ。


 ナイフの男は、スッと力を抜いた。


「……これだけは分かる。俺は既に"死んだ"のだな。死線を何度も潜り抜けた俺には分かる。これは……越えられない。死に貫かれているようだよ」

「……なんであんな奴を守る。恩義か? 」

「金だよ。俺は買われたのさ」


 右手を影に封じられた男は、コートの男から決して目を逸らさずに伝えた。その目は、悲しみと、諦めと、微かな希望が混ざった複雑な目だった。コートの男はため息をついて、フードを外した。白髪がフッと雨に打たれ、垂れる。


「だよなぁ。そうだよな……」

「……ッ」


 コートの男が一瞬目を伏せたその時、捕まっていた男の左手が腿の裏に伸び、隠していた小さなナイフを掴んだ。


 コートの男は、一瞬だけ。常人では気が付かないようなほんの一瞬だけ迷った後、引き金を引いた。


 ダァン!!!


 銃声と、ナイフの男が倒れる音が混ざった重い音が裏路地に響く。流れ出る鮮血を、雨が洗い流していく。


 コートの男は倒れた男の目をそっと手のひらで閉じた。そして、その奥の這いつくばっている男へ目を向ける。芋虫のようにノロマに逃げるディンゴに大股で追いつくと、声を掛けた。


「おい」

「ひ、ひいっ! たすけ……命だけは、ゴフゥッ」


 横腹に思い切り蹴りを入れるコートの男。つま先がめり込んだディンゴは醜くのたうち回る。


「人殺しといて命だけはもクソもねえだろうよ、やったのは今回だけってわけでもなし」

「な、おぇ……何が、望みだ。金ならいくらでも、薬か? なんなら利権も、家も、なんでもやる」

「本当にこういう奴らってのはよぉ、似たようなセリフを吐くんだな」


 必死で命乞いをする様を見て、コートの男はため息をついた。そしてなんの予備動作もなしに足で肩を踏みつけ抑え込む。そのままの姿勢で、銃口を額に向けた。


「ひ、あ」


 ディンゴは、見てしまった。見た事もない黒い筒の本質を。そこに渦巻く、殺意の奔流を。


「言いてえ事は色々あるが、他人に罪を押し付けるのは一番いただけねえな」

「私が……なんだ! 何が悪い! 」


 恐怖の極地に至り、ディンゴはむしろ逆上した。普段からは想像も出来ない力で暴れまわろうとするが、コートの男はそれ以上の力でギリギリと肩を抑え込む。いくら空いた手で殴っても、身をよじっても、ディンゴは動けない。


「私は努力したから成功したのだ! 凡人とは違う! 凡人は皆、私の為に生き、死ねばいいではないか! 非難できるものか! 私は、私は! ああぁ! 」

「なんも言ってねえって」


 ずいと銃口をうるさい口に押し込むコートの男。ディンゴは、もがもがと何かを喚くが、もはや言葉にならない。僅かばかりの怒りのアルマが漏れたが、雨で消え、ドロドロとした欲のアルマも、雨が流していく。


「俺の名はシグバトール。お前の汚れを背負う、きったねぇ掃除屋だ。この名と、この顔、この恐怖。死んでも忘れんじゃねえぞ」


 白髪の男は、よく通る声で名乗りを上げた。口から泡を飛ばし、充血した目を見開いて何かを叫ぶディンゴ。しかし、その声は雨音にかき消され、誰にも届かない。シグバトールは、その醜態を一瞥した。


「若者の……いや、あいつの邪魔をすんな」




 ズドン!!!





 重たい音が、響いた。



 --------------------


 その晩、シグはラタリアに居た。静かな夜、雨だけが降る裏路地。もっとも、アクシディアに比べれば、ラタリア全体が裏路地のようなものなのだが。


 その中でも特に人気のない暗い路地に、シグは立っていた。


「よう、調子はどうだ」


 シグは何もない真っ暗闇に声を掛ける。もちろん返事が帰って来るはずもない。しかしシグは我が子を説き伏せるような口調で、さらに続けた。


「いや、な。いつまでここに居んだ? っての。折角、底無し闇を出て来たんだろ。やりたい事とか、あるんだろ? 」


 雨音だけが、響く。闇は更に濃さを増す。灯火が風で揺れたのか、暗闇も揺らぐ。


「俺に任せろって。……は? 接し方ってお前、接さないと分かるわけねぇだろう! 何言ってんだ」


 暗闇の支配する路地裏で、初老の男性が独りでブツブツ言っている光景は、ラタリアではそう珍しいことではない。そんな者に話し掛ける物好きはまずいないと言う事は、シグにとって都合が良かった。


「良いからいけよ。気になるなら。使命なんて、後でいいさ。若ェんだから。オラ、土産。あいつも礼を言いたがってた」


  シグはポケットから小さな布の包みを取り出して、暗闇へと放る。


 フッと、暗闇が薄くなった。未だ暗いのだが、墨をこぼしたような漆黒の闇はどこにも無い。


「ふぅーっ、まったく。ネロといい、最近の若者はみんなこうなのか? もっとこう、溌剌とだなぁ」


 シグの脳裏に浮かんだ人物が誰かは、シグしか知らない。


「大人が面倒見てやらんとな」


 シグは闇へと姿を消した。

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