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闇の蠢き

【幻】


人は時に、そこにあるはずの無いものを見る。


いつからだっただろう。霊獣アニマが幻覚と呼ばれなくなったのは。


人はただ、己の手で掴み得ないものを幻と呼ぶのかもしれない。

そして、信じたい物だけを真実と呼ぶのだ。


霧の向こうに、真実を見るまでは。

 仄暗い明かりの灯る部屋で、一人の男が呻いていた。歳は二十代半ばほど。顔には大きな火傷の痕が残っている。


 包帯に巻かれた上半身には、痛々しい新たな火傷と無数の切り傷が見て取れる。包帯の下は更に酷い有様である事は、男の苦悶の表情からも容易に想像がつく。


「クソッ……! クソックソクソ! クソが!!! 」


 苛立ちを隠せない男は、椅子に座ったまま巨大な円卓を蹴り上げた。ベキッと音を立てて、縁が抉られる。男がそのまま踵を振り下ろすと、円卓は真っ二つにへし折れた。燭台がやかましい音を立てて転がる。


 男はそれすらも気にくわないようで、何かを投げ捨てるように腕を振る。するとあっという間に燭台ごと円卓を黒炎が包み、激しく燃え上がった。


「あのクソ野郎! 次会った時は、絶対に消し炭にしてやる! 」

「独り言は、脱毛症の原因になるといいますよ」

「ああ⁉︎ 」


 誰もいなかった部屋に、いつの間にか一人の女性が立っていた。黒いローブを纏い、顔は見えない。


 しかし、僅かに覗く口元は整っていて、美しい顔立ちをしている事は想像に難くない。そしてローブの上からでも、起伏に富んだ身体のラインが見て取れる。


「少々俗な言い方をすれば、禿げますよ。と言っているのです。ドラゴン」

「チッ……黙れブス。お前から燃やされてえか」


 優雅に腕を組む女に対し、ドラゴンと呼ばれた男は中指を立てる。女はそれを全く意に介さず男に近寄り、観察を始めた。


「皮膚の六割が熱傷、そのうちの二割は真皮まで到達していますね。元々焼け爛れているとはいえ、よくもまあ生きているものです」

「……うぜぇんだよ、見せもんじゃねえ! 」


 ドラゴンは女に掌を向けた。ジワジワと指の間から黒炎が滲み出す。女は全く動じない。フードの奥から、真紅の目が僅かに覗いた。


「"怪我人は、安静にするべきです"」

「ぐっ……! クソが……! 」


 女が静かに呟くと、ドラゴンの黒炎は立ち消え、掲げた腕はダランと力なく垂れた。


「それだけ元気があれば心配ありませんね。回復は専門ではないので応急処置しか出来ませんでしたが、杞憂でした」

「抜かしやがれ、心配なんかするガラじゃねえだろ」

「私が憂慮していたのは戦力の低下です。あなたの力は、我々に必要であるというだけです。あなた個人への執着はありませんよ、ドラゴン」

「バルザックだ……! 」


 バルザックは大きな大きな舌打ちをして苛立ちを露わにした。全身火傷の男が凄まじい形相で睨みつけているというのにも関わらず、ローブを纏った女は全く動じない。


「ところで、一つ伺ってもよろしいですか? あなたと、あの男……アーレスについて」

「あ? 」


 怪訝な顔でバルザックは女が方を向く。


「てめえにゃ関係ねえ! 」

「事情によっては、今後のプランに影響しますので」

「けっ……。つくづくうぜぇ女だぜ」


 悪態と共に血の混ざった唾を吐き捨てたバルザック。足元に転がっていたティーカップを踏み壊しながら、彼は語り出した。


「……十年前、俺は奴と戦った。ムカつくが、歯が立たなかった。奴は、奴らは……仲間だ、家族だ、絆だ、守るだと、クソみてえなお題目を並べて俺たちの仲間を潰して回りやがった! 」


 煙をあげる拳を握りしめ、バルザックは続ける。


「うぜぇんだよ……自分達は何でも分かった気になって、ガキだった俺を諭そうとまでしやがった。許さねえ……! 」

「……」

「奴の言う仲間や絆を全否定して、俺が奴を……焼き殺すっ! そんだけだ! 」


 バルザックの椅子の肘掛が砕け、地面に落ちて燃えた。暗い暗い黒炎が、ゆらゆらと揺れる。


「随分とご執心ですね。……彼と渡り合えるのはあなたくらいでしょうから、好都合ではあります」

「チッ……」

「計画には私も賛同しています。この世界には、闇が必要なのです」


 フードの奥から女の目が覗く。美しく、しかし無機質な目だ。


「他の者も皆、それぞれの思惑があって集っています。あなたの言う通り、到底仲間と呼べる集団ではありませんが」

「うるせぇ! 他の奴なんか知るか! 俺はただ、ぶっ壊して……全て燃やし尽くすだけだ! 」


 バルザックは声を荒げた。まだ傷が痛むのか、小さく呻きながらもゆっくりと立ち上がると、椅子に掛かっていた自分のローブをひっ掴み乱暴に羽織った。


「それで構いません。今のあなたは、王なのですから」


 女の言葉に、バルザックは中指を立てて去った。女は腕を組んだまま、小さく肩をすくめるだけだった。


「彼も暫くは大人しくしているでしょう。さて、他の者の近況も把握しておきたいですね。特に、ホース。彼は……」


 そこまで言って、女は口をつぐんだ。


「ああ。独り言は、控えるべきですね」



 --------------------



 巨大な赤目の霊獣アニマの爪痕こそ未だ残っているものの、ソル・スティアール王国の都市機能は徐々に復旧しつつあった。王国の象徴たる塔は真っ先に修復され、何事もなかったかのように純白の輝きを放っている。


 そして、崩壊した瓦礫の撤去、仮設住宅や宿の手配の援助など復旧を一手に担っているのが王国騎士団である。その中でもこの一件で飛び抜けて出世したこの男の毎日は、多忙を極めていた。


「ええ、ですから第三地区の中央通りは市民の協力を仰ぐべきです。あそこは被害が小さいので、一般市民達も力になってくれるでしょう。それよりも我々騎士団員は被害の大きい第五地区に重きを置く方がよろしいかと」


 眼鏡をずり上げ、他の部隊の代表に向け弁舌をふるっているのは、青年騎士リックス。赤目の襲撃に際し、果敢に立ち向かった騎士だ。


 その功が騎士団内で評価され、リックスは入団間もない駆け出しの騎士でありながら、部隊長の任を与えられた。規模のごく小さな部隊ではあるものの、隊長という肩書きは彼を更に奮い立たせた。


「しかし、第三は商店の集中する人気地区だ。そこを優先した方が経済的にも有効であるし、国民の我々に対する評価も高まるのでは……」


 異論を挟む他部隊の隊長に、リックスは指を突きつける。


「我々は、見返りを求めているのではありませんっ! 」


 リックスは大変な働き者だ。そしてそれは、本来ならば好まれる事である。


「民の為に尽くす事が騎士の務め。それに、第五地区は住宅街が多いです。第三も第五もどちらも民にとって大切な物である以上、どちらも優先して復旧出来る手段を取るべきでしょう」

「……」

「では、詳しい振り分けは後日通達させて頂きます。今日は空模様が怪しいので、各自キリのいい段階で作業を切り上げるとしましょう」


 書類をまとめ、足早に去っていくリックス。それを見て他部隊の隊長達は大きなため息をついた。


「まったく、面倒な奴が来たな……」

「ああ。雑用や面倒な内容も全部引き受けて貰えるから、最初は都合がいいと思ってたんだが」

「俺らだって人間だっつの! 」


 口々に不満が漏れる。リックスは自分にも厳しいが、他人にも厳しい。こういった人間を疎む者も、少なくない。


「さて、問題は山積みだが、片っ端から片付けていかなくては! 」


 当の本人はそんな事は御構いなしに軽やかに歩いていた。リックスにとって、騎士として民の為に働ける事は、何よりも素晴らしい事なのだ。


 そんなリックスの前に、一人の男が現れた。無精髭を生やした、恰幅のいい男性だ。


「忙しそうだな、隊長さん」

「ああ、ヴィーゲンさん! 」

「よせやい。今はお前が上官だ」


 リックスは深々と頭を下げる。この男はヴィーゲン。かつては新米リックスの上官だったが、今はリックスの隊の副隊長に収まっている。


 彼もまた、不本意ながらも赤目の霊獣アニマに立ち向かう為に騎士を先導したとして昇格したのだ。


「いえ! 自分の中では、未だヴィーゲンさんは頼れる先輩です! 」

「はぁ、そうかい。なんでもいいがよ」


 ヴィーゲンはボリボリと頭をかいたのち、リックスが抱えた書類を指差した。


「治安の方は? 」

「はっ、当初は混乱もあり、卑しいラタリアの者が這い出して悪さを働く事もありましたが、流石にここ数日は落ち着きを取り戻しました。ですが……」


 リックスがパラパラと書類をめくる。ヴィーゲンの目が僅かに、行き交う騎士の誰にも気づかれないほど僅かに、鋭くなった。


「第四地区での殺人の現場に、血文字で"死神"と」

「……ほう。死神か」

「都市伝説だと思いましたが、実在するとは……。恐らく被害者が最後の力をふり絞って遺したのでしょう」


 リックスは目を閉じて祈った。彼はよく、感情がそのまま言動に出てしまう。この祈りも、ポーズではなく本心から来るものだろう。


「被害者はどんな人物だ? 」

「ああ……第四地区の市場に店を構えている、格安の薬売りですね。質はそれなりですが、人々からは親しまれていたようです」

「なるほどな」

「ご存知で? 」

「聞いたことがあるだけだ」


 ヴィーゲンはヒラヒラと手を振った。リックスは書類をしまい直しながら、その手にギュッと力を込めた。


「殺人は勿論許せませんが、混乱に乗じて皆が復興していこうというタイミングで犯行に及ぶとは……許せません! 市民が安心して暮らせる為にも、復興支援と並行して調査を進める所存です」

「そうか、あんまり頑張り過ぎるなよ。俺も後で目を通しておく」


 力の入ったリックスの肩をポンと叩き、ヴィーゲンは去っていく。その様にリックスは微かな違和感を覚えた。


「機嫌が良かったのかな? 妙に優しいというか……」


 しかし、そのような些細な事を気にしている暇はリックスにはない。空を見上げると、鈍色が一面に広がり、今にも雨が降り出しそうだ。まずは現場の騎士に指示を出し、それから沢山届いているであろう様々な報告の書類に目を通さなくては……。


 足早に歩くリックスの目の前に、一人の男が現れた。無精髭を生やした、恰幅のいい男性だ。


「忙しそうだな、隊長さん」

「ヴィーゲンさん⁉︎ あれ、さっきあっちに居たはず……? 」

「ああ? なんのこった? 」


 二人は気づかない。騎士団本部に一瞬立ち込めた、微かな霧に。



 --------------------



 小洒落たバーで、一人の男が酒を飲んでいた。白髪を後ろで一つにまとめた初老の男性だ。背の低いグラスには、琥珀色の酒と大きな氷が一つ。グラスと氷がぶつかって、カランカランと軽快な音を立てている。


 そしてその男の眼前に、突如現れた少年。蝶ネクタイを締め直し、緩くウェーブのかかった髪をワシャワシャと手櫛で直した少年は、男に話しかけた。


「やっぱり、今日も来てると思ったよ、シグさん」

「おいおい、ネロ。今日はラフィグローブに行くんじゃなかったのかよ」


 驚くシグに、ネロはぎこちない笑顔を見せた。


「僕は……霧だから。どこにでも居て、どこにも居ないんだ」

「カッコつけやがってよー」


 ネロは表情がいつもぎこちない。しかし、親しくなった人物には、彼なりの笑顔を見せてくれる。それを知っているシグはネロをちょいとつついた。


 シグは座ったまま、棚から瓶を引き抜き流れるように栓を開けた。空いたグラスにそれを並々と注いで、ネロへと滑らせる。


「お代は、もらうよ」

「わーってるって」


 キンと小気味の良い音を立ててグラス同士をぶつけ合う二人。しばらくは他愛もない話を続ける。


「ゴミ掃除って、稼げてるの? 」

「まあ誰もやりたがらないからな。ゴミだけじゃなく行き倒れも片付けにゃならんし、まぁ暮らすには困らない程にはな」

「シグさんって、雇われてるのが想像出来ないな……」

「おいおい、オッサンをなんだと思ってんだ? 」


 店内の音楽が落ち着いた曲調に変わった。雨が降り始めたようだ。水が空から落ちてくる、たったそれだけの現象なのに、不思議と人は一喜一憂し、気分を変える。この音楽は、そんな雨をも楽しめるようにというネロの配慮だ。


「さて……」


 お互いのグラスが空になった頃、ネロが立ち上がった。シグもそれに合わせ、立ち上がる。二人は示し合わせたかのように、奥の部屋へ入っていった。


 ガチャンと重たい鍵を掛け、スッと手を振ったネロ。霧に包まれた扉が開かないことを確認して、彼は部屋の奥にある椅子へと座った。


「毎度用心なこった」

「プロ、だからね」


 軽口を叩くものの、二人の目はもう笑ってはいない。ネロはシグに一枚の紙を差し出した。


「第四地区のマックール。職業、薬売り。格安で薬を売り繁盛していたが、首を切られて死亡。遺体の側には血文字で死神、か」

「もちろん彼の仕業ではない事は調べがついてる」

「そりゃそうだ。自分で死神なんて書くわけねえし、奴がやったなら死体は残さねえ」


 シグが紙をめくると、裏には別の人物の情報と簡単な地図が書いてあった。


「薬商人ディンゴ。諸国や行商人との取引で莫大な財産を得た。近年は国内の薬関係はこいつのお墨付きがないと出店できない程の権力がある、と。コイツぁ確か……」

「ラタリアへの薬の配給命令を、数年前騎士団から受けているはずだね。騎士団も体裁上は下層へ救済措置を設けているように見せたいらしい。結果は、ご存知の通りだけど」


 ネロは肩をすくめた。シグは静かに目を閉じた。ここ数年、ラタリアで薬を飲んだ者は殆ど居ない。薬などラタリアへは降りてこないからだ。もちろんアクシディアに買いに行ける者も、ごく一部である事は言うまでもない。


「彼の欲のアルマが現場に充満していた。間違いなく彼の仕業だ。血文字もおそらくは」

「そうか……」

「騎士団も尻尾は掴み始めてるみたいだ。いずれにせよ長くは持たないと思うけど……」

「ふーっ」


 シグはネロの言葉を遮り、ポケットから布の包みを取り出した。ラタリアでは到底手に入らない額の貨幣が入っているそれを、ネロは黙って受け取り、しまった。


「報酬、確かに受け取ったよ」

「おうよ。毎回助かる」


 シグは立ち上がり、扉を開けて出ようとする。ネロが手を一振りすると、霧は立ち消え、鍵が開いた。


「始めるか……ゴミ掃除をな」


 シグはニコリとも笑わず、ただ一言だけつぶやいて、バーを出ていった。

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