願いのカタチ3
「世間知らずな奴じゃて、許してやってくれんか。この通りじゃ」
村長が頭を下げる。レイは頬をさすった。今なお左頬は痺れるように痛い。レイが平手を受けたのに気付いたのは、尻餅をついてからだ。もし雷に打たれたとしたら、死んでから打たれた事に気付くのだろうか。そんな思案を巡らせるほど、彼女の平手は速かった。
「そんな、いいですよ、もう」
「ほっほ。なら、夕食としようかの。冷めんうちにな」
いつもより少し遅い時間の夕食だ。様々な出来事に追われ、空腹を忘れていたレイは先刻から早く食べたくて仕方がなかった。
スープをよそい、零れないように運ぶ。木のボウルと取り皿、バスケットの中からはパンが芳醇な香りを漂わせている。今日はサキがいるのでいつもより一つ多く配膳をしなくてはならない。レイは手際よく料理を置いていった。
「ん、ねえ。お皿一個多くない? 」
「本当? あれ…、おかしいなぁ」
普段より一つ多く持ってきたつもりが、四つの皿が卓に並んでいる。数え間違えてしまったのだろうか。疲れてるのかな、とレイは皿をしまった。
そのような事は些細な事だ。現在の最優先事項は、この空腹を満たす事である。
「いただきます! 」
まずはサラダ。みずみずしい緑に、今日は果実の色が映える。水色の花もいくつも添えてあった。
「この果物アポルだよね? アタシこれ好きなの」
サキは野菜を取り皿に取り、口いっぱい頬張った。大きな口だ。
「美味しい! 美味しいです、これ」
「ここはなーんもないからの。野菜は元気に育つぞ。ほれ、それもかけてみるといい」
村長が大きな木の実を半分に割った器を指差す。中にはなんとも食欲をそそる香りの液体がなみなみと入っていた。別の木の実を絞り調味料を混ぜたものだ。サキは残りのサラダにそれをかけ、また頬張った。
「んまーい! 」
「あれ、タルホの花も食べれるんだよ? もしかして食べた事ない? 」
サキが飾りだと思っていた花をレイは取って食べる。パリパリと小気味のいい音を立てる様子を見てサキも口に含んだ。程よい酸味が爽やかで、いくらでもいけそうだ。
「食べ過ぎには気をつけるんじゃよ。あんまり沢山食べると、後で腹が光りだすからの」
「そんなのあるんですか? 」
「レイが何回もやっとる」
「やめてよおじいちゃん」
そんなやりとりの後もサキの手は止まらない。スープを木の匙で一口飲むと、また美味しいと言ってパンをちぎり頬張る。見ていて気持ちの良い食べっぷりだ。もしかしたら僕より食べるかもしれない、レイはそう感じた。
そうこうしていると、大皿の花が淡い光を放ちはじめた。ゆったりと優しく明滅する。レイはもう一つつまんで食べた。
「この花、静かなところでしか咲かなくてね、幸せや穏やかな気持ちに反応するんだ。幸せそうでなにより」
レイはふふ、と笑った。
「こんな食事までご馳走になって、替えの服も借りちゃってホント助かるよ! 女の子はどうしたの?一緒に住んでるんでしょ? 」
サキがもごもごと話す。
「え?どういうこと? 」
「この服。一緒に住んでる子のでしょ? 」
「いや? この家は僕とおじいちゃんの二人だけしかいないよ? 」
「ふーん。まいっか」
サキの興味は目の前の香辛料を包んだパンに移った。
「そう、僕も色々聞きたいことがあるんだ。僕、まだ君の事何も知らない」
「むん?……っ、ん。そういえば何も言ってないか!」
サキが手を止めた。
「まず、君はどこから来たの? あの乗り物は何? 」
「ああ、アタシはこっから森を越えて向こうのラフィグローブって国から来たんだ。火の国、とも呼ばれてる。えーっと、あの飛ぶやつは船? かな。アタシにもよく分からない、家にあったから使ってる。石で動いてるってのは確かなんだけど……」
「ラフィグローブ……本で見た事がある。山の中腹から麓にかけて広がっているって聞いたけど、意外と近くにあるんだ……。でも僕あんな飛ぶ船は見たことないよ」
「そりゃそうだよ! アタシもよそで見たことないからね! 」
サキがケラケラと笑った。そしてポケットから石を取り出す。幾つかある石の半分近くはひび割れて色を失っていた。
「積んでた石もかなり逝っちゃったから、もうあれは飛べないだろうなあ」
「見た事ない石だ」
「ちょいと、うちの技術者に弄ってもらったのがいくつかね」
その時レイの耳に横笛のような、透き通った音が聴こえた。視界の端で何かが動く。
「鳥……? あ、霊獣」
「お、本当だ」
鳥のような姿をした生き物が窓の縁にとまっている、鳥でないと分かったのは、微かな光を放ち輪郭が微妙に揺らいでいるからだ。それはふっと揺らいですぐに消えた。
「食事は楽しいからの。奴らも気になったのかもしれんの」
霊獣とは何者であるか、実は皆よく分かっていない。自然の生み出す妖精だという人もいれば、人の霊が姿を変えたという人もいる。
彼らは気まぐれに現れて、消えていく。彼らが何であるかは定かではない。しかし、人々は日常の風景として彼らを受け入れている。もちろんレイも例外ではない。
「あ、ゴメン、話止めちゃった。それじゃあ、何で君は旅をしていたの? 」
「ああ、旅なんてそんな大袈裟なものじゃないって。ちょっと遠出の仕事、その帰りなんだけど、急にアレ動かなくなっちゃってね。ドカンしたってわけ」
「大変だったね……なんの仕事をしてるの? 」
サキは、あっけらかんと言った。
「んー、戦ってる、かな? 」
え? この女の子が? 誰と? 優れた乗り物を持っているのだから運搬業の類いかと予想していたレイは完全に面食らった。
「あ、アンタ今なんかバカにしたでしょ? 」
サキは怪訝な顔だ。
「いや、バカにしてるとかではなくて、その、驚いた。一体何と戦うっていうの? 」
「そりゃ、最近戦わなきゃいけない相手なんて決まってるじゃない。あっちこっちで噂の、黒くて赤い目の……」
その時だった。轟音が響き、大地が揺れた。
「なに⁉︎ うっ……! 」
突然の強烈なめまいに、レイは姿勢を保てず突っ伏した。
「また、これ……」
呻くレイの耳に悲鳴が聞こえた。なんとか顔を上げると、目の前の机に先ほどの鳥のアニマが居た。それは長い尾をなびかせ、フッと玄関の方へ飛び出し消えていった。目で追うと、横にサキの姿は無く、椅子を蹴倒して外へ飛び出して行ったことが分かった。
ふらつく足取りで、レイは後を追う。