舞い降りた天使
この世界で最も高い場所にそれはある。すべてが光の中にあり、幸福に満たされた、天使の領域。天使はそこから舞い降り、人々を祝福しては姿を眩ませる。死の間際、憧憬を抱く人々は天使の姿を見る。そして魂はレガリアに導かれ、永遠の幸福を得るのだ。
【舞い降りた天使・レガリアの章】
「なに……これ」
王国へと帰り着いたサキを迎えたのは、溢れかえる怯えた民衆達。そして塔に巣食い、暴れまわる赤目の霊獣だった。
入国用のリフトが止まっている時点で嫌な予感はしていた。受付の騎士を問い詰めても非常事態につき運休との一点張りで話にならないので、ステラを使って壁を蹴り駆け上ってきたのだ。
サキは民衆の中に見知った後ろ姿を見つけ、話しかけた。
「ねえ、何があったのおじさん⁉︎ 」
「んお! お嬢ちゃん! 」
サキの声に振り向いたのは、初老のデンデン乗り、デンゾウだった。サキとは三日程ぶりの再会となる。
「よかった、ちゃんと無事だったんだな。それがなぁ、急に赤目が湧いて来てよ。あまりに急なもんだから、騎士団も対応しきれんでこの有様よ……。内側の方は、暗くてよく見えんが、あそこじゃ。光が二つ。しばらく戦っているようだが、あれではもうじき……ああ! 」
「あっ! 」
光が一筋、塔に向かって飛び出した。その光は加速し赤目を目掛けて伸びていき、そして堕ちた。
「……レイ!!! 」
サキには一瞬で、あの輝きがレイのものだと分かった。理屈ではなく直感だが、確信を持って言えた。
レイの元へ全力疾走しようとするサキはステラを発動させようとしたが、踏みとどまった。ここでステラを使うわけにはいかない。
「急がなきゃ……! 」
デンゾウに手短に礼を済ませてサキは人混みの中を掻き分け、建物の隙間の穴に飛び降りていった。
「レイって、確かあのにいちゃんの……。王国の為に戦っていたってのか? 頼む、無事で居てくれ……」
「おい見ろ! 」
「光が、広がっていく! 」
民衆の一人が指を指す。避難し、不安と恐怖に包まれていた皆が一斉に見つめる先、暗闇に包まれていた王国中心部には、光の帯が広がって行った。
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「おお、やっと動いてくれた! 」
槍を掲げ先陣を切るリックス。その横には何十、何百もの騎士が隊列を組み防衛線を構築している。リックスから始まった光は他の地区にも広がっていき、塔を囲い込む光の輪になった。一度は逃げ出した者たちも、人の心の光を見て勇気を振り絞った。この光の輪は、勇気の輪だ。
迫り来る蔓を、一人一人が懸命に退けていく。先ほどに比べて、明らかに赤目の攻撃が鈍い。
リックスの横で、巨大な盾を持った騎士が赤目の蔓を受け流した。
「伝令が、なんとか間に合ったなぁ……」
「ヴィーゲンさん! ありがとうございます! 」
ヴィーゲンは大盾をガンと地面に構え、右側の騎士に前に出過ぎないように指示を出した。
「き、気を抜くな、俺たちだけじゃあ厳しい。天使様が来て下さるまで、耐えるんだ」
「はい! ヴィーゲンさんも、ご武運を! 」
リックスはそう言って、動きの鈍った蔓を刺し貫く。ゆっくり、ゆっくりと光の輪が赤目を追い詰めていく。
(なんで俺は、こんなに真面目にやってんだ……? 真面目に戦う奴が一番損をするって、知ってるはずじゃないか。それをこんな、最前線で……死にたくねえんだよ俺は)
ヴィーゲンは気丈に振る舞いながらも、内心は怯えていた。普通であれば、こんな危ない任務は死んでも御免。そういう生き方をして来たはずだった。
「みんな! 死んではならない! 己の役割を果たせ! 我らには天使様のご加護がある! 」
リックスの掛け声に歓声が上がる。ヴィーゲンは大盾を構えなおし、一歩前へ踏み出した。
(上手く、乗せられちまったな……正義の味方だなんて、真っ平御免だってのに)
王国の上空の星空が、輝きを増していく。
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ラタリアでは、ヴァンと死神が斬り結んでいた。鉄塊とも言える大剣を振り回し続けるヴァンの疲労の色は濃く、額からは大粒の汗が流れていた。地面に切っ先を着け、一撃を狙う。
「くっ……」
「……」
赤目の蔓が襲ってくる気配はない。ヴァンは本来の目的を思い出す暇もなかった。それだけ死神は、強かった。
ラタリアから見る狭い空が、輝き始めた。大勢の歓声も聞こえてくる。
「…………! 」
「なっ! 」
死神が動いた。大鎌を振りかぶり、低い姿勢で飛び込んでくる。ヴァンは剣を振り上げようとしたが、剣のそばから影が噴き出て一瞬その切っ先を捕まえた。たったその一瞬の隙に、死神は懐に入り込んでいた。
漆黒の刃が、半円を描いてヴァンの首筋に迫る。咄嗟に左手で鎌の柄を掴もうとしたが、間に合わない。
「……っ! 」
ザン!!!
ヴァンは首を刈られ、ドスンと尻餅をついて倒れた。死ぬというのは、こうもアッサリとしたものか、などと妙に達観していた。やりたい事が、まだまだ沢山あったのに……と、余生について想いを馳せながら意識が途切れるのを待った。
しかしいつまで経っても意識はハッキリとしている。恐る恐る首に手をやると、ベトベトと汗が手にまとわりつくだけで、傷一つ付いていない事が分かった。
「生き……てる? 生きてるのか? 俺」
呼吸をする事を思い出したかのように、どっと息を吐くヴァン。首だけを動かして見回すが、死神の影はどこにも見当たらなかった。しばらくは、とても起き上がる気にはなれなかった。
「なんなんすか、あいつ……超強え」
半開きの目で空の隙間を見つめると、赤目の蔓はこちらにまるで興味を示していない事が分かった。死神に襲われた時に赤目にも攻撃されていたらどうなっていたか。考えるだけでも恐ろしい。脳も身体も悲鳴をあげている。ヴァンは考える事をやめ、ただただ空を見上げた。
満点の星空が、真昼のように輝いた。
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ああ、光だ。俺はこれを求めていたんだ。暗いのは怖かった。
母さん……母さんだね。今行くよ。
男は音も、手の感触も無くなった世界で、ただ輝きを感じていた。ずっと心の底で願い続けて来た、暖かい光。自分を包み込む光の向こうに、母が手を振っているのが見えた。
全てを許されるような気がした。この光の中でなら、幼き日のように、貧しいながら、胸を張って生きていける。自然と男の顔は綻んだ。
星空の輝きの中で微笑む母に向かって、男は両手を伸ばし、一歩、一歩と歩みを進めーーーーー
ーーーーー男の胸を、白銀の刃が貫いた。
深く突き刺さったその剣の刃には一片の曇りもなく、鍔や柄に装飾の施された美しい剣であった。
もし男が生きていたならば、赤い巨大な目を通して自身を貫いた美しい天使の姿を認める事が出来ただろう。しかし、男は既に息絶えていた。赤い目の怪物の中に辛うじて人の形を残していた男は、その両腕を天使に向かって伸ばしていた。恐怖に歪んでいたはずの顔は穏やかに微笑み、救われたように空を見上げている。
「天使長クライスの名の下に、貴公の想いはレガリアにて安らぎを得る事を約束しよう。もう苦しまずとも良い」
長い黒髪の天使は男の目を見つめ、表情一つ変えないまま男の目を閉じた。そしてゆっくりと剣を引き抜く。男の胸と剣から光が溢れていく。
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王国が静寂に包まれた。皆が皆、何が起こったか分からなかったからだ。空が輝いて、眩いほどの光が降り注いだ事までは覚えている。
そして皆が気づいた時、赤目の霊獣の上には純白の剣が掲げられていた。そしてゆっくりと、剣と同じ純白の翼が左右に広がる。その輝きは暗闇に包まれた王国を一瞬で照らし出した。その様はあまりにも神々しく、神話の再現というに相応しい光景だった。
「天使様だ……」
ポツリと誰かが呟いた。その声を皮切りに、王国は爆発的な歓声に包まれた。泣き出す者や、地にひれ伏し拝む者、呆然と立ち尽くし見惚れる者、しかし皆一様に天使を崇めていた。それほどこの国で、天使とは絶対的存在なのだ。
天使長クライスは剣を収めた。間も無く、赤目の霊獣の崩壊が始まった。王国に巣喰いつつあった黒い蔓が、風に吹かれる砂のように消え去っていく。まるで今晩の激戦が嘘だったかのように跡形もなく搔き消え、崩れた瓦礫だけが残された。塔に巣食った本体も風化するように消えて行く。
赤い目の中の男は支えを失い、堕ちていった。男は堕ちながら光の粒子となって、サラサラと消えていく。男が居たという事実は、クライス以外は知る事はない。クライスは短く目を閉じ、そして天に羽ばたいていった。
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ラタリアの狭い壁の間を跳ね回るようにして塔の元へ急ぐサキ。ステラの力を最大限に使い、超スピードで駆ける。
「レイ……! 」
王国の地形はすり鉢状になって居て、中心が一番低い。塔の周りはぽっかりと空が開けており、何もない空間が広がっている。だだ広い暗闇が広がっているだけだ。
この暗闇の上には、簡素な木の足場が組まれ辛うじて地面の体裁を保っている。ところどころ底が抜けていて、危ないので立ち入らないようにするというのはラタリアの常識だ。
サキはようやく、塔の元へと辿り着いた。ここに来るまでに、アクシディアからは爆発のような歓声が聞こえた。未だにそれが続いているところを見るに、どうやら赤目の危機は去ったらしい。
「レイ! レーーーーイ!!! 」
サキは木の板の上を歩き回りながら叫んだ。どこにもレイの姿は見当たらない。こんな事になるのなら、今日は出て行くべきではなかった。いくら大事な使命の為とはいえ、レイや仲間が危険な目に合う事に比べたら、そんなものは大したものではない。
「や〜〜あ。こんにちは〜〜」
張り詰めたサキの雰囲気をぶち壊すような、間延びした声が響いた。ハッとしてサキが振り向くと、先ほどまで何もなかった場所に猫背の男が立っていた。不健康そうな痩せた身体つきで、白髪を長く伸ばし、丸い眼鏡を掛けている。
(アタシが、全く気配を感じ取れなかった……!)
「お探しものは、これかな〜〜? 」
そして男の足元には、横たわる一人の少年がいた。見間違いようもない、レイだ。
「レイ!!! 」
サキが慌てて駆け寄ると、白髪の男はヒョコヒョコと飛び退いた。レイは穏やかな息を立てて目を閉じている。サキはほっと息をついた。
「あんたが、レイを助けてくれたのね? ありがとう」
「いや〜〜ははは。そうとも言えるし、そうでないとも言えるなぁ」
白髪の男はつかみどころのない様子でヘラヘラと笑った。
「いやあ、まさか王国にあんなに大きな赤目の霊獣が出るとはねえ。ビックリしたよ。この少年はそれに向かっていくんだから、大したものだよね。ワクワクしちゃったよ」
自分が死ぬかもしれないような国の災害について、まるで他人事のように話す男に、サキは鳥肌が立つのを覚えた。
「でも再生する赤目ってのは、本当にビックリしたでしょ〜。君達にとっても、ああいうのはキツイよね。赤い牙? 」
白髪の男はチラッとレイとサキを交互に見た。
(アタシ達のことを知っている……! いや、正式な赤い牙はアタシだけ……)
「普通の赤目ならこうはならないよねえ〜。なんだろうね? うーん、気になるっ! 」
「うう……げほっ」
「あ、レイ……! 大丈夫? 」
レイが目をしかめ、咳をした。意識を取り戻しつつある。サキは肩を抱き上げて呼び掛けた。
「おっと、喋り過ぎちゃった〜。それじゃあ、さよなら〜〜」
白髪の男は、フラフラと去っていく。
(あの少年はレイっていうんだ〜。女の子は僕が助けたって思い込んでたみたいだけど、レイ君は確かに僕の目の前で地面に落ちてきたんだよなあ。う〜ん、あの高さから落ちてきたらどうやっても無事じゃ済まないはずなんだけど……。無意識のうちにステラを行使したか、それとも……。)
男は真顔で真剣に思索を巡らせた後、急にその顔を緩ませた。それはそれは、おぞましい歪んだ笑顔だった。
「ふふふふふ! いやあ面白い! 観察したい、研究したい!!! バラバラに暴いて解剖してやりたいっ!」
レイとサキには到底聞こえないような声で狂ったように感情を垂れ流す男。しかし唐突にその表情は再び真顔に戻った。
(ん〜でも、これは泳がせておいた方が楽しそうだな! ふんふ〜ん)
白髪の男は鼻歌交じりにスキップをして、夜の町に消えていった。
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「失礼します、王よ」
「騒がしいな、何かあったのか」
レガリアの、どこか。光に溢れた部屋の中、豪華な椅子の上に一人の男が座っていた。王と呼ばれた男のその表情は、のっぺりとした仮面に遮られ見えない。その男の前に、クライスが歩み寄り跪いた。
「は、下で赤目が現れました故」
「お前が出るほどか」
「天使の威光を民に再確認させるには、好機かと」
「ふむ、そうか」
王は、その話題にさして興味を示さず顎を振った。クライスが部屋を立ち去ると、王は息を吐いて立ち上がった。王が手をさっと振ると、壁の一部が透けて星空が広がった。遥か眼下には輝く街並みが広がっている
王国の最も高い位置に立った男は、その星空を見上げた。しかしその目は、その美しい星空すら見ていない。どこか遠く、ここではないどこかを見つめていた。
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この王国史に残り得る大惨事は、天使の降臨によって収束を見た。赤目の霊獣による街への被害は甚大だったが、天使と騎士達の奮戦により死傷者の数は最小限に抑えられたと国民には発表された。
第三地区、第四地区は特に被害が少なく、先陣を切ったとされる若い一人の騎士が表彰された。先陣を切った騎士はもう一人居たはずなのだが、該当者は見つかる事はなかった。
数日後、復旧作業に追われる王国をレイ達は出立した。デンゾウの駆るデンデンに、ラフィグローブまで乗せてもらえる事になった。
王国の人間はレイの活躍を知る事はない。しかし、レイの戦った第三地区の被害が一番少なかったと聞き、レイは満足げだった。
こうして、レイの最初の冒険は幕を閉じた。今はゆっくりと休むべきだ。これから待ち受ける、数々の困難に立ち向かうために。
第一部 完
いつも読んで頂き、ありがとうございます!次回からは赤い牙の正式な活動が始まりますよ!
ぜひ正直な感想をお願いします!
辛口レビューもお待ちしております!
村を一人で守れるように、レイも修行に励みます!ご期待ください!




