彼らが握り締めたものは
【聖域駐屯騎士団】
平原の聖域は、周辺国との貿易の要であり、旅人の生命線である。また聖域は、【王の盾】伝説の伝わる地でもある。それ故聖域の警護は騎士団内に於いて名誉ある任とされている。
しかし赤目との戦闘行為はここ数年発生しておらず、実態は実務の殆どない閑職である。
騎士団内で順に数名が選ばれ、一ヶ月の任期を終えると一週間の休暇が与えられる。
突如として現れた赤目のアニマ。塔から黒い蔓が幾本も伸びる。それは建物に絡みつき、或いは突き崩し、根を張るように伸びていく。
「なんで、なんでアクシディアに、赤目がいるんだよぉぉぉ!!! 」
悲鳴と怒号がアクシディアを包んだ。平和な生活が一瞬にして恐怖で塗り潰される。国民全員が本能で恐怖を感じていた。我先にと他人を押しのけ、塔から離れようと走り始める
。逃げ遅れた者、怖い者見たさで近寄った者は、片っ端から蔓に潰され、瓦礫に飲まれていった。
「クリムさん! 大丈夫⁉︎ 」
「ああ! 大変な事になった。子供達は、大丈夫かな……」
「ヴァンがきっと守ってくれる! とにかくここから離れよう! 」
人の波を巧みに避け、レイはクリムの手を引いて走る。人の集中する方に走っては駄目だ、脇道に出なければ。
レイが左の横道に曲がったところに、一人の男が歩いてきていた。急に止まれるはずもなく、レイと男は正面衝突した。男の抱えていた本が、幾つかバサバサと散らばった。
「いっつぅ……すみません! あ……」
「ん、あ? 」
「ちょっと、シューくん! シューくんじゃん! 」
レイがぶつかった男は、先日バーに居たシュラウルだった。相変わらず呆けた顔をしている。
「シュラウルさん! 」
「ありゃ、ああ、天使の本の……クリムも、何してるの」
「シューくんこそ、何して……っていうか、レイ、知ってるの? 」
「クリムさんこそ、お知り合いなんですか」
「家が近所で、ちっちゃい頃よく遊んでてね……って、そんなこと言ってる場合じゃ」
轟音がして、会話は遮られた。どうやら塔に近い建物が幾つか崩れたようだ。まだこの辺りまでは蔓は伸びていないようだが、時間の問題だろう。シュラウルも、ようやく赤目の存在を認識した。
「うげ、何あれ」
レイは、ホムル村に赤目が現れた時の事を思い出していた。あの時は皆為す術がなかった。サキが助けてくれなければどうなっていたか分からない。
しかし今、サキは居ない。ヴァンもラタリアから連れてくるには時間がかかり過ぎる。
「シュラウルさん、クリムさんをお願いします! ラタリアへ! 」
レイはシュラウルの目を正面から見据えた。何を考えているか分からないシュラウルだが、この時の目は信頼できた。シュラウルは頷きこそしなかったが、レイの目をしっかりと見つめ返し、クリムの手をとって走り始めた。
「え、ちょっと! レイは⁉︎ 」
レイは一歩足を踏み出した。沈む直前の最後の夕日が、決意の顔を照らす。振り返る事なく、レイは応えた。
「僕は……! 僕にできる事をします!! 」
返事を待たず、レイは飛び出した。瓦礫の崩れる音は止まない。むしろ近づいて来ている。迷っている時間はない。レイは全力で駆けた。
大通りは、まるでラタリアの裏路地のようにがらんとしていた。遠くへと逃げ延びる事が出来たか、あるいは……。
「あああーーーん!! うわぁあーーーん!!! 」
遠くから聞こえる悲鳴と咆哮に紛れて、泣き声がレイの耳に入った。塔へと走りながら左右を見渡すと、へたり込んで泣いている子供が居た。歯が生え変わるような年頃の、小さな女の子だ。
「大丈夫? 怪我はしてない? 」
レイはしゃがみ込み、優しく声を掛けた。レイの顔を見た少女だったが、塔の方角から聞こえるおぞましい声と轟音を聞き、また泣き始めてしまった。
「大丈夫、大丈夫だよ! パパとママは? 」
「い、いないのーー! どこーー! うあーん! 」
レイは少女の頭を抱き締め、背中をさすった。小さい頃、こうしてもらうと落ち着いた気がしたのだ。
「大丈夫だ、きっとパパとママは向こうにいる。走れるかい? 」
破壊音は一向に止まないが、レイの腕の中で、少女は次第に泣き止んだ。
「……はしれる。おにいちゃん、あったかい」
「よし、じゃあパパとママのところまで走るんだ。いい子だから、出来るよね」
「……うん」
少女が頷いた時、目と鼻の先の建物が壊れた。飛んで来た破片が幾つかレイの身体に当たる。
もうここまで蔓が伸びて来ている。次はこの通りが危ない。レイは少女の肩を掴み、国の外壁の方へ向けて送り出した。
「行くんだ! 」
少女は涙を拭き、駆けていった。あの子か大丈夫かどうかは、まだ分からない。
「僕が、なんとかする! 」
レイは少女が走り去るのを確認して、正面へ向き直った。この先の道は、先程の攻撃による瓦礫で埋まってしまっている。建物が崩れたのですぐそこまで蔓が迫っているのだろうが、ここでは見通しが悪く、どこから蔓が来るか分からない。
まずは姿を確認しなければ。先ほど、塔の中腹に目が見えた。蔓はどこだ。
レイは崩れていない建物に向かって全力で駆け出した。あわや激突するかというところでジャンプし、壁を蹴って看板にぶら下がった。看板はミシッと音を立てたが、ちゃんと耐えてくれた。木登りは昔から得意だ。
身体を反らし、縮め、振り子のように反動をつけて身体を持ち上げる。レイは軽々と看板の上に立つと、垂直に飛んで屋根に手を掛けた。
この間に攻撃されなかったのは不幸中の幸いだ。赤目のアニマは、ただでさえ何をして来るか分からない。ましてやレイは赤目と戦うのはこれが三度目だ。ホムル村でのサキとは経験値に雲泥の差がある。その上今回の赤目は恐らく、ホムル村の個体よりも大きい。
しかし、レイには関係のない話であった。出来る出来ないではない。やらないといけないのだ。レイは屋根の上にすくっと立った。
ふうっと息を吐き、腹に力を入れて、あらん限りの声でレイは叫んだ。
「やめろ!! 僕が、相手だ!!! 」
塔の赤い目と目が合ったような気がする。レイの宣戦布告に、赤目のアニマは金切り声のような咆哮を返した。
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同じ頃、アクシディア第四地区にて。
「聖域警備の任期が終わって、やっとの休暇中だってのに、なんだよこれぁ……」
街では日が暮れ、自動で明かりが点き始めていた。本来であれば夕食の準備を始めたり、仕事を終え家に帰ったり、安らぎが生まれ始める時間帯のはずだった。
しかし今日は違った。突如塔に現れた赤目のアニマが、他でもないアクシディアで暴れ回っているのだから、安らぎなどあるはずもない。人々は悲鳴をあげて逃げ惑っていた。
「ヴィーゲンたい……さん! 何がどうなってるんです! 」
「俺にも分からん! 」
人の波に揉まれながら、なんとか抜け出した二人。リックスとヴィーゲンだ。二人とも青と白の制服は身につけておらず、私服姿だ。
「アクシディアに赤目が、しかもあんなに大きいものなんて……」
「一体何年振りだ、ラタリアならともかく……」
ヴィーゲンは二十年前の戦いを思い出していた。闇の者達は赤目のアニマのように神出鬼没で、アクシディアで戦いが起こる事も珍しくはなかった。ちょうどこの時のように、突然現れて破壊の限りを尽くす。そして俺の部隊は……。
「何をしているんです! 動ける騎士は応戦に向かうんですよ! 」
「いや、上からの指示がない事には、どうすればいいか……それに、国内での抜杖は小隊長二名以上の許可が無いと出来ない規則になっているし……」
気付いたら、リックスが隣にいない。声の方に目をやると、その場に居た騎士の一人を捕まえて言い合っている。
「あいつ……血の代わりに正義感でも流れてるのかよ……」
捕まった騎士は街中の警護に当たっていたようだが、指揮系統の混乱と未知の恐怖もあり、全く機能していなかった。周りに僅かに残った騎士も、国民に避難を呼び掛け誘導しているが、不安げな表情だ。足がすくみ、へたり込んでしまっている者もいる。
予め討伐に向かう心づもりならいざ知らず、突如自分達のすぐそばに現れた怪物は、皆怖いのだ。戦闘訓練を受けた騎士とて、それは例外ではない。
正直言って、ヴィーゲンも今すぐ逃げ出したかった。訳もわからず死ぬのは、御免だ。
「それに、俺たちが行くよりも天使様を待つ方が……」
「どいつもこいつも……! 埒が開かん! 貸せ! 」
リックスは言い合っていた騎士の腰から、白い円盤を引ったくった。
「な、何を! 」
「ヴィーゲンさん! 」
うろたえる騎士を無視して、リックスはヴィーゲンに向き直る。普段の理知的な顔つきからは想像出来ない、鬼気迫る顔だ。
「第四支部に行って装備を! あとは動ける騎士をありったけお願いします! 」
「お、おう! 」
嫌とは言わせない気迫だ。情熱も正義感も失っていたヴィーゲンだが、これには応えざるを得なかった。可能な限りの全速力で、騎士団第四地区支部に向かう。
「頼みました……! よし! 」
横目でその姿を確認したリックスは、眼鏡をクイと押し上げ、円盤を握り締めた。
「おいお前、絶対無理だって! あんなの手に負えるはずがない! 死んじまうぞ! 」
「うるさい! どけ! 」
引き留めようとする騎士を、リックスは力の限り突き飛ばした。
「国民を守るのが騎士の務めだ! この力は、その為にある!!! 」
呆然とする騎士を置いて、リックスは駆け出していった。
街を駆け抜けて行くリックス。逃げ遅れた人が居ないか逐一チェックしながらも、急いで塔の近くへと向かう。
「可能な限り被害を食い止めなくては……抜杖!!! 」
走りながら、リックスは右手に握られた白い円盤、ワンドにアルマを込めた。
ワンドはリックスのアルマに応え、形を変えていった。円盤は二つに分かれ、中から鉱石のような物がビシビシと前後に伸びる。後ろ側は短く細く伸びて柄となり、前側は長大に、そして先端に向けて細く鋭く形成されて行く。ほんの一瞬、僅か数秒のうちに、リックスの手には巨大な騎兵槍が握られていた。
ソル・スティアール騎士団の標準装備は、このワンド武器だ。使用者の資質に左右されるものの、携帯性と攻撃能力のバランスに優れ、ある程度の身体能力さえあれば誰にでも扱える為、騎士達には重宝されている。ソル・スティアール王国の強固な地位の一端を担っているのは、このワンド武器と騎士団と言っても過言ではない。
「醜いバケモノめ! 平和を脅かす者には、容赦はしない!!! 」
建物の壊されている地区まで辿り着いたリックスは、塔の方へ向かって叫んだ。
蔓は様子を伺うように蠢いている。リックスは槍を前面に構え、迎撃姿勢を取った。
その時リックスの視界の端に、遠方で何かが輝くのが見えた。三番地区の方だ。星だろうか……? いや、違う。騎士団の誰かが抜杖した、その輝きだろう。
先程の騎士のような腰抜けだけではなく、自分のように誇りを持っている騎士はちゃんと大勢いるのだとリックスは安堵した。ニヤリと笑い、柄をしっかりと持ち直して、眼鏡の奥から瓦礫の山を見据える。
「来ないなら、此方から行くぞ! 正義の一撃を受けろ!!! 」
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アクシディア三番地区もすっかり夜になり、街中の明かりが点いた。しかしいつもと違うところは、塔の周辺だけ明かりが点いて居ないという事だ。それはもちろん、赤目のアニマが黒い蔓で街並みを破壊しているからに他ならない。
「はあああっ! 」
レイは気合を入れて、手を掲げた。みんなを守りたい、その一心だけを念じる。するとあの時と同じように、暖かな光が右手へと集まっていく。そしてそれは、暗闇に一際映える光の剣になった。ホムル村の時よりも、平原の時よりも更に剣らしいシルエットに見える。
剣を掲げたレイを見るや否や、赤目は蔓を走らせた。慌ててレイが隣の建物に飛び移ると、先まで立っていた屋根に大穴が空いている。
「あ、危なかった」
もしあんなものを食らったらひとたまりもない。レイは少しだけ自分の置かれている状況が恐ろしくなった。
すると光の剣は力なく揺らぎ始める。風に吹かれた焚火のように、今にも消えてしまいそうだ。
レイはヴァンの言葉を思い出した。
『レイくん、集中っすよ! ほら、戦おうとした時の事思い出して! 』
そうだ、僕の戦う理由は、村を出た時から決まっている。こんな所で死ねないし、誰も死なせたくない。笑顔でホムル村に帰る為に、今は……!
「みんなを守る為に、僕の力はあるんだ! 」
輝きが集まり、再度レイの手に剣が握られた。ステラの剣ならば、赤目とだって戦える。
レイが構えると、黒い蔓が瓦礫の中から飛び出して来た。大丈夫だ、よく見ろ。よく見て……!
「せやあっ!!! 」
正面から振り下ろした剣は、向かってくる蔓を真っ二つに斬り裂いた。続けざまに右からの蔓を打ち払い、後ろから来た攻撃を回転して避ける。起き上がりながら一閃すると、ブチッと音を立てて蔓は両断された。
「はあっ、はあっ……」
勘で避けた訳ではない。レイにはなんとなく分かったのだ。この赤目から発せられる独特の嫌な雰囲気、もしくはアルマだろうか。イガイガした不快なプレッシャーを感じ取って、避ける事が出来た。これならば、戦えるかもしれない。
レイがふぅと息をつくと、レイに斬り捨てられた蔓の破片がウネウネと蠢き、元の蔓に溶けていった。そして何事もなかったかのように、蔓はまた暴れまわり始めたのだ。
再び強烈な攻撃がレイの足元を襲い、レイは屋根から転がり落ちた。また一つ、家屋が潰れた。着地したレイを二本の蔓が襲う。レイは飛び下がりながら剣を振るって先端を斬り落としたが、すぐさま蔓は再生した。
「くっ……⁉︎ 」
剣を構えなおしたレイに、生暖かい風が絡みつくように吹き付ける。嫌な風だ。胸の奥で生まれた焦りが、チリチリとレイの体を焦がしていく。それをなだめるようにして、冷たい汗が頬を伝った。




