心の拠り所
【黄昏商団】
ラタリア出身者で構成された商団。日用品や雑貨の運搬、仕入れで生計を立てている。
物品の紛失が多い事で一部界隈では名が知られているが、他の商団が敬遠する危険な仕事も請け負う為、仕方のない事だと割り切る利用者が多い。
近年では、真っ当ではない稼ぎも少なくないという。
「誰か、そこにいるの? 」
レイは真っ暗な裏路地を覗き込んだ。表通りでは点いていたランプが消えていて、すぐ先も見えない。
大した理由は無い。何か音が聞こえたような気がして、少し気になったのだ。様々な事に気付き、興味を示すレイの長所は、言い換えれば余計な事に首を突っ込むとも取れる。
死神は振り上げた鎌から手を離した。大鎌は黒い水飛沫を上げて影と一つになり消えた。同時に一帯を支配していた影がスッと死神の元に吸い込まれて行く。
バンダナの男は口をパクパクさせ、目をあらん限りの力で見開きながら、覚束ない足取りで路地の奥へと転がっていった。死神はその後を追う事はしなかった。
レイが足を踏み出すと、目が慣れてきたのか、裏路地には人が一人立っている事が分かった。黒いフード、黒いローブ。全身真っ黒な様はまるで影のようだった。
レイの脳裏に、子供達の会話が浮かんだ。影みたいに真っ黒で、姿形も分からないけど優しい人。迷子になったら助けてくれたという……。
「かげぼうし、さん……? 」
かげぼうしの顔は見えない。しかしレイの目には、肩が少し揺れ笑ったように見えた。
「あの、僕道は分かるんで、大丈夫です。子供達を助けてくれてるんですよね、ありがとう……」
かげぼうしは黙ってレイに近づいた。目の前に来て、スッと何かを握った手を差し出す。影に覆われた不気味な手だが、不思議と怖くは無かった。
レイが促されるままに手を出すと、かげぼうしは手を開いた。レイの掌に暖かい感触が手渡される。
「あ、これ……」
それは、レイの探し求めていた、大切なお守りだった。
「あなたが拾ってくれていたんですか! ありがとう! 」
レイは白い手を両手で握り、感謝を伝えた。かげぼうしは何も言わず、身じろぎひとつしなかった。その手は、冷たかった。
レイが手を離すと、かげぼうしは身を翻し、暗闇に溶けるように消えていった。
「……ッ」
それを見送ったレイは、やっと手元に戻ってきたお守りを首にかけ、二度と手放すまいと握りしめた。
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「レイもかげぼうしさんに会ったのーー! 」
「うん。僕も助けてもらっちゃった」
「あははは! よかったじゃないかレイ! 」
大きな机をいくつも引っ張り出して、孤児院の皆は夕食を摂る。みんなで仲良く話しながら食べれば、薄味のスープだって美味しく食べられるのだ。
「このお守りを探しに、僕はここまで来たんだ」
「じゃあレイ、もう帰っちゃうの? 」
「あたしの用事が終わるまでは、いるわよ」
サキがもっもっ、とパンを頬張りながら口を出して来る。飲み込んでから話して、と諭すヴァンが差し出す水でパンを流し込み、サキは続けた。
「明日か明後日辺りには仕事終わって帰るけど、またすぐ来るからね」
そういって近くに座っている子供の頭を撫でる。子供と接している時のサキは優しく温かく、レイはそれを笑顔で見つめていた。
レイは母親の事を覚えていない。存命であれば、子供達に接するサキのように自分に優しくしてくれたのだろうか。レイは、顔も知らぬ母に想いを馳せた。
「あ、そうだ。それ見つかったんなら、ほら、言ってきた方が良いんじゃないすか」
「あっ、それもそうだね。すぐに行ってくる! 」
ヴァンが親指で外を差す。彼が言っているのはネロの事だ。レイはスープを一気に飲み干し、食器を片付けて飛び出して行った。
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「こんばんはー、あれ、ネロ? 」
バー"隠れ家"は昨日と同じように開いていた。しかし客はシグ一人のみで、ネロも居ない。
「ネロなら仕事つって出ていったぞ」
シグがグラスの氷を揺らしながら答える。
「ほれ、一杯飲め。酒じゃねえ奴取ってやるから」
「え、いいんですか? 勝手に……」
「常連の特権て奴だ」
シグはよっこらせと立ち上がり、カウンターの中から透き通る琥珀色の瓶を取り出した。ネロは当然だが、シグも相当手慣れている。何度もやった事があるのだろう。美しい泡を讃えたグラスがレイの前に滑って来た。
「んっ、うげ、バチバチする」
「スッキリするだろう」
「かも、しれないです」
口の中で弾ける感触に目を白黒させながら、レイはシグに頭を下げた。
「あの、昨日はすみませんでした……怒鳴っちゃって」
「気にすんなや。きっとお前は間違ってねえさ」
そう言ってシグはどかっと座り直した。その顔は微笑んでいるようにも、自嘲しているようにも見えた。
「仲良くしたいって思うのは、きっと正しいさ。みんなそう思ってる」
「だと、良いです。……今日はシュラウルさんは? 」
「いんや、知らんな。あいつは気まぐれだからな。ばったり会ったら飲むって感じだ。お前さんこそ、ネロに用があったんじゃないのか? 」
「実は……」
レイは首元のお守りを見せた。銀細工がバーの明かりを受けてきらりと光る。レイは今までの経緯をシグに打ち明けた。
「ほう……」
「それで探してもらっていたんですけど、かげぼうしさんに見つけて貰って……」
「なんだあ、そりゃ? 」
「影が浮かび上がったような感じの人です。子供達が、よく助けて貰っているとか……」
「なるほど……」
シグはグラスに、もう一度なみなみと酒を注いでいく。
「だからネロに、もう探さなくて平気って言いたいなって。あとはバンダナの人達が持っててくれたと思うから、その人達にもお礼を言いたいな。あとは、クロって子」
「ふうん? 」
シグは傾けていたグラスを置いた。
「クロはラフィグローブで、お守りを拾ったのは王国の人かもしれないって僕に教えてくれたんです。もしかしたら王国に住んでるのかもしれないから、お礼を言いたいと思って……」
「そうかそうか……くくく」
そう言ってシグは肩を揺らして笑った。
「なんですか」
「いや、お前さんも律儀な男だと思っただけよ。これはネロに伝えておけばいいか? 」
「あ、是非お願いします」
「任せろや。さ、俺は寝るぞ。お前さんもそろそろ寝たほうがいいぜ」
「そうですね、ありがとうございます! 」
レイはシグにお辞儀をして、バーを出ていった。一人取り残されたシグは、残りの酒を飲み干して呟いた。
「なるほど、あいつがなあ。そうか、そうか」
どこか満足気なシグは、ひとしきり頷いた後、バーを出ていった。
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ちくしょう! なんで俺のいるところは暗闇ばかりなんだ! ここも暗い、あそこも暗い。アジトも、裏路地も、全部暗い! 寒い、冷たい、痛い、怖い! 怖い怖い怖い怖い!
バンダナの男は、真夜中のラタリアを走り回っていた。顔は蒼白、目は虚ろかつ今にも飛び出しそうで、半狂乱で何かから逃げ回るように走り続けている。足取りはふらつき、二、三度壁にぶつかっては方向を変えるため全身傷だらけだ。
「怖い、怖い怖い怖い怖い! 暗い、怖い! 」
薄れゆく意識の中で、男の記憶は過去に飛ぶ。
少年時代、男は一人ぼっちだった。家族も友達も居ない。物心のついた時から暗闇の中に居た。空から差し込む光も夜には消え、寒さと孤独とひもじさを恐れる毎日だった。
そんな時、少年の前に一人の女性が現れた。ラタリアの"汚れ"に蝕まれ、息子を亡くした母親だった。少年は安らぎを求め、女性は息子の面影を探していた。こうして二人は家族になった。
万人が思い描く、幸せな家族ではなかった。しかし二人は幸せであった。
アルマ石はラタリアでは淀んでしまい、機能しない。ガラクタ同然のそれを、母はよくどこからか拾って来た。ただの石同然なのに、温もりを感じた事を男は覚えている。
「フーッ、フーッ! うあああぁ!!! 」
現実の男は唸りを上げて這いずり回る。胸を掻き毟り、頭を抱え、喉から血を吐いて叫んだ。
いつしか成長した男は、母の為に仕事を始めた。その商団はラタリア出身者ばかりで、男にとっても心の拠り所となった。なんとか稼いだ金で、母に美味い飯を食わせよう。そう思っていた。
しかし、男が帰って来た時、母は既に冷たくなっていた。安らかな、救われたかのような顔つきで死んでいた。何故母が死ぬ必要があったのだ。母の顔つきとは対照的に、男は深く傷つき悲しんだ。
やっと光を手に入れた男の心に、影が射した。男にとって唯一の救いは、仲間の存在だった。
しかし、その仲間ももう居ない。男を取り巻く世界にあるのはもはや、暗く冷たい暗闇とその恐怖だけであった。
今の男の身体を突き動かすのは恐怖の感情だった。生来の暗闇への恐怖を、死神が決定的にした。
その時、男の目に、遥か上方の光が映った。夜の闇の中で輝く、アクシディアの、都会の光だ。男が子供の頃は、見上げてもなかった明かりだ。
「明かり! 明かりだ!!! 」
男は、よだれを垂らしながら、ボロボロの体で配管をよじ登り始めた。




