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生と死の狭間で

 夜の聖域は静かなものだった。雨の音も雷の音もどこか遠くに聞こえ、旅人達は皆夢の中に居た。

 デンゾウはあてがわれたテントの外に出て、デン子の輪貝を磨いていた。

 騎士達に追い出された彼らは、今頃無事だろうか。赤い牙という事はやはりアーレスが養ってる子供達だ。みっちりと鍛えられているだろうし、赤目に襲われても心配ないとは思うが、こうして自分だけがぬくぬくと安全地帯で夜を明かすと考えると、良心が痛む。


「すまねえ。俺は、こいつを危険な目に合わせるわけにはいかねえんだ」


 そう呟いて、彼はすべすべの貝殻を撫でた。


 アーレスは人格者だった。デンゾウ自身、闇の者の反乱を経験した身。ステラを持つ者にいい感情は抱いていなかった。しかし、アーレスはそのイメージを簡単にぶち壊した。

 戦争で疲弊したラフィグローブの復興に尽力し、赤目のアニマが現れたら体を張って皆を守った。大きな身体と強大な力に驕らず、反発する人々には真摯に頭を下げた。いつも豪快に笑い、皆の輪に無理やり入り込んで飲み食いする様に感化された住民は少なくないだろう。デンゾウもその一人だ。


『俺はよ、真っ直ぐに正直に生きてえのさ! 力はその為に使う! その点では俺の力も、あんたのデンデンもおんなじだろう。俺はこの力で、俺の生まれたこの国と、ガキ共の居場所を守ってやりてえのさ』


 かつて酒場で聞いた彼の言葉に、嘘は無かった。少なくともデンゾウはそう信じている。


「何も出来なくてすまねえ、アーレス、あんちゃん達……」


 デンゾウは空を見上げ呟いた。巨人の腕の隙間から、また稲光が覗いた。


 --------------------


 痛い。痛い痛い痛い。一瞬だった。たった一瞬気を抜いた瞬間、レイは斬られていた。肩口から生温かいものがぼたぼたと溢れ、腕を伝う。左腕の感覚がみるみるうちに無くなっていく。呼吸は短く浅くなり、眼は霞んで焦点が合わない。輝く剣は消え去り、右手はただ虚しく空を掴むのみだった。


 見知らぬ空間の中で、人型の赤目のアニマはレイを追い詰めていた。逃げ場のないレイの元に一歩、また一歩と音もなく近づいていく。


 レイの中で、恐怖が勇気に勝った。真っ直ぐに立つ事すら叶わず、彼は項垂れ膝をついた。


 死 ん で し ま う 。


 死への恐怖がレイを支配する。体は重く、足は凍りついた。逃げなきゃいけないのに、動けない。立てない。失血のせいか、意識がだんだん遠のいていく。なんで? いやだ、僕はこんなところで死にたくない。


 力を振り絞って顔を上げたレイの眼前には、影の剣を振り上げる赤目が居た。


 やられる。スローモーションの世界の中で、レイは悟った。このまま動けなければやられる。しかし、体は言うことを聞かない。


 ああ、短かったなあ。こんな事になるなら、村を出なければ良かった。ホムル村は、とても楽しかった。ずっとホムル村で暮らしていたかったな。

 ああ、ついこの間まで住んでいた場所なのに、全てが懐かしい。レイの脳裏に次々とホムル村の景色が浮かんだ。自分を頼ってくれる村人達。優しい村長。三人で囲む食卓。森の湖で遊んだ、黒髪の少女。思い出の中で、少女は振り返り、僕の名前を呼んだ。


『お願い、死なないでね、ーーーー』


 キィンッ!!!甲高い音で、レイは現実に引き戻された。眩しい。いつの間にかかざした右手には、あの光の剣がもう一度握られていた。影は防いだ。体は暖かい。凍りついた足は、動く!


「うわぁぁぁぁっ!!!!!!」


 立ち上がり、全ての力を込めて放った一振りは赤目の体を捉えた。レイに自分の体を支えるだけの力は最早なく、その勢いのまま前のめりに倒れこむ。

 赤目のアニマはゆっくりと倒れていく。黒い体はレイに覆い被さる軌道を描き、薄れゆくように消えた。


「あぅ……あ……」


 剣は光の粒となって消え、今度こそレイは気を失った。怪しげな光がレイを包んでいく。光が消えた時、レイもまた消えていた。


 --------------------


 それから間も無く。レイは、元いた筈の建造物の中で倒れていた。隣にはアルヴィンが座り込み、レイの手を握っている。そんな彼らの元に、一人の人物が姿を現した。背の高い女性だ。アシンメトリーの髪型に、クッキリとした目。丈の短いプリーツスカートからはスラリと長い足が伸びている。ところどころ破れたシャツに、革のジャケット。腰には大きなベルトが巻かれていた。


「ああ、アルヴィン。やっと見つけた……。私心配して、色んなとこ探したんだよ……」

「リンデル! たいへん! レイがたおれてる! 」


 アルヴィンはリンデルと呼ばれた女性の手をぐいぐいと引っ張って、レイの元へと駆け寄った。

 息はまだあるようだ。しかし意識はなく、呼吸は浅い。暗くてわからなかったが、彼の周りには血だまりが出来始めていた。


 リンデルはレイを見下ろし、そゆことね、と呟いた。


「あの空間に行って、帰って来たんだね。この子が……」

「ねえねえ、リンデル。レイは大丈夫? 」

「大丈夫じゃないよ、アルヴィン。この血の量は死ぬと思う」

「えー、やだやだ! レイはなかよしできそうだから、死んだらやだー!」


 アルヴィンはその場にひっくり返って、ジタバタし始めた。仕立てのいい服に、レイの血が染み込んでいく。


「レイはぼくにおかしくれたんだよ! いっこめはマズかったけど、にこめはおいしかったのー! いっぱいおはなしもした! だからー! あれやって! あれ! 」

「ああ、そうだったの。分かったよ、汚れちゃうから、もう立とうね」


 アルヴィンの手を引いて立たせたリンデルは、レイの元へと跪いた。体を仰向けに起こし、傷口を確認する。手際よく自らのジャケットを脱いで、両手を肩の傷に当てた。


「ありがとう、アルヴィンが世話になったね。借りは返すよ、きっちりね」


 翳した両手から水のステラが溢れ出す。それは巨大な水滴のようになってレイの上半身を覆った。血は流され、パックリと開いた傷口が徐々に閉じていく。一分もしないうちに傷跡は薄い筋程度までに治癒した。


「誰だか知らないけど、アルヴィンの期待を裏切らないでちょうだい。もし期待外れなら、その時は私が殺すから」


 穏やかな呼吸へと戻ったレイに顔を近づけ、小声で彼女は囁いた。


「わー、ありがとーリンデル! だいすき! 」

「私もだよ、アルヴィン。じゃあ、帰ろう? 」

「でもなんだか、ちょっとだけあそびたくなってきたなあ。あのおにいちゃんたちとなら、なかよくなれるかな? 」


 ニヤリと笑うアルヴィン。ただそれだけで空気が鉛の如く重くなり、周りの机がメキメキと潰れていく。興味を失ったかのようにレイを一瞥し、迷いなく出口の方へ。


「ダメだよっ」

「ふぎゃ」


咄嗟にアルヴィンの手首を掴み引き倒すリンデル。そのまま二人は地面の影に溶け込むようにして消えていった。


 再び建造物内を静寂が支配する。薄暗い建物の中には、ただレイだけが残されていた。

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