デンデン・ドライブ
爽やかな風が、レイの頬を撫でる。空には白い雲がいくつも浮かび、その間から陽光が暖かく降り注ぐ。大地は見渡す限り、右から左まで一面の緑。
レイ達は、ラフィグローブが位置する山の裾野から広がる大草原の中を進んでいた。
行楽日和、といった言葉が相応しいか。決まってこんな日には弁当を作って、どこかへ出かけたくなるものだ。
そんな麗らかな日和の中、レイ達は出かけていく事となったのだ。もちろん気持ちの良い日差しを浴びながら、パンにサテルの葉と燻し肉を挟んで食べる為ではない。
レイの大切なお守りを持った男が王国にいるかもしれないというので、朝早くからこうしてだだ広い平原をひたすら往くのだ。確証などないのだが、レイに頼れる情報はこれしかなく、またサキは元々王国へと行く予定があったので、この突拍子もない旅路は決行される運びとなった。
「この調子なら、日が暮れるまでには聖域に着けそうだぁ! 」
「そうですねえー! 」
帽子を被った初老の男性が、体を捻って後ろに声をかけた。返事をしたのはサキだ。
日は既に高く、振り返ってもラフィグローブは見えなくなっていた。徒歩ではここまで早くは進めない。レイ達はデンデンに乗っていた。
「これ、こんなに速いんだね。驚いたよ」
「そうよ〜、平地のスピードならニカツギ以上! アタシはこっちの方が好きかな〜、速いから」
デンデンは主に運搬業において重宝される家畜である。レイの倍以上の高さ、五倍はある長さの平たい体を持つ。その体は乳白色にヌラヌラと光沢を放っていて、手足は無く、頭と思われる部分の上部に一対、大きな触覚が生えている。首の横からは短い触覚が二対、ぴょこんと飛び出している。(もっとも、どこまでが首でどこまでが胴体かを明確に区別する事は出来ないが。)
背には自らの倍以上の高さを持つ巨大な巻貝を背負っており、あちこちに後付けされた足場とロープによって大小様々な積み荷が括り付けられている。
まるで三年間一切整理をしていない物置のように乱雑に積み上げられているように見えるが、これがなかなか繊細で、左右にガシャリガシャリと揺れながらも、積荷が落ちてくる事は無かった。バランスが崩れてくると首の横の触覚が伸びてちょいちょいと積荷の位置を直す仕草がなんだか微笑ましく、レイが退屈する事はなかった。
「ヴァンは大丈夫かなあ」
「どうせ降りたらすぐ治るんだもの、ほっとけばいいわ」
巻貝の前面には御者台、側面には荷台を改造した座席があり、レイ達は後者に座っていた。座席といっても、厚く長い一枚板に転落防止の手すりが付いているだけの簡易的なものであり、乗り心地は決して良くはなかった。あくまで主な目的は積荷の運搬ということなのだろう。
デンデンの一番の特徴は、その安定し、尚且つ素早い走行速度にある。巨大な巻貝の下部には、左右に二つずつ巻貝を備えている。普段は見た目通り這って移動するのだが、長距離を移動する際は下部の巻貝を展開、接地させ、それを回転させて進むのだ。
初めて見たレイは驚き、そして喜んだ。ラフィグローブの男の子は大抵、デンデンの走行形態への"変身"を見ると同じ反応をする。
ヴァンはヌメヌメが苦手だの、乗ると酔うだのと言って青い顔をしていた。しまいに嫌がる気持ちがアルマ反応を起こし、彼の周りまでジメジメして来たので、今はレイとサキの反対側に乗せられ、転がされている。
そんな事情は素知らぬ顔で、巨大な陸貝は平原を駆け抜けていった。
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「あ〜、食った食った。よーし、食い終わったな?時間ないからな、用意をしてすぐに出るぞ。嬢ちゃんはデンデンに水掛けてやってくれ。石の持ち合わせはねえから、そこの川から汲めばいい」
「あーい、桶借りるわ」
夕暮れ時、四人と一匹は、川のほとりで遅めの昼食を取った。固形の携帯食糧が二本と、熱いお茶をカップに一杯。
決して上等なものではなかったが、広大な景色の中で、川のせせらぎを聞きながら食べると、あの茶色のボソボソした塊もなんだか趣のあるものに思えてくるものだ。
「ガタイのいいあんちゃんは輪貝磨いてくれや。そろそろコートが剥がれてくる頃だからな」
「ええっ!嫌っすよ!ヌメヌメすんでしょ!」
「うるせえ。ほら、行った行った」
デンデンの車輪部分"輪貝"は、分泌された粘液が表面に付着、凝固してコーティングされている。粘液は固まると非常に滑りが悪くなり、それによって大地をしっかりとグリップして進んでいくのだ。
しかし一度に長距離を走ると、その塗膜が剥がれ速度が露骨に落ちる。その為こうしてこまめに磨いて粘液を塗り直してやらないといけない。こうした手間暇や繊細さから、ニカツギに比べて愛用者は少ない。
「そんで金髪のあんちゃん、あんたは俺と積荷の確認だ。落ちてないかだけ、ざっくりな」
「そこの赤い袋は毛布が十!隣の黒い袋には携帯食糧が入ってる!あるか!」
「ええと……はい、あります!」
レイはデンデンの貝の上、不安定な足場に立っていた。ロープを掴みながら、片手で袋の口を開け中を確認し、閉じていく。
巨大な貝によじ登る事も、不安定な場所でバランスを取ることも、村での木登りや屋根修理の経験が活きた。手際よく確認を終わらせていく。
「その白い袋には薪が入ってるな!それ見たら戻ってこい!」
「はーい!薪、オーケー。……ん? 」
レイは薪の中に一冊の本が紛れ込んでいることに気がついた。固い装丁の古びた本だ。見た事もない字で書かれている。
「……? なんだ? おじさん!本が入ってました! 」
「本だぁ? 」
「ほら、これうわっ⁉︎ 」
下に向けて体を捻った弾みで、レイは足を踏み外した。浮遊感と焦燥感を感じる間も無く、地面へと叩きつけーーーられなかった。
デンデンが触覚を伸ばして足を掴んでくれたのだ。そのまま優しく地面まで降ろされる。
「あ……ありがとう、助かったよ」
返事の代わりに、触覚がレイの頬をつついて、引っ込んでいった。
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「ま……まだっすか……」
「もう見えてくるはずだ、日が沈むまでには着くから安心しな」
沈み行く夕日を受けながら、デンデンは平原を走り続けていた。だんだんと東の空は暗くなり始め、日中はあちらこちらに居た動物達の姿も見えなくなった。
「そういえば、なんで夜の平原は危ないの? 暗いから前が見えないとか? 」
手すりに体を預けて夕日を眺めながら、レイはサキに尋ねた。
「まあー、それはもっともだけどねー。夜の平原には、赤目のアニマが出るのよ」
「……っ! 」
レイの背筋に寒気が走る。村での光景が一瞬脳裏をよぎった。
「あんなのが……毎晩出るの? というか、出る場所が決まってるの?」
「毎晩かどうかは知らないけど。でも、あんたのとこに出たようなデカイのはそうそう居ないわ。場所は……なんともいえないかな。ただやっぱ夜の平原で出た話はよく聞くから、場所も関係あるのかも」
「サキ達も分かってないんだ」
「色々調査して目星をつけてはいるけどね。例えば、今ザジって奴は依頼を受けてワダツミっていう国に行ってるわ。あそこはこの時期決まって出るらしいのよ」
ザジ、確か強い人だって言ってたな。一体どんな人なんだろう。
「まあ赤目なんて出ない方が良いんだけどね、ホント。あ、あとね。夜に平原で行方不明になった商人が、一月後にワダツミで見つかったっていう噂があってさ」
「えっ、そのワダツミって……遠いの? 」
「海の上だもの、遠いわよ。その人はなーんにも覚えてないんだって。それから無理して夜に平原を往く人は更に減ったらしいわ」
「本当の話? 」
「さあ」
夕日が地平線に体を埋め始めた。東の空が更に暗くなっていく。先ほどまでデンデンの殻にとまっていた鳥達もいつの間にか巣へと帰ったようだ。
「あ、そういえばそれ、結局貰ったの? 」
サキがレイの手元にある本を指差した。レイが積荷の確認をしている時に見つけた古めかしい本だ。
「ああ、うん。なんだか気になって」
「読めない字なんでしょ? 」
「挿絵が気に入ったんだ」
「ふーん」
商人である初老の男性に見せたが、こんなものを積んだ覚えはないという。ボロボロで売り物にもならないし、欲しいならやると男性は言った。
パラパラとめくったが、知らない文字で書かれていて読めそうもない。しかし途中のページにあった、翼の生えた人が手を伸ばしている絵が不思議と気になって、レイは貰い受ける事にした。
「今晩使わなかったら貸してよ。枕にするから」
「お行儀悪いよ、サキ」
「おおい、着くぞぉ! 」
男性の声に、レイは前へと振り向いた。夕日は半分以上大地へと沈み、空は夜へと移り変わっていたが、それがかえって眼前に広がる景色を際立たせていた。
「う……腕??」
レイの目に飛び込んできたのは、煌々と明かりの灯る集落と、それを城壁のように囲う巨大な二本の"腕"だった。
みなさんこんにちは、ポテトです。
閲覧ありがとうございます。
"聖域"にたどり着いたレイ達を待ち受けるのは……?
次回もご期待ください。




