プロローグ〜流れ星〜
さざ波が音を立てる、穏やかな水面。そんなありふれた海に面した港に、青年と少女は立っていた。
少女は大きく伸びをした。青年は腰に下げた刀の鞘に、左手を添える。
海の底から、迫る。海面に、闇が広がる。"奴ら"が、日常を壊しにーーー。
「……来たな」
どす黒く染まった波が、港へと押し寄せた。その中に、無数に光る赤い目。
青年と少女は、その波に向かって一歩を踏み出した。その瞳には、強い意志が宿っている。
そしてその意志は、彼らの力となる。
『この世界の想いは、見える』
『グラスから零れ落ちたワインが、テーブルクロスに模様を描くように、身から溢れた想いは、形を成した』
『情熱は炎に、慈愛は水に。探求者の背を風が押し、揺るがぬ意志は石となる。』
遠く離れた家の窓から、子供が顔を覗かせた。そしてすぐに、母親が子供を窓から引き剥がした。
野次馬達が離れた場所に集まる。恐怖と奇異の目が、向けられる。
『優しさは光り輝き、苦痛は闇を纏う。この世界で伝わらない想いは、無くなった』
襲い来る黒い怪物。対峙する少女が叫んだ。雷鳴が轟き、怪物を吹き飛ばす。群がる怪物を、青年が一振りで斬り裂く。
『だというのに、悲しみは消えない』
息を整える少女。服の肩が破れ、血が滲んでいる。背中を合わせた青年は、頬の血を拳で拭った。水車が壊れ、船は転覆している。
『昼と夜に分かれたこの世界は、いつか一つに戻るのだろうか』
怪物は次々に海から迫る。
『人々がいつか分かり合える日は、来るのだろうか? 』
それでも、2人は諦めない。
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大きく踏み込んだ少女は、拳を振り抜いた。
「やっ! これで、20くらい!? 」
「いや、46ーーー」
少女の方へ振り向いた青年は、背後から襲いくる黒い影を振り返りる事もなくまとめて斬り捨てた。
「今ので49だ」
「もうそんなにやった? 」
「俺が32、お前は17」
「あたしの方が弱いみたいじゃん! っせい! 」
少女は会話を遮ってきた影を思い切り蹴り飛ばし、霧散させた。口の中の血をぺっと吐き出し、小さくステップを踏む。
「18! 」
「こういうのは俺の方が向いているというだけだ。……撃ち漏らすなよ」
「おっけーい! 」
少女は拳を握って構えを取り、青年もまた刀の切っ先を視線の先に向けた。
二人の見据える先には、水路がある。それを覆うように迫る、黒い影達。この港には、彼らと、奴らしかいない。
その影はいくつもの個を持って蠢いていた。不定形に揺らぐ体、おぞましい鳴き声。
そして、
鮮血のように赤く光る目。
睨みつけられた者は恐怖を植え付けられるという。
故に、この怪物は【赤目の霊獣】と呼ばれていた。
赤目は次々と海から迫ってくる。どれほどの数がいるのか、計り知れない。飛び出してくる赤目を流れるように斬って捨てるが、すぐに新手が湧いて出る。
「キリがない! 」
少女が豪快な回し蹴りで赤目をまとめて蹴り上げるが、倒した以上の数が湧いて来る。
「……雑魚は任せたぞ」
青年は突然持ち場を離れた。
「あ、ちょっとぉ! 」
青年の受け持っていた赤目が、少女に集中する。塊になっていた赤目達も、好機とばかりに次から次へと飛び出してくる。
青年は構わず水路まで走り抜けた。瞼を閉じ、刀を納め、意識を集中する。
青年の手に、深い青の光が集まる。青年は、目を開いた。青い光を宿した目だ。
「凍てろ……っ!!! 」
青年の手が水路に触れる。
その瞬間、赤目は動きを止めていた。
いや、動けないのだ。
青年が触れた水面から氷が走り、一帯全ての赤目を凍て付かせていた。
運悪く少女の近くにいた赤目は、凍りついたまま彼女の拳に捉えられ、まとめて粉々になった。
「……」
全てが沈黙していた。
赤目も、そして2人も、口を開かない。ただその瞳だけは、鋭い光を放っている。
ピシッ
堪えかねたように沈黙を破り、1匹の赤目が海へと跳んだ。他の個体よりも、深く暗く鋭い、赤い瞳。
「あいつよ! 」
少女が叫んだ時、既に青年は白刃を振りかぶっていた。
「逃がすか」
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「あれだけの数の赤目を、たった二人でやっちまったのか……」
先ほどまで赤目で埋め尽くされていた港は再び静かになり、漁師や作業員達がちらほらと戻って来た。赤目は跡形もなく消え去っており、道や壁のあちらこちらの氷塊だけが、先ほどまでの戦いを物語っている。
「さむっ……。なんなんだこりゃあ、赤目はただでさえ迷惑だってのに、氷まで吐くのか」
「いや、俺は見たぜ。あいつがやったんだ」
漁師のうちの一人が忌々しそうに顎をやる。その先には青年が居た。霊獣と戦っていた青年だ。横のコンテナには少女が腰掛けている。
「おい、それって……」
「ああ。お偉いさんは今回、ステラ使いを雇いやがった。冗談じゃねえ」
男達の周りがどんよりと曇る。じめっとした、嫌な空気が立ち込める。それを受けてか周りの人達もヒソヒソと話しを始める。
「あいつらステラ使いらしいぞ」
「うそ! なんだか怖いわ、早く帰ってくれないかしら」
「これじゃどっちが化け物か分からないな」
「シッ! 聞こえたらどうすんだよ! 」
どんよりとした空気を纏いながら、人々は出航の準備を再開する。未だ溶けきらない氷塊を砕く者、崩れた荷を整理する者……。少女は、それを遠目に眺めていた。
「なによ、こっちが誰の為に体張ってると思ってんのよ。まったく」
ばたりと上半身を倒し、コンテナから飛び出た脚をぶらぶらと振る少女。
「いい耳だな」
「いや、聞こえないわよ! 視線と、あのいやーな感じのアルマを見れば嫌でも分かるでしょ」
「まあな」
青年は目を伏せて壁に体を預ける。
「やり過ぎたんじゃないの? 」
「時間を掛けるのは悪手だった」
「はぁ〜、いつか分かってもらえるかな」
「さあな」
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忌まわしき力を持つ者によって、水の都【ワダツミ】の日常は守られた。穏やかな街並みはいつも通りの時を刻み、空の主役は太陽と雲から、月と星になった。
その青年と少女は、街外れのこじんまりとした場所に宿をとっていた。二人の他に客はいない。
少女は、部屋から外に向かってせり出した板張りの通路に腰掛けていた。壁も仕切りもないこの通路からは、星がよく見えた。青年が後からやって来て、少し離れた場所に座った。
「明日には帰るんだろう」
「そのつもり。フラジールでひとっ飛びよ」
少女が羽ばたく真似をする。
「あーそうそう。あの子んとこ、行かなくていいの? 」
「歌巫女の護衛依頼は明日からだ」
「そうじゃなくって……その依頼、ここ二、三年も受けてるんだからさ! その子に何か挨拶とか、がんばれー!とか、そういうのないのって。ほらほら」
少女は呆れ顔をしながら体を横に傾け、肘で青年をつつく。青年は微動だにせず答えた。
「歌巫女の儀の前日は、身を清める必要がある。巫女は誰にも会わないのが通例だ。彼女が許しても、国民が許さないだろう。それがステラ使いであれば尚更な」
「ここでも嫌われ者かー」
はーあ、とため息をついた少女は空を見上げた。
「あたし達も普通の人間だって分かってもらえる日ってさ、いつ来るのかしら。なーんか気が遠くなる話よね。あっ、あれ」
少女が指差した先に、スーッと尾を引いて星が流れていく。一つ、二つと、視界のあちらこちらで、流星が空を彩り始めた。
「流れ星! 」
「……あの流れ星が、叶えてくれればいいんだがな」
「なんの話? 」
「流れ星に願い事をすると叶う。……古い言い伝えさ」