承
ぼくの村には、きみのわるい言い伝えがあった。
村はずれにある、黒いお墓、その前を通るときは必ず、お祈りを捧げないといけない。お祈りを忘れてしまった悪い子は、三日目の晩、ホロホロという化け物に食べられてしまうんだって。絶対にお祈りをするんだよ、とお母さんや先生は口をすっぱくして言った。
ぼくはもちろん信じていなかったけど、きみがわるいから近寄らなかった。村はずれにはゴミ捨て場しかなかったから、近寄る必要もなかった。
でもある日、友達がきもだめしをしようと言ってきた。お墓を蹴飛ばしてこようぜって。ぼくはいやだと言ったんだけど、弱虫、と言われてカチンときたから、つい一緒に行くと言ってしまったんだ。
……
三日を過ぎても、ぼくたちは生きていた。なんだ、やっぱり迷信だったんだ、そう思った次の日……友達が、頭を食べられて死んでいた。
……
きゃあ、という悲鳴で私は言葉を止めた。
周りを見る。怯えた顔がそこにあった。
今まで見たことがない風景だった。耳を塞いでいる子、泣き出しそうな子、いやいやと首を振る子、看護師に抱きつく子……。
私は、続きを読むことができなかった。
「今日はこれまでにしよう。続きが気になる子はまた来てくれ」
突然打ち切られた会に、みんな困惑していた。怯えた子供たちは看護師によって部屋に戻された。
次の日、数人の子がやってきた。比較的年長の子ばかりだった。続きが聞きたいと言ってくれたので、私は話すことにした。
……
……その夜から、ぼくは変な夢を見るようになった。あのお墓の前に立っている夢だ。ぼくは怖くて逃げ出したら、後ろからなにかが追ってくるんだ。うらめしや、うらめしやって……
夢を見るようになった三日目の晩、ぼくはひざまずいて許しをこうた。ごめんなさい、ゆるしてください、もう悪いことはしません……夢中になって祈ったら、目が覚めた。ぼくはどこもかじられてなかった。
あとからお母さんに話を聞いた。あのお墓は、奥のゴミ捨て場に宿る霊を沈めるものなんだって。ゴミ捨て場にはぼくたちが食べてきた生き物たちが捨てられているんだ。
ぼくは毎日のように祈りを捧げるようになった。ぼくを生かしてくれてありがとうございます。ぼくは一生懸命生きます……
……
「先生、なんだか、お話の雰囲気が変わりましたね」
ある日、ひながぽつりとこぼした。
「そうかな」
私はそうとぼけて見せた。
私の話は、すっかり様変わりしてしまった。
ホロホロは悪い子のもとに現れる恐怖の化け物に変貌し、主人公は命からがら逃げ回るしかない無力な少年に変わっていた。
「ホロホロはぼくのところにもくるの?」
怯えた顔の男の子にそう聞かれたので、
「ホロホロは悪い子のところにしかこないんだよ。お母さんとお父さん、お医者の先生の言うことをちゃんと聞いてれば大丈夫だよ」
と笑って頭を撫でてやった。
うん、いい子にする! と頷いた男の子を見て、私は心のなかで苦笑した。
お医者の先生の言うことを聞かない悪い子の私は、ホロホロに食べられてしまうかな。
頻繁に発作を起こすようになった私は、医師に自動呼吸器の使用を強く勧められるようになった。しかし、私は拒絶した。
出れる保証はあるんですか、と聞くと、医師は言葉を詰まらせた。
私は、私の肺が頑張れるところまで頑張らせてください、と言い、医師を追い払った。
怖い話を書くようになってから、私の話を聞きにくる子供はめっきり減ってしまった。寂しく思ったが、こんな話を喜んで聞きにくる子なんていないよな、と自分でもわかっていた。
私は空いた時間を創作に回した。誰にも聞いてもらえない話をたくさんたくさん書いた。
そんなある日。
「先生」
ひなが私のもとに駆け寄り、腕に何かを巻き付けた。
「おまもりです」
顔を上げてにこりとする。見ると、左手首に腕輪が付けられていた。三色の紐で編んである、手作りのようだった。
「切れたら願いが叶うんですって。先生の病気が治りますようにと祈りを込めて作りました」
無邪気な笑顔だなと思った。この看護師は、私が治る病気だと聞かされて、それを疑いもなく信じているんだろう。
「ありがとう」
私も笑顔で答えたが、うまく笑えたかわからなかった。
その日の午後、数人の子供が病室を訪ねてきた。まだ私の話を聞きたいと言ってくれる子がいて嬉しかった。
案の定、ひとりの女の子が私の腕にあるものに気が付いた。いいな、と言ったので私はそれをあげてしまった。
「紐が切れたら、願いが叶うんだって。きっと病気が治るよ」
私はそう言って女の子の腕に結びつけてやった。女の子はとても喜んでくれたので、私も嬉しかった。
ひなは近くでそれを見ていた。困ったような笑顔だった。
「やっぱり、あげちゃいましたね」
子供たちが帰ってから、ひなはそう言った。おどけたような口調だったが、声は少し震えていた。
「すまない。でも、あの子の方が必要だろうと思ったんだ」
あの女の子は、重い心臓病だった。元気そうに見えるが、あと数ヵ月持つかどうか、と噂されているのを聞いたことがある。
「そうかもしれません、けど……」
ひなは言葉を詰まらせた。
「わたしは、先生に、元気になってもらいたくて……」
絞り出すようにそこまで言うと、彼女は顔を伏せて出ていってしまった。
私はそこで初めて、自分がひどいことをしたことに気が付いた。
翌日病室に現れた彼女は、いつもと変わりのない彼女だった。
私は、彼女に嫌われてしまうのではと考えていたので、安心した。
「先生、また新しいお話できたんですか?」
私のノートを覗きこむ笑顔に一片の曇りもない。私も、昨日のことは気にしないことにした。
「うん。また怖い話だけど」
「先生の怖い話も好きですよ、わたし」
ほわんと、心が暖まるのを感じた。
こんなに変わってしまった私でも、私として受け止めてくれる。
私は、彼女が自分にとってかけがえのない存在になっていることに、ようやく気が付いた。
私はそれから、ひなのことを考えることが多くなった。
今までは、いつも側にいるイメージだったのに、今は何故だか、たまにしか来てくれないな、と感じていた。もちろん、彼女が病室を訪れる頻度は以前と変わらない。
病室を通りすぎると、なんだか哀しくなる。窓の外に姿を見つけると、嬉しくなる。
私は物語を書けなくなっていた。ノートはずっと白紙だった。一体どうしてしまったんだろう。
今日もペンを持ったまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
ひなは今、何をしているんだろう。
お昼の真っ只中だった。太陽は高く登り、木の影は丸く根元にかかっている。
視界の端に、馴染みのある色が映った。ひなだ。私の胸は高鳴った。
しかし、幸せな気分はすぐにかき消される。ひなのすぐ側に、人がいたのだ。白衣を着た若い男だった。たしか、最近入ってきた新しい医師だ。
ふたりは談笑しながら、私の視界を横切っていった。私は、どんどん世界が色褪せてくのを感じた。
当たり前のことじゃないか、と思った。
ひなは私だけの看護師じゃない。他にも受け持ちの患者がいて、仲の良い同僚がいて、上司の医師がいる。彼女は優しくて働き者だから、人気者だった。誰からも愛されていた。
私の世界が好きだというひなには、他にも大好きな世界がある。
そして、私には、私のちっぽけな世界しかないのだ。
そんなこと、当たり前のことなのに、私は何故だかショックを受けていた。
私は、白紙のノートを見た。私にはこの世界しかないのに、何を立ち止まっていたんだろう。
私はペンを走らせた。この数日が嘘のように、手は流れるように動いた。