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38.ヨーロッパ中世の『騎士の鎧と剣』

 世界中の『刀剣』を思い浮かべる時、日本刀以外で日本人が最初に思い付くのが、あの十字型をした諸刃の『西欧騎士の剣』ではないだろうか!

前々回、前回とイスラム世界の「刀剣」から初めてヨーロッパ各国の近代陸軍が軍刀の標準として採用した「サーベル」まで振り返ってみたので、本稿では更に時代を遡ってヨーロッパ中世の『騎士の鎧と剣』の世界に無謀ながらチャレンジしてみようと思っている。

初めは、『中世騎士の剣』だけをテーマに勉強してみようと考えていたが、暗黒時代の剣の発達と騎士の防具である鎧の変化が表裏一体となって推移している状況を見て、更に無謀なことに「剣と鎧」を対比しながら探求することに変更したので笑いながらお読み頂きたい。

ヨーロッパの中世というと一般的に5世紀~15世紀と理解されていると思うが、本稿では800年代から1050年代に掛けての所謂、「ヴァイキングの時代」からスタートしてみたいと思っている。


(ヨーロッパの『剣』の二つの原型)

 ヨーロッパの『剣』には二つの原型があるように個人的には感じている。

その第一は古代ローマ帝国の軍団兵が愛用したラテン系の「刺突」機能を重視した片手使いの鋭利でやや短め剣である。その場合、もちろん左手には古代地中海世界の伝統である軍団編成体系である「ファランクス」以来の盾が保持されていた。この場合、「剣と盾」は極めて重要な相互依存の関係にあった。

 そして、第二の剣の原型は800年代から1050年頃に掛けて北ヨーロッパで強勢を極めた北欧の剽悍なヴァイキング達が常用した「ヴァイキングソード」である。

ラテン系のソードが刺突機能を重視していたのに対し、ヴァイキングソードは身幅の広さと重量を生かした斬撃効果を最重要視した凶暴な武器であった。同様にヴァイキングが使用した戦闘用の手斧と共に英国やフランスの海岸地帯の農耕民や豪族達にとって恐怖の対象の一つがヴァイキングの振りかざす剣だったのである。

「ヴァイキングソード」の影響もあって、中世ヨーロッパの剣は刺突より斬撃を重視する重量のある幅広諸刃の剣に移行していくのだった。


ヴァイキングソードに次いで11世紀頃登場したのが「アーミングソード」と呼ばれる全長90cm、重量0.9~1.5kgの叩っ切り重視の突きよりも斬撃特性最優先の剣であった。当時のヨーロッパの製鉄技術と鍛刀レベルは低く、当時製造されていた多くの剣の鉄質は悪く、焼き入れによって表面を硬化しているものの炭素の浸透する表面層は薄く、研磨を重ねると効果的な焼き入れ層は直ぐに研ぎ減ってしまい鋭利さを急速に失う傾向があったという。

 しかし、ヴァイキングソードの中でも「ウルフバード」と呼ばれる一群の刀剣は優秀で素材にした鉄の純度も高く当時からその高品質と斬れ味は高く評価されている。

近年の発掘でも相当数(171振)のウルフバードが発見されているという。しかしその殆どは、どうやら本物のウルフバードではないようで、専門家によると本物は一割にも満たない数だというから、その貴重性は相当の物だったらしい。

 当時のヨーロッパの技術レベルは東アジアの大国「唐」や「宋」に比べると格段に低く、優秀な刀剣自身の供給力は少なかった為、王や偉大な族長クラスの愛用品だったと想像され、到底一般兵士全体に十分供給される状況には無かったのである。


(11世紀~14世紀当時の「騎士の鎧」)

 リチャード獅子心王が参加した十字軍の時代を含めてその当時の、ヨーロッパ騎士の愛用した鎧は両腕と上半身や大腿部全体を覆う丈の長い「チェインメイル(鎖帷子)」と板金製の甲の組み合わせだった。この形態は1300年頃まで長期間続いている。

 確かにチェインメイルは比較的柔軟で連続性があり、剣による怪我の防止には有効であったが槍や矢のような先端の尖った武器に対する防禦機能は低かった。そんなチェインメイルの鎧がヨーロッパで長く使用された背景には二つの要素があったと思われる。

その一つは、日本とは異なる手持ちの盾の存在であり、もう一つが当時ヨーロッパの騎士の世界で大流行した「模擬試合」の存在だった。盾の有効な活用によって騎士達はチェインメイルの胸部の弱点を十分に回避できた可能性が高い。

 即ち、この盾こそがヨーロッパの兵装を象徴する存在であり、甲冑の不備を補う重要な存在だったのである。盾は騎士の存在と家系を表す紋章のベースとしてヨーロッパの各王家と貴族の家系の栄誉を顕示して今日に至っている。


 大型の手持ちの盾の存在により、その柔軟性もあってチェインメイルは長い間騎士達に愛用された結果、ヨーロッパの甲冑の「板金化」は14世紀初期まで遅延している。その頃、硬質の皮革や板金を縫い込んだ着衣によって騎士の鎧の防御性が格段に改善され始めるのだった。

 14世紀中頃になると今日我々が思い浮かべるヨーロッパ騎士の甲冑姿が出来上がっている。

負傷しやすい籠手の部分はもちろんのこと、両足の先端までも板金鎧で保護される甲冑一式が供給され始めている。


(「模擬試合」の流行と「馬上槍試合」の完成)

 中世に大流行した物の一つに王候貴族や騎士の間の「模擬試合」がある。武力集団である彼等にとって日常武技を磨くことは必須の条件であり、己の武名が喧伝されてこそ恩賞の機会に恵まれるというものだった。

しかし、命を掛ける戦場がいつも都合良く存在する訳でもないので、必然的に発生したのが武技を磨くための「模擬試合」であった。

模擬試合は死者が出ないように刃先を丸めた剣や棍棒を使用した模擬戦闘空間の設定により成立している。最初、「模擬試合」は戦場と同じように従者も加えた集団戦闘訓練として行われたが、双方の感情が激化してくると往々にして死者や重傷者が発生する危険場な試合であった。

けれども、相手が死に至る前に勝者は敗者の武具を没収する権利や身代金を要求する権利を与えられるケースが一般的だった為、ヨーロッパ全域で爆発的に流行したのだった。

そんな模擬試合流行の時代に「トーナメント」に於ける武勇を踏み台に出世の階段を上っていたイギリス人の騎士の一人に「ウィリアム・マーシャル(1144?~1219年)」が居る。

彼の時代のトーナメントは構成された二つのチームによって争われたが、相手から獲得した身代金によって財産を築き上げた彼は最終的には初代ペンブルク伯となっている。

後に国王や王妃の知遇を得たマーシャルは失地王として有名なジョン王の没後、後継者の若い王子の摂政として王子の英国王(ヘンリー3世)への即位に尽力した結果、彼の行いは英国を代表する騎士の行為として現在に至るまで賞賛されている。


(「プレート・アーマー」の時代)

 やがて、ヨーロッパ各地の「模擬試合」は集団戦から、今日、我々の良く知る1対1の騎士同士による「馬上槍試合」へと変化している。

その結果、使用する武器も集団戦の時の実戦的な剣を中心とした戦闘用の斧や棍棒等を含む多様性を失い、唯一馬上での槍の使用が一般的になっていったのである。

即ち、今日我々が時代劇の映像で目にする「馬上槍試合」の形式が整備されたのだった。そうなると従来の「メール・アーマー」では槍を用いた激突時の衝撃に耐えることが不可能なのは万人の認めるところとなり、「プレート・アーマー」の改良開発が急速に進むことになったのである。

 1300年代後半以降、ヨーロッパの「プレート・アーマー」の構造は改良が進み、画期的な隙の無い金属甲冑が次々と出現するのだった。

 そのような時代、刀剣も突きと斬る為両用の混血型刀剣である「バスターソード」が登場している。刀身は従来よりもやや長く、刃長90~110cmとなり、重さも稍重の1.3~1.5kgで馬上での使用に最適な長さであった。


 この時代、騎士の剣は「ロングソード」とも呼ばれていたようだ。この名称はヨーロッパの騎士の剣の代表的な呼称として長期間使用されていて、時代によって形状が若干異なるが、初期のロングソードは斬撃を主とする使用方法に特化しているのに対し、後半のロングソードは刺突時の性能向上に重点を置くように時代に対応して変化している。

 加えて、ロングソードの時代の進化による性能の差に大きく影響した要素が素材である鉄の変化であった。初期の剣が「鉄素材」の表面のみの焼き入れによる幼稚な硬化技術だったのに対し、後期になると優秀な鋼材を使用して本格的な焼き入れによる剣が登場している点を忘れてはならない。

 その優秀な鋼材を基盤として次の時代である16~17世紀になると突き専門の軽量の護身用の剣として登場したのが「レイピア」だった。


話が先に進みすぎてしまったが時代が15世紀になると関節部分の動作にも滑らかな完成度の高い鎧が北イタリアやドイツで造られるようになった。

一端、「プレート・アーマー」の優秀さが立証されると完璧な板金鎧の完成を目指してヨーロッパ中の甲冑師達がその腕前を競い合ったのである。

その結果生まれたのが先進国ミラノの「ミラノ式甲冑」であり、ドイツの「ゴシック式甲冑」であった。

しかし、両甲冑を含めたヨーロッパ甲冑の完成度が頂点を迎えた頃、新たな攻撃手段として戦場に登場したのが火薬を用いた歩兵の持つ「マスケット銃」であったのである。


(「マスケット銃」の登場と甲冑の衰退)

最初の内、戦場での操作に多くの不便が伴うマスケット銃だったが火縄による点火方式に続いて「フリントロック(火打ち石)」による発火方式の採用以降、戦場での主用武器としての地位を確立していったのである。

その結果、甲冑師が苦心を重ねた重厚な鎧の存在は無価値な物になり急速に廃れていったのだった。

このようにヨーロッパ独自の華麗で精巧な芸術品的な甲冑はヨーロッパ各地の宮殿や武器博物館の展示物となったのだった。その結果、近世から近代に掛けてのヨーロッパ諸国の軍隊の軍人の手に握られたのは「騎士の剣」では無く軽量で反りのある湾刀だったのである。


話は変わるが、以前、日本の剣術は世界でも珍しい刀を両手使する武術だと触れたことがあったが、両手使いの剣術はヨーロッパやその他の国で全く存在しない訳では無い。

その代表例という訳でもないが14世紀から17世紀の神聖ローマ帝国内で流行した「ドイツ流剣術」がある。

使用する剣は「ロングソード」と呼ばれる中でも刀身の長い両手使いのドイツスタイルの諸刃の長剣で、初めは戦場用の戦闘技術として開発されたようだが、次第にスポーツ化してゆき、やがてイタリア流の突きを主とする「レイピア剣術」の流行に伴って衰微している。

このように『ヨーロッパ騎士の甲冑と剣』は相互に影響し合いながら改良と発達を繰り返している。その背景にはヨーロッパ諸国が多くの中小国家群によって構成されていた背景が大きかったと考えたい。

多国間の国際競争が長期間に渡って繰り返された結果、「大航海時代」をリードする優秀な火器を開発できたことが今日の欧米優勢の国際情勢のスタートを醸成出来た点を忘れてはならないと考えたい。

しかし、『刀剣』の世界だけで見ると近代ヨーロッパの刀剣形状をリードしたのは「イスラム系の湾刀」を祖先とする『サーベル式軍刀』であった点は前述したと通りだが、それにしても、今回、『ヨーロッパ中世の刀剣』を初歩から勉強できた感激は大きかった。

もちろん、素人特有の間違いも多いとは思っているが、それ以上に未知の領域を勉強できた想像以上の感動に感謝したい。


(参考文献)

1.『西洋騎士道大全』 アンドレア・ホプキンズ著 松田英他訳 東洋書林 2005年

2.『馬上槍試合の騎士』 クリストファー・グラヴェット著 須田武郎訳 新紀元社 2003年


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