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34.『7.92X33mm弾』の登場

ここまで、「ボルトアクション式軍用銃」と「短機関銃」の発達の経過を第一次・第二次世界大戦を通して調べてきた。

しかし、使用された「銃弾」から観察すると、第二次世界大戦に参戦した殆どの国が使用した歩兵用小火器用銃弾は、8mm以下の「小銃弾」、か、小口径の「拳銃弾」の二種類に限定されると表現しても間違いではない。

皆さんご存知のように、小銃弾は、使用する小銃の種類と性能にもよるが、一般的に近距離から、1,000m前後の遠距離まで、有効に射撃が可能であるのに対し、拳銃弾は通常、数10m以内の近距離射撃用として有効と評価されている。

そう考えると、一体型薬莢が登場してからの小火器開発の歴史は銃に装塡される「実包」の歴史と捉えてもそれ程大きな間違いでは無いような気がしてきたので、本稿では、小火器から実戦による「実包」の変化とその後の開発経過について触れてみたいと思っている。


(「小銃」の登場から第二次世界大戦まで)

ルネッサンス期以降、各国の軍隊は、大砲の開発と共に、歩兵の持つ小銃の小型化と高性能化に努力を傾けてきた。

まず、使用する小銃の口径か観察すると、小銃開発の一つの流れは、大口径から始まり、小口径化の追求の流れとみて良いと思う。

1720年頃から1840年代まで長期間に渡って使用された英陸軍のフリント・ロック式の小銃、「ブラウン・ベス」の口径は.75口径(19.05mm)だったし、米軍が用いた最後の滑腔式マスケット銃である1835年式銃の場合.69口径(17.5mm)であった。

即ち、ナポレオン戦争の頃までは、このような大口径の小銃が戦場の主役だったが、1866年にフランス陸軍が制式採用した「シャスポー銃」は金属薬莢の採用もあって、口径11mmと大幅に小口径化している。

その後も一体型の実包の改良と無煙火薬の普及によって、小銃弾の口径は急速に小口径化の時代を迎え、1890年代後半になると、各国で口径8mm以下のボルトアクション式軍用銃が次々と登場した流れは以前に触れた。

そう考えると、近代に於ける小火器開発の歴史は、『銃弾の小型化の歴史』と言い換えても良いような気がしてくるのである。


第一次世界大戦の前の段階では、イタリア陸軍と日本陸軍を除くと、口径=7.62mm~8.00mmの間の小銃弾が各国陸軍の標準的な小銃弾となっている。

拳銃弾の方も同様で、口径=8.0mm~11.43mm(.45口径)が各国で一般に使用される拳銃の実包であった。

ドイツ軍が使用した9mmパラベラム弾を用いた「ルガーP08」や「ワルサーP38」は、共に有名だし、45口径の拳銃弾を使用した「コルト1911A」は、その後一世紀以上に渡って用いられたように、近接戦闘用の小火器として塹壕戦等で拳銃は重要な武器だったのである。

即ち、続く、第二次世界大戦に参戦した殆どの国にとって、最前線に供給しなければならない小火器用の銃弾は、「ボルトアクション式軍用銃」用の小銃弾と、「拳銃」と「短機関銃」用の拳銃弾の二種類だったのである。

それでは、ここで戦場の必需品だった「小銃弾」と「拳銃弾」それぞれの特徴について、若干、考察してみたい。


(「小銃弾」と「拳銃弾」それぞれの特徴)

中距離から遠距離での射撃に有効なボルトアクション式軍用銃に使用される小銃弾は、もちろん近距離射撃に用いることも可能だが、銃その物が長くて重い上に手動操作による連発性能上の問題点を抱えていた。

その点、小型の拳銃弾を使用し、連射機能を持つ短機関銃の登場は、最前線の将兵から大いに歓迎されたのだった。

しかし、拳銃自身が目の前の敵を倒すことを最大の目的としているように、拳銃弾の飛距離は銃身の短さもあって小さく、100m以上飛んだとしても、その有効性には疑問が生じるとの意見も多かった。

そこで、各銃弾を用いた小火器の「有効射程距離」を大雑把に上げてみたいと種々の資料を探してみたが、これが予想以上に難しかった。確かに、使用する銃器を限定せずに、小火器の種類別に「有効射程距離」を挙げるのは無謀かも知れないが、取り敢えず、最大公約数的な数値を下記に示してみた。


               有効射程距離         備  考

  拳   銃          ~20m             

  短機関銃         ~100m      (50m以下の意見も多かった)

  小   銃       ~1,000m      (実戦距離は300m以内が主流)


もちろん、拳銃射撃でも熟練の射手が使用した場合、50m~100mでも命中した実例は多いし、短機関銃射撃で50m以上の距離からの射撃時の銃弾の威力には疑問の指摘もあった。

それに、900m~1,000mの到達距離を持つ小銃だが、実戦での使用では、300m以内が殆どと伝えられている。中国国民党軍にしてもソ連軍についても、300m以上の標的の遠距離射撃に関しては、専門のスナイパーを養成しているし、ドイツ軍や米軍の場合、遠距離射撃に対しては、MG42汎用機関銃やM2ブローニング12.7mm機関銃等の到達距離の長い銃器を活用して戦場での主導権の維持に努めている。


しかい、従来型の小銃弾と拳銃弾をベースに、幾ら新型の小型銃器の開発を進めても、魅力的な完成品を手に入れることは不可能だったのである。

その原因は、小銃弾での銃の連続射撃は反動が大き過ぎて十分な操作が不可能だったし、拳銃弾では射程距離が短く、破壊力も不足している点が指摘されたのだった。

この問題点に最初に気付いたのは、第一次世界大戦の戦勝国である連合国では無く、敗戦国のドイツだった。ドイツ共和国は極秘に、小銃弾でも無く、拳銃弾でも無い第三の銃弾の検討に戦中期の早い時期に着手している。


(『7.92X33mm弾』の登場)

前述したように、典型的な歩兵の戦闘距離は300m以内が多かったとの指摘を重視すれば、遠距離の例えば400m以上の標的に対する射撃性能を我慢すれば、より反動の小さい、機関銃のような連射可能な小火器の開発も可能なのではないかとの発想から生まれたのが、発射薬量を大幅に節約した実包であった。

従来の「7.92X57モーゼル弾」よりも遠距離射撃性能は劣っていても、300m以内の戦闘範囲内で十分な威力を発揮出来て、且つ、連射しても反動の少ない火薬量の実包であれば、大きな実戦上の問題は生じない可能性が高かった。

同弾は「7.92mm短小弾」または、「7.92mmクルツ弾」と表現される場合もあるが、ここでは、取り敢えず『7.92X33mm弾』として記述したい。


それでは、従来のドイツ軍の小銃弾である「7.92X57mmモーゼル弾」と新開発の「7.92X33mm弾」、そして拳銃用の「9X19mmパラベラム弾」の三つの外形寸法を比較してみよう。


                            薬莢長        全 長

・7.92X57mmモーゼル弾         57.0mm      82.0mm

・7.92X33mm弾               33.0mm      49.0mm  

・9X19mmパラベラム弾           19.15mm     29.69mm


従来型の小銃弾であるモーゼル弾よりも薬莢長で『7.92X33mm弾』は、24.0mm短くなっていることが解る。全長でも、49.0mmとモーゼル弾の約六割の短さで、「9X19mmパラベラム弾」 よりも約20mm長くなったに過ぎない。

その結果、この新しい短小の小銃弾に求められた性能に近い「9X19mmパラベラム拳銃弾」よりも高い初速と中距離まで届く有効射程を実現している。

加えて、ボルトアクション式軍用銃用の7.92mmモーゼル弾と違い、『7.92X33弾』を使用した小火器では、高い速射性と携帯性を両立させた新しい銃の開発が可能になったのである。


(「突撃銃StG44」の登場)

それでは、小銃弾と拳銃弾の充足できなかった未開拓の領域を埋める『7.92X33mm弾』を用いた最初の小火器は、どの様な性能を持って、いつ頃登場したのかご紹介したい。

 『7.92X33mm弾』が「クルツ弾」とも呼ばれていた点は前述したが、同実包を使用する新型銃は、1938年には既に設計開発はスタートしている。そして、1942年には先行量産品が製造を開始している。

しかし、途中でヒトラーの茶々が入った関係で開発・製造現場は混乱、量産化は遅れたが、実戦場からの熱烈な支持もあって、最終的にはヒトラーの量産許可が下りて、1944年には、史上初めての「シュトゥルム・ゲヴエ―ア」、即ち「突撃銃StG44」の誕生となった訳です。


同銃は終戦まで、40万丁以上が製造されたようですが、ヒトラーの望む、戦局挽回の手段としては登場が遅すぎた感が否めません。

しかし、「StG44」は自動小銃と短機関銃のそれぞれの長所を併せ持つ機能を追求して開発された背景が示すように、小型軽量でありながら、連射性能に優れ、尚且つ、300m以内の敵勢を制圧できる基本性能を持つ優れた小火器だった。

銃弾は初期型で10発、後期型で30発が箱型弾倉に装塡され、互換性に優れていた。また、従来の小銃と異なり、引き金の後ろに拳銃型のハンドグリップが加えられて、短機関銃的な操作も可能になっている。

また、現代のアサルトライフルでは常識となっているセミオート射撃とフルオート射撃の切り替えも可能であった。


振り返って、第二次世界大戦に於ける連合軍とドイツ軍を比較してみると、海上戦力や航空機の問題を除くとドイツ軍が常に悩まされたのが陸軍兵力の不足と火器及び戦車の不足であった。

その為、ドイツ軍戦車の場合、一台当たりの性能をアメリカ軍のM4やソ連軍のT34に勝る性能のパンサーやティーゲル戦車を投入することによって解消しようとしているし、地上戦火器でも優秀な汎用機関銃MG34やMG42の投入やシュマイザーMP40短機関銃の使用により、兵員の不足を火器で補おうとしている印象がある。

その一つが、この『7.92X33mm弾』を用いた「突撃銃StG44」の採用であった。

けれども、前述したように戦場の形勢が、ハッキリと連合軍優勢に傾いた段階での投入だったために戦争の帰趨を左右するほどの効果を寄与しないまま、ドイツ降伏となってしまったのである。


しかし、技術的な観点から明確に指摘できるのは、『7.92X33mm弾』を用いた「突撃銃StG44」の発想は、戦後の小銃開発の基本思想となる多くの先見的な発想を内蔵していた点である。

500m以上の遠距離射撃は汎用機関銃や狙撃銃、M2ブローニング12.7mm機関銃等の火器に任せて、300m以内の敵の殲滅に重点を移した時点で、『突撃銃』の存在と価値は急速に増していったのである。

現在の歩兵の主力火器として、『StG44』の影響を受けなかった『突撃銃アサルトライフル』を探すことは難しい気がしている。

有名な「カラシニコフAK47」にしても、StG44とM1半自動ライフルから受けた影響は少なく無かったと確信している。


最初に、「小火器開発の歴史は、『銃弾の小型化の歴史』と言い換えても良いような気がしてくるのである」と述べさせて頂いたが、当に、戦後の小火器開発は、『銃弾の小型化の歴史』と呼んでも良いくらいに、小火器用の銃弾は急速に弱装弾化、あるいは小口径化している。

有名な「AK47」にしても、口径は従来型の7.62mmだったが、装薬の少ない薬莢長38.7mm、全長56.0mmの短小弾である「7.62X39mm弾」が使用されている。

戦後、連合国側では、口径の縮小方向に開発の主軸を置き、「6.5mmクリードモア」や、「5.56mm弾」が開発されている。5.56mm弾は、NATOの標準弾ともなって、「5.56X45mmNATO弾」とも呼ばれて、中間弾薬として広く自由主義諸国で使用されている。自衛隊でも「89式5.56mm普通弾」として量産化されている。

当然のことながら、NATO加盟国を中心に「5.56X45mmNATO弾」を使用する「突撃銃アサルトライフル」が西側同盟国の小火器の主流となっているのが現状である。


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