表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/41

30.第二次大戦対空機関砲の傑作「ボフォース40mm機関砲」(スウェーデン)

第二次世界大戦に於ける対空戦闘実写シーンで、陸上でも艦上でも常に登場して、兵器マニアの注目を最も浴びた「対空機関砲」に北欧スウェーデンのボフォース社が開発した「40mm機関砲」がある。

大げさに表現すれば、第二次世界大戦に参戦した連合国と枢軸国の殆どで使用された事績を持つのが、この「ボフォース40mm対空機関砲(以下「ボフォース40mm」と略す)」であった。


ここまで、比較的地味な存在ながら第二次世界大戦で大活躍した各国の兵器を採り上げてきたが、今回は、文句なしに同大戦で、国境を越えて各国の実戦部隊から広く支持され、広範囲に使用されて、傑作と呼ばれた北欧の小国スウェ-デンの40mm対空機関砲を採り上げてみたい。

同機関砲は大戦後も長く広範囲に配備されて、現在もその改良型が各国で実戦配備されている長寿命な対空兵器である。

まず、最初にこの兵器が登場する背景となった第一次世界大戦後の航空機の発達から観察してみたい。


(二つの大戦間に於ける各国の航空機の開発状況)

第一次大戦に兵器として新登場した航空機の大戦での活躍は大きく、戦後も先進各国に於いて機体やエンジンの開発競争が続き、次々と新鋭機が登場している。

中でも、第二次世界大戦寸前の1934年~1936年頃に初飛行を行った各国の戦間期後半の戦闘機には優秀な機体が多く、その中から幾つかの機体を挙げて、ご参考としたい。

最初にご紹介するのは1934年初飛行の英国の「グロスターグラディエーター」戦闘機である。姿は、まだ旧式の複葉機ながら金属製で最大速度414kmを誇り、最大運用高度10,200m、武装7.7mm機銃2丁を装備していた。

次が、ドイツの「アラドAr68」戦闘機で、初飛行は同じ1934年である。こちらの方も複葉機で、運用速度335km、実用上昇高度8,100m、武装の方も同じような7.92mm機銃2丁だった。

我国の機体としては、翌1935年に初飛行した中島飛行機の「96式艦上戦闘機」を挙げてみたい。同機は有名な堀越技師の自信作で、海軍初の全金属製単葉機で運用速度406km、武装は英、独と同様の7.7mm機銃2丁だった。

対する米国はというと、1936年に初飛行した陸軍の「カーチスP-36ホーク」戦闘機がある。同年代の戦闘機の中では504kmと随一の高速と12.7mm機銃1丁+7.7mm機銃2丁の重武装を誇っていた。

こうして見ると1934年~1936年に初飛行した各国の誇る最新鋭戦闘機だが、僅か1~2年差で、旧式の複葉機から新鋭の単葉機に大きく変化しているし、飛行速度や武装に関しても、日進月歩で目まぐるしく進化する時代だったのである。


特にアメリカの場合、自動車の量産技術で培ったエンジン技術等をベースに航空機用大型エンジンのシリーズ開発に成功した結果、各国に抜きんでた重武装を実現している。その傾向は、航空母艦搭載の艦上戦闘機や艦上爆撃機でも同様の傾向があり、燃料タンクを含めた防弾性能の向上にエンジンの大型化による余剰を当てて成功している。

一方、日本の空母搭載の96式艦上戦闘機は中型600馬力のエンジン出力を最大限に活用して、後の三菱零式艦上戦闘機に繋がる優れた操縦性能を導き出している点が注目されよう。

もちろん、この時点では複葉機で妥協した英、独の軍用機も次の後継機には、最新技術を注入して開発を進めた結果、第二次世界大戦が始まる前には、各国共に一部の機体(英国のフェアリー・ソードフィッシュ艦上攻撃機等)を除いて高速の金属製引込脚単葉機の開発と実戦配備に成功している。


次ぎに戦闘機以上に忘れてならないのが各国の爆撃機だが、ここでは、大戦前に開発された幾つかの機種に軽く触れる程度にしたい。

日独共に小型、中型の爆撃機の開発に注力した流れで、ドイツ空軍機としては、急降下爆撃機として有名な「ユンカースJu87シュトゥーカ」や双発の傑作爆撃機、「ユンカースJu88爆撃機」を思い浮かべる人も多いと思う。

日本海軍では空母艦載機の「中島97式艦上攻撃機」や固定脚が特徴の「愛知99式艦上爆撃機」、双発の「1式陸上攻撃機」をピックアップするご贔屓の方もおいでと思う。

英国の双発爆撃機としては、傑作の万能機「デ・ハビランド・モスキート爆撃機」や「ブリストル・ブレニム爆撃機」がある。

しかし、それ以上に重要な爆撃機は、アメリカ陸軍航空隊の戦略爆撃機「フライングフォートレス」と呼ばれた4発の「大型戦略爆撃機B-17」の開発だった。

アメリカは艦上爆撃機や双発の中型爆撃機を開発する一方で、進んだ戦略爆撃構想の下、4発の大型爆撃機の開発に着手して一歩列強をリードする存在だった。

その結果、「フライングフォートレスB-17」は、最高速度462km/時を誇り、戦闘機よりも高速の爆撃機として恐れられると共に排気タービンの使用により高空での飛行性能に優れ、戦略爆撃に適した機体に仕上られていったのである。

同機は後に、ヨーロッパ戦線でのドイツ工業地帯殲滅の主力爆撃機となっている。アメリカの同盟国である英国も大戦後半に大型の4発爆撃機「アブロ・ランカスター爆撃機」を開発して、アメリカ軍のB-17と共にドイツ本土爆撃に投入、成果を挙げている。

米国は戦争の後半に、更に重武装の大型爆撃機「ボーイングB-29スーパーフォートレス」を日本本土の戦略爆撃に投入することになる。


(二系統で進む対空火器開発)

このような大戦間に開発された軽快な単座戦闘機から4発の重爆撃機までの各種航空機の発達により、各国の対空火器開発は二つの系統で進行することになったのだった。

一つは、高度数千mの高高度で飛来する爆撃機を迎撃出来る3~5インチ(約76mm~127mm)の重高射砲であり、もう一つが、2,000m以下の低高度で攻撃してくる戦闘機や急降下爆撃機に速やかに対応出来る中口径の高射機関砲であった。

高高度を飛来する重爆撃機迎撃用の重高射砲は本稿のメインテーマでは無いので、代表として独クルップ社の「FLAK18」をご紹介する程度でご容赦頂きたい。

当時、この砲の研究を企画したドイツ陸軍は、ジュネーブ条約によりドイツ国内で十分に行うことが出来なかった。そこで、ドイツ政府はスウェーデンのボフォース社に技術者を派遣して研究と設計を行わせたのだった。

1933年に制式化された同砲は四輪の十字形砲架に載せられた射角その他の制御性に優れた高射砲で、幾多の戦線で大活躍することになる。この多目的用途に対応出来る高性能な砲は、後に「パンサー戦車」に戦車砲として搭載されて、対戦車戦でも驚異的な破壊力を発揮したことで良く知られている。

ドイツの「FLAK18」と同様の高射砲が各国で開発されて順次、実戦配備されている。英国の3インチ(76.2mm)砲、日本の「3年式8cm高角砲」、アメリカ軍の「3インチM3高射砲」等が挙げられるが、大戦当初は、これらの高射砲で間に合ったものの、後半戦での航空機の高高度化に対応出来ず、各国ともより口径の大きな重高射砲の供給不足に苦しむことになる。

ここで注目して置きたいのは、歴史の偶然か、スウェーデンのボフォース社という一つの会社内で、国籍の異なる別々のチームが、第二次世界大戦の対空戦闘で活躍するドイツの「88mm高射砲」と全世界が求めた優れた対空機関砲「ボフォース40mm」の二つを同時に研究開発して、しかも両者共に大成功させた不思議さである。


さて、本題に戻って、第二次世界大戦の低空用の対空機関砲について考えてみたい。従来の機関銃の口径7.7mm前後では、対航空機用として不十分な点は各国とも十分に理解しており、日本陸軍でも「93式13.2mm重機関銃」や「98式20mm高射機関砲」を開発している。帝国海軍も艦載機関砲として「96式25mm高角機銃」を開発、順次、搭載を始めていた。

また、ドイツの「20mm機関砲FLAK38」や英国の口径40mmの「2ポンド高射機関砲」も対空戦闘の実写映像で見る機会が多い。

しかし、これらの戦間期に各国が開発した対空機関砲には、それぞれ大きな欠点を内蔵していたのである。

問題点の第一は、航空機の大型化に対応するには、13mmクラスの小口径の機銃では十分な破壊力と射程距離を得ることが出来なかった点である。それに気付いた各国は大口径の対空機関砲の開発に努力している。

しかしながら、機関砲の大口径化は、銃身自体の大型化と架台の重量増加、複雑な機構による照準性能の低下を招き、成功作と呼べる対空機関砲が世界中でも少ない状況だった。


(「エリコン20mm」と「ボフォース40mm」)

そこで登場したのが、永世中立国スイスの「エリコン20mm」と北欧スウェーデンの「ボフォース40mm」である。

スイスのエリコン社は以前から各種の20mm機関砲の開発を行っていたが、我国の零式艦上戦闘機の主力機銃が同社の航空機用20mm機関砲であることは広く知られている。

同様に「エリコン20mm」は対空機関砲バージョンも優れていて、


 最大射程    4km以上          有効射程    914m

 発射速度    200~320発/分

    

の性能を有すると資料にある。

この機関砲の最も優れている点は、大口径の機関砲の割に小型軽量で操作性に優れ、最悪の場合、少数の操作員の手動の目視照準射撃で効果的な対空射撃が可能な点にあった。その優れた操作性から多くの陸海軍で採用されていた。


一方の「ボフォース40mm」は1933年に開発が終了し、1936年に発表された大型の高性能対空機関砲で、その性能の高さから第二次世界大戦に参戦した連合国、枢軸国の多くが採用した点は前述の通りである基本性能としては、


 最大射程      7,160m        有効射高     3~5,000m  

 発射速度      120発/分


と各種資料にあるので、近接する敵機に対して約4,000mの広範囲で防禦が可能な高性能機関砲だったことが解る。

また、40mmという大口径の砲弾の破片の散布界も広く、破壊力も大きかった。更に、対空戦闘で効率的に貢献出来た背景には、照準制御系の高射算定機との連携が巧く行った優れた制御系も考慮する必要がある。

小型の対空機関銃と違い、重量のあるボフォース40mmは、手動による照準射撃は難しく、自動化による操作性の向上と追尾能力の改善によって高い成果が得られたのである。

後年、英国軍や米海軍は同機関砲の3連装、4連装を含む連装化と高性能な自動追尾機能の付加によって、更に高い防空戦闘効果を挙げている。

それでは、「ボフォース40mm」に付いて、有名な英本土防空戦「バトル・オブ・ブリテン」を例に考えてみたい。


(「バトル・オブ・ブリテン」に於ける対空機関砲)

どの国にとっても戦争勃発前に予想して準備した兵器が、十分に新戦場で間に合うケースは予想外に少ない。特に、その傾向は近代戦になるほど予想と現実の大きな差異となって現われる傾向がある。

低空用の7.7mmや12.7mmの機関銃もその一つで、操作性に問題は無かった物の射程距離や射高、弾丸の破壊力に問題があった。

その空隙を埋める大口径の高射機関砲が各国で開発されていたが、十分な評価が決定しない段階で大戦に突入してしまったのが実情といって良い。

特に、その感が強いのがダンケルクで大量の装備を失った英国で、大量の対空火器不足の中で迎えることになったのが有名な「バトル・オブ・ブリテン(1940年7月~1941年5月)」の戦いであった。

英国は大口径機関砲として、大戦前から40mmの「ヴィッカースQF2ポンド砲」を使用していたが、対空機関砲としては初速が低く、弾道特性の劣る砲であった。この砲は「ポンポン砲」とも呼ばれ、英国戦艦プリンス・オブ・ウェールズその他に搭載した8連装の大型銃架の写真をご覧になった方も多いと思う。

多連装の2ポンドポンポン砲は重量が重く、艦上はともかく陸上用としては大きな欠陥を有する兵器であったし、実戦面でもスェーデンの「ボフォース40mm機関砲」に比較すると性能的に劣っていた為、ボフォース機関砲の供給が軌道に乗ると、順次、第一線から退去させられている。


 この他に、英国の利点としては以前から開発を進めていたマイクロ波レーダーを中核とした早期警戒システムがあった。この優れたシステムと自慢の高速戦闘機のスピットファイアーを中心とした迎撃チームの活躍により、ドイツ爆撃機に大きな損害を与えている。

大戦初期に英国が開発したレーダーは連合国であるアメリカに供与されて米国でも実用化に成功した結果、「サボ島沖夜戦」以降の海戦で、帝国海軍が苦戦する原因の一つとなっている。

しかし、低高度で侵入する敵機に対しては、早期警戒装置の不足と高射機関砲の絶対数の不足により、ボフォース40mmその他の活躍はあったものの顕著な成果を挙げることは出来なかったといわれている。

最近の研究では、バトル・オブ・ブリテンの11ヶ月に及ぶ戦闘で撃墜されたドイツ軍の航空機約1,700機の内、高射砲と対空機関砲その他の対空火器によって撃墜された機数は、5分の1以下の300機に満たないとされている。

この英国が味わった対空戦に於ける数々の苦闘と対空火器の不足の状況は、一人英国だけでは無かったのである。太平洋戦争開戦当初、日本も米国も対空用重機関砲不足の状況で、大戦に突入している。


(直前で間に合ったアメリカの対空火器)

しかし、同じ準備不足にしても、日本海軍や陸軍とは異なる状況がアメリカ軍にはあったのである。

まず、第一に、従来検討していた低空用の7.62mmや12.7mmの機関銃の威力不足を感じていた米軍では1.1インチ砲の開発もおこなっていた。

しかし、十分な成果を挙げることが出来なかった米軍が着目したのがスイスのエリコン社の「20mm」とスェーデン・ボフォース社の「40mm機関砲」だった。

特に、軽量で操作性に優れる「エリコン20mm」は太平洋戦争前半に於ける米軍艦艇の主力対空機関砲として、ギリギリ、増設が間に合ったのである。

加えて、同盟国英国から最新の「バトル・オブ・ブリテン」の戦闘状況を入手することにより、低空域での対空射撃に一種類の機関砲では難しい実情も理解していた米海軍は、「エリコン20mm」と「ボフォース40mm」に加えて「5インチ両用砲」の三種の対空火器による全艦隊の防空システム能力の向上を検討していたのである。

けれども、机上のプランは優れたものであったが、太平洋戦争開戦時の米国艦隊の対空装備は帝国海軍と比較しても、それ程優位な状況に無かったのである。

強いて、利点を挙げれば、1934年に制式化された「Mk12 38口径5インチ砲」の存在がある。この砲は、対艦、対空の両用砲で射高11,000m以上を誇り、発射速度も毎分12~15発であった。この両用砲は米国の航空母艦や駆逐艦を含む主要艦船の対空砲として搭載されて対空戦闘に於いて「エリコン20mm」と共に大きな効果を発揮している。


しかし、米海軍が低高度からの航空機に対する迎撃用の主力火器とした「エリコン20mm機関砲」はともかく、「ボフォース40mm機関砲」の量産と配備は工業大国アメリカと雖も直ぐには実施出来なかった。

「ボフォース40mm」の配備が始まったのが1942年、本格的な量産体制が構築出来たのが1943年であり、戦闘艦艇への実戦配備が出来るようになったのは1944年前半と考えられる。

それでは、この二種類の対空機関砲を合衆国が太平洋戦争期間中にどの位製造したかというと、「エリコン20mm」が12,000丁以上、「ボフォース40mm」が5,000門以上に上る。

即ち、米海軍といえども、理想の対空機関砲「ボフォース40mm」を戦闘艦艇の殆どに装備出来たのは、開戦3年目の1944年後半になってからであった。

けれども、戦前に開発した「96式25mm高角機銃」一種で4年半に及ぶ大戦期間を戦った帝国海軍に比べると、その利点と防空戦に於ける効果は大きかった。


(「ボフォース40mm対空機関砲」vs「「96式25mm高角機銃」)

それでは、連合国を中心に大活躍した「ボフォース40mm」と帝国海軍の主力対空機関砲である「96式25mm高角機銃」の性能を比較してみたい。

日本海軍は当初、英国ヴィッカース社の「QF2ポンド砲」口径40mmを対空砲として検討していたが、故障の多さと弾道性能の悪さに諦めて、フランス、ホッチキス社の機関銃をベースに開発を進めてライセンス生産、1936年に制定したのが「96式25mm高角機銃(以下96式25mmと略す)」だった。

96式は故障が少なく信頼性も高く実戦部隊の評価も好ましい高角機銃で、連合艦隊各艦艇の主力対空機関砲として開戦から終戦まで大活躍している。


「ボフォース40mm」に比較すると「96式25mm」の場合、まず、口径の差が大きく影響して炸薬量が40mmの68gに対して、15.3gと4分の1以下のため、弾丸威力に乏しい欠点が有った。

同様に、射程、射高共に「ボフォース40mm」には及ばず、実戦での有効射高は40mmの3~4,000mに対して約2,000mだったらしい。カタログデータ的には両者共にもう少し高い数値を示しているが、実戦での実力値からみると、その程度が穏当な数値かも知れない。

また、機構的には連射時の加熱に弱く、ボフォースのような毎分120発の連射は実用上難しかったといわれているし、3連装の場合、「ボフォース40mm」が同時に射撃出来るのに対し、「96式25mm」では、各銃身交互に間歇射撃をする必要があったと資料にある。


戦前の1936年に制定された「96式25mm」は当時しては優秀な対空機関砲であり、同機関砲を制御する「95式射撃指揮装置」も3連装の25mm機関砲3台を制御できる優れた装置だった。

けれども、ヨーロッパでの第二次世界大戦の開始以来、各国の兵器は急速に進化して戦前の予想を凌駕する高性能に達している。中でも、航空機の高速化は著しく、「95式射撃指揮装置」の航空機対応速度380km/時では十分に敵機の動きに対応出来ない航空機の高速化が進行していた。

加えて、最高性能を目指して設計された帝国海軍の艦艇全てで、後からの対空火器の増設分の重量増加に関しては、戦艦大和いえども苦しんでいる。大和に増設した「96式25mm」3連装24基分の制御は目視制御射撃となったし、装甲も爆風避け程度の簡易装甲(一説には装甲は無かった)だったという。


旋回に関しては、96式の場合、電動旋回または手動旋回で、「95式射撃指揮装置」と連動して運用されていた。しかし、戦争後半になると射撃指揮装置の供給が間に合わず、銃側の簡易照準器による兵員の個人技術に依存した射撃に変わっていった。その傾向は、特に戦時急増型の駆逐艦などの小型艦艇で多かったという。

一方、アメリカ海軍の艦艇に搭載された連装以上の「ボフォース40mm」の電動旋回と射撃指揮装置のシステム化は太平洋戦争後半になると大きく改善されて、日本軍機に対する追尾性能は大幅に向上している。その効果は、1944年後半以降、終戦までの日本軍機撃墜数の約半分を「ボフォース40mm」が占めている点からも理解されよう。

それでは、「ボフォース40mm」を採用する機会が日本軍に全く無かったかと見ると、そうでも無かった。緒戦、南方戦線の各地で連合軍の同砲を無傷で捕獲、内地に回送して、性能試験を行い、その優秀性を十分に理解していたのである。

しかし、ボフォース社からのライセンス生産では無く、慣れない模倣製造のため、製作に手間取り、1944年になって、漸く数十基が完成した段階で終戦を迎えたようだ。


(日米戦力の分岐点)

太平洋戦争に於ける勝敗の分岐点として、良く「ミッドウェー海戦」が挙げられるが、低空用対空機関砲その他の日米海軍の防空能力の分岐点は、1944年6月に行われた「マリアナ沖海戦」と考えたい。

この海戦で帝国海軍は「大鳳」、「翔鶴」を含む空母3隻と航空機の殆ど全てを失って、「制空権」を喪失、米軍からは、「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄される惨憺たる敗戦を味わったのである。

この敗因を同海戦に於ける航空戦と対空砲戦から分析すると、まず、第一に英国から技術供与を受けた米軍のレーダー技術による早期警戒システムが米軍にはあった。事前に帝国海軍機の侵入空域と航空機数を把握できた米海軍は、日本軍機に倍する迎撃機を配置して完勝を図ったのである。

更に、従来の日本海軍式の思考で指揮に当たった小沢治三郎中将と巡洋艦戦隊指揮官からの転任ながら機動部隊の本質を理解して指揮した米軍のスプルーアンス大将との司令官としての資質の差も大きかった。


さて、本題の対空機関砲の話に戻そう。この海戦に参加した米軍の艦艇に搭載された「エリコン20mm機関銃」は十分とはいえないが、必要数に近い数が整備されたのに対し、「ボフォース40mm」の搭載数はまだ十分な数に達していなかった感がある

何故かというとこの海戦までの対空砲による敵機撃墜数の32%が「エリコン20mm」であり、「ボフォース40mm」によると考えられている撃墜数は、18%に過ぎないとみられているからである。

射撃手による直接照準による扱いやすい「エリコン20mm」に比べて、機械駆動方式による大型の連装や四連装の「ボフォース40mm」は習熟に時間を必要としたようだ。

しかし、「CIC(戦闘指揮所)」を中心としたレーダーを中核とした米軍の防空システムは、時間の経過と共に充実して、その機能を向上させていったのである。

その結果、「マリアナ沖海戦」以後の対空砲戦での「ボフォース40mm」の敵機撃墜率はメキメキと向上して、太平洋戦争後半では、50%に達したのである。

それから、もう一つ付け加えておかなければならない米海軍の利点の一つに、「VT(近接)信管」がある。VT信管は、大口径の対空砲、特に海軍では、「Mk12 38口径5インチ両用砲」で使用され、高高度の敵機に最も砲弾が接近した位置で爆発する機能は、日本軍機に多大の消耗を敷いている。

この信管は1943年8月以降、米海軍の艦艇に供給されて、大きな戦果を挙げたが、マリアナ沖海戦では、全艦艇に供給出来る段階では無く、5インチ両用砲発射の全弾数の約二割に過ぎなかったらしい。また、一部に40mm対空機関砲の弾丸もVT信管使用により大きな効果を挙げたとする意見があるようだが、調べた範囲の資料では、確認出来なかった。


このように、太平洋戦争に於ける米海軍の日本軍機に対する防御策は、次の四つの段階から成り立っていた。


 1)レーダー網による早期の迎撃戦闘機配置と戦闘空域の設定

 2)VT信管使用の5インチ両用砲による高高度迎撃システムの効率化

 3)「ボフォース40mm」による中間空域の防空網の構築

 4)「エリコン20mm」による直接照準射撃による近接戦闘の効率化


それに対して、帝国海軍の敵機迎撃は、1)のレーダー開発が大幅に遅れた上、4)の敵機に対する直接照準射撃能力が不足していた印象が強い。

いうなれば、米海軍の場合、太平洋戦争前半に「エリコン20mm」の艦艇配備がある程度間に合った点と、戦争後半に米国の驚異的な工業力に支援されて、「ボフォース40mm」の防空システムが整備できた点が大きかった。

結果論だが、戦前に開発準備した兵器で4年半の長く苦しい戦いを戦い抜かざるを得なかった日本軍との差は実に大きかった気がしている。

これからも世界での技術競争は永遠に続くことになるが、最新情報による正確な現状分析と対策実施を怠ると短時間で実戦での敗北や巨大経済市場を失う危険性は常に潜んでいるのである


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ