25.大変身した「コンテ・ディ・カブール級」旧式戦艦(イタリア)
前回から、第二次世界大戦で奮闘した各国の第二線級兵器の幾つかを選んで検討してみたいと思い、始めに英国海軍の艦上攻撃機「ソードフィッシュ」を採り上げた。
今回は、枢軸国側のイタリア海軍の第一次世界大戦型旧式戦艦を採り上げて勉強してみたいと思っている。ここで、ピックアップしたイタリアの旧式戦艦4隻は、日本では余り知られていない「ド級艦」で二つのクラスに分かれる。一つは、「コンテ・ディ・カブール級」戦艦2隻であり、残り2隻も同級の改良型で良く似た設計の「カイオ・デュイリオ級」戦艦である。
「コンテ・ディ・カブール級」戦艦は、第一次世界大戦前の1910年に起工、ネームシップの「コンテ・ディ・カブール」は、第一次世界大戦突入後の1915年4月に竣工している。
このイタリア海軍の4隻(5隻建造されたが、1隻が爆発事故で沈没した為、ここでは4隻で記述する)の戦艦群は、一般的に「ドレッドノート級戦艦」略して「ド級戦艦」に分類される第一次世界大戦型の旧式戦艦である。
1906年に就役した戦艦「ドレッドノート」は、戦艦史上、最も特記に値する戦艦の1隻だった。それまでの各国の戦艦が、12インチ(30.5cm)主砲4門を搭載していたのに対し、ドレッドノートは12インチ砲を驚異的な10門搭載して、片舷砲戦力を一挙に倍増させただけで無く、速力もそれまでの装甲巡洋艦並の20ノットの高速戦艦だった。
同級の登場によって列国海軍が保有していた、例えば日本海軍の「三笠」を始めとする大量の戦艦群は一挙に旧式化、列強は「ドレッドノート級戦艦」と同等、あるいはそれ以上の戦艦の建造に邁進することとなったのである。
当然ながら、地中海の雄、イタリア海軍も負けてはおらず、「コンテ・ディ・カブール級」戦艦と改良型の「カイオ・デュイリオ級」戦艦を第一次世界大戦中に就役させている。
この二つの等級のイタリア戦艦の特徴は、本家の「ドレッドノート」以上に多くの12インチ砲を搭載した点にあった。3連装砲塔と連装砲塔を前後に背負い式に配置しただけで無く、中央部の二つの煙突の間に、更に3連装砲塔を一基装備した結果、搭載砲の総数は、ドレッドノートよりも3門多い12インチ砲13門となったのである。加えて、タービン機関の採用により速力はドレッドノートを上回る21.5ノットとなり、装甲も全体防御方式ながらイタリア戦艦らしく比較的厚かったといわれている。
しかし、このイタリアの二つのクラスの「ド級戦艦」が就役した頃、戦艦の先進国英国では、次々と「ド級艦」を上回る性能の大型戦艦が就役していた。
英国海軍では、戦艦に搭載する12インチ砲の数を増やすよりも、戦艦に搭載する大砲の大口径化に重点を置いて開発、建造を急いだのだった。その代表が、「オライオン級戦艦」で、主砲は13.5インチ(34.3cm)砲、10門、速力21ノットで第一次世界大戦前の1912年に就役している。
更に追い打ちを掛けるように英国は、15インチ(38cm)砲搭載の高速戦艦「クイーン・エリザベス級」5隻を第一次世界大戦開戦直後に就役させて戦列を強化している。同級はジェットランド海戦の際、第四戦艦戦隊を構成してドイツ巡洋戦艦戦隊相手に大奮闘したことは良く知られている。
これらの「ド級戦艦」を上回る大口径砲を搭載した強力な戦艦を世界は、「超ド級戦艦」と呼んで恐れたのだった。
(「ネイビーホリデイ(海軍休日)」と列強の対応)
第一次世界大戦による近代戦の惨禍の大きさに驚いた列強だったが、戦後も各国は軍備の増強、特に海軍の戦艦群の強化に邁進したのだった。
大戦艦群の建艦競争は、英米日本を始めとする列強各国の国家財政を大幅に圧迫、国家予算編成に対する危機的な状況を招く寸前まで至って、主要国各国の頭痛の種となっていた。
その状況に1921年、アメリカ大統領ハーデイングの提案によってワシントンで開催、締結されたのが、「ワシントン海軍軍縮条約」である。
その結果、多くの戦艦群を擁していた世界最大の海軍国、英国海軍の戦艦は、「ド級艦」の呼称の源となった戦艦ドレッドノートが第一次世界大戦直後のワシントン海軍軍縮条約締結前の1919年に早くも退役したのを始め、ジェットランド海戦で活躍した多くの「ド級戦艦」と「超ド級戦艦」を含めタイガー級巡洋戦艦等が次々と退役、解体されたのを始めとして、5大戦勝国の旧式戦艦は次々と廃棄されていった。
1932年以降になるとジェットランド海戦に参加した英国大艦隊の戦艦で残ることが出来た戦艦は、1915年就役の高速戦艦クイーン・エリザベス級だけとなってしまったのである。
この状況は、英国だけでは無かった。米国も我国日本も比較的艦令の若い「準ド級艦」や「ド級艦」を条約の規定に従って次々と退役させている。当然ながら、英米日に続く仏伊露の各国海軍でも同様の海軍縮小が起きたのであった。
この、第一次世界大戦の五大戦勝国によって結ばれたワシントン条約(1922年)に続くロンドン軍縮条約失効(1936年)までの約15年間を、「ネイビーホリデイ(海軍の休日)」と呼ぶ。
各国の主力艦である戦艦と航空母艦だけで無く、重巡洋艦に関しても厳しい建造制限(総トン数、備砲、排水量等)が規定され、これらの巡洋艦は「条約型重巡洋艦」と呼ばれることになる。
条約の中でも、各国の保有する戦艦に関する規定は、最も厳しく、英国を最多に各国は保有する多くの戦艦を廃棄したのだった。復、新しい戦艦の建造に対しても厳しい枠が嵌められており、最大排水量、備砲口径共に限定された枠内での着工しか新造を認められなかったのである。
その結果、第二次世界大戦直前の1936年まで、「ネイビーホリデイ」と呼ばれる主力艦の建造を主要国間で互いに自粛する時代が現出したのだった。
(「ネイビーホリデイ」時代の各国の保有する戦艦の実態)
世界的な戦艦群の大縮小時代、最も大幅に現役戦艦廃棄を実施したのが英国だった点は上記した通りだが、「ド級戦艦」の全てと「超ド級戦艦」の多くが現役を退いている。同様に日本でも「ド級戦艦」に近い準ド級艦の薩摩、摂津が廃艦となっている。
しかし、イタリア、フランス、アメリカ及びその他の国の「ド級戦艦」は、自国の保有する戦艦の隻数枠に余裕があった為に、退役を免れて生き延びている戦艦も多かった。
例えば、アメリカ海軍でみると1912年に就役しているド級艦「ワイオミング級」である。12インチ砲12門搭載、速力20ノットの同級は両軍縮条約を生き延びて、同級の1隻アーカンソーは第二次世界大戦では地中海及び大西洋方面で活躍している。
ワイオミング級に続く、14インチ砲10門搭載の「超ド級艦」ニューヨーク級2隻も同様に大西洋で活躍、戦争の後半には太平洋に回航されて対日戦で陸上砲撃に参加している。
フランスの場合も同様に「ド級戦艦」である3隻のクールベ級は残存しているし、それに続く「超ド級艦」のブルターニュ級戦艦3隻も第二次世界大戦開戦まで健在だった。
そして、今回主役のイタリア海軍では、「コンテ・ディ・カブール級」戦艦と同級の改良型である「カイオ・デュイリオ級」戦艦の2つのクラスの「ド級戦艦」が残されていたのであった。
(「ネイビーホリデイ」時代、各国で進む旧式戦艦の近代化工事)
1922年からロンドン条約失効の1936年までの約15年間、各国海軍は、第一次世界大戦当時に建造された「ド級艦」や「超ド級艦」を大切に保持する一方、時代と共に劣化する兵器としての旧式化を必死に防止すべく努力している。
即ち、近代化改装工事の実施である。それでは、主要各国の戦艦に対する近代化改装工事例を幾つか挙げてみたい。
英国の戦艦クイーン・エリザベス級の場合も流石に1930年代になると老朽化が目立つようになった上に、最新の水上砲戦技術と航空機に対する対応力不足を大幅に改善する必要に迫られている。それを受ける形で同級は艦橋を始めとする上部構造物を一新している。最も大きく変わったのが艦橋の外観と対空兵装で、搭載の6インチ砲を撤去、4.5インチ連装両用砲20門を増設している他、2ポンド8連装ポンポン砲4基、20mm機銃多数を増設している。
その結果もあって、ウォースパイトを始めとする、エリザベス級戦艦は第二次世界大戦でも各戦線で大活躍している。
同様の近代化改装工事はアメリカ合衆国海軍の戦艦でも同様に実施された。それでは、米国戦艦の「標準型」とも呼ばれた戦艦「ペンシルベニア」についての改装概要を確認してみたい。米国初めての3万トン級戦艦として建造されたペンシルベニアは、我国の扶桑級戦艦(14インチ砲12門搭載)を凌駕することを目標に設計された。
扶桑級の14インチ連装砲塔6基の問題点を研究した米国海軍は、12門に及ぶ多数の備砲を備える為に6基に及ぶ連装砲塔を搭載した防御上の欠陥を重視して、3連装砲塔4基に縮小した集中防御方式の堅艦としてペンシルベニアを建造した。3連装砲塔の採用により、合計の砲門数では扶桑に劣らない同数の12門搭載を実現しながら砲塔数では2基、扶桑級より少ない優れた戦艦を建造したのだった。加えて、ペンシルベニア級はアメリカ戦艦伝統の重防御と高い攻撃力を併せ持つ戦艦となった。但し、攻撃と防御を両立させるために、米海軍は同艦の速力を21ノット(扶桑の速力は24.7ノット)で妥協している。
アメリカ標準型戦艦とでも呼べそうなペンシルベニア級だったが、米国海軍も各国と同様に近代化工事を1929~1931年に実施している。その内容は、アメリカ戦艦独特の籠型マストをより強固な三脚式マストに変更すると共に、艦橋の大型化によって近代戦に備えるための諸設備の増設と人員の拡充に対応している。更に、1942年には、対空用の高角砲や28mm、20mm、12.7mmの対空機関砲や機銃を増設して防空能力の向上を図っている。
さて、我が帝国海軍はというと、列強の中でも比較的古い1913年就役の巡洋戦艦金剛級を4隻保有していた。前述したように、金剛よりも新しい英国海軍のタイガー級巡洋戦艦は、1931年に全て退役していたのである。
この古くなった巡洋戦艦を近代的な戦艦として蘇らせる為に、帝国海軍も涙ぐましい努力を重ねている。1928~1931年に第一次改装を行うと共に、1935~1937年には第二次改装を実施、近代的な高速戦艦として変身させている。外観的に大きく変わった点は、機関部を大幅に入れ替えた結果煙突は3本から2本となったし、艦橋も大型の近代的な形状になったため、精悍さを増している。
次に本題のイタリア海軍の戦艦に入る前にイタリア海軍のライバル、フランス海軍と同海軍の宿敵ドイツ海軍の関係について考察してみよう。
(ドイツ海軍 > フランス海軍 > イタリア海軍)
列国海軍と同じようにイタリア海軍のライバル、フランス海軍でもド級戦艦「プロヴァンス級」の近代化工事が1931~1932年に進行している。第三次改装である。これによって、就役時20ノットの低速戦艦だった同艦は、23.7ノットの中速戦艦へと変身したのだった。
しかし、この程度の近代化改装工事では追いつかない大きな問題点をフランス海軍は抱えていた。
それは宿敵ドイツ海軍が画期的な小型戦闘艦を建造したからであった。昔から、フランス、ドイツイタリアの三国は複雑な外交関係を繰り広げてきた。晋仏戦争以後、フランスは英国を盟友としてドイツ帝国と対立してきたが、ドイツが敗北した先の大戦以降もフランスのドイツに対する警戒心が和らぐことはなかったのである。
そして、イタリアよりも常に有力な海軍を有するフランス海軍に対しイタリア海軍は警戒を怠ることが無かったのである。その結果が、この項のサブタイトルの、
ドイツ海軍 > フランス海軍 > イタリア海軍
の表示である。しかし、「ネイビーホリデイ」の15年間にイタリア海軍が恐れたようなフランス海軍との対決は起きなかったし、第二次世界大戦で発生した現実の対戦相手は英国海軍だった。
ヒトラードイツの「電撃戦」の勝利によるフランスの降伏により自滅したフランス海軍に変わって、地中海では、エジプトのアレキサンドリアとジブラルタルを根拠地とする世界第二の海軍国英国の艦隊が枢軸国イタリアの敵となったのである。
以下、そこに至る歴史の不思議さと経過を記述する。
第1次世界大戦で敗戦国となったドイツは、海軍についても厳しい制限を連合国から承服させられている。曰く、その建造可能な戦闘艦の最大排水量を1万トンに制限、搭載する艦砲の大きさも28cm砲以下に限定すると。
その制限内でドイツが心血を注いで建造したのが、有名なポケット戦艦「ドイッチュランド級」である。自分より大きな各国の戦艦には、26ノットの優速を利して離脱し、重巡洋艦以下の艦種には、大型の28cm3連装砲塔2基、6門によって撃滅を図る野心的な艦種であった。
ドイツ海軍は、ドイッチュランドに続いて、アドミラル・シェーア、アドミラル・グラフ・シュペーの各艦を建造、就役させていた。
この事態に最も驚いたのがフランス海軍で、ドイツの「ポケット戦艦」に対抗すべき新戦艦の建造を計画したのだった。1932年に着工されたフランスの新戦艦「ダンケルク級」の要目は、3万トン級(表向きは26,500トン)の船体に33cm4連装砲塔2基、8門を前部に集中搭載、集中防御方式をいち早く採り入れた速力29.5ノットの近代的な高速戦艦であった。
大型の38cm砲搭載で、31ノットの高速を誇る巡洋戦艦フッドを保有する英国海軍や金剛級巡洋戦艦4隻を所有する日本にとっては、許容範囲内のフランスの新戦艦だったが、しかし、隣国イタリア海軍にとっては、驚愕のフランス新高速戦艦の登場であった。
当時、イタリア海軍は「コンテ・ディ・カブール級」を始めとする5隻(後に1隻沈没)の「ド級戦艦」を保有していた。しかし、その速力は21.5ノットと鈍足で、搭載砲も各艦13門と砲の数は多いものの口径は旧式で小型の12インチ(30.5cm)砲であった。この5隻の旧式な「ド級戦艦」を除くと、1隻の「超ド級艦」もイタリア海軍は保有しておらず、その他としては重巡洋艦を整備しつつあるものの重巡の砲戦力では到底ダンケルク級と真面に戦える相手では無かったのである。
このように、各国の海軍では、その保有する「ド級戦艦」や「超ド級戦艦」の近代化工事を2つの世界大戦間の「ネイビーホリデイ」の間に競争するように実施する一方で、自国の建造制限枠内限度一杯で、最新の近代的な戦艦を建造していたのだった。
イタリア海軍の場合、単純な旧式艦の近代化工事だけでは解決できない大きな問題点を抱えていた最大の理由が、フランス海軍の新戦艦「ダンケルク級」にあったのである。建造で先行するフランスに対し、設計から新しく着手しなければならないイタリアの遅れは致命的であった。最悪の場合、イタリアの国防に大きな空白が生じる可能性さえあったのである。
(『魔改造』に成功したイタリア旧式戦艦4隻)
イタリア海軍自身も新型高性能の近代戦艦の開発には既に取り掛かってはいたが、戦艦の建造には先進国といえども長期の歳月が必要だった。
この緊急事態にイタリア海軍が決断した方針が、世界でも最も旧式な戦艦に属する自国の「ド級戦艦」2隻の『魔改造』とでも表現したいような、新造に近い大近代化改装工事であった。
改装の戦艦は、12インチ砲13門搭載、速力21ノットの「コンテ・ディ・カブール級戦艦」2隻である。1933年10月から始まった近代化工事のポイントは、速力の増加と搭載砲の口径の大型化であった。艦中央部の3連装砲塔1基を撤去しただけで無く、二本の煙突と艦橋も除去して、艦首方向の船体を延長、艦全体の6割を徹底的に造り替えている。そこで生じた余剰空間を生かして機関出力を3倍にした結果、速力は驚異的な28ノットの高速運転が可能な所まで改善している。
改造はそれだけでは無かった。搭載する12インチ砲の砲腔内を切削により320mmに拡大、仰角27度で28,600mの最大射程を得ている。
この悪魔のような全面的な近代化工事の成功によって、イタリア海軍は一挙に近代的な高速戦艦2隻を戦列に加えることが出来たのであった。
この成功を受けて、イタリア海軍は残るド級戦艦「カイオ・デュイリオ級」2隻の近代化工事に着手、1940年10月には、全ての旧式「ド級戦艦」4隻の近代化工事(但し、カイオ・デュイリオ級の速力は27ノットだった)を終了して、イタリア海軍の陣容は一新されたのだった。
ここまでの艦容を一変させるまでの徹底的で完璧な近代化工事を「ネイビーホリデイ」期間中に成功させた国はイタリア以外存在しなかったし、将来も実現しそうも無い大改造だった。
(その後のイタリア海軍)
世界でも最も就役年次の古い部類に属する旧式な「ド級戦艦」を『魔改造』と呼べる程の艦全体の60%に及ぶ大改造を施した結果、新しく建造されたドイツのポケット戦艦やフランスのダンケルク級高速戦艦に対抗出来る性能の戦艦をイタリア海軍は入手出来たのだった。
しかし、後発の2隻のド級戦艦の近代化工事が終了する前にイタリアは第二次世界大戦に枢軸国側として参戦した結果、1940年7月、英戦艦とイタリア海軍の2戦艦は地中海で対戦することとなったのである。砲戦によりイタリア戦艦に損傷が生じたが、大事に至らず両者は戦場を離れている。
続いて発生したのが、同年11月の英国空母からのソードフィッシュ艦上攻撃機による「タラント空襲」だった。当時、タラント軍港深く停泊していたイタリア戦艦5隻の内3隻が、この攻撃により重大な損傷を受け、カブールは沈没を回避するために浅瀬に乗り上げて擱座、リットリオとデュイリオの2戦艦も大破する大被害を被っている。
リットリオとデュイリオ2隻の修復は順調に進んだが、カブールの浮揚と修復はイタリアと連合軍との休戦後まで掛かる重症だった。
その後のイタリア海軍は英海軍の水上艦艇を求めて出撃を繰り返したものの航空戦力の決定的な不足もあって大きな戦果が無いまま、やがて、燃料の重油の不足に苦しんだ結果、イタリア戦艦の外洋での行動は減少、1942年9月の連合軍とイタリア政府の休戦時にもイタリア戦艦6隻は、行動可能な状態で休戦を迎えている。
2隻のド級戦艦の近代化工事を始めた当時のイタリアの工業力は低く、新戦艦「ヴィトリオ・ヴェネト級」建造の際も全ての材料と機材を国産で整えることが出来ずに苦しんでいる。
そんな中で、「コンテ・ディ・カブール級戦艦」2隻の近代化大改装に取り組んだイタリア海軍首脳の英断は称讃に値する。
コンテ・ディ・カブールは、C.R.D.A.社トリエステ造船所で、カイオ・デュリオ・チェザーレの工事はティレ二ア海造船所ジェノヴァ工場で実施されている。
「コンテ・ディ・カブール級」2隻に続き、良く似た構造のド級戦艦、「カイオ・デュイリオ級」2隻の近代化工事もジェノヴァとトリエステの造船所で進められた。
その結果、旧式の「ド級戦艦」しか持っていなかったイタリア海軍が、新鋭ドイツのポケット戦艦やフランス海軍の誇る高速戦艦「ダンケルク級」に対抗可能な近代的性能の戦艦を持つことが出来た意義は大きかった。
確かに、主砲の内径をボーリングして拡大した為に、射撃時の散布界や砲身寿命に若干の問題を生じているが、21ノットだった低速の「ド級戦艦」が近代的な28ノットクラスの高速戦艦に生まれ変わったイタリア造船技術の成果は称讃に値する。『魔改造』により近代化されたイタリアの「ド級戦艦」4隻は、格上の英国海軍の「超ド級戦艦」と地中海に於いて対等に対峙出来たことは、イタリア国民の誇りと考えても間違いでは無いと思う。何故ならば、英米日を含めて、旧式戦艦をここまで近代的に変身させた海軍と造船所は存在しなかったのだから!
しかし、惜しむらくは、イタリア造船界の勝利が、実戦でのイタリア海軍の勝利に結びつかなかった点に関してはイタリア国民としては無念だったと推察する。